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裁判年月日 平成17年 3月28日 裁判所名 札幌地裁 裁判区分 判決
事件番号 平12(ワ)1257号
事件名 損害賠償請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2005WLJPCA03289001
要旨
◆殺人及び死体損壊事件の被疑者であった原告が、取調官らから、威迫的言辞や監禁等によって自白を強要されるという違法な取調べを受けたことにより、精神神経症状である心因反応を惹起させられたとして、被告に対し、国家賠償法1条1項に基づき、慰謝料等を請求した事案において、原告の主張する監禁や違法な有形力の行使等の事実は認められず、本件取調官の発言の中には、その言辞自体、一部穏当を欠いたものがあったことは認められるものの、それらが、事案の重大性、嫌疑の有無ないし程度等を勘案するまでもなく違法と評価されるほどの、脅迫に類するものではないことは明らかであり、本件取調べに違法はないとして、原告の請求を棄却した事例
出典
裁判所ウェブサイト
参照条文
国家賠償法1条1項
刑事訴訟法197条1項
刑事訴訟法198条1項
刑事訴訟法198条2項
裁判年月日 平成17年 3月28日 裁判所名 札幌地裁 裁判区分 判決
事件番号 平12(ワ)1257号
事件名 損害賠償請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2005WLJPCA03289001
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
(1) 被告は,原告に対し,500万円及びこれに対する平成12年5月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
(3) 仮執行宣言
2 被告
(1) 原告の請求を棄却する。
(2) 訴訟費用は原告の負担とする。
(3) 担保を条件とする仮執行免脱宣言
第2 事案の概要
本件は,千歳市,恵庭市又はその周辺において,平成12年3月16日夜に発生した殺人及び死体損壊事件(以下「本件殺人等事件」という。)の被疑者であった原告(その後,公訴提起により被告人となった。)が,被告の地方公務員である北海道警察の捜査官らから,同年4月14日及び同月21日に,威迫的言辞や監禁等によって自白を強要されるという違法な取調べを受けたことにより,精神神経症状である心因反応を惹起させられたとして,被告に対し,国家賠償法1条1項に基づき,慰謝料500万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である同年5月30日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を請求した事案である。
1 前提となる事実(争いのない事実以外は証拠等を併記)
(1) 当事者等
ア 原告は,本件殺人等事件の被疑者として取調べを受けた者であり,現在は,同事件の被告人である。原告は,本件殺人等事件の発生当時,A工場構内に所在するB事業所に勤務していた。
イ 被告は,北海道警察本部及びC署を設置する地方公共団体である。
D及びEは,いずれも北海道警察に所属する警察官である。本件殺人等事件に係る原告の平成12年4月14日及び同月21日の任意取調べにおいて,Dは取調官として,Eは取調補助官として,それぞれ取調べを担当した。
ウ F(以下「本件被害者」という。)は,本件殺人等事件の被害者である。同人は,本件殺人等事件の当時,原告と同じく,B事業所に勤務していた。
Gは,かつて原告と交際していた者である。同人は,本件殺人等事件の当時,原告との交際を解消し,本件被害者と交際していた(甲7)。
(2) 本件殺人等事件の認知等に係る経緯
ア 平成12年3月17日(以下,特に断らない限り,月日は平成12年のものであり,原則として,「平成12年」を省略する。),住民から,恵庭消防に対し,「道路上に人の焼けた死体の様なものがある。」旨の通報があり,同消防から通報を受けたC署の警察官が通報先現場である北海道恵庭市ab番先路上(以下「死体発見現場」という。なお,以下,北海道内の地名については,「北海道」を省略する。)に臨場したところ,女性のものと思われる焼死体(以下「焼死体」という。)が確認された(乙16,17の1,2,弁論の全趣旨)。
イ 死体発見現場付近の状況は,以下の(ア)ないし(エ)のとおりであった(乙17の1)。
(ア) 死体発見現場は,恵庭市とc町,北広島市の境界付近の農村地帯であり,田畑や原野の中に農家が点在している。また,現場付近は,市道が縦横に通っているが,住宅街と離れており,交通量は昼夜ともに少なく,また街路灯も付近には設置されておらず,夜間は暗く閑静である。
(イ) 死体発見現場は,幅員5メートルの未舗装道路上である。同道路の両端は圧雪状態であり,中央部分は濡れた砂利道となっていた。
(ウ) 死体発見現場付近道路は,前項のとおり,圧雪状態であるが,焼死体の周辺のみ雪が融解していた。
(エ) 焼死体の左足先付近に,左足用の短靴(以下「遺留短靴」という。)が遺留されていた。
ウ 死体発見現場の状況から殺人等被疑事件であると判断したC署は,死因及び身元の特定のため,北海道大学医学部法医学教室医師に鑑定を嘱託した。司法解剖及び鑑定における所見は,死因は頸部圧迫による窒息(外因死)と考えられ,自他為,事故の別は,他為と思われるというものであった(乙18の1ないし3)。
エ 3月17日,本件被害者の実母であるHから,本件被害者が同月16日夜から帰宅しておらず,同月17日には会社にも出勤していない,携帯電話も通じない旨の通報があった。同日,捜査員が,H及び本件被害者の実父であるIから,本件被害者の特徴等につき事情聴取したところ,本件被害者と焼死体との身体的特徴が一致した。また遺留短靴の確認作業を行ったところ,I及びHは,本件被害者が使用していた靴に間違いない旨述べた。さらに,捜査の結果,本件被害者と焼死体の指紋が一致することが判明し,そのころ,焼死体の身元が本件被害者であると特定された。(乙19の1)
オ 北海道警察本部及びC署は,3月17日,本件被害者が殺害されたものと判断し,合同捜査本部(以下「本件捜査本部」という。)を設置して,本件殺人等事件の捜査を開始した。
(3) 原告に対する任意取調べ等
ア 原告は,3月17日,本件殺人等事件に関する事情聴取を受け,4月14日以降は,本件殺人等事件の被疑者として,C署2階4号室において,任意取調べを受けた。
イ 原告が任意取調べを受けた日は,4月14日,同月15日,同月17日,同月18日,同月19日及び同月21日である(以下,これらの任意取調べを「本件取調べ」という。また,以下,4月14日の取調べを「本件取調べ①」といい,同月21日の取調べを「本件取調べ②」という。)。
ウ 原告の供述を録取した司法警察員面前調書(以下,単に「供述調書」という。)は,3月17日,4月18日及び同月19日付けで,それぞれ作成された。なお,原告の本件殺人等事件に係る自白調書はない。
(4) 任意取調べ後の経緯等
ア 原告は,4月22日,C署からの出頭要請を拒絶した。原告は,同月24日,医療法人社団慈藻会平松病院において,心因反応(精神的な原因によって生じた精神障害をいう。)との診断を受け,同月26日,同病院に入院した。(甲1の1,2)
イ 原告は,5月23日,本件殺人等事件を被疑事実として逮捕された(甲20)。
ウ 原告は,6月13日,本件殺人等事件に係る公訴の提起を受けた。公訴事実は,原告は,「平成12年3月16日午後9時30分ころから同日午後11時ころまでの間,千歳市,恵庭市又はその周辺において,F(当時24歳)に対し,殺意をもって,その頸部を圧迫し,同人を窒息死させて殺害し」,「前同日午後11時ころ,恵庭市ab番先路上において,前記Fの死体に灯油をかけて火を放って焼損し,もって死体を損壊した」というものである。(乙1)
エ 原告に対する本件殺人等事件に係る被告事件の第1審判決は,有罪判決であり,平成15年3月26日に札幌地方裁判所で言い渡された。同判決は,原告を懲役16年に処するというものであった(なお,未決勾留日数中540日が算入された。)。(乙14)
オ 上記第1審判決に対し原告が控訴し,同事件は札幌高等裁判所に係属中である。
2 争点
① 本件取調べ①において,威迫的言辞等による自白の強要等の違法な取調べが行われたか否か。
② 本件取調べ②において,威迫的言動,暴行,監禁等による自白の強要等の違法な取調べが行われたか否か。
③ 損害の有無及び額
3 争点①(本件取調べ①の違法性の有無)に関する当事者の主張
(原告の主張)
(1) 本件取調べ①において,取調官であるD及びE(以下「取調官ら」という。)は,以下のア及びイのとおり,原告に対し,供述拒否権を告げることなく,何ら事実関係を確認したり,証拠を示すこともなしに,終始,原告の人格を攻撃する言辞を大声で怒鳴り続け,机を叩く等して威迫し,執拗に自白を強要するという取調べを行った。このような過酷な取調べが行われたことは,原告が,同日,用便等の際にふらふらと足下がおぼつかず,泣き出したことからも明らかである。
このように,取調官らは,専ら原告を本件殺人等事件の犯人であると決めつけ,何ら証拠を示すこともなしに,原告の人格を攻撃する威迫的な言辞という違法な手段を用い,自白を強要した。このような取調べは,捜査方法としておよそ違法なものであり,あるいは,任意捜査の限界を超えた違法なものである。
ア 供述拒否権の不告知
取調官らは,本件取調べ①を行うに当たり,原告に対し,供述拒否権を告知しなかった。
イ 威迫的言辞
取調官らは,以下の(ア)ないし(コ)のとおり,原告を繰り返し怒鳴りつけ,自白を強要した。
(ア) 取調官らは,取調べを開始するや,「お前がやったんだろう。お前しかいないんだ。」,「会社の人だって,みんなお前がやったと思って疑っているんだ。お前のことを疑ってても,それがお前にばれないように,ああやってやってくれてたんだ。」,「ごめんなさいって言え。ごめんなさいって言ってみろ。」と怒鳴りつけた。
(イ) 取調官らは,「お前は鬼だ。お前の心には鬼が住んでるんだ。早く人間に戻れ。」,「お前の言っていることはみんな嘘だ。嘘ばっかりだ。お前はFさんのことを恨んでたんだ。」と怒鳴りつけた。
(ウ) 取調官らは,胃痛を訴える原告に対し,「前にもお前みたいな女がいたんだ。胃が痛くて痛くて。でも,自分の罪を認めて全部話したら,その痛みはなくなったんだ。お前も人間の心を取り戻してすべて話したら,そんな痛みはなくなるんだ。」と述べた。
(エ) 取調官らは,用便に行きたいと述べる原告に対し,「何も話さないくせに,自分のわがままばかり言うな。」と怒鳴るとともに,原告が用便から戻ると,「やっと人間の心を取り戻したか。よかった。さっ,素直に話してみろ。」と述べ,さらに,「やっと人間の心を取り戻したと思ったのに,さっきの涙は何だったんだ。お前の心にはまだ鬼が住んでいるのか。」と怒鳴りつけた。
(オ) 取調官らは,「お前がFさんの葬式の時に流していた涙はなんだ。あれは鬼の涙だ。会社の人達全員が,ひつぎに花を供えていたのに,お前だけはしなかった。できなかったんだよな。」と述べた。
(カ) 取調官らは,頭痛を訴える原告に対し,「そんなものは,自分の罪を認めて話さないからだ。ごめんなさいって言わないからだ。」と怒鳴りつけた。
(キ) 取調官らは,「毎日徹夜続きで,こっちの体だってボロボロなんだ。ふざけたことばかり言うな。」と怒鳴りつけた。
(ク) 取調官らは,喉の渇きを訴える原告に対し,「水をくれとかトイレに行きたいとか,何にもしゃべんないくせに自分の欲求ばかり言うな。」と怒鳴りつけた。
(ケ) 取調官らは,「女の刑事さんと,関係ない話だったらべらべらしゃべりやがって,ばかにしてんのか,ふざけるな。」と怒鳴りつけた。
(コ) 取調官らは,恐怖の余り意識がもうろうとしていた原告の体がふらつくと,そのたびに机を叩いて,「まさか寝てるんじゃないべな。」と怒鳴りつけた。
(2) なお,本件取調べ①は,原告に対する嫌疑の有無にかかわらず違法であり,嫌疑の有無,程度により取調べの違法評価が異なると解すべき根拠はないというべきであるが,仮にそうでないとしても,以下に主張するとおり,原告に対する嫌疑は存在せず,少なくとも相当な嫌疑はなかった。
ア 捜査上の基本作業の怠慢
本件捜査本部は,以下の(ア)ないし(カ)のとおり,通常要求される証拠収集活動を怠り,不十分な証拠のみに基づいて,原告に本件殺人等事件に係る嫌疑があると判断した。原告に対する嫌疑は,捜査機関の単なる主観的な見込みにすぎず,合理的なものではない。
(ア) 現場の足跡の捜査
本件捜査本部は,犯人と犯行を結びつける重要な証拠として,事件発覚の当日である3月17日,現場の足跡を発見し,採取した。それにもかかわらず,本件捜査本部がこの足跡の対照依頼を出したのは,本件殺人等事件の発生から80日以上が経過した後である6月8日である。しかも,その結果,原告の足跡は検出されなかった。
(イ) 現場のタイヤ痕
現場足跡と同様,タイヤ痕も重要な証拠であり,3月17日に採取されている。しかし,本件捜査本部が,このタイヤ痕の対照依頼を出したのは,6月8日であり,しかも,その結果,原告の車両のタイヤ痕は検出されなかった。
(ウ) 本件被害者及び原告の車両から採取された指掌紋
本件被害者の使用していた車両(以下「本件被害者車両」という。)に残された指掌紋も,重要な証拠であり,本件捜査本部は,3月17日に,同車両から,38個の指掌紋を採取している。本件捜査本部は,3月24日の時点で,すでに,本件殺人等事件はB事業所関係者の犯行であると見ていたのであるから,当然に,同事業所関係者全員の指掌紋対照作業を行うべきところ,その対照依頼を出したのは,4月14日であり,しかも,同事業所に出入りする関係者全員ではなく,同事業所に勤務する関係者の57名についてしか行わなかった。その上,対照の結果,原告の指掌紋は検出されず,かつ,その報告書は,起訴後である7月31日になってから作成された。
(エ) 本件被害者の携帯電話の指掌紋
本件被害者の携帯電話からは,指掌紋は検出されなかったとされているが,そのこと自体が不自然である。また,その結果報告書の作成は,本件殺人等事件から約3か月を経過した6月12日となっている。
(オ) 遺留短靴の指掌紋
遺留短靴からは,当然,指掌紋が検出されてしかるべきであるところ,対照結果は不明であるが,指掌紋が検出されなかったものと考えられる。
(カ) 関係者のアリバイ捜査
本件捜査本部は,3月24日には,本件殺人等事件が,A工場関係者の犯行によるものと判断していたにもかかわらず,A工場関係者全員のアリバイ捜査を行わず,B事業所の関係者51名に限定したアリバイ捜査しか行わなかった。しかも,その捜査を行ったのは,原告の逮捕後である6月9日であった。さらには,上記アリバイ捜査は,実際は,13名についてアリバイ捜査を行っておらず,報告書に虚偽の記載をして,51名全員のアリバイ捜査を行ったこととしたものであった。
イ 原告のアリバイに対する認識
本件捜査本部は,本件取調べ①の時点で,すでに,原告が3月16日午後11時30分ころに,ガソリンスタンドに立ち寄っていたことを把握していた。他方,本件捜査本部は,原告が,同日午後11時15分ころに,本件被害者の死体に火を放ったとして,逮捕状を請求している。このことからすれば,本件捜査本部は,原告にアリバイが成立することを認識していながら,敢えて,本件取調べ①を行ったことは明らかである。
(被告の主張)
(1) 原告は,本件取調べ①において,取調官らが,威迫的言辞等をもって自白を強要したと主張するが,以下のア及びイのとおり,そのような事実はない。
また,被疑者に対する任意取調べは,事案の軽重,嫌疑の程度,被疑者の態度等の諸般の事情に照らし,社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において許容されると解すべきである。
原告は,本件取調べ①の時点において,後記(2)のとおり,殺人事件という重大事件である本件殺人等事件についての相当な嫌疑があったにもかかわらず,虚偽供述に終始し,あるいは,雑談には応じるものの,事件の核心部分に話が及ぶと一切を黙秘する状況であった。このような事情に照らせば,取調官らが,ときとして,強い口調による理詰めの追及的な取調べを行ったり,退室の申出に対し,再三にわたって翻意を促すよう求めたとしても,任意取調べとして許容される限度を超えるものではなく,違法ではない。取調官らは,原告に対し,事案の真相を明らかにし適正に刑罰法令を適用するため,客観的な証拠に基づき,粘り強く,その良心に訴え,真実を述べるよう説得したのであって,原告に対する嫌疑にもかんがみると,本件取調べ①は,任意捜査としても何ら違法ではない。
ア 供述拒否権の不告知について
取調官らは,原告に対し,供述拒否権を告げた。
イ 原告に対する威迫的言辞について
取調官らは,「人間として本当のことを話して欲しい。人間同士として話をして欲しい。」と述べて,本件取調べ①を開始した。また,取調官らは,取調べの途中であっても,原告から要求があった都度,お茶や用便のための時間を取っていたのであり,特に,お茶については,原告から水が欲しいと言われた際に,「お水じゃ,お腹をこわしたら困るから,お茶の方がいいんじゃないか。」と述べて,原告の体調を考慮して,お茶を出している。さらに,取調官らは,原告は,雑談には応じるものの,事件の核心部分に話が及ぶと,俯き,一切を黙秘する状況であったため,「話をする勇気を持ちなさい。」等と発言し,終始,真摯な姿勢で,原告に対し,供述を求めた。
このような取調べの状況に照らし,取調官らが,脅迫等の違法な手段を用いて,原告に自白を強要した事実がないことは明らかである。
原告は,取調官らは,事実関係を確認することもなく,ただ面罵するのみであったと主張する。しかし,原告が,遅くとも4月18日までに,J(原告の自宅近くで喫茶店を経営する等しており,幼少時代からの原告をよく知る者である。)に対し,自身に嫌疑がかかっている理由を述べていることからすれば,本件取調べ①において,事実関係に関する追及が行われていたことは明白である。
(2) 本件取調べ①当時の嫌疑について
本件取調べ①当時,以下のアないしキのとおり,原告には相当な嫌疑があった。
ア 動機の存在
原告は,2月27日,肉体関係を持つ深い関係にあったGから別れ話を持ち出され,泣きながら翻意を懇願するも拒絶されていた。原告は,職場では気丈に振る舞ってはいたが,仕事上のミスが目立つほどであり,傍目からも,相当な精神的ショックを受けていた。そして,原告は,Gと本件被害者とが会っているとの猜疑心に駆られ,Gの行動を探っていたが,3月12日,Gが,その兄を新千歳空港に送った後,千歳市内の公衆電話から本件被害者の携帯電話に架電していたところに突然現れ,Gに対し,「違う女のところへ電話してたんでないの。」等と問い詰めるとともに,再度の交際を求めたが拒絶された。これらの事情に照らし,原告が,依然として,Gに対し,強い未練,執着心を持っていたことは明らかである。
イ 最後の同伴者であること
原告は,3月16日ころは連休を控え,業務量も通常の倍ほどあり,注文伝票の仕分け作業を,同日午後9時ころまでに終え,午後9時30分に本件被害者と共に退社した。二人が一緒に帰ることは非常に珍しく,また,同日午後8時ころ,事務所内において,原告が,本件被害者に対し,「私を置いていかないでね。」と述べ,本件被害者は,「今日は放しませんよ。」という意味深長な会話がなされていた。これらに加え,同月15日に本件被害者が職場の同僚であるKに送信した携帯電話でのメールの「この頃Lさん苦手で困ってます。」との内容からすれば,原告と本件被害者との間に,同月16日の退社後,Gに関する何らかの話し合いのため,行動を共にする予定があったことは明らかである。
ウ 原告主張のアリバイが疑わしいこと
原告は,3月17日の事情聴取において,「3月16日午後9時30分ころ,会社前の駐車場付近で被害者と別れ,その後,本屋であるM店に立ち寄った。同店内で1時間ほど過ごした後,11時30分ころに帰宅し,入浴,食事をして,翌17日の午前2時ころに就寝した。」旨供述していた。しかし,捜査の結果では,原告が立ち寄ったとするM店の店員は,1時間も立ち読みする客はいない旨述べており,また,同時間帯に同店を利用した客から,原告及び原告の所有する車両(以下「原告車両」という。)の目撃情報は得られなかった。さらに,仮に,原告が,M店に立ち寄ったのであれば,1時間も雑誌の立ち読みをした同店で雑誌を買うはずであるのに,同月17日午前1時40分ころ,原告自宅近くのコンビニエンスストアで雑誌を購入していた。これらの事情からすれば,M店に立ち寄ったとする原告のアリバイが信用できないことは明らかである。
エ 本件被害者の携帯電話番号の知情性
原告は,3月17日の事情聴取において,本件被害者の携帯電話番号は,3月17日の昼ころに,Kに聞いて初めて知った旨供述していた。しかし,原告の携帯電話等の発信記録及び本件被害者の携帯電話等の着信記録から,原告が,従前から,本件被害者に対し,二百数十回にわたって,主に深夜から早朝にかけて,呼出中あるいは応答直後に切断する態様での無言電話をかけていたことが明らかとなった。特に,この無言電話は,原告が,Gの行動に猜疑心を抱き,尾行をしていたと認められる同月12日から急激に回数が増加し,本件殺人等事件の直前である同月16日午前7時40分を最後に,一切なくなった。これらのことからも,本件殺人等事件が原告の犯行であることが強く推認される。
オ 本件被害者の携帯電話の発見
3月17日,本件被害者の携帯電話が,B事業所内の女性従業員用更衣室にある本件被害者が使用していたロッカー内にある作業服の胸ポケットに,電源が切れた状態で,逆さまになって入っているのが発見された。同更衣室は女性専用で,原告,本件被害者らの4名で使用しており,同室に男性社員が出入りすることはなく,さらに,各ロッカーには使用者の名札等の表示もないことから,部外者が入って,本件被害者のロッカーに同携帯電話を返納することは不可能である。また,同日午前9時ころ,Kが,更衣室から本件被害者の携帯電話に電話を架けたところ,呼出音が鳴り,電源が入った状態であったのに,発見時には電源が切れた状態だったのであるから,この間に,何者かが,本件被害者の携帯電話の電源の操作を行ったと考えられる。
そして,原告は,Kが本件被害者に電話をするために更衣室に向かったとき,同人を追うようにして更衣室に入っていき,原告のロッカーからジャンパーを取り出し,Kに対して,胃薬や伝票を取ってくる旨の発言をしている。しかし,原告は,取調べの段階では,「運転手にホッチキスの針を持ってくるように言われ,ジャンパーを取りに行った。」等と,Kとは食い違う供述をしており,しかも,原告にこの依頼をした運転手はいなかった。このように,原告は,本件被害者のロッカーに本件被害者の携帯電話が返納されたと推認される時間帯に不自然,不可解な行動を取っていた。
カ 死体発見現場に対する土地鑑
死体発見現場は,人家もまばらで,車両や歩行者の通行も閑散とした農道であるが,その近辺には,原告が親しくしていた元同僚の住居があった。しかも,原告は,日常的に,深夜,自分で車両を運転し,各方面へのドライブをしていた。これらを勘案すると,原告には,死体発見現場近辺に対する十分な土地鑑があった。
キ 原告が本件被害者の携帯電話を使用したと疑われたこと
本件被害者を殺害した犯人は,本件被害者を殺害した後,本件被害者の携帯電話を奪った上で,自己のアリバイや本件被害者の生存を偽装するための工作として,本件被害者の携帯電話を使用している。その使用状況は,3月17日午前0時台にdエリアから4回,同日午前3時台にeエリアから3回,それぞれ発信されたものであるが,架電先は,電話帳に登載がなく,B事業所又はA工場の関係者でなければ知り得ない同工場の電話及びGの知人しか知らないはずのGの携帯電話であった。そして,原告は,上記関係者で,唯一,eエリアの勇払郡e町に居住し,かつ,Gの電話番号を知る立場にあった者であり,上記携帯電話の使用者に該当する人物は原告以外にはいない。
(3) 嫌疑がないとする原告の主張に対する反論
ア 捜査上の基本作業の怠慢
原告は,本件捜査本部には捜査上の基本作業の怠慢があるとして,原告の嫌疑を否定する。しかし,原告の逮捕の後に足跡の対照等の捜査が行われたことは,捜査の当不当の問題を生じ得るにとどまるから,本件取調べ①当時の原告の嫌疑を減殺する根拠とはならない。また,原告の主張する捜査上の基本作業が本件取調べ①の時点で行われ,その結果がすでに判明していたとしても,以下の(ア)ないし(カ)のとおり,原告の嫌疑の程度には,何らの影響もない。
(ア) 足跡の対照
本件捜査本部が足跡の対照依頼を行わなかったのは,死体発見現場で採取した足跡が,現場に臨場した消防職員のものであることが明らかであり,また,本件被害者及び原告の靴底の形状と相違することが一見して明白であったからである。後になって対照依頼を行ったのは,本件捜査本部が,優先すべき他の捜査を行った上での確認のためにすぎない。また,原告の足跡が発見されなかったのは,死体発見現場付近の雪が,灯油による死体の焼損によって融解したこと,又は,現場を往来した消防関係者等の人車によって消失したことによるものと考えられ,何ら不自然ではない。
(イ) タイヤ痕の対照
採取されたタイヤ痕は,死体発見現場から200メートル以上離れた道路上のものである。後になって対照依頼を行ったのは,タイヤ痕が,4月17日に押収された原告車両のスタッドレスタイヤのそれとは明らかに異なっていたため,事後的に確認のために行ったからにすぎない。また,足跡が発見されなかったことと同様,タイヤ痕が,死体発見現場付近から検出されなかったからといって,何ら不自然ではない。
(ウ) 本件被害者車両及び原告車両の指掌紋
本件捜査本部は,本件被害者車両及び原告車両から採取した指掌紋については,いずれも,即日,対照依頼を行っている。それらの回答は,本件被害者車両及び原告車両からは,原告の指掌紋は検出されなかったというものであった。また,本件捜査本部は,早急に捜査報告書を作成する必要がないため,起訴後に報告書を作成したにすぎない。さらに,本件殺人等事件の犯人が,本件被害者車両に乗車していたとは限らないのであるから,同車両から原告の指掌紋が検出されなかったとしても,何ら不自然ではない。
(エ) 本件被害者の携帯電話の指掌紋
本件捜査本部は,本件被害者の携帯電話が発見された当日,同携帯電話の鑑識活動を行ったが,指掌紋は一切検出されなかった。これは,同携帯電話を所持していた者が,証拠を隠滅するため,指掌紋を拭き取ったと考えるのが極めて自然である。また,鑑識活動の結果,指掌紋が検出されなかったため,早急に報告書を作成するまでもないことから,後になって報告書を作成したにすぎない。
(オ) 遺留短靴の指掌紋
遺留短靴から,原告の指掌紋が検出されなかったことが,原告に対する嫌疑の相当性に影響を及ぼすものでないことは明らかである。
(カ) 関係者のアリバイ捜査
本件捜査本部は,B事業所の従業員全員に対し,本件殺人等事件当時の行動について聴取した上で,その供述の裏付捜査を行っている。その上で,原告以外に,本件殺人等事件を行い得る容疑を有する者が浮上するに至らなかったのである。また,本件捜査本部は,本件被害者の家族やB事業所の従業員等から,順次事情聴取を行い,その結果,事情聴取した者が,B事業所の関係者51名となったにすぎず,アリバイ捜査の対象者を,特に限定したのではない。また,アリバイ捜査の報告書に虚偽の記載がなされていたこともない。
そもそも,関係者のアリバイ捜査に関する証拠は,本件殺人等事件の発生時間帯において,B事業所の関係者には容疑が認められないことを示すものであり,原告に対する嫌疑の相当性に,何らの影響も及ぼすものではない。
イ 原告のアリバイに対する認識
原告は,本件捜査本部が,原告にアリバイが成立することを認識していた旨主張する。しかし,逮捕状請求書において,死体の焼損時刻を3月16日午後11時15分として記載したのは,死体発見現場付近で炎を見たとする目撃者の供述から,おおよその時間として特定したにすぎない。また,本件捜査本部は,死体発見現場と原告が立ち寄ったガソリンスタンドの距離が約15キロメートルであり,交通法規を遵守した昼間の移動所要時間は約19分であると認識していたところ,土地鑑を有する原告が,夜間に高速で移動すれば,午後11時15分ころに死体を焼損し,午後11時30分ころにガソリンスタンドに立ち寄ることは十分可能であるから,本件捜査本部が,原告にアリバイが成立すると認識していたとは,到底いえない。
4 争点②(本件取調べ②の違法性の有無)に関する当事者の主張
(原告の主張)
(1) 本件取調べ②において,取調官らは,以下のアないしウのとおり,原告に対し,何ら証拠を示すことなく,威迫的な言辞や有形力の行使をもって執拗に自白を迫り,さらには,退室しようとする原告を押しとどめ,携帯電話での通話も許さずに監禁した。このような過酷な取調べが行われたことは,原告が,その取調べの最中に意識を失って崩れ落ち,自力での歩行すら困難であったことからも容易に窺われる。
このような取調べは,暴行,脅迫又はこれに類する手段を用いて自白を強要するもので,捜査方法としておよそ違法なものであり,あるいは,任意捜査の限界を超えた違法なものである。
ア 威迫的言動
取調官らは,原告と取調官らとの距離が,より近接した位置となるよう取調室の机の配置を変更した上で,以下の(ア)ないし(キ)のとおり,原告を繰り返し怒鳴りつける等して,自白を強要した。
(ア) 取調官らは,原告が取調室に入室するや,「いいか,お前は容疑者としてここに来てるんだからな。勘違いするなよ。」,「何か忘れてることがあるかもしれないとはふざけるなよ。忘れる訳ないんだから,忘れてましたとか,勘違いしてましたとか,そんなもん通用すると思うなよ。」,「会社の鍵のことだって,伊林のことだって,お前に言われなくても,そんなこと,とっくの昔にこっちは調べてるんだ。」と怒鳴りつけた。
(イ) 取調官らは,机の上に身を乗り出して,原告に顔を接近させ,「本当は,お前がやったんじゃないのか。お前は忘れっぽいからな。忘れてるのかもしれないぞ。ようく思い出してみろ。ん,どうだ。」と述べ,原告がこれを否定すると,原告の脇に座り込み,殊更に原告の顔を間近でのぞき込んだ。
(ウ) 取調官らは,「人一人殺しといて,知りませんですむと思うなよ。」と怒鳴りつけた。
(エ) 取調官らは,原告の面前で供述調書を何度も机に叩きつけた。
(オ) 取調官らは,「お前がやったんだろ。お前がやったんだよな。」,「ようく思い出してみろ。お前がやったんじゃないか。お前がやったんだよな。」と述べた。取調官らは,さらに,原告が否定して頭を横に振ると,「横に首を振れるんだったら,縦にも振れるだろ。首,縦に振ってみろ。」と述べた。
(カ) 取調べ担当官らは,「口をハンカチで押さえるな。手,ちゃんとひざにおけ。」,「お前はな,そうやって,言いたいことを言えないように,わざわざ口を押さえてるんだ。」と怒鳴りつけた。
(キ) 取調官らは,「ごめんなさいって言え。何で言えないんだ。ごめんなさいって言って見ろ。」,「Fさんが,どんな顔して死んでいったか,思い出してみろ。」と,机を叩きながら怒鳴りつけた。
イ 違法な有形力の行使
取調官らは,俯いていた原告の頭髪を手で払いのけた。
ウ 監禁
(ア) 午後6時ころの退室の申出に対する妨害
取調官らは,4月21日午後6時ころ,原告が,「もう帰ります。」と述べ,立ち上がったところ,「帰りますだと。何ふざけたこと言ってんのよ。自分から来といて,何もしゃべんないで帰れると思うなよ。」,「今日は帰さないからな。」等と怒鳴り,補助官の机に腰をかけるようにして,その道を塞ぎ,さらに,「かばん下に置け。かばん下に置きなさい。」等と怒鳴り続け,原告を恐怖の余り退室できないように仕向け,原告を退室させなかった。
(イ) 外部との連絡の遮断
取調官らは,原告の携帯電話に着信があった際に,「何で,お前が電話持ってるのよ。」,「誰からよ。出たら承知しないからな。」,「何もしゃべんないくせに,電話に出てみろよ。ただじゃおかないからな。」,「電話切れ,電源切ろ。」等と怒鳴り,外部との連絡を遮断した。
(ウ) 午後8時30分ころの退室の申出に対する妨害
原告が,午後8時30分ころ,再度退室しようとして,取調室のドアを開けようとしたところ,取調室内に入ってきた女性警察官であるNは,原告の肩に手をかけ,「座ろう。落ち着いて。」等と言いながら,原告が退室しようとするのを押しとどめた。また,取調官らも,取調室のドアの前に体を入れて,原告が退室できないようにするとともに,「あんた,最悪の結果にしようとしてるんだぞ。」,「席に戻れ。」等と怒鳴りつけて,原告を退室させなかった。
(2) なお,本件取調べ②が,原告に対する嫌疑の有無ないし程度と無関係に違法であることは本件取調べ①と同様であるが,いずれにせよ,原告に嫌疑がなかったことは,前記3の(原告の主張)(2)と同様である。
(被告の主張)
(1) 原告の主張はすべて争う。後記(2)のとおり,本件取調べ①の後,原告に対する嫌疑はさらに増幅したところ,以下のアないしウの態様等にもかんがみると,本件取調べ②は,任意捜査としても適法である。なお,取調室の机の配置は,原告に対する任意取調べを通じて,一切変更されていない。
ア 威迫的言動について
原告の主張はすべて争う。
なお,取調官らが,公文書を破損するような行為をするはずはなく,供述調書を何度も机に叩きつけたりしていないことは明らかである。
イ 違法な有形力の行使について
取調官らは,俯いた原告に対し,手を伸ばして頭髪を払うような仕草はしたが,原告の頭髪には触れていない。
ウ 監禁について
(ア) 午後6時ころの退室の申出に対する妨害
原告らの主張するような取調官らの発言はない。原告は,「帰ります。」と一言発したものの,取調官らの説得に応じて,取調べが続行された。
(イ) 外部との連絡の遮断
原告の携帯電話には前後3回程着信があったが,1回目の着信については,原告が,携帯電話が鳴っているのに気付かなかったことから,電話に出なかったにすぎない。その後にあった再度の着信については,原告は,発信者を確認した上で,自ら保留にする措置を講じた。
また,取調官らが,原告が,携帯電話を用いて外部に連絡するのを妨害したり,携帯電話の電源を切らせる措置をとったことはなく,携帯電話の使用を妨害して,外部との連絡を遮断したとの原告の主張は事実に反する。
(ウ) 午後8時30分ころの退室の申出に対する妨害
Nが原告の肩に手をかけ,「座ろう。落ち着いて。」と述べたこと,及びDが,「あんた,最悪の結果にしようとしているんだぞ。」と述べたことは認めるが,そのような行為が,任意捜査として許容される説得の範疇であることは明らかである。
(2) 本件取調べ②当時の嫌疑について
本件取調べ①以降,原告に対する嫌疑は,以下のアないしカのとおり,さらに増幅した。
ア 原告のアリバイ供述の矛盾
原告は,当初,3月16日の退社後の行動について,前記3の(被告の主張)(2)ウのとおり供述していた。しかし,捜査の結果,原告が,退社後にガソリンスタンドであるO店において原告車両の給油をしていたこと,及び原告自宅近くにあるコンビニエンスストアであるP店に立ち寄っていたことが判明した。そこで,原告に対する任意取調べにおいて,原告に対し,これらの事実関係について確認したところ,原告は,4月14日の取調べにおいて,P店に立ち寄り,ビールを購入した事実は認めたものの,給油の事実については,俯いて答えなかった。しかし,原告は,4月18日の取調べで,給油伝票があることを知るや,一転して,給油の事実を認める供述をした。その際,原告は,「お金もないので1000円分だけ入れてもらった。ガソリンゲージの残量は見ていないのでわからない。」等と供述したが,お金がないのに,ガソリンゲージの残量を確認することなくガソリンを給油すること自体不自然であり,当時,原告車両はガス欠寸前であったと考えられる。そして,原告が,3月16日午前0時8分ころに,Qでガソリンを9.62リットル給油していたことからすると,原告車両の1リットル当たりの走行距離から換算して約135キロメートルは走行が可能であったのであるから,原告が供述した走行経路の合計距離約88.8キロメートルでは,急遽給油する必要が生じるはずはない。そうすると,原告は,死体発見現場からO店までの15キロメートルを走行徘徊したと考えられた。
また,原告は,M店で1時間もの立ち読みをしていたと供述していたが,このM店では雑誌を買わず,P店で購入していることからすると,M店に立ち寄ったとは,にわかに信じ難かった。
イ Gに対する未練
原告は,Kに対しては,3月初めころ,Gから年齢のことを言われて別れた旨を,原告が以前交際していたRに対しては,同月13日に,Gとの関係はふっきれた旨を,J夫妻に対しては,同月15日に,Gと完全に終わった旨を述べて,あたかも,Gとの交際は終わったごとく周囲の者に思わせる偽装工作を行っている。しかし,原告は,同月8日,本件被害者宅に入ったGを偶然見つけたと,Rに電話をしているのであって,このころは,Gと本件被害者が会っているとの猜疑心に駆られてGを尾行していたことが窺われる。また,原告は,同月12日,新千歳空港付近のコンビニエンスストアの公衆電話で本件被害者との電話を終えたGのところに現れ,「違う女の人のところに電話してたんでないの。」等と問い詰めており,このほか,4月14日,原告が提出したシステム手帳内に,本件殺人等事件後に原告が書いたと思われる「Gへ」と題するGへの手紙が挟んであり,そこには,「解決したら,一晩,Gの時間を私に下さい。Gの隣で眠らせてください。二人で会える時,連絡を下さい。」等と,再度の交際を求める内容が記されていた。これらのことから,原告が,Gに対し,執拗な未練と執着心を持っていたことが明白に裏付けられた。
ウ 本件被害者の携帯電話番号が記載されたメモの発見
原告は,一貫して,本件被害者の携帯電話番号は知らなかった旨供述しているが,本件捜査本部が,4月14日,原告の自宅を捜索した結果,原告の居室から,本件被害者の名前や他の者の名前・電話番号が記載されたメモ紙が発見押収された。さらに,原告は,Gの兄が携帯電話を持っていることは知っているが,携帯電話や自宅に電話をかけたことは一度もないと供述しているものの,原告の携帯電話の発信記録には,3月12日に,Gの兄の携帯電話等に無言電話をかけている発信記録があり,原告がGの携帯電話を密かに持ち出し,Gの携帯電話の電話番号記録から,本件被害者等の電話番号を確認し,メモしていたものと認められた。
エ 灯油の購入とその所在
原告は,4月19日の任意取調べにおいて,3月16日午前0時1分に千歳市に所在するコンビニエンスストアであるS(以下「S」という。)で灯油を購入した理由について,原告の父親が以前勤務していたT株式会社から,同人の退職後も引き続き借りている社宅(以下「社宅」という。)について立退きの話があり,社宅を整理するのに寒いことから,ストーブを焚くためであると供述した。しかし,捜査の結果,原告が立退きを要求された事実がないことが判明するとともに,原告の両親も,原告が今までに灯油を買ってきたことはないし,どのような目的で買ってきたのか見当がつかない旨申し立てた。さらに,購入した灯油の行方についても,社宅から領置した灯油と,原告がSで購入した灯油とでは,成分が異なることが判明した。このことから,原告の供述が虚偽であることが明らかとなった。
オ 本件被害者の遺品焼損現場に対する土地鑑
4月15日,勇払郡e町fg番地付近の作業道路路肩上で,本件被害者の遺品が焼損されているのが発見された。この場所は,交通量はほとんどなく,町民も知らない者が多いといわれるが,原告の自宅から近い距離にあり,かつ,原告は,原告が入会している「学校のドングリの子孫を残す会」での自然観察会に5回参加しており,また,1月16日にも「どんぐりの会冬山観察会」に参加して現場を通行していたため,原告が,この付近に対する十分な土地鑑を有していたことが明らかとなった。
カ 原告車両から本件被害者のロッカーの鍵が発見されたこと
本件捜査本部が,4月14日,原告車両を捜索した際,同車のダッシュボードの中から,B事業所内の本件被害者のロッカーの鍵が発見された。ロッカーは,平成6年から5個あり,本件被害者は,平成11年10月から使用していた。それ以前は,退職した職員が使用していたもので,原告が使用していた時期は一度もないのに,原告車両から鍵が発見されたものである。原告が,3月17日午前9時ころ,Kの後を追って更衣室に行き,本件被害者のロッカーを開けて施錠の有無を確認している行為からすると,この鍵は,本件殺人等事件を計画していた原告において,偽装工作のために,本件被害者の携帯電話を本件被害者のロッカーに戻す際の開錠を考えて隠匿していたものであることが容易に窺われた。
5 争点③(損害の有無及び額)に関する当事者の主張
(原告の主張)
原告は,違法な本件取調べ①及び②により,心因反応を惹起させられた。この原告の精神的苦痛を慰謝するには,被告に対する懲罰的な意味も勘案すると500万円が相当である。
(被告の主張)
原告の主張は争う。
第3 当裁判所の判断
1 争点①(本件取調べ①の違法性の有無)について
(1) 強制捜査であると任意捜査であるとを問わず,捜査機関が,被疑者に対し,暴行,脅迫等を伴う取調べを行い,もって自白を強要することが許されないことは当然であり,また,任意取調べにおいて,監禁等の強制手段,すなわち,身体,住居,財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など,特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段を用いることが許されないことも当然である。また,その程度に至らない手段によるものであっても,任意捜査として行われる被疑者に対する取調べは,事案の性質,被疑者に対する嫌疑の程度,被疑者の供述内容等諸般の事情を勘案して,社会通念上相当と認められる態様ないし限度において許容されるものと解されるから,これを超えた取調べが行われた場合には,国家賠償法上,違法の評価を受けると解するのが相当である。被疑者に対する嫌疑の有無及びその程度は,およそ,任意取調べとしての違法性の有無に影響しないとの原告の主張は,独自の見解であって,採用の限りではない。
そこで,以下,本件取調べ①に至る捜査の経緯及び本件取調べ①の態様等につき検討する。
(2) 本件取調べ①に至る捜査の経緯
後掲括弧内に記載した証拠及び弁論の全趣旨によれば,本件殺人等事件に係る捜査の経緯は,次のとおりと認められる。
ア 犯行時刻の推定(甲28,弁論の全趣旨)
本件捜査本部は,3月17日ころ,死体発見現場付近住民に対する聞込み捜査を行い,U及びVから,死体発見現場付近に炎が上がっているのを目撃したとの供述を得た。炎の目撃時間について,Uは,同月16日午後11時から同日午後11時15分ころであると供述し,Vは,同日午後11時15分ころであると供述した。
上記供述を得た本件捜査本部は,本件被害者の死体損壊の日時を,同月16日11時ころであると判断した。
イ 事情聴取の実施(甲6,弁論の全趣旨)
本件殺人等事件を認知した本件捜査本部は,3月17日,原告を含むB事業所従業員に対し,事情聴取を行った(この事情聴取のうち,原告に対するものを,以下,「本件事情聴取」という。)。
原告の本件事情聴取における供述内容は,大要,以下のとおりである。
(ア) 3月16日の退社後の行動について
「3月16日は3連休を控え,ビールの出荷量が多いため,残業をした。同日午後9時30分ころ,本件被害者と一緒に退社したが,本件被害者とは,『こんどカラオケに行こう。』,『何日に行くか,明日,Kさんと相談して決めよう。』と話をした後,駐車場の入り口付近で別れた。その後,恵庭市にある本屋のM店に寄り,約1時間ほど立読みした。同日午後11時30分ころに帰宅し,入浴後に刺身でビールを飲み,翌17日午前2時ころに就寝した。」
(イ) 本件被害者の携帯電話について
「本件被害者の携帯電話の番号については,会社の名簿に本件被害者の住宅の加入電話の番号しか記載されていないため,知らなかった。3月16日の昼ころ,職場の同僚であるKに聞いて初めて知った。今まで,本件被害者と携帯電話でのやりとりをしたことはない。」
(ウ) 本件被害者の交際関係について
「本件被害者と一緒に仕事をしていたが,本件被害者の交際相手については聞いたことがない。職場の人と交際しているという話も聞いたことがない。」
ウ Gに対する事情聴取の実施(乙26)
本件捜査本部は,3月19日,Gに対し事情聴取を行った。Gの供述は,大要,「平成10年6月ころから,原告と交際していたが,平成12年1月ころ,原告に嫌気が差してきた。2月19日ころの職場の歓送迎会で席が隣どうしになったことで,本件被害者に好意を持つようになった。原告に対する気持ちが冷めていったため,2月26日か27日ころに,原告に対し,別れ話を告げた。3月4日に,本件被害者をドライブに誘い,同月11日に交際を申込み,交際を始めた。同月12日の夜に,千歳市内のローソンで原告と会って,その際にも,別れ話を告げた。」というものであった。
エ 本件被害者の携帯電話に係る捜査
(ア) 本件被害者の携帯電話の発見等(乙49の1ないし3)
本件捜査本部は,3月17日午後3時5分ころ,Kの立会いの下,B事業所において本件被害者のロッカー内を検索し,本件被害者の携帯電話(090-○○○○-○○○○番)を発見した。本件被害者の携帯電話は,電源が入っておらず,本件被害者のロッカー内にあった作業服の上着の左胸ポケット内に,アンテナを下方に,ダイヤル表面を内側に向けた状態で入れられていた。本件被害者の携帯電話の充電は残っており,着信履歴の記録は,同日午前9時7分から午後0時36分までの合計20件であり,発信履歴の記録は残っていなかった。
この際,Kは,同日朝方に,本件被害者の携帯電話に電話をかけたところ,呼出音が鳴った後に留守番電話になった旨申し立てており,本件被害者の携帯電話が,同日朝方には,電源が入った状態であったことが窺われた。
なお,本件被害者のロッカーは,女性従業員が使用する女子休憩室内にあり,また,ロッカーの表面には,使用者の名前が表示された名札等は付いていなかった。
(イ) 本件被害者の携帯電話のメール(乙33の2)
本件捜査本部が,3月23日,本件被害者の携帯電話に残されたメールの送受信記録を捜査したところ,同月15日午後11時4分付けでK宛に送信されたメールの記録が発見された。同メールの内容は,「ちぃーす。ただいまメールの練習中。この頃Lさん苦手で困ってます。へるぷって感じー。F」というものであった。
(ウ) 本件被害者の携帯電話の発信状況(乙34の3,4,乙52の1)
本件捜査本部は,3月22日,本件被害者の携帯電話の発信記録を差し押えた。同記録には,本件被害者の携帯電話からA工場内の電話宛ての合計5回(3月17日午前0時5分31秒及び同0時6分4秒に,A工場内の▽▽-▽▽▽▽番の電話宛て,同日午前0時6分29秒,同3時2分19秒及び同3時2分38秒に,A工場内の△△-△△△△番の電話宛て)の発信が記録されていた。また,本件捜査本部は,同月18日から同月23日までの間,これらのA工場の電話番号について捜査を行い,上記電話番号が電話帳等に登載されていない番号であるとの捜査結果を得た。
オ 原告の携帯電話に係る捜査(乙41の2)
本件捜査本部は,3月24日,原告の携帯電話(090-××××-××××番)の1月1日から3月21日までの間の通話料金明細内訳票を差し押さえた。通話料金明細内訳票には,3月12日午前4時51分以降,同日に3回,同月13日に8回,同月14日に3回,同月15日に1回の原告の携帯電話から本件被害者の携帯電話宛の発信が記録されており,そのうちの6回は,通話時間が10秒未満であった。
カ M店に対する捜査(甲28,乙28の4,弁論の全趣旨)
本件捜査本部は,M店員6名に対し,原告の顔写真を示して,3月16日の夜に原告を目撃したかどうかにつき聞込み捜査を行ったが,目撃したとの供述は得られなかった。また,本件捜査本部は,3月16日午後8時30分から午前0時までの間に同店で買物をした同店の会員ら100名に対し,同じく原告の顔写真を示して,同日夜に原告を目撃したかどうか尋ねたが,目撃したとの供述は得られなかった。この外,本件捜査本部は,上記100名の会員らに対し,原告車両が赤いホイールであったことから,赤いホイールの車を目撃したかも尋ねたが,同様であった。なお,本件捜査本部が,上記捜査を行った時点は,甲28及び弁論の全趣旨によれば,少なくとも本件取調べ①より前と認められる。
キ P店に対する捜査(乙27の1,2)
本件捜査本部は,3月19日ころ,P店から,同店店内を撮影したビデオテープ及び同月16日午後11時57分から同月17日午前5時12分までの間の同店の売上状況を記録したプリンター用紙を入手した。その結果,本件捜査本部は,原告が,3月17日午前1時43分ころ,P店において,缶ビール,箱入り菓子及び雑誌を購入しているとの捜査結果を得た。
ク 車両遺留指掌紋の捜査
(ア) 本件捜査本部は,本件被害者車両から,3月17日に9個,同月18日に29個,及び原告車両から,4月14日に18個の指掌紋をそれぞれ採取した。本件捜査本部は,いずれも採取当日に,対照依頼を行った。なお,対照資料は,原告を含むB事業所関係者57名及びe町農協スタンド従業員9名の指掌紋であった。(甲25)
(イ) 本件捜査本部は,4月7日ころ,本件被害者車両の指掌紋対照結果の通知を,同月17日ころ,原告車両の指掌紋対照結果の通知を受けた。その結果は,本件被害者車両の遺留指掌紋のうち6個が本件被害者の指掌紋と一致したが,その他の対照可能な遺留指掌紋について,対照資料と一致するものはないというものであった。(甲25)
ケ 本件被害者の携帯電話の指掌紋の捜査
本件捜査本部は,3月17日,本件被害者の携帯電話から指掌紋の検出を試みたが,指掌紋は検出されなかった。(甲26)
(3) 本件取調べ①について
ア 証拠(乙5の3,6)によれば,原告は,4月14日午前8時39分から,被疑者として任意取調べを受けたこと,取調べは午後10時33分まで行われたが,その間,午後0時5分から午後1時10分までの間に昼食の休憩があり,また,午後6時45分から午後7時15分までの間には夕食の休憩が取られたこと,取調べは,午前10時31分から午前10時41分までの間,午後4時15分から午後4時30分までの間及び午後8時40分から午後8時45分までの間の合計3回,原告の用便のために中断されたこと,その際,女性警察官であるWが,用便室手前で立ち会ったことが認められる。
イ 取調べの態様等
この点に関する証拠は,Dの作成した本件取調べ状況に係る捜査報告書である乙5の3,4並びに原告の用便及び夕食に立ち会ったWが作成した立会状況に係る捜査報告書である乙5の7である。同証拠のうち,乙5の3及び4は,その記載及び証人Dの証言によれば,同人が,本件取調べが行われた4月14日に,本件取調べ①の内容を上司に報告して決裁を受ける目的で,D又はEが本件取調べ①の際に作成していたメモに基づき,職務として作成したものであることが認められるから,その記載内容は,概ね,信用できる。また,乙5の7は,本件訴えの提起後に作成されたものではあるが,その記載内容に照らし,Wが,当時作成していたメモに基づいて,後日作成したものと認められるから,その記載内容は十分に信用できる。以上のとおり,信用できる上記証拠(乙5の3,4,7)に,後掲括弧内に記載した証拠を併せれば,本件取調べ①の態様等は,以下の(ア)ないし(ス)のとおりと認められる。
(ア) 取調官らは,原告に対する取調べを始めるに当たり,原告に対し,ポリグラフ検査を受けるよう求めたが,原告に拒絶された。取調官らは,再三にわたり,ポリグラフ検査を受けるよう原告に求めたが,原告が,「これは強制ですか。任意ですか。誤認逮捕や冤罪だって増えている。」旨述べて拒絶したため,ポリグラフ検査を行うことを断念した。
(イ) Dは,原告に対し,「人間として本当のことを話して欲しい。」旨述べるとともに,本件被害者のことをどう思うか尋ねたところ,原告は,「本件被害者とGとが交際していたことは知らなかった。」,「本件被害者が本件殺人等事件に遭ったのがGとの交際中であったことからすれば,ある意味,本件被害者にとっては幸せだったのではないか。」旨を述べた。これに対し,Dは,「お前の心は鬼だ。」,「早く人間に戻れ。」と発言した。(証人D)
(ウ) Dが,原告の3月16日の行動について尋ねたところ,原告は,本件被害者とは,駐車場の入り口で別れ,その後は会っていない,その後,書店に立ち寄って1時間ほど過ごし,同日午後11時30分ころに帰宅した旨供述するとともに,帰宅後,自宅近くのコンビニエンスストアでビールを買ったが,本件事情聴取の際には,忘れていたため,そのことを話していなかった旨供述した。
(エ) Dが,原告が灯油を購入していたことについて尋ねたところ,原告は,借りたままになっている社宅の部屋でストーブを焚くために灯油を購入した,一月ほど前に購入しており,購入先は千歳市のコンビニエンスストアである,購入した灯油は使っておらず,社宅に置いたままになっている旨供述した。
(オ) Dが,本件被害者の携帯電話番号について尋ねたところ,原告は,本件被害者の携帯電話番号は知らなかった,3月17日の昼ころに,Kに聞いて初めて知った旨供述した。
(カ) Dが,原告に対し,「全部話をする気にならないか。」,「今話をするしかない。」,「何を考えているの。」旨述べたところ,原告は,「何も考えていない。」旨返答した。
(キ) Dが,原告に対し,「あんたがやったのか。」,「お前さんじゃなくて,違う人に頼んだのか。」と述べたところ,原告は,頭を横に振って否定した。
Dは,さらに,「当日の行動をきちんと説明出来ないのか。」,「警察は,3月16日の夜にガソリンを入れたこともわかってる。」旨述べたが,原告は,俯いたまま返答しなかった。
(ク) 原告は,午後4時15分から午後4時30分までの間,用便に赴いたが,ふらふらと足下がおぼつかない様子であった。原告は,用便室において,Wから,「思っていること,感じたことをすべて話しなさい。」と言われると,「だって信じてくれないだもの。」,「信じていたのに,会社の人も,皆が私を疑っていたって。」,「帰りたい。」と述べ,号泣した。
(ケ) Dが,3月16日のガソリンの給油について尋ねたところ,原告は,俯き,返答しなかった。また,Dが,同日の退社後の原告の行動について尋ねたところ,原告は,「まっすぐ帰ったのかどうかも,本当に覚えていない。」旨返答した。
(コ) 原告は,午後6時45分から午後7時15分までの間,休憩し,夕食を取った。その際,原告は,Wからの問いかけに応え,Gとの交際の破綻や本件被害者のこと等につき雑談する等した。
(サ) 夕食後,Dは,引き続き,3月16日の退社後の原告の行動について,追及したが,原告は,終始俯き,返答しなかった。
(シ) 原告は,午後8時40分から午後8時45分までの間,用便のため休憩した。その際,原告は,Wに対し,用便室の手洗用の水が飲用できるか尋ねたが,Wから,飲まない方がいい旨返答され,うがいをするにとどめた。
その後,取調室に戻った原告は,Dの質問に対し,俯いて,一切返答しなかった。
(ス) 取調べにおいて,原告が,喉を渇きを訴えた際,取調官らは,「お水じゃお腹こわしたら困るから,お茶の方がいいんじゃないか。」と述べ,原告に対し,お茶を出した。(甲11)
(4) 本件取調べ①の違法性の有無について検討する。
ア 本件取調べ①の取調べの態様に関する原告の主張を裏付けるべき証拠としては,原告の弁護人ら作成の北海道警察本部長宛の「御通知」と題する書面である甲1の1,原告の作成した陳述書である甲10及び11,Jの陳述書である甲19,原告の弁護人作成に係る原告の供述録取書である乙3,証人Jの証言,並びに原告本人尋問の結果を掲げることができる。そこで,それらの各証拠の信用性につき検討するに,この点に関する原告の本人尋問における供述は,概して,記憶が鮮明でない旨述べるものであって,甲10及び11を示された上で,同証拠に記載されたとおりのDの言動があった旨供述するにすぎないから,原告の上記供述は,その記憶に基づくものとは考え難く,容易には信用できない。そして,甲10及び11は,その記載から,本件訴えの提起後である8月8日以降に作成されたものと認められるところ,一般的に,このように,訴えの提起後に作成された証拠の信用性は,概して乏しいといわざるを得ない。証人Jの証言は,その内容に照らすと,本件取調べ①が行われて間もないころに,Jが,原告から聞いたことを,その妻であるXに聞かせて,同人に作成させたメモ及び同メモに基づき作成されたJの陳述書である甲19によって記憶を喚起した上でのものと認められるから,同証言は,独立して原告の主張を裏付けるべきものとはいえない。甲1の1は,その記載から,原告の弁護人らが平成12年4月27日に作成したと認められるところ,後記のように,乙3が平成12年4月26日に作成されていることからすると,甲1の1は,原告の弁護人らが,同日に原告の供述を録取して作成した乙3に基づいて作成されたものと考えられるから,甲1の1も,やはり,独立して,原告の主張を裏付けるべき証拠とはいえない。
他方,乙3は,その記載から,本件訴えの提起前であり,本件取調べ①から間のない4月26日に,原告の弁護人が,本件取調べの状況を原告から聴取して作成したものと認められるから,同証拠は,他の証拠に比して,信用性が高い。また,Jの陳述書である甲19は,同人の証言によれば,Jの妻であるXが,本件取調べが行われたころに逐次作成していたメモに基づき,Jが作成したと認められるから,概ね信用するに足りるということができる。
以下,これを前提に検討する。
イ 供述拒否権の不告知について
原告は,供述拒否権の告知がなかった旨主張するが,被疑者の取調べに当たって,供述拒否権を告知すべきことを警察官であるD及びEが認識していなかったとは考えられず,また,原告は,前記(3)イのとおり,実際に,相当数の質問に対して黙秘しているのであるから,供述拒否権が告知されなかったとは認め難い。さらに,甲19及び乙3には,供述拒否権が告知されなかったとの記載はない。原告の主張は採用できない。
ウ 威迫的言辞について
(ア) 本件取調べ①におけるDの威迫的言辞に係る甲19及び乙3の記載は,以下のとおりである。すなわち,Dは,原告に対し,「お前がやったんだろう。」,「早く言った方が楽になる。」,「親や,お前のことを心配してくれる人のことを良く考えろ。」,「会社の人も,みんなお前だと思っている。」,「お前の心は鬼だ。早く真人間に戻れ。」,「何で謝れないんだ。ごめんなさいと言えないんだ。」,「死んでいく彼女の顔を思い出してみろ。」旨述べた。また,Dは,頭痛及び吐き気を訴える原告に対し,「そんなことで誤魔化すな。」と怒鳴り,また,用便を求める原告に対し,「自分の欲ばかり言うな。」と述べるとともに,原告が用便から戻ると,「ようやく人間の心を取り戻したか。」と述べたというものである。
(イ) 前項のDの言動の有無につき検討する。Dが,原告に対し,「お前の心は鬼だ。」,「早く人間に戻れ。」と発言したこと,及び「あんたがやったのか。」,「お前さんじゃなくて,違う人に頼んだのか。」との発言をしたことは前記(3)イの(イ),(キ)のとおりである。また,同(ク)のとおり,原告が,「信じていたのに,会社の人も,皆が私を疑っていた。」旨の発言をしていることからすれば,Dが,原告に対し,会社関係者も,原告が犯人であると疑っている旨述べたと認めることができる。さらに,証拠(証人D)によれば,Dは,原告に対し,本件被害者に対し謝罪するよう求める発言をしたと認められる。Dが,このような発言をしていたこと並びに甲19及び乙3が概ね信用に足りることを考え併せると,幾分の誇張はあるとしても,概ね,前記(ア)のとおりのDの発言があったと推認するのが相当である(以下「本件取調官発言①」という。)。
Dの上記発言の口調の程度についてであるが,その発言内容,及びDが,自身の声が通常人よりも大きいことは認めていることからすれば,比較的強い口調であったと考えるのが自然である。しかし,他方,乙3には,Dが怒鳴ったのは,用便に行くことを希望した原告に対し,「そんなことで誤魔化すな。」と発言した際のものしか記載されていない。のみならず,原告は,前記(3)イの(ク),(コ)及び(シ)のとおり,休憩時間にWと会話をしているが,その会話の中で,同人に対し,Dの言動に恐怖を感じている旨訴えていたことは窺われない。そうであれば,Dの口調の程度は,全体としては,必ずしも,怒鳴るようなものではなかったと認めるのが相当である。
なお,原告の主張するDの言動のうち,その余のものについては,甲19及び乙3にも記載がなく,これを認めるに足りない。
エ 本件取調官発言①は,比較的強い口調であるとともに,後記のとおり,その言辞自体,一部穏当を欠いたものであったということはできるものの,これらが,事案の重大性,嫌疑の有無ないし程度等を勘案するまでもなく違法と評価されるほどの,脅迫に類するものでないことは明らかである。
これに対し,原告は,原告が用便の際に,足下がふらつくほどに精神的に疲弊していたことをもって,本件取調べ①の態様が極めて過酷であった旨を主張する。確かに,原告が,用便の際に疲弊していたことは,前記(3)イの(ク)のとおりであり,このことからすれば,本件取調べ①が,原告にとって,相当の精神的な負担となっていたということはできる。しかし,およそ,被疑者として取調べを受けるということ自体,相当程度に精神的な負担となるのであるから,上記をもって,直ちに,本件取調べ①におけるDの言動等が,脅迫又はこれに類するものであったということはできない。
オ(ア) また,脅迫又はこれに類する程度に至らない取調べであっても,被疑者に対する取調べは,事案の性質,被疑者に対する嫌疑の程度,被疑者の態度等諸般の事情を勘案して,社会通念上相当と認められる態様ないし限度内においてのみ許容されるものである。
(イ) 本件殺人等事件が,本件被害者を殺害し,その遺体に火を放って焼損するという極めて重大な事案であることは明らかである。
(ウ) そして,前記(2)で認定したところに照らせば,①原告は,事件当日における本件被害者の最後の同伴者であること(前記(2)イ(ア)),②本件被害者の携帯電話は,犯行時刻の後に5回にわたって使用され,その電話先は,関係者でなければ,通常は番号を知り得ないA工場内の電話であったこと(同エ(ウ)),本件被害者の携帯電話が発見された状況(同(ア))からすると,犯人は,少なくとも,A工場の関係者であって,本件被害者が使用していたロッカーを知悉しており,かつ,同日の午前9時7分以降午後3時5分までの間に,本件被害者の携帯電話の電源を切って,本件被害者のロッカー内に戻すことができた人物であろうと考えられたこと,③同オのとおり,Gが原告に対して別れ話を持ち出した後である3月12日の午前4時51分以降,度々,原告の携帯電話から本件被害者の携帯電話宛に無言電話等の悪戯電話であると考えられる発信がされていたこと,及び本件被害者の携帯電話に残されたメール(同エ(イ))からすれば,本件被害者が,原告から,何らかの嫌悪感を示されていたものと推測され,原告が,Gとの交際が破局した原因が本件被害者にあるとして,本件被害者に対し憎悪の念を抱き,同人を殺害する旨企図しても,直ちに不自然とまではいえない動機があったと考えられたこと,④原告が,3月16日午後9時30分以降,M店に立ち寄り,同店内で1時間ほど立ち読みをした旨の本件事情聴取における原告の供述の裏付けは得られなかった(同カ)のみならず,原告は,M店において約1時間も立ち読みしていたと供述していながら,同店において雑誌を購入せずに,P店において雑誌を購入しており,その不自然さからすれば,原告のアリバイ供述には虚偽の疑いがあったこと,⑤前記のとおり,原告の携帯電話から本件被害者の携帯電話宛に電話がかけられていた発信記録があり,本件被害者の携帯電話の番号は知らなかったとの原告の供述(同イ(イ))は,虚偽であると極めて強く疑われたこと,以上の諸点からすると,本件取調べ①の当時,原告には,本件殺人等事件の嫌疑があり,その程度も,決して低くはなかったということができる。
(エ) 原告は,前記第2の3の(原告の主張)(2)のとおり,原告に嫌疑はなかった旨主張する。
確かに,本件被害者車両及び本件被害者の携帯電話から,原告の指紋が発見されなかったことは,前記(2)のク,ケのとおりであり,また,証拠(甲21,22,乙17の1)によれば,本件捜査本部が,3月17日に,死体発見現場付近から採取した合計10個の遺留足跡に,原告の靴によるものがないことが6月15日に判明したことが認められ,証拠(甲23,24,乙1)によれば,本件捜査本部が,3月17日に,死体発見現場付近路上及び交差点から採取した合計8個の遺留タイヤ痕に,原告車両のタイヤによるものがないことも6月15日に明らかになったことが認められる。しかし,本件取調べ①における違法性は,その当時における嫌疑の程度に照らして判断されるべきものであるから,仮に,後になって,原告の嫌疑を減殺する捜査資料が得られたとしても,本件取調べ①における違法性の判断を左右しない。また,原告の主張は,本件取調べ①の当時に,原告の足跡,原告車両のタイヤ痕及び原告の指掌紋が現場等に遺留されていたとの捜査資料がなかったことをもって,当時における原告の嫌疑の存在を否定する趣旨と解されるが,直接に原告の犯人性を肯定する明白な証拠がないからといって,直ちに,原告に対する嫌疑が否定されるものでない。
また,関係者のアリバイ捜査については,本件に提出された証拠からは,その実施状況の詳細は不明というほかない。しかし,原告の主張するように,およそ犯人である可能性のある者すべてに対してアリバイ捜査を実施し,その確実な裏付けを得なければ嫌疑を肯定できないというわけではない。のみならず,少なくとも,B事業所関係者のうちの多数の者に対する事情聴取の結果,原告に対する嫌疑が肯定されたというのあるから,A工場関係者全員に対する事情聴取がなされていなかったとしても,そのことが,原告に対する嫌疑に係る判断を左右することはない。
原告のアリバイに対する本件捜査本部の認識については,本件捜査本部が,本件取調べ①の当時に犯行時刻を3月16日午後11時15分ころと判断していたことを裏付けるに足りる証拠はなく,却って,本件捜査本部は,当時,目撃者の供述から,おおよその時刻として,犯行時刻を同日午後11時ころと判断していたことは前記(2)アのとおりであり,本件捜査本部が,原告にアリバイが成立するとは認識していなかったものと認められる。
したがって,原告の主張は,いずれも採用できない。
(オ) 本件取調官発言①は,いずれも,Dが,原告が犯人であると強く疑っている旨を述べるとともに,原告に対し,事実を語るよう求める趣旨のものである。一般に,警察官である取調官が,被疑者に対し,かかる趣旨の発言をすること自体は,何ら違法と評価されるものではないが,取調官は,取調べにおいても,被疑者の名誉,人格等を不当に毀損することのないよう相応の配慮をすべきである。このような観点から本件取調官発言①をみるに,Dは,比較的強い口調で,原告に対し,原告を犯人と決めつけるかのような発言や,本件被害者に謝罪するよう求める発言をしており,特に,「お前は鬼だ。早く人間に戻れ。」との発言は,前記(3)イ(イ)で認定した,その直前の原告の言葉を道徳的に非難する面があるにせよ,穏当を欠くといわざるを得ない。しかし,任意取調べにおける取調官の発言が違法であるか否かは,前記(1)に判示したとおり,事案の軽重,嫌疑の程度,被疑者の供述内容等諸般の事情を考慮し,社会通念上相当と認められる態様ないし限度の範囲内であったか否かという観点から決すべきであるところ,原告は,重大事件である本件殺人等事件の被疑者として,前記(ウ)のとおり,相当な嫌疑があった。そのような状況下で,原告は,本件被害者の携帯電話番号は知らなかった旨供述していたが,これは,客観的な捜査資料と矛盾しており,また,3月16日の退社後の行動について説明を求められても俯いて返答しないか,覚えてない旨供述するのみで,明らかに不自然な供述,態度を示した。これら諸般の事情を考慮すると,本件取調官発言①は,一部,穏当を欠いているものの,原告に対する嫌疑の下で,真実を述べるよう求めるものとして,なお,社会通念上相当と認められる態様ないし限度を逸脱していたとはいえない。
カ なお,原告は,Dが,事実関係を確認することなく,終始,原告を怒鳴り続けていた旨主張するが,本件取調べの時間は,相当の長時間にわたっているところ,その間,Dが,何らの事実関係をも確認しなかったとは認め難い。むしろ,Dが,原告に対し,本件殺人等事件に関する事実関係を尋ねていたことは,前記(3)イの(ウ),(エ),(オ),(キ),(ケ)及び(サ)のとおりである。
また,原告は,Dが,原告に対し,証拠を示すことなく,取調べを行ったことも違法事由として主張する。しかし,取調べに際して,証拠を示すか否かは,原則として,捜査機関の合理的な判断に委ねられるべきものであるから,証拠を示さなかったからといって,直ちに取調べが違法となるものではなく,原告のこの主張も失当である。
(5) したがって,本件取調べ①に違法はない。
2 争点②(本件取調べ②の違法性の有無)について
(1) 本件取調べ①から同②までの取調べの経緯
後掲括弧内に記載した証拠によれば,以下の事実が認められる。
ア 4月15日の取調べ
(ア) 原告は,4月15日午前8時22分から,C署2階4号室において,被疑者として任意取調べを受けた。取調べは午後7時5分まで行われたが,午後0時2分ころ,原告の母親から依頼を受けた弁護士がC署を訪れ,原告との面会を求めたため,午後4時15分まで中断された。(乙6の2)
(イ) 原告は,午後3時10分,弁護士とともに,再度C署を訪れたが,その際,弁護士から,C署の警察官に対し,本件殺人等事件のあった当日の状況等について原告が述べたものであるとして,本件殺人等事件に関する原告の行動等についての申立てを受けた。その内容は,概ね,「3月16日午後9時30分ころ本件被害者と一緒に退社したが,本件被害者とは駐車場で別れた。別れた後M店に寄り,その後,ガソリンがなかったので,同店近くのガソリンスタンドで1000円分か10リットルの給油をしてから,そのまま帰宅した。帰宅した後に,ビールが飲みたくなったので,自宅近くのコンビニエンスストアに行き,ビール等を買って帰った。就寝したのは,同月17日午前2時30分から午前3時ころである。Gと交際していたが,結婚に対する姿勢がはっきりしないところに別れ話を持ち出されたので,自分でも別れる気になった。Gが本件被害者と交際していたことは,本件被害者が亡くなった後に知った。」というものであった。(乙6の3)
イ 4月17日の取調べ
原告は,4月17日午前9時47分から午後8時までの間,被疑者として任意取調べを受けた。なお,午後0時から午後1時までの間,昼食の休憩が取られた。(乙7の2)
ウ 4月18日の取調べ
(ア) 原告は,4月18日午前9時8分から午後7時5分までの間,被疑者として任意取調べを受けた。なお,午後0時5分から午後1時10分までの間,昼食の休憩が取られた。また,同日の取調べでは,原告の用便のため,3回,各5分程度の休憩があった。(乙8の1,2)
(イ) 同日の取調べにおいて作成された原告の供述調書の内容は,大要,以下のとおりである。(甲7)
a Gとの交際について
「Gとは,平成10年9月ころから交際していたが,平成12年2月末ころに別れ話を持ち出された。Gのことを,結婚すべき相手ではないと思うようになってはいたが,少なからずショックだった。3月12日に,再度,Gから別れ話を持ち出されたが,そのときは決心がつかなかった。しかし翌13日に,きっぱり別れる決心をして,気持ちの整理がついた。本件被害者とGが交際していたことは,同月18日に,Gに電話をした際,Gから聞かされて初めて知った。」
b 3月16日の退社後の行動について
「3月16日午後9時30分ころ,本件被害者と一緒に退社したが,本件被害者とは,カラオケに行こうという話をした後,駐車場の入り口付近で別れた。午後10時ころ,M店に寄り,比較的長い時間,同店内にいた。その後,同店近くのガソリンスタンドで1000円分の給油をした。本件事情聴取で給油のことを話さなかったのは忘れていたからである。給油してから帰宅したが,帰宅の時間は同月17日の午前0時ころだと思う。帰宅してから,自宅近くのローソンでビールを買った。本件事情聴取で,ビールを買ったことを話さなかったのは,忘れていたからである。同日午前2時30分か午前3時ころに就寝した。」
c 本件被害者の携帯電話について
「本件被害者の携帯電話の番号については,3月16日の昼ころ,職場の同僚であるKに聞いて初めて知った。本件被害者の携帯電話には,同日の昼休みに1回かけたのみであり,それまで,本件被害者の携帯電話に電話をかけたことはない。」
エ 4月19日の取調べ
(ア) 原告は,4月19日午前9時2分から午後5時8分までの間,被疑者として任意取調べを受けた。なお,午後0時から午後1時10分までの間,昼食の休憩が取られた。(乙9の1)
(イ) 同日の取調べにおいて作成された原告の供述調書の内容は,大要,以下のとおりである。(甲8)
a 本件被害者の携帯電話について
「本件被害者の携帯電話には,3月17日の昼休みに1回かけたことがあるだけである。」
b 灯油の購入について
「3月14日か15日に,千歳市内のセイコーマートで灯油用ポリタンクと灯油10リットル位を購入した。社宅の借上げ期間の終了も迫っていたことから,社宅に置いていた荷物の整理をしようと思い,ストーブに使うために購入した。」
c 本件被害者について
「本件被害者を恨んだりはしていない。恨む理由もない。」
d e町の地理について
「e町で生まれて以来,ずっと同町で生活してきたが,町や郊外等の地理には詳しくはない。地元に『どんぐりの会』というサークルがあり,そのサークルでは,e町の浄水場の奥にある『どんぐりハウス』という小屋を拠点に,山林内の自然観察を行う活動等をしている。平成11年にその活動に参加したことがある。」
e 供述調書の訂正について
原告は,供述調書の読み聞けに際し,「本件被害者のロッカーを開ければ,制服の名札等から,本件被害者のロッカーであることはわかる。」,「時期は不明であるが,平成11年に,Gが,本件被害者と二人で食事に行っていたことを思い出した。その際には,Gから,本件被害者と交際していない旨の話をされたため,Gを信用していた。」旨を供述調書に付記するよう求めた。供述調書は,そのとおり,付記訂正された。
(2) 本件取調べ①から同②までの捜査(一部,同①よりも前の捜査を含む。)
後掲括弧内に記載した証拠によれば,以下の事実が認められる。
ア 原告の自宅に対する捜査(乙45)
本件捜査本部は,4月14日午前8時31分から午前11時20分までの間,原告の自宅を捜索した。その結果,原告居室内から,本件被害者の携帯電話番号が記載されたメモ紙が発見された。
イ 原告のシステム手帳の領置(乙53の1ないし3)
本件捜査本部は,4月14日,原告からシステム手帳の任意提出を受け,これを領置した。同手帳内には,「Gへ」で始まるG宛の手紙が挟まれており,同手紙には,「今日は,朝も帰りもありがとう。手をつないだままねむりたかったです。安心してねむりたい。」,「まだ二人で会うのはダメだよね。会えた時は,Gの背中少しだけかしてね。」,「解決したら,一晩,Gの時間を私に下さい。Gのとなりで眠らせて下さい。」,「二人で会える時,連絡下さい。」との記載があった。
ウ 死体発見現場において発見された灯油に係る捜査
(ア) 本件捜査本部は,3月17日に死体発見現場から採取した残燃物等に含まれている液体様の成分について,同日及び同月18日,鑑定を行った。その結果,4月7日,同液体が灯油であるとの鑑定結果が得られた。(乙55の4,5)
(イ) 本件捜査本部は,4月14日午前8時31分ころから,原告の自宅に対する捜索を行った。その際,本件捜査本部は,原告居室内から,千歳市のコンビニエンスストアであるS発行のレシートを発見し,これを領置した。同レシートには,3月16日午前0時1分,灯油用ポリタンク及び灯油を購入したとの記載があった。(乙56の1)
(ウ) 本件捜査本部は,4月14日,社宅に対する捜査を行い,灯油の入った灯油用ポリタンクを発見し,これを領置した。本件捜査本部は,Sにおいて販売されている灯油用ポリタンクにつき捜査したところ,同店で販売されている灯油用ポリタンクと,社宅から発見されたものとが,同種の製品であるとの捜査結果を得た。(乙61の1,同61の5)
(エ) 本件捜査本部は,同月17日,社宅から発見された灯油用ポリタンクの灯油と,死体発見現場から採取された灯油との異同識別について,鑑定を嘱託した。(乙61の7)
エ 本件被害者のロッカーの鍵の発見
本件捜査本部は,4月14日,原告車両を差し押えるとともに,同車両内の捜索を行い,同車両のダッシュボード内から,「HK□□□□」と刻印された鍵を発見した。照合の結果,同鍵が,本件被害者のロッカーの鍵と一致したため,本件捜査本部は,同日,同鍵を差し押えた。(乙63の1ないし3。なお,乙14によれば,本件殺人等事件に係る刑事裁判において,同鍵の差押手続の適法性が争われていることが窺われるが,その適法性の如何は,直ちに,本件における前掲各証拠の証拠能力を左右しない。また,原告は,同鍵の発見経過につき,不自然であるとも主張するが,そのように主張するにとどまり,何ら具体的な主張をしないので,この点については,これ以上立ち入らない。)
オ 原告のO店入店に係る捜査
(ア) 本件捜査本部は,4月14日,原告車両を捜索した際,3月16日午前0時8分付けのQ発行の領収書,及び時間不鮮明であるが,同日付けのO店発行の領収書を発見した。本件捜査本部は,Q及びO店に対し捜査を行い,上記領収書が,Qにおいて,同日午前0時8分ころに1000円分(9.62リットル)の給油があったこと,及びO店において,同日午後11時36分ころに1000円分の給油があったことを示すものであるとの捜査結果を得た。(乙64の4)
(イ) 本件捜査本部は,4月19日ころ,原告車両の走行状況に関する捜査を行った。その結果,本件捜査本部は,原告車両の1リットル当たりの走行距離が概ね14キロメートル程度であり,原告が,Qから帰宅し,その後,B事業所に出勤して,退社後にM店に立ち寄った上で,O店を訪れた場合の,QからO店までの走行距離が合計約46.2キロメートル程度になるとの捜査結果を得た。(乙29)
カ 本件被害者のものと思われる遺品の焼損現場に係る捜査
(ア) 4月15日,e町字fg番地付近の作業道路路肩上において,残焼物が発見された。本件捜査本部は,同現場の実況見分を実施するととともに,残焼物を領置した。本件捜査本部は,同残焼物について,本件被害者の家族に対する確認作業を行い,その結果,その一部であるヘアピン,ガラス容器等4点につき,本件被害者居室から同種同型のものがある旨の申立てを受け,それらを領置した。(乙58の2,3)
(イ) 実況見分の結果は,上記残焼物発見現場の交通量は,昼夜を問わず閑散としており,通行人の往来は全くないというものであった。(乙58の1)
キ 本件被害者の携帯電話の着信状況(乙35の3)
本件捜査本部は,4月17日,本件被害者の携帯電話の着信記録の捜査を行った。着信記録には,3月12日に21回,同月13日に128回,同月14日に54回の原告の携帯電話からの着信が記録されていた。
(3) 本件取調べ②について
ア 証拠(乙10の1)によれば,原告に対する本件取調べ②は,4月21日午前10時27分から午後8時27分まで,C署2階4号室において行われたこと,その間,午後1時から午後2時10分までの間,昼食の休憩のため休憩が取られたこと,夕食の休憩はなかったことが認められる。
イ 取調べの態様等
本件取調べ②の態様等に関する証拠は,乙10の1及び2であるが,そのうち乙10の1は,前記乙5の3と同様,Dが,本件取調べが行われた4月21日に,その内容を上司に報告し,決裁を受ける目的で作成したこと,及び後日,原告の供述調書を作成するためにD又はEが記したメモに基づいて作成したものであることが認められるから,その記載は,概ね信用に足りるものということができる。また,乙10の2も,その記載内容から,取調べ及び原告の用便等に立ち会ったNが,本件取調べ②が行われた4月21日からそれほど間がない同月27日に,立会状況を上司に報告し,決裁を受ける目的で,職務として作成したものと認められるから,その記載内容は信用できる。このように信用できる上記証拠(乙10の1,2)に,後掲括弧内に記載した証拠を併せれば,本件取調べ②の態様等は,以下の(ア)ないし(ツ)のとおりと認められる。
(ア) Dは,原告に対する取調べを始めるに当たり,原告に対し,「今日は,前を向いて話をして欲しい。」旨述べるとともに,原告に対し,頭髪を後ろに束ねるよう求めた。その上で,Dは,原告に対し,メモ紙を差し出し,数字を記載するよう求めたところ,原告は,「何のためですか。」,「嫌です。」と述べ,俯いた。これに対し,Dは,数字を記載するのは筆跡を見るためである旨述べたが,原告は,これを拒絶した。(証人D)
(イ) Dは,俯いている原告に対し,「あんたは,この事件の容疑者として警察に来てもらってるんだよ。」,「黙ってたってわからないぞ。身の潔白を証明したいのなら,あんたから進んで話をすべきではないか。」旨述べたが,原告は,俯いたままであった。Dが,原告に対し,「あんたが殺したの。」と述べたところ,原告は,俯いたまま頭を横に振った。
(ウ) Dは,原告に対し,「あんたの言い分を全部聞いて調書にした。調書を作って変だなと思う点がある。そのことをあんたから聞く。答えてくれるな。」と述べた上で,本件被害者のロッカーの鍵が原告車両から発見されたことについて説明を求めたが,原告は俯いたまま目を閉じて返答しなかった。そこで,Dが,原告の座席の横に立ったところ,原告は,横を向き,Dに背を向けた。
(エ) 席に戻ったDは,原告に対し,「お前のやってること,悪戯電話なんかでない,脅迫だ。」と述べたが,原告は俯いたままであった。そこで,Dは,原告に対し,「あんたが話をできるのは俺しかいないんだぞ。」,「きちんと話をしてみなさい。」,「心の中にあるもの全て話してもらいたい。」旨述べ,質問に答えるよう説得したが,原告は,横を向いて俯いたまま,返答しなかった。
(オ) 昼食の休憩に立ち会うため,Nが取調室に入室したところ,原告は,横を向いて泣いていた。Nは昼食を取るよう勧めたが,原告は,ほとんど言葉を発せず,食事が進まない様子であった。昼食後,原告は,用便に行ったが,足下はふらつき,手で壁をつたって歩く状態であった。
(カ) 午後の取調べが開始され,Dは,原告に対し,本件被害者のロッカーの鍵について説明するよう求めた。これに対し,原告は,俯いたまま返答しなかった。
(キ) 原告は,昼食の休憩の際に,頭髪を束ねていたヘアゴムを外していた。そのため,原告が俯くと,その表情が見えにくい状態となっていた。そこで,Dは,原告に対し,「髪で顔が隠れて見えないので,ゴムで髪をまとめなさい。」と述べ,頭髪を束ねるよう求めたが,原告は,俯いたままであった。
(ク) Dは,原告に対し,本件被害者とGとが交際していることを知ったのは3月18日であるとの原告の以前の供述につき,同月8日の時点で,すでに知っていたのではないかと質問した。これに対し,原告は,俯いたまま返答しなかった。
(ケ) Dは,原告に対し,「あんたがどこに電話をかけたか,全部わかるんだよ。」と述べ,通話料金明細内訳票を示した。その上で,Dは,「3月12日から16日にかけて本件被害者に電話をかけてるのに,何故,3月16日の朝にかけたきりやめてるの。」,「3月16日に本件被害者が殺されたのを知っているから,電話をかけていないのではないか。」旨述べた。これに対し,原告は俯いたまま返答しなかった。Dが,重ねて,「あんたがやったのか。」旨述べたところ,原告は,俯いたまま,頭を横に振って,これを否定した。
(コ) Dは,原告に対し,引き続き,本件被害者のロッカーの鍵や,本件被害者の携帯電話への架電,本件被害者とGとが交際していることを知った日等について,説明を求めた。しかし,原告は,終始俯いたままであり,返答しなかった。
(サ) Dは,さらに,原告に対し,「本当のことを話しなさい。」,「間違いだったのかい。忘れていたのかい。勘違いだったのかい。嘘だったのかい。」旨述べて,再三,質問に答えるよう求めたが,原告は,従前と同様,俯いたまま,返答しなかった。
(シ) 原告は,午後6時10分ころ,「帰ります。」と述べた。これに対し,Dは,質問に答えるよう,繰り返し述べた。
(ス) 午後7時7分ころ,原告の携帯電話に着信があり,呼出音が鳴った。原告は,その際,携帯電話を保留にし,電話に出なかった。その後,午後7時49分ころ,再び,原告の携帯電話に着信があった。原告は,携帯電話をスーツのポケットから取り出したが,これに出なかった。
(セ) Dは,原告に対し,「本当のことをしゃべりなさい。」,「正面を向いて話をしなさい。」,「朝,ここに来てから,質問に一つでも答えているか。鍵の件,電話の件,何一つ言えてないぞ。」,「都合が悪くなったら下を向いて俯いて。」,「あんたの車の中から本件被害者のロッカーの鍵が見つかった。これをどう説明するの。」,「質問に答えないのはどういうことなの。」等と述べた。これに対し,原告は,俯いたままであり,返答しなかった。
(ソ) 午後8時23分ころ,原告は,持参していた手提げバッグと紙袋を手に持ち,「帰る。」と述べて,立ち上がった。これに対し,Dは,「あんたの同僚の本件被害者が殺された事件の話を聞くため,ここに来てもらっているんだ。」,「朝から何一つ質問に答えていないではないか。」,「椅子に座って質問に答えなさい。」等と述べた。原告は着席し,取調べは続行された。
(タ) 午後8時27分ころ,原告が,取調室内のドアの前に立ち,室外に出て行こうとしたため,Eが退室し,入れ替わりにNが入室した。Nは,原告の肩に手をかけ,原告の顔を覗きこんだが,その目がうつろであったため,原告に対し,「座ろう。」,「落ち着いて。」等と述べた。しかし,原告が,ドアノブに手をかけ,なおも出て行こうとしたため,Nは,「待って。ちょっと座ろう。もう少し話をしよう。」等と述べた。原告は,ドアノブからは手を放したものの,ドアの前から動こうとはせず,Dの「あんた,最悪の結果にしようとしてるんだぞ。」との発言を受け,膝を折るようにして,床に崩れ落ちた。その際の原告の呼吸は,短く速くなっていた。
(チ) 取調べは中止となり,Dが退室し,入れ替わりに女性警察官であるYが入室した。原告は,体に力が入っていないかのようであり,手足を投げ出すようにして椅子に座っていた。原告が,時折,嗚咽を漏らす等していたため,嘔吐用のゴミ袋が用意された。その後,Nらが,原告の額に冷たいタオルをあてがい,背中をさすったところ,原告は,やや平静に戻り,Yが声をかけると,薄く目を開き,その方向を見る等していた。なお,原告に熱はなく,脈拍は正常であった。(証人N)
(ツ) その後,原告は,自分で座り直し,泣きながら,「帰りたい。」等と述べていた。その後,連絡を受けたJが原告を迎えに来たため,原告は,N及びYに支えられ,足をひきずるようにして退室し,その後,Jの車に乗車して帰宅した。
(4) 本件取調べ②の違法性の有無について検討する。
ア 本件取調べ②の態様等に関する原告の主張を裏付けるべき証拠に係る信用性の検討は,前記1(4)アと同様である。
イ 威迫的言動について
(ア) 本件取調べ②におけるDの威迫的言動に係る甲19及び乙3の記載は,以下のとおりである。すなわち,Dは,原告に対し,「お前,やったんだべ。」,「ごめんなさいと言え。」,「自分の口でちゃんと言わないと楽にならない。胸のつかえは取れないだろう。」との旨を,取調室の机の上に身を乗り出したて,大声で怒鳴った。また,Dは,原告の隣に来て,原告の顔を覗き込みながら,「お前がやったんだべ。」と述べ,原告が首を横に振ると,今度は,Eが,「横に振れるんだったら,縦にも振れるだろう。」と述べたというものである。
(イ) Dが,原告に対し,「あんたが殺したの。」,「あんたがやったのか。」との発言をしたことは前記(3)イの(イ),(ケ)のとおりである。また,証拠(証人D)によれば,D及びEは,本件取調べ②において,原告に対し,供述の矛盾点を追及する方針で,それまでの取調べに比して厳しい態度で取調べに臨んだと認められるところ,このことからすれば,俯いたままの原告が,首を横に振った際に,Eが,「縦にも振れるだろう。」と発言したとしても不自然とはいい切れない。そうすると,これらの事情に,甲19及び乙3が概ね信用に足りることを考え併せると,幾分の誇張はあるにせよ,概ね,前記(ア)のとおりのD又はEの発言があったと認めるのが相当である(以下「本件取調官発言②」という。)。
D又はEの上記発言の口調の程度については,その発言内容及びDらが,本件取調べ②に,以前よりも厳しい態度で取調べに臨む方針であったことを考え併せれば,その口調は,本件取調官発言①よりも,相当に強いものであったと認められる。このことは,後記するとおり,原告が,精神的に疲弊していたことからも窺われる。
なお,Dが,原告の供述調書を机に叩きつけていたとの原告の主張については,乙3にはこれに副う記載があるものの,甲19には記載がない。のみならず,警察官であるDが,証拠を毀損するような行為をすることが想定し難いことをも併せ考えると,Dの行為は,調書を軽く机に打ち付ける程度であったと考えられる。その余のDの言動及び取調室の机の配置が変えられていたとの原告の主張については,甲19及び乙3に記載がないから,これを認めるに足りる的確な証拠はないというほかない。原告の上記主張は,採用できない。
(ウ) 本件取調官発言②が,脅迫に類する手段による自白の強要に当たるかを判断する。この点,Dの上記発言が,その言辞自体,穏当を欠いたものであり,その口調も相当に強いものであったことからすれば,本件取調官発言①と同様,問題がないわけではない。しかし,そうであるからといって,本件取調官発言②が,事案の重大性,嫌疑の有無ないし程度等を勘案するまでもなく違法と評価されるほどの,脅迫に類するものでないことは明らかである。
これに対し,原告は,原告が,床に崩れ落ち,その後も,自力で歩行して退室することすら困難なほどに精神的に疲弊するに至ったことからすれば,同発言は脅迫に比すべきものといえる旨主張する。確かに,原告が上記状況に至ったことは前記のとおりである(なお,この点につき,証人D及び証人Nは,原告の演技である旨の証言をする。しかし,証人Dが,原告の演技であるとする根拠は,原告が,崩れ落ちる前の取調べの際,足をぶらつかせる等していた旨をEから聞いたというものであるところ,原告が足をぶらつかせる等していたことを認めるに足りる証拠はないし,仮に,原告がそのような行動を取っていたとしても,直ちに,原告の演技であるとはいえない。また,証人Nは,原告が薄目を開けてYの方向を見たことから,直感的に,演技であると思った旨証言するが,やや平静に戻った原告が,薄目を開けて,声をかけてきたYを見ることと,原告が精神的に疲弊して崩れ落ちたことは,何ら矛盾するものではなく,Nの証言は,推測の域を出ない。前記(3)イの(タ)ないし(ツ)の原告の状況に照らせば,原告が,意識を失ったかどうかはともかく,精神的に相当に疲弊していたため,崩れ落ちるようにして座り込んだものと考えるのが自然である。)。その意味で,本件取調官発言②が,原告に対し,相当程度に心理的な圧迫をもたらすものであったことは,否定し難い。しかし,そうであるからといって,Dの発言が,直ちに,脅迫に類する手段による自白の強要であり,事案の軽重や嫌疑の有無ないし程度等を問うまでもなく,それ自体で違法と評価されるものであるとまではいえない。したがって,原告の上記主張は採用できない。
ウ 違法な有形力の行使について
Dが,原告の頭髪を払いのけたとの原告の主張については,甲19にはこれに副う記載があるところ,Dが,原告に対し,その手を伸ばして,原告の頭髪を払うような仕草をしたこと自体は,Dも認めるところである。そして,前記(3)イによれば,原告は,Dの質問に対し,終始俯いたままであったというのであるから,そのような原告に対し,Dが,頭髪を払ったとしても,不自然ではない。しかし,他方,乙3には,この点に関する記載はないから,Dの行為が,殊更に原告に畏怖心を与えるようなものであったとは考え難い。そうすると,仮に,Dが,原告の頭髪を払ったとしても,その態様が,殊更に原告の恐怖心を煽るようなものであったということはできず,違法な有形力の行使に当たるとは評価できない。原告の上記主張は採用できない。
エ 監禁について
(ア) 午後6時10分ころの退室の申出に対する妨害について
この点に関する甲19及び乙3の記載は,原告が,「もう帰ります。」と述べたところ,Dが,「そういうわけにはいかない。帰すわけにはいかない。」旨述べたというものである。この事実については,前記のとおり,Dが,相当に強い口調で取調べを行っていたことからすれば,概ね,上記のようなやりとりがあったと認められる(原告の主張するその余のDの言動については,甲19及び乙3に記載がなく,これを認めるに足りる的確な証拠はない。原告の主張は採用できない。)。そこで検討するに,Dの上記発言を受けた原告は,そのまま着席し,少なくとも,午後8時23分までの間,退室を申し出ていないことは,前記(3)イの(シ)ないし(セ)のとおりである。そうであれば,これらのDの言動が,原告の意思を制圧するほどのものでないことは明らかであり,強制手段による監禁とは評価され得ない。この点に関する原告の主張は採用できない。
(イ) 外部との連絡の遮断について
この点に関しては,甲19及び乙3には,何らの記載もない。却って,甲18には,原告は,1回目の電話については,気付かなかったため出られなかった旨の記載があり,また,原告は,本人尋問においても,同様の供述をしている。そうすると,少なくとも,その1回については,原告は,着信に気付かなかったため,電話に出なかったものと認められる。また,その後の着信についても,原告の携帯電話の電源を切るといった措置が講じられていたことを窺わせる証拠はなく,原告の携帯電話の電源は入ったままであったと考えられるから,Dが,原告に対し,その携帯電話への着信に出ないことを強要する等して,外部との連絡を禁止したとは考えられない。原告の主張は採用できない。
(ウ) 午後8時30分ころの退室の申出に対する妨害について
a 午後8時30分ころの状況は,前記(3)イの(ソ)及び(タ)のとおりである。原告は,Dらが,退室しようとする原告の前に体を入れ,退室を妨害した旨主張する。しかし,同(タ)のとおり,Eが退室して,入れ替わりにNが入室していること,及び原告がドアノブに手をかけていたことからすれば,Dらが,退室しようとする原告と取調室のドアの間に立っていたものとは認め難い。原告の上記主張は採用できない。
b 前項に基づき検討する。まず,Nの行為であるが,同人は,退室しようとする原告の肩に手をかけ,「座ろう。」,「落ち着いて。」等と発言するとともに,なおも退室しようとした原告に対し,引き続き,「待って。ちょっと座ろう。もう少し話をしよう。」と述べたにとどまるというのであるから,これが,原告に対する強制手段による監禁に当たらないことは明らかである。Dの「あんた,最悪の結果にしようとしてるんだぞ。」との発言については,その口調が相当に強かったと考えられるものの,その趣旨は,取調べを拒絶して退室すれば,かえって情状面その他で,原告にとって不利益となる旨を示して,引き続き取調べに応じるよう強く説得したものというべきであり,強制手段による監禁に当たるとは,到底評価することはできない。
なお,この点に関し,原告は,Dの発言を受けた原告が,床に崩れ落ちるほどであったとして,Dら及びNの上記言動が,強制手段に比すべきものであったとも主張するようである。しかし,Dら及びNの上記言動が,事案の軽重や嫌疑の有無,程度等を考慮するまでもないほどに,直ちに,国家賠償法上,違法の評価を受けるようなものであったとはいえないことは明らかである。この点に関する原告の主張は採用できない。
オ 以上のとおりであって,本件取調べ②において,脅迫に類する手段又は暴行による違法な自白の強要あるいは強制手段による違法な監禁が行われたとは認められない。
カ(ア) また,任意取調べにおいて,脅迫に類する手段,暴行ないし監禁の程度に至らない取調べであっても,その態様等により違法と評価される場合があること及びその判断基準については,前記1(4)オ(ア)において判示したところと同様である。
(イ) 本件取調べ②の当時における原告に対する嫌疑の有無及び程度を検討するに,①原告から任意提出を受けて領置したシステム手帳に挟まれていた原告からG宛の手紙の記載(前記(2)イ)からすれば,原告が,Gに対し,なおも執着心を抱いていたことが窺われるところ,そのような原告が,本件被害者に対して極めて多数回にわたる悪戯電話をかけていたこと(同キ)からすれば,原告の本件被害者に対する憎悪の念は強く,本件被害者の殺害を決意しても不自然ではないと考えられたこと,②同オのとおり,原告は,3月16日午前0時8分ころ,Qでガソリンを9.62リットル給油していたが,同日午後11時36分ころには,O店において,同じく1000円分の給油をしており,Qでの給油量である9.62リットルからすれば,原告車両は約135キロメートルは走行が可能であったところ,原告が1000円分のみという給油をしていることからして,O店での給油の時点で,原告車両のガソリン残量は極く少量であったと考えられ,原告が供述した走行経路の合計距離約46.2キロメートルでは,給油する必要が生じる可能性は低く,原告が,その供述するアリバイに従った走行経路以外に,原告車両を走行させていたものと考えられたこと,③同アのとおり,原告の居室から,本件被害者の電話番号が記載されたメモ紙が発見押収されたこと,④同ウ(イ)のとおり,原告は,3月16日午前0時1分ころにSにおいて灯油を購入していたこと,⑤同カのとおり,本件被害者のものと思われる遺品が焼損されていた現場は,土地鑑を有する者でない限り,立ち入ることが少ない場所であると考えられるところ,原告は,同現場から遠くない所に住んでおり,付近に土地鑑を有していると考えられたこと,⑥同エのとおり,原告車両から,本件被害者のロッカーの鍵が発見されたことからすると,本件取調べ①の時点で,既に相当程度存在していた原告に対する嫌疑は,その後の捜査により,更に増幅し,本件取調べ②の時点では,極めて高くなっていたというほかない。
なお,当時,原告に嫌疑がなかった旨の原告の主張(前記第2の3の(原告の主張)(2))が採用できないことは,前記1(4)オ(エ)で判示したところと同様である。
(ウ) 本件取調べ②における取調べが,任意取調べとして許容される限度を超えるものであったか否かにつき判断する。
a 本件取調官発言②について
本件取調官発言②は,原告に対し,「お前がやったんだろ。」,「ごめんなさいと言え。」等と,相当程度に強い口調で述べるとともに,頭を横に振って否認する原告に対し,「首を縦に振れるだろう。」と発言したというものである。警察官である取調官が,取調べにおいても,被疑者の名誉,人格等を不当に毀損することのないよう相応の配慮を払うべきことは前記に説示したとおりであり,このような点からみれば,本件取調官発言②は,穏当を欠くというべきである。しかし,原告は,重大事件である本件殺人等事件の被疑者として,前記のとおり,極めて高い嫌疑が存在していたにもかかわらず,終始俯き,一切を黙秘する態度に終始していた。もとより,被疑者である原告が,取調官の質問に対し黙秘することに,何ら問題がないことは当然であるが,そのような場合に,取調官が理詰めの追及をし,ときとして,その声が大きくなることには,やむを得ない面がある。まして,原告は,4月18日の取調べにおいて,前記のとおり,Gとの交際が破綻したことにつき,既に気持ちの整理がついていた旨及び本件被害者の携帯電話に電話をかけたことはなかった旨供述しているが,これらの原告の供述の信憑性が極めて疑わしいことは,前記判示に照らし明らかである。また,原告は,4月19日の取調べにおいても,なお,本件被害者の携帯電話に電話をかけたことはなかった旨供述していた。これらの諸般の事情を考慮して本件取調官発言②をみれば,その口調が相当程度に強く,また,一部適切さを欠いた発言もみられることを勘案しても,同発言は,原告に対する強い嫌疑の下で,真実を述べるよう求めたものとして,なお,任意取調べとして,社会通念上相当と認められる態様ないし限度を逸脱していたとまでいうことはできない。
b 退室の申し出に対する対応について
任意取調べにおいて,被疑者は,その自由な意思により,取調室から退室できるのであって,警察官である取調官が,これを不当に妨害するようなことがあってはならない。
しかるに,原告が午後6時10分ころに退室を申し出た際のDの「帰すわけにはいかない。」旨の発言は,それ自体としてみれば,原告に対し,退室を許可しないかのような発言であって,適切とはいい難い。しかし,Dは,原告に対し,上記の外,席に戻り取調べを受けるよう発言したにとどまり,それ以上に,原告の身体に触れたとか,その退室を著しく困難にする等の行為には出ていない。そうであれば,退室の翻意を求めるDの発言は,その手段,態様において軽微ということができるところ,前記判示の事案の重大性,原告に対する嫌疑の程度を考慮すれば,いまだ,前記の相当と認められる態様ないし限度を逸脱したということはできない。
原告が午後8時23分ころに退室を申し出た際のDらの対応について検討する。この点で問題となるのは,Nが,原告の肩に手をかけて,その退室を制止したこと,及びDが,原告に対し,「あんた最悪の結果にしようとしているんだぞ。」と述べたことである。
まず前者につき検討するに,Nの行為は,足下がおぼつかない様子であった原告に対し,「落ち着いて。」等と述べながら原告の肩に手をかけたというものであって,何ら,原告の身体を押し戻したり,その行動を抑制するものではないから,その手段及び態様に照らしても,社会通念上許容され得ない違法なものであったとは到底いえない。次いで,Dの「あんた最悪の結果にしようとしてるんだぞ。」との発言については,前記のとおり,原告に対する嫌疑は極めて強かったところ,それにもかかわらず,原告は終始俯き,何らの返答もしなかったものであり,そのような原告が,退室を申し出るとともに,取調室のドアノブに手をかけたという緊急の状況下において,Dが,原告の身体に触れることなしに,原告に翻意を促すため上記のように発言したことを考えると,Dの上記発言が,その口調が穏当を欠いたものであることを考慮しても,なお,前記の相当と認められる態様ないし限度を逸脱したとまで評価することはできない。
c なお,本件取調べ②において取調官らが証拠を示さなかったことをもって違法とする原告の主張が採用できないことは,前記1(4)カで判示したところと同様である。
(5) したがって,本件取調べ②にも違法はない。
第4 結論
以上によれば,原告の請求は,理由がないのでこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 原啓一郎 裁判官 澤井真一 裁判官 塚原洋一)
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