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裁判年月日 平成17年 3月23日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平11(合わ)324号
事件名 航空機の強取等の処罰に関する法律違反、殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件 〔全日空機ハイジャック事件〕
裁判結果 有罪 上訴等 確定 文献番号 2005WLJPCA03230004
要旨
◆航行中の大型旅客機内において、被告人が所携の洋包丁を用いて脅迫・暴行を加え、同機の運航を支配するとともに、その運行支配の継続中に機長を殺害したハイジャックの事案について、航空機の強取等の処罰に関する法律二条の罪と刑法一九九条の殺人罪とが成立し、観念的競合に当たるとされた事例
◆本件犯行当時、被告人は、抗うつ剤などによる治療の途上に生じた、うつ状態と躁状態の混ざった混合状態にあり、その影響により是非弁識能力及び行動制御能力の著しく減退した心神耗弱の状態にあったものと認定し、死刑を減軽して無期懲役刑に処した事例
出典
判タ 1182号129頁
新日本法規提供
参照条文
刑法199条(平16法156改正前)
刑法39条
刑法54条1項
航空機強取処罰法1条
航空機強取処罰法2条
裁判年月日 平成17年 3月23日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平11(合わ)324号
事件名 航空機の強取等の処罰に関する法律違反、殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件 〔全日空機ハイジャック事件〕
裁判結果 有罪 上訴等 確定 文献番号 2005WLJPCA03230004
主 文
被告人を無期懲役に処する。
未決勾留日数中1000日をその刑に算入する。
押収してある洋包丁1丁(平成11年押第2023号の1)及びペティナイフ1丁(同号の2)を没収する。
理 由
〔犯行に至る経緯等〕
被告人は、昭和45年9月28日、東京都内で出生し、地元の小学校を卒業後、私立H中学、同高校に進学し、平成2年にI大学商学部商学科に入学し、交通関係のサークルに入って活動し、航空関係に対する強い関心を持ち、卒業後の進路として航空関係の会社への就職を強く希望したが、採用に至らず、平成6年4月にL貨物鉄道株式会社に幹部候補として就職し同社の寮に入寮したが、職場での人間関係を上手く築けないことや仕事の段取りが上手くできないことに悩み、平成8年10月に同社の寮から出奔して、約5か月の間、家族にも自分の居所を知らせないまま、北海道、徳島県、長崎県等を放浪した。被告人は、平成9年3月末に東京都江戸川区内の自宅へ戻った後、精神科医の診察や治療を受けるようになり、同年6月からは東京都葛飾区内の医療法人社団A会Bクリニック(以下「Bクリニック」という。)でX医師の診察を受けて中程度のうつ状態と診断され、引き続き同医師の診察と治療を受け(平成11年5月からは同医師の移籍した医療法人社団A会Cクリニック〔以下「Cクリニック」という。〕で)、平成10年5月23日から抗うつ剤であるプロザックを処方されて服用し(同薬剤は同年8月ころまで処方され、被告人は、そのころまでこれを服用していた。)、同年7月に京都府にある人材派遣会社への再就職を果たしたが、仕事になじめず1週間で退職して自宅に戻ることになり、その後の就職活動もうまくいかない中、同年9月に睡眠導入剤を大量に服用して自殺を図ったが失敗し、睡眠導入剤服用の影響による興奮状態から父親に殴りかかるなどの異常行動があったことから、緊張病興奮状態であるとして東京都小平市内の医療法人D会E病院(以下「E病院」という。)に措置入院させられた。被告人は、同年10月20日に同病院を退院し、X医師による診察・治療を続け、同医師からは深刻なうつ状態に陥っていると診断されて、同年12月9日からはパキシルを(同薬剤は平成11年3月ころまで処方され、被告人はそのころまでこれを服用していた。)、平成11年3月末からは抗うつ剤であるエフェクソールを(同薬剤は同年5月ころまで処方され、被告人はそのころまでこれを服用していた。)、同年5月中旬からは上記の抗うつ剤の使用と併せて、抗てんかん剤であるランドセンを(同薬剤は同年7月21日まで処方され、被告人はそのころまでこれを服用していた。)、同年6月9日から抗うつ剤であるルボックスを(同薬剤は同月23日まで処方されて、被告人は、同年7月上旬までこれを服用していた。)、それぞれ処方されて服用していた。
被告人は、かねてから航空関係に強い関心を持っていたが、同年6月上旬ころ、東京国際空港(以下「羽田空港」という。)の図面を見るなどしていて、羽田空港の出発ロビーと到着ロビーとが完全に分離されておらず、その連絡部分に見張りの警備員等も配置されていないことから、凶器を隠したバッグを国内の地方空港から羽田空港への預託手荷物として運搬させ、羽田空港1階の到着ロビーに設けられている手荷物受取場において同バッグを受け取り、そのまま2階の出発ロビーに回って羽田空港発の航空機に搭乗すれば、凶器を航空機内に持ち込むことが可能であることに気づき、同空港に出向いて実際の警備状況も確認した。そこで、被告人は、同空港関係者ら(同空港の管理会社、大手警備会社、同空港事務所など)にあてて、その欠陥及び対策の詳細な内容と、自己を空港警備員として採用してほしい旨を記載した手紙等を自己の実名及び住所を明記して書き送るなどしたが、同空港管理会社の担当者から、別途の対策を考えていて当面警備員を増員する方針はない旨伝えられ、その後再度の被告人の指摘に対しても、同空港管理会社の担当者から検討中であるなどとの回答であったことから、この際、自ら羽田空港の警備上の欠陥をついてハイジャックを成功させて、自己の指摘の正当性を実証し、かつ、ハイジャック後、機長を縛り上げて自己が航空機を操縦し、最後は、比較的安全に着陸することのできる条件のある横田基地に向かい、航空機を無事に着陸させた後、ハイジャックに使用した包丁で自分の胸を突き刺して死のうと考え、決行日や対象機の選定、航空券や凶器の購入、羽田空港内の下見などといった準備を整えていき、平成11年7月23日、その計画どおり、羽田空港と伊丹空港を日本航空機で往復し、その際に洋包丁とペティナイフ在中のバッグを手荷物として預けるなどして、羽田空港発の航空機内に同バッグを持ち込むことを可能にした。
〔罪となるべき事実〕
被告人は、
第1 平成11年7月23日午前10時50分ころ、東京都大田区羽田空港〈番地略〉の羽田空港において、洋包丁及びペティナイフ在中のバッグを携行して、同日午前10時55分羽田空港発新千歳空港行きの全日本空輸株式会社定期第61便ボーイング747-400D型航空機全日空第61便の航空機(以下「本件航空機」という。なお、同機は、全長70.67メートル、全幅59.63メートル、胴体径6.50メートル、左右主翼に各2基、合計4基の大型ジェットエンジンが設置されているジャンボジェット機であり、甲野一郎機長〔当時51歳。以下「甲野機長」という。〕以下乗務員14名、便乗乗務員11名、乗客492名〔被告人を含む。〕の合計517名が搭乗していた。)に搭乗した上、同日午前11時23分ころ、上記羽田空港新C滑走路を離陸して東京湾上空を航行中の同機内において、持ち込んだ洋包丁(刃体の長さ約19センチメートル。平成11年押第2023号の1)を取り出して、客室乗務員丙川春子(当時28歳)らに示し、「こういうことだから。コックピットへ連れて行け。」などと申し向け、同女の背中に洋包丁を突き付けたまま、同女に先導させて操縦室の前まで行き、同女のノックに応じて甲野機長が操縦室のドアを開けると、上記洋包丁を手にしたまま操縦室内に押し入り、甲野機長や副操縦士乙山二郎(当時34歳)に対して上記洋包丁を示しながら、「こういうことだ。言うことを聞け。」などと脅迫し、甲野機長らをして、被告人の要求に応じなければ、被告人が上記洋包丁を使用して甲野機長らの生命身体に危害を加えかねないとの畏怖を生ぜしめて、その反抗を抑圧し、さらに、上記乙山副操縦士を操縦室から退出させて操縦室のドアを施錠した上、自ら副操縦士席に座り、甲野機長に指示して、神奈川県横須賀市上空から東京都大島町上空を経て横田基地方向に本件航空機を航行させたが、同機を操縦するために甲野機長を座席に縛り付ける機会や方法を考えあぐね、甲野機長を縛り付ける機会をつくるため、同機長に対して座席の交替を指示したが、交替してもらえず、そのうち、操縦開始の目標線と設定していた湘南海岸が接近し、横田基地にも近づいてきたので、このままでは本件航空機の操縦という目的が実現できないとの焦燥感を募らせ、その目的を実現するためには、甲野機長を包丁で刺し殺すしかないと考え、殺意をもって、上記洋包丁で甲野機長の右上胸部、右頸部、右耳介部等を突き刺した上、同日午後零時ころまでの間、自ら副操縦士席に座って同機を操縦するなどし、もって、ほしいままに航行中の上記航空機の運航を支配し、よって、そのころ、同機内において、甲野機長を胸部右側刺切創に基づく出血性ショックにより死亡させて殺害し、
第2 業務その他正当な理由による場合でないのに、同日午前11時23分ころ、羽田空港新C滑走路を離陸して東京湾上空を航行中の上記航空機内において、上記洋包丁1丁(刃体の長さ約19センチメートル。平成11年押第2023号の1)及びペティナイフ1丁(刃体の長さ約11.8センチメートル。同号の2)を携帯した。
なお、被告人は、上記各犯行当時、抗うつ剤などによる治療の途上に生じた、うつ状態と躁状態の混ざった混合状態のため、心神耗弱の状態にあったものである。
〔証拠の標目〕〈省略〉
〔被告人の責任能力について―弁護人の主張に対する判断〕
第1 本件の争点と当事者の主張
被告人が、判示の日時、場所において、判示第1及び第2の犯行(以下、総称して「本件犯行」という。)を行ったことは関係証拠上明白であり、この点は当事者間にも争いがない。本件の争点は、本件犯行当時の被告人の責任能力の有無とその程度である。
この点に関し、弁護人は、被告人は、本件犯行当時、幼少年時代以来の人間関係の障害と数多くの挫折による強度のうつ状態を基礎に、抗うつ剤による治療の途上で生じた強い自殺念慮と攻撃的な躁状態にあるという、躁とうつの混ざった混合状態にあり、そのために事柄の是非善悪を弁識する能力(是非弁別能力)とその弁識に従って行動する能力(行動制御能力)を喪失していたか、少なくとも著しく減退させていたとして、心神喪失又は少なくとも心神耗弱の状態にあった旨主張する。
これに対し、検察官は、被告人が、本件犯行当時、抗うつ剤の影響によるうつ状態と躁状態が混ざった混合状態にあったとしても、それは重度のものではなく、被告人が高い知能を有し、社会生活にも十分耐えられるものであること、本件犯行の動機が十分了解可能であること、本件犯行時の被告人の行動は合目的で一貫性が保たれていること等を併せ考慮すれば、被告人の是非善悪の判断能力に低下はあってもその程度は著しいものではなく、被告人は、本件犯行当時、完全な責任能力を有していた旨主張する。
そこで、以下、被告人の責任能力の有無とその程度について検討する(なお、以下の項においては、公判調書中の供述部分が証拠となる場合でも、「公判廷における供述」又は「公判供述」等ということがある。また、引用した証拠や認定した事実に関する客観的な証拠を参考のため括弧内に表示することがある。)。
第2 関係証拠により容易に認められる事実
1 被告人の身上・経歴、精神科医の受診状況等
(1) 幼少期から大学時代まで
被告人は、昭和45年9月28日、東京都において、特許事務所に勤める父大和太郎(以下「父太郎」という。)と母大和花子(以下「母花子」という。)の間の2人兄弟の二男として出生した。被告人は、幼稚園時代から食べるなどの動作が遅く、運動神経にもやや劣るところがあったので、小学校の低学年ころから、同級生らが外遊びをするのに加わらないことも多くなり、同級生らからいじめを受けることもあった。小学校時代は、体育などを除く主要4教科の成績は優秀であったものの、行動及び性格については、協調性の点はやや劣るところがあるとの評価がなされていた。
被告人は、昭和58年4月に中高一貫教育の有名進学校である私立H中学校に進学し、中学時代、高校時代を通じ、体育を含めたすべての科目で特に劣っていた科目はなかった。そのころにはいじめられることもなくなり、中学時代には物理部に入部し、高校時代には鉄道関係の趣味を共通とする友人もできて、その友人らと共に鉄道旅行やプロ野球観戦などに出かけることもあった。
高校卒業後、被告人は、1年間浪人して、平成2年4月にI大学商学部に入学し、自己の内向的な性格を克服しようとして、同大学の学園祭運営のサークルに入ったり、親元を離れて寮生活を始めるなどした。学園祭運営のサークルでは周囲にうまくとけ込むことができず、同年11月に同サークルをやめるに至ったが、寮生活は、被告人が就職活動開始後退寮するまで特に問題が生じることなく継続した。他方、被告人は、交通関係のサークル(鉄道研究会と航空関係のサークル)に入部して活動し、鉄道研究会の友人らを自宅に呼んで宴会を開き、その場を幹事として取り仕切るなど、これらのサークル等で興味関心を共有できる友人と交際し、また、飛行機で国内・国外へ旅行をしたり、羽田空港で航空貨物の積みおろしに関するアルバイトをするなどして、かねてから好んでいた航空関係への傾斜を深めていき、大学では、交通経済学を専門とする教授のゼミに入り、「日本の基幹空港整備の必要性」という卒業論文を書き、卒業後の進路については、第一希望の航空会社をはじめとする交通関係の会社に就職したいという希望を強く抱き、自ら段取りをしてイギリスへの短期留学を行うなどもして就職活動の準備を進め、航空会社をはじめとする交通関係の会社への就職活動を行った。
(2) M貨物への就職から失踪まで(平成6年3月〜平成8年10月)
被告人は、平成6年3月にI大学を卒業し、第一志望の航空会社には就職できなかったものの、同年4月にいわゆるキャリア採用の幹部候補としてL貨物鉄道株式会社(以下「M貨物」という。)に入社し、J駅で約半年間、K駅で1年半の間、コンテナの発送・到着の確認業務などの作業に従事した後、平成8年6月からは関西支社に配属され、キャリア採用として貨物指令等の業務に従事した。しかし、被告人は、職場での人間関係を上手く築けなかったほか、段取りの悪い仕事ぶりなどをやゆされたり、そつなく仕事をこなし評価が高かった同期入社の社員と比較されるなどして、仕事に対する自信を喪失していき、とりわけ、関西支社に配属されてからは、与えられた貨物指令の業務になかなか適応できず、また、懇親会の飲食の席で上司から注意を受けると、突然飲食店の床に土下座して謝罪をするといった行動に出、人事考課表に「一見、変わった動作をすることがあり、驚かされることがある。」などと書かれた。
被告人は、自己の段取りの悪さなどから仕事上のミスを重ねてしまうことや、人間関係が上手く構築できずに職場にもとけ込めないことなどから、次第に孤立感、挫折感を強めるとともに、M貨物で仕事を続けることに強いストレスを感じるようになり、平成8年9月には、憂さ晴らしに法定速度を51キロメートルも超過して自動車を暴走させ、東京簡易裁判所において罰金8万円の略式命令を受けた。
そして、被告人は、平成8年10月14日ころ、「これ以上望みようのない環境下にありながら、もはや心身とも疲労の極に達しています。指令業務には向きません。出番の度ごとに調子は悪化し、もはや普通通り人と会うことすらできません。皆様より一足先に、2度と戻らない片道旅行に出掛けます。これが能力のない人間の末路で、迷惑をかけるのは今日限りとしたいと思います。」などと記された置き手紙と辞表を残して会社の寮から出奔した。
(3) 北海道等での自殺未遂等の状況(平成8年10月〜平成9年3月)
被告人は、平成8年10月14日ころにM貨物を出奔した後、生活費に充ててきた貯蓄も乏しくなって自宅に戻った平成9年3月31日までの約5か月の間、北海道、徳島、名古屋及び長崎などをカプセルホテルなどで寝泊まりして放浪しながら、「これ程の孤独は、要は、僕が悪いんであって、会社に入ってからますます人と深い話ができなくなって、友達がさっぱりできません。」、「結局、自分を包む鋼鉄のような貝殻が、自らを殺すばかりでなく、まわり全体にとてつもない損害を与えることになってしまった。」、「そろそろ離陸の時間が来た。今日こそは飛ぶ。」などと遺書がわりにノートに記載した上(乙5資料2)、睡眠薬を服用するなどして自殺を図ることがあったが、いずれも未遂に終わった。また、その間の平成8年11月ころ、被告人は、飛行機からの飛び降り自殺をしようと考えて徳島に向かい、徳島市内のビジネスホテルに宿泊していたところを、家出人として徳島東警察署に保護されたことがあったが、連絡を受けた両親が駆け付ける前に警察署から逃走し、その後、「母さんの言葉でとりあえず自殺は中止しようかなと思う。でもやりたいことが全くないんだな。」、「どっちみちやることもやりたいこともない。だから仕方ないからフラフラする。徳島にいたのはMD-87を目的達成に使おうとしていたからで、ほとんどの期間は東京にいた。捜してもむだだよ。」(乙5資料3)などと記した手紙を東京都江戸川区内にある自宅のポストに投函した。
(4) 自宅に戻った後、精神科に通院するなどしていたころの状況(平成9年3月〜平成10年7月)
被告人は、自宅に戻った後、両親が勉強一辺倒で育てたため人付き合いが下手になったという恨みや、退職や放浪の理由について聞かれるのを避けるため、失語を装い、両親と会話をしなかったことから、同年4月、心配した両親の薦めで、東京都墨田区内の医療法人社団F会Gクリニック(以下「Gクリニック」という。)でZ医師の診察を受けた。同医師は、被告人が、「他人が話しているのを見ると悪口を言われている感じはあるか」「自分がのけ者にされている感じはあるか」といった質問に対して肯定したことから、被告人に被害関係妄想があると判断し、また、被告人が全く言葉をしゃべらず、寡黙の状態でうずくまっているのは、被告人が精神分裂病(以下、現在の用語例に従って「統合失調症」という。もっとも、各医師の診察を受けた際の診断病名については、その当時の診断病名である「精神分裂病」という用語をそのまま用いることがある。)に起因する亜混迷状態にあるとの判断の下、被告人について緊張型精神分裂病と診断し(弁1)、被告人は、同クリニックで抗精神病薬による投薬治療を受けることになった。被告人は、同年4月ころからは、両親ともある程度会話をするようになっていったが、上記抗精神病薬の作用により、尿が出ない、よだれが出る、手が震える、食欲がないなどの副作用が続いたことから、同年6月末ころ、同クリニックへの通院をやめることとし、その際、同クリニックの臨床心理士のYに対し、失語は演技であった旨話した(甲99)。
被告人は、平成9年6月25日から、東京都葛飾区内のBクリニックでX医師(以下「X医師」という。)の診察を受けるようになったところ、X医師は、被告人において、幻聴を始めとする幻覚、妄想、支離滅裂な行動といったような統合失調症の症状がなかったこと、心理テスト(甲101資料2)の内容にも異常なものがなかったこと、プレコックス感(医師が統合失調症に接したときに受ける、何となくおかしいという違和感、疎外感など)も感じなかったことから、統合失調症ではないと診断した。そして、X医師は、被告人が気分の沈みや生きていく元気のなさを訴えていること、ただし、それらは最初の職場から退職したときの挫折という経験が原因であると考えられるので、うつ病ではないと考えられること、躁状態の時期がないので、躁うつ病でもないと考えられること、当時の被告人には活動性があったことや自殺の切迫感がないことから、うつの深刻度という点から考えても、その程度はそれほど重篤なものではないと認められたので、被告人について、中程度のうつ状態であるとの診断を下し、抗うつ剤による投薬治療を開始した。X医師は、被告人からGクリニックで処方された抗精神病薬の副作用のことを聞いて、投与する薬を変え、そのため、被告人は、抗精神病薬の副作用に悩まされることがなくなっていき、同年7月ころ以降は、再就職のために経理及び簿記の各専門学校に通学するようになるまで被告人の状態が改善された。
そのころ、被告人は、X医師から抗うつ剤であるプロザックを勧められ、同薬剤の効用に関する本を読むなどしたが、両親が副作用の可能性等を憂慮して反対するなどしたことから、これを断った。その後、X医師は、うつ状態は軽快したとの所見の下、被告人に対する投薬を中止して様子をみることにし、平成9年8月27日、同クリニックでの被告人に対する治療は中断した。
被告人は、同年末には簿記2級の試験に合格し、平成10年3月ころから就職活動を始めたが、なかなか就職先が決まらない中で、再度うつ状態が強くなってきたため、同年5月23日から再びBクリニックに通院し始め、同日、X医師からプロザックを処方されて同薬剤を服用するようになった(同薬剤は同年8月ころまで処方され、被告人は、そのころまでこれを服用していた。)。被告人は、同年6月29日付けの同医師にあてた手紙の中で、「前回うかがってから4、5日後に何かいても立ってもいられないような強い不安感に襲われました。その後はいい感じできています。」(甲101資料3)などと記載し、同年7月ころ、就職活動の末、京都府にある人材派遣会社に経理職員として就職することになり、そのころ、X医師にあてた同月15日付けの手紙の中で、「問題は、11月までは本社が京都にあり、短期ではあるものの、赴任しなければいけないという事です。環境が激変する時こそプロザックの効果に期待したいわけで、今後、新しいお医者を紹介していただくのか、薬を郵送していただくのか、または治療を中断した方がいいのか、決めなければなりません。とりあえず今回は、いただけるだけいただいておきたいと思います。」などと記載した(甲101資料4)。しかし、被告人は、上記の会社の仕事や職場になじめず、結局、約1週間で同社を退職し、東京の自宅へ戻ってくることになり、再び就職活動を始めたものの、なかなか就職先が見つからないでいるうち、再度うつ状態が強くなっていき、同年9月11日、「よりよい社会の実現のためには、効率の悪い労働者は自ら淘汰しなければならないという考えには変わりません。」などと記載した遺書(乙4資料1)を書き、以前Gクリニックでもらって飲まずにいた睡眠導入剤を大量に飲んで自殺を図ったが失敗した。被告人は、この後、興奮状態を呈するようになり、何度も自宅から出奔し、また、突然駆けだして駅の改札口を無償で突破した上、追い掛けてきた父太郎に罵声を浴びせたり殴りかかるなどして暴れ、駅員に取り押さえられたり、さらに、自転車に乗って走り出し、追い掛けてきた父太郎らに罵声を浴びせたり殴りかかるなどした上、通行人にも罵声を浴びせるなどし、警察官が駆け付けてもその状態はおさまらず、拘束具で縛られてパトカーで搬送され、結局、同年9月13日に東京都小平市内のE病院に措置入院させられた。被告人は、同病院で精神分裂病に起因する緊張病興奮状態と診断され(弁2)、強い抗精神病薬を与えられ、その後しばらくの間、よだれが出たり、手足がしびれるなどの副作用に悩まされた。被告人は、同年10月20日に同病院を退院すると、翌21日からBクリニックへの通院を再開し、X医師により前回の診察時より深刻なうつ状態に陥っていると診断され、同年12月9日から抗うつ剤であるパキシルの処方をされて同薬剤を服用するようになった(同薬剤は平成11年3月ころまで処方され、被告人はそのころまでこれを服用していた。)。
なお、パキシルについては、医薬品添付文書には使用上の注意として、「うつ病・うつ状態の患者は自殺企図のおそれがあるので、このような患者には、特に治療開始早期は注意深く観察しながら投与すること」「投与中止(特に突然の中止)により、めまい、知覚障害(錯感覚、電気ショック様感覚等)、睡眠障害、激越、不安、嘔吐、発汗等があらわれることがあるので、突然の中止は避けること」「7〜18歳の大うつ病性障害、強迫性障害、社会不安障害患者を対象とした臨床試験を集計した結果、2パーセント以上かつプラセボ群の2倍以上の頻度で報告された有害事象は以下のとおりであった。本剤投与中:食欲減退、振戦、発汗、運動過多、敵意、激越、情動不安定(泣き、気分変動、自傷、自殺念慮、自殺企図等)。なお、自殺念慮、自殺企図は主に12〜18歳の大うつ病性障害患者で観察された。」といったものがあった(弁83)。
被告人は、平成10年の年末から11年の年始にかけては家族でスキー旅行をし、同年1月から再び簿記学校に通い始めるなどしたものの、気力が続かずに簿記学校は約1か月で休学することとなり、再びうつ状態を強めていき、就職活動や就職準備に向けての活動をやめ、同年2月ころからは、2週間に1度水曜日にX医師の診察のために通院する以外はあまり外出せず、昼ころまで寝込んで、自宅にこもって、テレビを見たり、FMラジオを聞いたり、パソコンでゲームやインターネットをしたりする生活を送るようになっていた。X医師は、被告人が自宅に引きこもりの生活を続けていたことなどから、自発性が低下しており、うつ状態が改善されていないとの所見の下、これまで投与してきたパキシルは効き目がないと判断し、同年3月31日からは、抗うつ剤であるエフェクソールを処分するようになり、被告人はそのころから同薬剤を服用するようになった(同薬剤は同年6月9日まで処方され、被告人はそのころまでこれを服用していた。)。また、X医師は、被告人において、同年2月から3月にかけて引きこもりが始まり、身なりに注意を払わなくなったりしてきたことや、当時の被告人の顔の表情等がプレコックス感を与えるものであったことから、被告人が統合失調症に罹患しているのではないかとも考えるようになり、被告人に心理テストを受けさせることを考えるようになった。
一方、被告人は、同年3月中旬、母花子とともに野球観戦に行き、メガホン2本をぶつけあいながら盛んに応援し、選手の凡プレーに対して大声で文句を言い、また、同年3月下旬ころ、兄が帰省した際、食事中にテレビを見ているのを注意され、イライラした様子でテレビを切るなど、兄に対して反抗的な態度を示した。そのころから、被告人は、テレビのバラエティー番組を見て、大きな声で笑ったり、テレビに向かって、お笑い芸人がやるような「ツッコミ」を入れたりするようになり、母花子が笑い声を控えるように注意した後も大きな声で笑うということがあった。その後、被告人は、同年4月から5月前半ころまで、自分が見たいテレビ番組に合わせて風呂に入るため、自分の都合ばかり言って譲らないとか、「食事の量が多すぎる。」と文句を言うことが多くなり、また、父太郎に生活態度のことなどで注意を受けると、苛立たしげに、語気を荒げて反発することも多くなった。
同年5月12日、被告人が母花子とともにBクリニックに行くと、同クリニックは閉鎖になっており、同クリニックはCクリニックに統合されるので、Bクリニックの患者はそちらに行くようにという張り紙があり、これを見た被告人は、立腹して帰宅し、母花子が1人でCクリニックに赴いてX医師と面談した。X医師は、被告人のうつ状態は改善されておらず、被告人に、抑うつ、不安定性、自発性低下、無為といった症状があると推察し、エフェクソールも効き目がないと判断した。
X医師は、翌5月13日、W医師に依頼して被告人の心理テストを実施し、その結果、統合失調症は否定され、自己愛パーソナリティ障害であるという結果が出たので、同月15日、その旨被告人に伝えた。また、同医師は、このころから、新たに抗てんかん剤であるランドセンの処方を開始し、被告人はそのころから同薬剤を服用するようになった(同薬剤は同年7月21日まで処方され、被告人はそのころまでこれを服用していた。)。
そのころから、被告人が、両親やX医師に対して反抗的な態度をとったり、家族に無断で遠くまで外出し、深夜に帰宅するといった行動を繰り返すようになったため、父太郎は、同年5月22日、X医師を訪ね、被告人が急に外出して夜11時に秋葉原から歩いて帰宅したこと、不機嫌であること、今後の行動が予測しにくいこと、被告人の行動がそれまでと異なって活発に動き出しているということなどを同医師に話した。これを聞いたX医師は、被告人が心理テストの後に興奮状態になったことも加味して、通院の治療はもう限界に来ていると考え、被告人の入院を勧め、診療録に「12時まで外出して、不機嫌」「ちょっと何をするか分からない」などと記載した(甲104)。
被告人は、同月29日夜、西武鉄道狭山線の最終列車への飛び込みを企図して、同線路内に侵入したが、結局死にきれず、翌30日未明に帰宅し、友人や兄に対し、「昨日、また自殺に失敗してしまいました。自分の弱さにはつくづくいやになります。」「学校の後輩として、友達として、私と付き合っていくことをもう辞めにしてはどうでしょう。」などと記載した長文の電子メールを書き送ったりした(乙4資料2)。母花子は、そのころの被告人の様子について、同日の日記に、父親の話すことにはまるで取り合わない。話しかけても、つっけんどんにろくに返事もしません。感情がかわいてしまっているようで、悲しいです。」などと記載するとともに(甲135)、自殺を警戒して監視の目を強め、同月31日に、駐車場の隅に、被告人が自殺のために秘かにためていた睡眠薬や排ガス自殺のためのガムテープやホースなどが入ったバッグを用意しているのを発見してこれを隠した。そのため、被告人は、かえって自殺念慮を強め、次には万難を排して自殺しようと決意し、再び部屋にこもる生活を続けながら、自殺の方法を考えあぐねていた。その後、被告人は、心配した友人から電話を受けるなどして、翌6月1日には、励ましに応じてやり直す趣旨の電子メールをその友人に送ったが(乙6資料1)、やはり友達付き合いを続けていくことは辛いと考え、同日、再びその友人に友人関係を解消するという趣旨の電子メール(「もう私とは関係をもたない方がいい。早く断ち切った方が、君の将来のためだ。」などと記載されたもの〔乙6資料1〕)を送った。その日、被告人は、母花子らが被告人の遠出を阻止するために自宅の車のキーを隠しているのに気づき、あてつけにレンタカーを借りて遠出し、母花子に対し、高速道路を走ってみたくなりレンタカーを借りたなどと伝え、翌日自宅に戻った。
X医師は、こうした被告人の状況について、自殺念慮が継続しており、深刻なうつ状態にあると判断し、平成11年6月9日から、上記エフェクソールに代えて抗うつ剤であるルボックス(なお、同年5月26日に厚生省の認可が下りたもの。)を上記ランドセンと併せて処方するようになり、被告人は、このころから7月上旬ころまで同薬剤の服用を継続していた。
なお、ルボックスについては、医薬品添付文書に使用上の注意として、「うつ症状を呈する患者は希死念慮があり、自殺企図のおそれがあるので、このような患者には、注意深く観察しながら投与すること」「投与量の急激な減少ないし投与の中止により、頭痛、嘔気、めまい、不安感、不眠、集中力低下等があらわれることが報告されているので、投与を中止する場合には徐々に減量するなど慎重に行うこと」が挙げられており、また、同文書中には、頻度0.1パーセントから5パーセント未満の副作用として、「圧迫感、抑うつ感、神経過敏、焦燥感、不安感、躁転、気分高揚」といった記載があった(弁84)。さらに、ランドセンについては、医薬品添付文書には、「重大な副作用」として、「刺激興奮、錯乱等(頻度不明)精神障害を合併している患者に投与すると逆に刺激興奮、錯乱等があらわれることがある。」といった記載があり、頻度0.1パーセントから5パーセント未満の副作用として、「神経過敏(不機嫌、興奮等)、無気力、情動不安定」が、頻度0.1パーセント未満の副作用として、「行動異常」や「攻撃的反応」が挙げられていた(弁85)。また、パキシル及びルボックスは、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害剤)であるが、SSRIを服用した患者が攻撃的な感情を持ったり、軽躁状態となったりした症例が報告されている(弁86、87)。
他方、母花子は、平成11年6月9日、X医師にあてて、「その後も焦燥感は解消せず、私も先生にご相談したくとも心配で家を離れられませんでした。」などと記載した手紙を作成した(甲101資料8)。
2 羽田空港の欠陥を発見してから本件犯行に至るまでの状況
(1) 羽田空港の欠陥を発見して指摘するなどしていたころの状況(平成11年6月ころの状況)
被告人は、平成11年6月上旬ころ、インターネット上で見付けてダウンロードした東京国際空港(以下「羽田空港」という。)の国内線西旅客ターミナルビル(通称「ビッグバード」。以下「ビッグバード」という。)の図面を見ていたところ、羽田空港の出発ロビーと到着ロビーとが完全に分離されておらず、その連絡部分に見張りの警備員等も配置されていなかったことから、凶器を隠したバッグを国内の地方空港から羽田空港へ預託手荷物として運搬させ、羽田空港1階の到着ロビーに設けられている手荷物受取場において上記バッグを受け取り、そのまま2階の出発ロビーに回って羽田空港発の航空機に搭乗すれば、凶器を機内に持ち込むことが可能であり、上記の方法で凶器を機内に持ち込むことによって、いわゆるハイジャックの実行が可能であることなどに気づき、これを防止するには、出発ロビーと到着ロビーとを結ぶ階段に警備員を配置する必要があると考えた。そして、被告人は、同月13日、両親とともに羽田空港に行き、自己の考える方法によってハイジャックが可能であることを確認した後、上記のような方法によるハイジャックの危険を指摘し、警備員の配置などの解決策を記した手紙を、同空港の関係者に送付しようと思い立ち、同月14日ころ、ビッグバードを所有、管理するN株式会社(以下「N社」という。)及び羽田空港に関する事務を所掌する運輸省東京航空局東京空港事務所(以下「空港事務所」という。)、東京空港警察署及び大手警備会社のO株式会社、株式会社P等にあてて、その欠陥及び対策の詳細な内容、さらに、N社及び東京航空警察署に対しては、警備状態の調査等に要した費用を請求したい旨を、O株式会社に対しては、同社が警備の委託先になった場合には警備員として就職を希望する旨を、それぞれ記載した手紙や電子メールを作成した上、自己の実名及び住所を明記して送るなどした(乙10資料4、乙11資料1)。被告人は、同月17日、N社の担当者である辛町五郎から電話を受け、その際、警備員を増員する場合には就職を希望する旨上記辛町に申し出たが、上記辛町から、別途の対策を考えていて当面警備員の増員は考えていない旨伝えられた。被告人は、担当者のいう別途の対策とは防犯カメラによる監視であろうと推測し、その監視のみでは、犯人が変装したり、第三者に預託手荷物を渡した場合に対応できず、是非とも警備員の配置が必要である旨及び上記必要性についての調査に要した費用を請求したい旨記載した文書を改めて作成し、同月21日ころ、N社や空港事務所あてに郵送した(乙10資料6)。被告人は、同月23日の診察時には、X医師に対しても、「先生、こんなの書いたんですけど。」などと言って、空港事務所などにあてた手紙を見せ、X医師は、このように被告人の行動が活発化している状況から、うつ状態を脱したとみてルボックスの処方を中止し、その後はランドセンのみを処方することにし、同年7月3日及び同月7日の診察時に、被告人から上記のような空港警備員への就職活動についての説明を受けて、「本人の奇妙な行動」「5月中旬→動き激しく→攻撃的と同時にうつ 航空会社に勤めたかった→夢が破れた」「死を考えている」(同月3日)、「優先的にemployされる可能性はない」「警備員になろうとすることの奇妙さ」「について話す、本人納得しない」(同月7日)などと診療録に記載した(甲104)。
(2) 空港関係者からの対応を経て本件犯行を決意するようになった状況(平成11年7月ころの状況)
被告人からの前記2(1)のような各指摘を受けて、N社及び空港事務所の保安担当者による会議が開催されるなどし、被告人指摘の点への対応策や被告人の提案等に対する回答などが話し合われ、被告人は、同年7月6日ころ、空港事務所の担当者である壬村六郎から電話で、被告人の指摘を踏まえて協議中である旨伝えられ、空港事務所が警備員の増員に向けて動き出しているものと期待し、上記壬村に対しても、警備員を増員する場合には就職を希望する旨重ねて伝えた。また、被告人は、同月16日ころまでには、もし警備員増員案が採用されなかった場合には自分が発見したビッグバードの警備上の欠陥を突いてハイジャックしてやろうという考えを抱くようになっており、同日、ハイジャックの犯行に使用する出刃包丁及び予備の凶器とするためのペティナイフを購入し、さらに、同月18日ころには、ハイジャックする航空機について検討する際に必要となる航空便の時刻表をもらいに行くなどした。被告人は、その後、空港事務所から連絡がなかったことから、同月19日、N社に電話をかけ、上記辛町に対し、警備員の増員はどうなっているのかを尋ねたが、上記辛町から保安担当者会議において検討中であるなどと言われたため、さらに、上記辛町から空港事務所の電話番号を聞き出し、空港事務所に電話したが、上記壬村から、別途対策を検討中で当面警備員の増員はない可能性が高い旨の回答を受けた。
そこで、被告人は、この際、自ら羽田空港の警備上の欠陥をついてハイジャックを成功させることで自己の指摘が正当であることを実証するとともに、自ら航空機を操縦し、かつ、そのことを世間に誇示するなどした上、最後は、横田基地に航空機を着陸させた後、自殺しようと考え、 航空機内へ持ち込んだ包丁等の凶器を用いて客室乗務員を脅迫し、操縦室内に侵入すること、 機長に命じて、高度を2500フィートまで降下させ、速度も減速させながら、ハイジャックした航空機を横須賀方面から伊豆大島方面を航行させ、伊豆大島上空で横田基地方面に進路変更させること、 副操縦士を包丁で脅迫して室外へ追い出した上、横田基地方面への進路変更のころには、機長の手足をガムテープで緊縛し、機長から助言を受けながら、自動操縦装置も解除して自ら航空機の操縦を開始すること、 横田基地上空付近で、航空機を右旋回させて、中央高速自動車道を目印に、同機を降下させながら新宿を目標に都心を目指し、都心上空を低空飛行するなどの操縦も試みること、 最後は、比較的安全に着陸することのできる条件のある横田基地の滑走路に航空機を無事に着陸させ、ハイジャックに使用した包丁で自分の胸を突き刺して自殺することなどを計画し、これらの計画について、ルーズリーフ用紙等に記載するなどした(乙12資料1等)(なお、被告人は、乙12では、「今までは刃物を使って自殺することは怖くてできずにいたが、ハイジャックのような重大な犯罪を犯した状況の中なら、私が刃物で自殺するのがいくら怖くても、自殺できるだろうと考えていた」旨供述している。)。
(3) 本件犯行の準備を進め、自宅を飛び出すまでの状況等(平成11年7月19日〜21日の3日間)
被告人は、上記の決意を実行に移すため、同年7月19日ころ、ハイジャックの対象とする航空機として、全日空の航空機で、操縦室内の乗務員が機長と副操縦士の2名のみであるボーイング47-400D型を選ぶとともに、気象情報を確認して降水確率の低い同月22日にハイジャックを決行することに決め、遠くまで航行するため燃料が多量に搭載されていることや、午前中の方が雲が少なくて操縦しやすいことなどから、ハイジャック対象の第1候補として全日空83便(午前10時45分羽田発那覇行き)を選択し、これをハイジャックできなかったときのために、全日空61便(午前10時55分羽田発札幌行き)を第2候補として選び、同月19日、複数の旅行代理店に赴き、偽名を使って、同月22日の全日空61便の航空券と、ハイジャックの準備段階として羽田空港と地方空港の間を往復する航空便として、羽田空港との往復便が多くフライトキャンセルになった場合の変更条件もよい伊丹空港と羽田空港との往復便である同月22日の日本航空101便(午前6時45分羽田発伊丹行き)及び日本航空102便(午前8時50分伊丹発羽田行き)の航空券をそれぞれ購入したが、第1候補の全日空83便の航空券は、インターネットで空席状況を調査した際には同便が満席であったため、空席待ちで対応することにして、このときは購入しなかった。
さらに、被告人は、ハイジャック決行当日の早朝に自宅を出る口実として両親に見せるための函館までの航空券を購入した上、母花子に同航空券を見せて北海道旅行に行く旨話したが、同月21日、Bクリニックでの診察時にX医師から北海道旅行を反対されたため、これを口実にして外出することができなくなった。
結局、被告人は、同月21日に家族の目を盗んで出発することとし、ハイジャックに必要な品物や犯行計画などをルーズリーフ紙に書き出すなどした上、ハイジャックの際の凶器とする出刃包丁とペティナイフ、機長を縛り上げるためのガムテープ、航空機を操縦する際の滑り止めとする白い手袋や自己の航行計画を記載した地図など、ハイジャックに必要な品物を準備し、これらを手提げバッグに入れ、これを更に大きめのバッグに詰めた上、自宅勝手口の外に隠しておいた。しかし、母花子がこれを発見し、被告人が自殺しようとしているのではないかと心配し、出刃包丁やペティナイフを手提げバッグから取り出し、また、その他の道具等が入った手提げバッグは、それが入っていた大きめのバッグごと別の場所に隠した。被告人は、同日午後6時30分ころ、母花子が夕食の支度をしている隙に自宅を出ようとしたが、母花子にどこに行くのかと問い質された上、上記バッグを隠されたことに気づき、突然怒りだして、大声で、「バッグをどこに隠したんだ。」などと言いながら母花子にくってかかり、イライラした様子で、1階の部屋のタンスや押入を次々に探し回り始め、両親がなだめてもこれに応じず、突然、大声で「バッグを出せ。」などと言いながら、母花子の顔面を手拳で殴打した。その勢いで、母花子は、眼鏡を飛ばされ、よろめき、大声で泣き出したが、被告人がまだ興奮した様子であったため、父太郎が、とりあえずバッグを出してから説得を試みようと考え、母花子に言ってバッグを出させると、被告人は、バッグをつかんですぐに玄関から出て行き、両親が「戻れ。」などと言うのも聞かずに走り出し、通りがかったタクシーに乗って走り去った。
(4) 自宅を出てからの状況(平成11年7月21日〜22日)
被告人は、自宅を飛び出した後、浜松町駅付近のカプセルホテルに偽名で宿泊し、翌22日午前3時ころ同ホテルを出たが、その際、バッグ内に前記出刃包丁などがないことに気づき、代わりの刃物を購入しようとして、乗り込んだタクシーの運転手に対し、「料理に使う包丁を盗まれて困っている。」などと伝え、深夜でも包丁を売っている店まで連れて行ってくれるように頼み、運転手が分からない旨答えると、運転手に指示して無線で探させるなどした。しかし、そのような店は見つからなかったため、被告人は、羽田空港で客待ちをしているタクシー運転手の中にはそのような店を知っている者がいるかもしれないなどと考え、そのまま羽田空港に向かい、同日午前4時過ぎころ羽田空港に到着し、客待ちをしているタクシーの運転手に、そのような店を知らないかと尋ねて回ったが、誰からもはかばかしい返事は得られなかったので、同日の決行を断念した。
そこで、被告人は、同日午前5時ころから午前8時過ぎころまでの間、翌23日の全日空83便の航空券を他人名義で購入したり、日本航空101便及び同102便への搭乗日を翌23日に変更する手続をするなどし、せっかく羽田空港に来たのだからハイジャックをするための下見をしようと考えて、既に購入してあった同月22日の全日空61便の航空券で搭乗ゲートから入場して出発ロビー及び到着ロビーを改めて検分し、自分が対策案として提言したような警備員が配置されていないことなどを確かめた後、全日空61便の航空券の日付変更手続を行った。その後、被告人は、同月22日午前9時過ぎころ、羽田空港を離れ、同日午後、蒲田駅付近の金物店において、判示の洋包丁1丁及びペティナイフ1丁を購入するなどの準備を整えた上、同駅付近のカプセルホテルに偽名で宿泊した。
3 本件犯行当日(平成11年7月23日)の状況
(1) 対象機に乗り込むまでの準備等
被告人は、平成11年7月23日の午前3時ころに起床し、同日午前5時20分ころに上記カプセルホテルを出発して羽田空港に到着し、身軽な格好でハイジャックを実行するため、洋包丁及びペティナイフ在中の手提げバッグを大きめのバッグから取り出し、大きめのバッグの方を羽田空港のごみ箱に捨てた後、同日午前6時ころ、日本航空101便の搭乗手続をして、前記洋包丁など在中の手提げバッグを預託手荷物として預け、続いて、全日空83便及び同61便の各搭乗手続を終えた。その後、被告人は、手荷物検査場を通過して出発ロビーに入り、同日午前6時45分発の日本航空101便に搭乗して伊丹空港へ向かい、同空港に到着後、同空港手荷物受取場で手提げバッグを受け取ると、同日午前8時50分発の日本航空102便の搭乗手続をし、手提げバッグは預託手荷物として預け、同機に搭乗して羽田空港へ向かった。被告人は、同機に搭乗中、ハイジャックの対象機と同型である同機の操縦室内を下見しようと考え、客室乗務員に依頼し、同機機長の了解を得て操縦室内を見学し、自己の知らない計器類の位置などを、同機機長に質問するなどして確認した。
その後、被告人は、同日午前10時過ぎに羽田空港に到着し、到着ロビーの手荷物受取場で手提げバッグを受け取り、付近のトイレに入って手荷物のタグを取り外し、階段を通って2階出発ロビーに入ったが、監視カメラを警戒してトイレ内で持参した整髪料により髪型を変え、整髪料等の余分な荷物は全てごみ箱に捨てた。被告人は、全日空83便に搭乗しようと考えて同61便にキャンセルの電話を入れ、同便の航空券もごみ箱に捨て、ハイジャックした航空機の操縦に備えて白い手袋を両手にはめた上、全日空83便の搭乗口に向かったが、既に搭乗口が閉鎖されていて搭乗できなかったため、ゴミ箱から同61便の航空券を拾い直し、同日午前10時50分ころ、洋包丁など在中の手提げバッグを所持したまま、同日午前10時55分発の全日空61便の航空機(以下「本件航空機」という。)に搭乗し、2階75番Hの座席に着席した。
(2) 航空機に乗り込んでから操縦室に入るまでの状況
被告人は、ハイジャックをする際に機長らに命令をしやすいように、機内放送により機長と副操縦士の名前が「コウノ」と「オツヤマ」であることを暗記し、本件航空機が羽田空港新C滑走路を離陸し、車輪が機内に収納された直後で、同機が上昇中のため乗務員を含めた搭乗者全員が着席していた平成11年7月23日午前11時23分ころ、自席から立ち上がり、機内に持ち込んだ手提げバッグから箱に入ったままの判示の洋包丁(刃体の長さ約19センチメートル)を取り出しながら、同機2階客席中央付近に並んで着席していた客室乗務員の丙川春子(当時28歳。以下「丙川」という。)及び丁谷夏子(当時23歳。以下「丁谷」という。)のところに近づくと、洋包丁を取り出して右手に順手に持ち、丙川らに対して洋包丁を示し、「こういうことだから。コックピットへ連れて行け。」などと大声で脅した。上記両名は、驚愕のあまり、思わず立ち上がったものの、被告人をなだめようとして、「お客様、危ないですから座ってください。」などと言ったが、被告人は、ひどくいらだったような様子で、「早く連れて行け。」と更に丙川らに言い、丙川の背中に洋包丁を突き付けたまま、同女に先導させて操縦室の前まで行った。甲野一郎機長(以下「甲野機長」という。)は、同日午前11時25分ころ、丙川が操縦室のドアをノックするのに応じて、ドアののぞき穴から操縦室の外を見て異常に気づき、ドアの施錠を解き、機長席に戻った上、航空交通管制部へ「緊急事態、ハイジャック」などと通報した。
その間、丁谷は、被告人の行動を目撃して畏怖驚愕する乗客らに対して落ち着くように説得した上、同機のチーフパーサーであった戊沢秋子にインターホンで上記状況を報告した。
(3) 操縦室に入ってから乙山副操縦士を退出させるなどした状況
丙川がドアを開けたところ、被告人は、丙川をその場に残して、「コウノー。」「オツヤマー。」と怒鳴りながら操縦室内に押し入り、甲野機長及び副操縦士乙山二郎(当時34歳。以下「乙山副操縦士」という。)に対して包丁を見せながら、「こういうことだ。言うことを聞け。」と大声で叫んだ上、甲野機長の後方の座席に座り、洋包丁を示しながら、「横須賀に行け。」などとイライラした様子で命令し、甲野機長らをして、被告人の要求に応じなければ、被告人が上記洋包丁を使用して甲野機長らの生命身体に危害を加えかねないとの畏怖を生ぜしめて、その反抗を抑圧した。
甲野機長は、被告人に対し、進路や高度の変更については管制官の了解を得なければならない旨返答し、乙山副操縦士に無線で管制官と連絡を取らせ、その間、被告人は、昇降計等の計器類の位置や自動操縦装置の解除方法等を甲野機長に問い質し、それを持ち込んだルーズリーフ(前記2(2)参照)にメモしていった。さらに、被告人は、本件航空機を操縦する際は低空飛行をしたいと考えていたことから、甲野機長に対し、高度を3000フィートまで降下させることを指示し、甲野機長から、前方下方に航空機が1機いるのですぐには高度を落とせない旨の返答を受けると、納得して少し待つことにし、その後、甲野機長が、被告人の要求どおり高度を3000フィートまで下げたので、被告人は、更に2500フィートまで下げるように指示したが、甲野機長から、風も強いので3000フィートの方が安全である旨言われると、その場ではそれ以上高度を下げさせるのはあきらめた。
その後、被告人は、計画どおりガムテープで機長を縛り上げるためには、副操縦士が操縦室内にいると邪魔であると考え、同日午前11時37分ころ、乙山副操縦士に対し、イライラした様子で「おい、乙山、そこをどいてくれ。」「お前は邪魔なんだよ。」などと、副操縦士席から離席するように大声で命令した上、包丁を示しながら乙山副操縦士に近づき、「出てけ。」と怒鳴るなどしたため、乙山副操縦士は、やむなく被告人の命令どおりに操縦室から退出した。
(4) 甲野機長の殺害状況
被告人は、乙山副操縦士を退出させると、操縦室のドアを内側から施錠して自ら副操縦士席に座り、甲野機長に指示して、本件航空機を、神奈川県横須賀市上空から東京都大島町上空を経て横田基地方向に航行させたが、操縦室が被告人が予想していたより狭かったことなどから、甲野機長の手足を首尾よくガムテープで縛るのが困難に感じられ、同機長の手足を縛り上げる機会や方法を考えあぐねていた。そのうち、被告人は、横田基地に向かうための進路変更地点と考えていた大島上空を通過してしまったことに気付くとともに、甲野機長から、雲が出てきたので高度を上げないと衝突の危険があることや燃料があと2時間ももたないことなどを指摘されるなどして焦り、甲野機長に左右の座席を人れ替わるように命じれば、席を入れ替わる際にうまく甲野機長の手足をガムテープで縛るチャンスができるかもしれないと考え、甲野機長に座席の交替を指示したが、甲野機長はこれに応じなかったため、ますますその焦りを強めた。さらに、被告人は、横田基地上空で旋回して中央高速を目印に都心に向かうための操縦開始の目標線として設定していた湘南海岸の海岸線が眼下に接近してきたことに気づき、そのころ、甲野機長から、再度高度を上げたい旨申し向けられたことともあいまって、このままでは本件航空機の操縦という目的が実現できないとの焦燥感をいよいよ募らせ、本件航空機の操縦という目的を実現するためには、甲野機長を包丁で刺し殺すしかないと決意するに至った。
そこで、被告人は、平成11年7月23日午前11時54分ころ、神奈川県平塚市付近上空を航行中の本件航空機の操縦室内において、殺意をもって、機長席に座って本件航空機を操縦中の甲野機長の頸部右側を目掛けて洋包丁で突き掛かり、同機長の右上胸部、右頸部、右耳介部等を突き刺し、そのころ、その場で、同機長を胸部右側刺切創に基づく出血性ショックにより死亡させて殺害した。
(5) 甲野機長殺害後の状況
その後、被告人は、自動操縦装置を解除し、自ら副操縦士席の操縦桿を握って航行中の本件航空機を操縦しようとしたが、操縦桿を操作しても機体の反応が感じられなかったことから、どのように操縦すればよいかを考えあぐねているうちに、対地接近警告装置の警告音が鳴り始め、対気速度約254ノット(時速約470キロメートル)、ピッチ角(縦揺れ角度)がマイナス(機首下げ)1.1度、バンク角(横揺れ角度)右26度という状態で、それまで約3180フィート(約969メートル)あった本件航空機の高度が、一時は約720フィート(約219メートル)に迫るまで下降させるという危険な状態にさせ(甲46、90等)、乗務員及び乗客らに墜落等の危険を感じさせるなどしながら、同日午後零時ころまでの間、自ら本件航空機を操縦するなどして、ほしいままに航行中の同機の運航を支配し続けた。
一方、操縦室から退出させられた乙山副操縦士は、本件航空機1階に搭乗していた便乗機長己原三郎(以下「己原便乗機長」という。)ら便乗乗務員らと打開策を協議し、丙川らに指示し、同機2階の乗客を1階に移動させたものの、それ以上の対応に苦慮していたところ、本件航空機の急降下により、対地異常接近警報が発報し始めたため、このままでは本件航空機の墜落を招来すると考え、乙山副操縦士、己原便乗機長及び便乗副操縦士庚田四郎が、同日午後零時ころ、操縦室ドアに体当たりして順次室内に飛び込み、己原便乗機長が、被告人に対し、「お前、何やってるんだ。」などと大声で叫んだものの、被告人は、己原便乗機長を一瞥すると、すぐに前方に向き直り、なおも本件航空機を操縦しようとした。そこで、乙山副操縦士らは、操縦桿を握り締めていた被告人を副操縦士席から引き離して操縦室外に引きずり出し、被告人の手足を拘束具及び乗客のネクタイ等で緊縛するなどして現行犯逮捕し、その後、本件航空機は、乙山副操縦士らの操縦により、同日午後零時14分ころ、羽田空港に着陸した。
4 以上の事実認定についての補足説明
以上の認定事実のうち、被告人の行動状況及び当時の精神状態は、被告人の捜査段階における供述及び公判廷での供述、被告人の父母の供述、X医師の公判廷での供述などの関係証拠によって認定したものであり(この認定に沿う被告人の捜査段階の供述や公判供述は、他の関係証拠に符合し、その内容が一連の経緯や状況などに照らして自然かつ合理的であり、その信用性を肯定することができる。)、その大部分については、検察官、被告人及び弁護人の間で特段争いがあるものではない。
もっとも、被告人は、機長殺害当時の心理状態について、捜査段階と公判段階とで異なる供述をしているので、以下、上記3(4)のような認定をした理由について、補足して説明を加える。
まず、被告人は、捜査段階(乙28、34)では、「横須賀から大島に向かって行く途中で手提げからガムテープを取り出し、機長を縛るチャンスをうかがっていたが、機長を縛るチャンスのないまま、茅ヶ崎付近まで来てしまった。この間、私は、機長との会話から、どうも機長は素直に操縦させてくれそうにないと思うようになっており、また、甲野機長の落ち着いた態度に圧倒されるのと同時に、操縦室内が思いのほか狭かったことから、機長に襲いかかる時期を失ってしまった。そして、茅ヶ崎が見えて陸地に入ろうとしたところ、残りの燃料や横田以北の目標物等を考えると、どうしても横田基地までには自分の手で操縦していなくてはならず、『早くしなければ横田までに縛れない』『今から機長をガムテープで巻いていたのではとても間に合わない』などと考えて、いよいよ不安にも似た焦りの気持ちがピークに達し、いっそのこと機長を殺してしまうしかないと考えた」旨供述しているのに対し、公判廷では、「操縦室で機長とやりとりしているうちに、M貨物関西支社時代の上司と司令室にいるような錯覚に陥り、非常にしんどそうに働いていた当時の上司と機長がだぶって、係長、楽になりませんかねみたいな感じで左側をふと見たときに、機長の首が動いて、うなずいたように見えたので、機長も楽になりたいんだという変な思い込みに支配されて、そうなのかと、しばらく頭でぐるぐる考えているうちに、湘南海岸が見えてきたので何となくせきたてられるような気持ちになるとともに、そのような通じ合うような機長との奇妙な同一感がますます強まっていき、本当に自分と同一化してしまったような気持ちになって、自分も楽な死に方(窒息のように苦しむものではなくて、すぐに死ねるやり方)で死にたいので、同じように楽にしてさしあげますというような気持ちで機長を刺した(1回でやめなかったのは、死にきれないと悲惨だからである。)のであり、機長が自分の言うことを聞いてくれないので腹が立って刺したというわけではない」旨供述している。
確かに、被告人は、公判廷で、本件当時の心理状況につき、訴訟上自己に不利益となりうる点についてもかなり率直に供述している部分もあるが、上記の公判供述の内容は、それ自体必ずしも自然なものとはいい難い上、意識的かどうかはともかく、自己の行為を一定限度で正当化して責任を減少させる方向への弁解であるのに対し、上記の点に関する被告人の捜査段階の供述内容は、(あ)その内容が捜査段階を通じて一貫していること、(い)甲野機長殺害を決意するまでの経緯について、具体的かつ詳細である上、極めて個性的で、被告人しか語り得ないような内容であること、(う)被告人が捜査段階で供述する犯行計画の内容や甲野機長殺害前の同機長への指示内容等は、被告人の所持品や交信記録中の被告人と甲野機長とのやりとりなどといった客観的な証拠によっても裏付けられていること、(え)被告人は、公判廷において、「当時の状況は取調官から色々聞かれたが、今回法廷で述べたことというのは、意識には上ってこなかっただけで、捜査段階で当時の自分の心理状態について述べたことは、取調べ当時の自分の認識としてそのとおりを述べたものである」などとも供述していることなどに照らすと、被告人が捜査段階においてあえて自己の当時の心理状態と異なる供述をしたとは考え難く、公判供述に比して、捜査段階の供述内容は、本件犯行当時の心理状態をより正確に反映しているものとみられ、その信用性を肯定することができるから、上記捜査段階供述によって、上記3(4)のとおり認定したものである。なお、被告人は、公判廷で初めて上記のような供述をする理由については、「機長の最後の悲鳴が頭に残り、繰り返し繰り返し聞こえて、思い出すのがしんどくて、その部分については記憶にふたがかかっていたような状態だったので、捜査段階では表面的な回顧で済ませてしまった」とするが、上記の変遷の説明は、単に、捜査段階当時は、犯行時の自己の心理状態を分析するのが困難だった旨を述べるものに過ぎず、上記のとおりの捜査段階供述の信用性に疑問を生じさせるものではなく、むしろ、この公判供述は、その内容自体、上記の捜査段階の供述と齟齬するし、犯行当時の心理状態について、相当に時間も経過し、本件審理の争点も明確になった段階で事後的に振り返ってなされたものであること及び包丁で脅して甲野機長に不当な要求をしている犯行当時の状況にもそぐわないことも考えると、上記の捜査段階供述との対比において、その信用性を肯定することができない。
第3 被告人の責任能力の検討
1 以上を前提に、当裁判所が、判示のとおり、被告人が、本件犯行当時、抗うつ剤による治療の途上に生じた、うつ状態と躁状態の混ざった混合状態のため、心神耗弱の状態にあったと認定した理由について、以下説明する。
なお、本件では、被告人の本件犯行当時の精神状態について、捜査段階の平成11年8月12日、医師徳井達司による鑑定が実施されて精神衛生診断書(甲97。以下「徳井鑑定」という。)が作成され、また、公判段階でも、平成13年7月から平成14年10月までの間、鑑定人山上皓(以下「山上鑑定人」という。)による鑑定が平成15年6月から平成16年2月までの間、鑑定人保崎秀夫(以下「保崎鑑定人」という。)による鑑定がそれぞれ実施され、いずれも鑑定書が作成提出されるとともに、両鑑定人に対する証人尋問が実施されているので(以下、山上鑑定人の鑑定書〔職10〕及び公判供述〔第17回公判〕を併せて「山上鑑定」と、保崎鑑定人の鑑定書〔職11〕及び公判供述〔第21回公判〕を併せて「保崎鑑定」とそれぞれ称する。)、以下の検討に当たっては、これら鑑定等を参酌しながら、被告人の精神状態や心理の機序等を考察することとする。
2 被告人の本来の人格や行動傾向等
まず、被告人の本来の人格や行動傾向等について検討すると、この点につき、保崎鑑定によれば、「被告人は、知能は高く、おとなしい性格であるとともに、追い込まれると抑うつ状態となり、パニックになりやすい性格であった」とされており、保崎鑑定人は、その理由として、その鑑定書において、「おとなしい、気の弱い性格で、トラブルがあると人を攻撃せずに、自分が引いてしまう性格である。幼稚園から学校時代にわたって、暴力をふるった記憶はないという。人と対面するときは緊張する、という。大阪で、上司と飲みに行って、注意されて土下座したことについては、当時同じことを繰り返し注意されて、自分でも直そうとしていて、敏感になっていた。『ああまた同じだー、と思い、追い込まれて土下座してしまった』と述べている。このように、気が小さいため、追い込まれるとパニックに陥りやすい性格でもあるようである。被告人の性格形成については、先天的な要素が大きいと思われるが、生活歴も考慮すべきである。即ち被告人は、育った家庭の温和さから本人の温和な性格が、また、生まれつきのとろさからしばしばいじめに遭い、自信を持てず、引っ込み思案の気の弱い性格が形成された可能性がある。」とされている。
この点、保崎鑑定が上記の判断の基礎とした事実関係については当裁判所の前記第2の1(1)の認定(幼稚園時代から食べるなどの動作が遅いことがあり、運動神経にもやや劣るところがあったので、小学校の低学年ころから、同級生らが外遊びをするのに加わらないことも多くなり、同級生らからいじめを受けることもあったこと、懇親会の飲食の席で関西支社の上司から注意を受けると、突然飲食店の床に土下座をするといった行動に出、人事考課表に「一見、変わった動作をすることがあり、驚かされることがある。」などと書かれたことなど)にほぼ沿うものである上、関係証拠によれば、被告人と学校や職場で関わりを持った知人や同僚らのほとんどが、被告人の性格を「おとなしい」と評していることなどからすると、上記の鑑定内容は相当なものとして首肯することができる。
3 被告人の本件犯行当時の精神状態及び責任能力について
(1) 保崎鑑定は、前記第2及び第3の2で認定した各事実をふまえて、被告人の犯行当時の精神状態に関し、「(イ)被告人の今回の犯行時の精神状態は、抗うつ剤による治療の途上に生じた、うつ状態と躁状態の混ざった混合状態であったと思われる。(ロ)被告人の犯行時の精神状態は、事物の理非善悪を弁識する能力が著しく減退していたが、全く失っていたとは思われない。」とし、その理由等について、次の諸点を挙げて説明している。
① 本件犯行が、被告人の本来の人格とは異質な誇大的行動である。
② 下記(ア)ないし(オ)の事情からすると、上記の躁うつ混合状態は、これらの薬物の作用の個別的あるいは複合的作用によって生じた可能性が大きいと考えられ、被告人は、本件犯行時、それ以前から服用していた薬物の影響によって躁状態になっていたことが最も疑われる。
(ア) 被告人は、平成11年3月中旬ころから少しずつエネルギーが出てきて、徐々に行動的になるとともにイライラしやすくなってきたようであるが、自殺念慮は絶えず存在していたことから、このころから、うつ状態と躁状態の混ざった混合状態に入っていったと考えられるところ、被告人には、躁うつ病の既往やこのころに躁転する原因となる事情がない。
(イ) 一般的には、抗うつ剤による躁転は、近年しばしば認められ、その場合、本症例のように躁とうつとの混合状態を示す症例も少なくなく、躁病相においては、活動欲の亢進、誇大思考などが認められ、攻撃性と最も関係の深い症状は、易刺激性、自己中心性、万能感、それに伴う他者支配欲求であり、定型躁状態よりも、興奮、不穏、焦燥、抑うつなどの混入した躁とうつとの混合病像を示す例が、攻撃性を出現させやすい。
(ウ) 被告人が平成11年2月以降に服用していた抗うつ剤などは、いずれも躁転傾向のあるものであった。
(エ) 当時の被告人にも怒り、行動過多、誇大的言動等がみられた。
(オ) 本件犯行により逮捕された当初はしばらくの間強気な言動がみられていたが、逮捕後は抗うつ剤の摂取がなく、徐々に穏やかな人格に戻っていった。
③ 被告人に生じていた躁とうつとの混合状態について、そのような躁状態になると、1つのことを思いつくと、一見筋を通して行動しているように見えても、自分で実行しようと考えたことは止まらないで最後までやってしまう、これ以外の方法がとれないという形であらわれるし、さらに、よい薬を適切に投与していても、各薬剤の組合せ、切り替えの仕方、被告人の状態等の様々な因子が複合的に影響し合って、たまたま上記のような躁転を起こすことがある。
④ 他方、操縦室内の乗務員が2名のみの機種を選び、客室乗務員を脅し、ハイジャックをし、飛行機を操縦するという合目的的行動をとっており、また、それらを意識し、正確に記憶し、行動の一貫性もある程度保たれている。
(2) 上記保崎鑑定の主要な内容とその結論は、関係証拠によって認められる次の諸点からすると、合理的かつ相当なものとして、十分これを支持することができる。
すなわち、
① 被告人が、うつ状態等を改善するため平成10年5月23日から同年8月ころまでプロザックを、同年12月9日から平成11年3月ころまでパキシルを、同年3月末から同年5月ころまでエフェクソールを、同年6月9日から同月23日までルボックスを、同年5月13日から同年7月21日までランドセンをそれぞれ処方され、これらの薬剤をX医師の指示に沿って服用していた(前記第2の1(4))。
② 上記の抗うつ剤などは、うつ状態等を改善する反面、攻撃性や興奮状態等を出現させるという副作用を伴う可能性を有するものであった(前記第2の1(4))。
③ 被告人に対し、比較的短期間のうちに多種類にわたる上記の各薬剤が、ある薬剤の使用を中止して次の薬剤に切り替えるという形で処方され、被告人がそれらを服用していた時期(平成10年5月下旬から平成11年7月上旬)と、被告人において、その行動が急速に活発化した時期とが相当程度重なり、その活発化した行動の中に、強い自殺衝動に起因するものや、苛立ちや攻撃性を伴うものが混在している。これらを基礎付ける事情として以下のものがある。
(ア) 被告人は、平成10年5月23日からプロザックを処方された後、強い不安感に襲われたという内容の手紙をX医師あてに出したものの、その服用を継続し、同年7月ころ、再就職に成功したものであるところ、そのころには、京都にある再就職先の会社に赴任するにあたって、X医師に対し、環境の変化に耐えるためにプロザックを処方してくれるように依頼している(なお、被告人は、公判廷において、プロザックを「元気の出る薬」と位置づけていた旨供述している。)。
(イ) 被告人は、上記のとおり再就職に成功したものの、再度挫折して自宅に戻り、その後、プロザックの服用を続けながら再就職活動を続けたがうまくいかず、再びうつ状態が強くなり、平成10年9月には長文の遺書を書いた上、睡眠薬を大量服用して自殺を図り、その直後、激しい興奮状態を呈して措置入院の必要が生じるまでの異常な攻撃性を示す行動に出た(なお、被告人には、この間の記憶はない。)。
(ウ) 被告人は、上記措置入院の後、平成10年12月上旬からパキシルを処方され、平成11年3月末に抗うつ剤がエフェクソールに切り替えられ、さらに、同年5月上旬からは、エフェクソールと併せてランドセンが処方され、同年6月からは上記エフェクソールに代えて抗うつ剤のルボックスが処方されるようになり、いずれの薬剤も、X医師の指示に沿って服用していたところ、同年1月末ころから自宅に引きこもる生活を送っていたものの、同年3月中旬ころから、苛立ちや攻撃性を伴う行動がみられるようになり、同年5月中旬ころからは、自殺を企図して短時間の出奔を繰り返し、知人らに遺書めいた長大なメールを書き送るなど、その行動が急速に活発化していった。
(エ) 被告人は、平成11年6月上旬ころから、その活発化した行動の対象が、専ら羽田空港の警備問題に集中するようになり、空港関係者に対し、警備の欠陥とその対策の詳細な内容、空港警備員としての採用の要望、上記欠陥の調査に要した費用の請求などを記載した手紙や電子メールを送ったり、同関係者らに直接電話をかけて同様の要求をしたりするなど、積極的、自己中心的かつ執拗な行動に出るようになっていた(同年6月上旬には母花子も被告人の焦燥感が解消せず、家を離れられないこともあった。)。
④ 本件犯行の直前において、被告人には、以下のような不可解あるいは人格違和的な行動が認められる。
すなわち、
(ア) 被告人は、平成11年7月21日、ハイジャックに必要なバッグを母花子に隠されたことに気づくと、強い苛立ちと興奮状態を呈し、「バッグを出せ。」などと言いながら母花子の顔面を強く殴打するという激しい攻撃性を伴う行動に出ており、こうした行動は、前記第3の2で検討した本来のおとなしくて気の弱い被告人の人格や行動傾向からすると、容易に理解し難いものである。
(イ) 被告人は、後記⑥で述べるとおり、本件犯行の完遂に向けた周到な準備や合目的的な対応を行ってはいるが、(a)空港警備の関係機関への就職を希望しながら、それらの機関に対して調査費用を請求するという行動に出たり、(b)新たな刃物を購入するために乗り合わせたタクシーのほか空港で客待ちのタクシーの乗務員にまで店を尋ねたり、(c)季節が夏であるのに白い手袋をはめて搭乗するなどの奇異な行動に出たほか、(d)ハイジャック決行の日程を延期したものの、ハイジャックをするという思考自体は硬直化して動いておらず、このような考えにとらわれていたことは前記の保崎鑑定が指摘する躁状態の特徴にも合致するし、こうした被告人の本件犯行直前の行動は、合理的であるとはいい難く、その心理機序も必ずしも十分に了解可能とはいえない。
⑤ そして、本件犯行自体についても、被告人に以下のような不可解あるいは人格違和的な行動が認められる。
すなわち、
(ア) ハイジャックは、極めて重大かつ危険な犯罪行為で、多数の関係者がいて強い抵抗もあり得る等の事情から単独では実行を完遂するのが難しい犯罪であり、他方、自己の指摘の正当性の証明といった目的の実現のためであれば、他に実現容易な代替的な手段が存在し、また、ジャンボ機の操縦ということ自体航空機操縦の具体的な経験のない被告人にとって極めて困難かつ危険であるにもかかわらず、被告人は、上記のような犯行の困難性・危険性や代替的手段を考慮することなく、単独で、本件航空機のようなジャンボ機をハイジャックしようとの考えに至り、これを現実に実行に移しているのであって、こうした被告人の心理機序は、理解するのが難しいところがある。
(イ) 被告人は、甲野機長とは面識もなく個人的な利害関係もなかった上、同機長が、被告人に対して冷静かつ穏やかな対応をし、殊更抵抗したり反抗したりする態度を取っていなかったにもかかわらず、このままでは本件航空機を操縦することができなくなってしまうとの激しい焦燥感から、同機長に対する殺意を生じ、同機長の身体の枢要部分を包丁で何回も突き刺して殺害したものであって、こうした被告人の行動や心理機序は、その過剰な攻撃性や易刺激性などの点において、前記第3の2で検討した被告人の本来の人格や行動傾向からすると、理解し難いところがある。
(ウ) 被告人は、本件犯行を企図したころから、ゲーム上で航空機の操縦を疑似体験できるフライトシミュレーター(なお、被告人が使用していたものにはジャンボ機のプログラムは入っていなかった。)の経験や航空機の科学技術の進歩などといった程度のことを根拠として、自分にも本件航空機が操縦できるとの非現実的な考えを持続させており(この点も、一旦思いついた方法以外の手段がとれないという保崎鑑定が指摘する躁状態の特徴と合致する。)、機長殺害後、同機が操縦者を失って墜落する可能性も考慮することなく、上記の考えを現実に実行に移しているのであって、こうした被告人の行動や心理機序にも、理解し難いものがある。
他方、
⑥ 被告人は、本件犯行に至る経緯をはじめ、犯行前、犯行時及び犯行後の状況並びに自己の心情等についての記憶を保持し、捜査段階においてその内容を具体的かつ詳細に供述しているほか、前記第2の2及び3(1)のとおり、準備段階から本件犯行に至るまで、自己が本件航空機をハイジャックしこれを操縦するという目的に向かった行動を続ける思考力や実行力を保持し続けていたことを推認させる事情がある。
すなわち、
(ア) 被告人は、自己のハイジャック計画の実行のために、ハイジャックに適した天候の日や航空機の機種・便などを調べて、決行日と対象機を選定し、不測の事態に備えて予備のハイジャック候補機も選び、各航空券を偽名で購入したり、予備のものも含めた2丁の刃物や機長を縛り上げるためのガムテープなども用意した上、羽田空港を下見し、さらに両親に不審がられないようにするために、北海道旅行に行くと虚偽の説明をし、その説明に信憑性を持たせるために航空券まで購入して両親に見せるなどの周到な準備を行っていた。
(イ) 被告人は、平成11年7月21日に家を飛び出し、カプセルホテルに偽名で宿泊した上、翌22日早朝に同ホテルを出たが、自宅から持ってきたバッグ内に用意していた刃物がなく、搭乗時刻に間に合うように代わりの刃物を購入できなかったため、同日の決行を断念し、22日は下見や航空券の変更手続等にあてた。
(ウ) 被告人は、本件犯行当日、その計画どおり、ハイジャックの対象機に凶器を持ち込むために、いったん搭乗する日本航空101便の搭乗手続をし、洋包丁など在中の手提げバッグを預託手荷物として預け、併せて、ハイジャックの候補機であった全日空83便の搭乗手続も済ませ、同101便に搭乗して伊丹空港に向かい、同空港に到着後、手荷物受取場で手提げバッグを受け取った後、同102便の搭乗手続をして、手提げバッグを預託手荷物として預け、同機に搭乗して羽田空港へ向かい、その途中、同機機長の了解を得てハイジャックの候補機と同型である同機操縦室内を見学し、計器類の位置などを、同機長に質問するなどして確認するなどの準備を行っている。
(エ) 被告人は、同102便で羽田空港に到着後、手荷物受取場で手提げバッグを受け取った後、付近のトイレに入って手荷物のタグを取り外し、階段を通って2階出発ロビーに入ったが、監視カメラを警戒し、2階トイレ内で持参した整髪料で髪型を変え、また、全日空83便に乗り遅れると、戸惑うことなく、対象機を第2候補として航空券を購入してあった全日空61便の航空機(本件航空機)に切り替え、洋包丁など在中の手提げバッグを携行して本件航空機に搭乗している。
加えて、
⑦ 被告人は、当初の計画では、機長の助言を受けながら操縦を行うことを企図していたものの、操縦室の狭さや甲野機長の発言・態度等から、自己が操縦を行うことに対する甲野機長の抵抗を排除することに予想外の困難さを感じるとともに、航空機操縦の開始の目標としていた地点などがどんどん近づいてくることに焦燥感を募らせ、甲野機長を殺害するに至ったものであって、上記のような被告人の甲野機長殺害の動機は、航空機操縦という目的(そのような目的を有すること自体が了解可能かどうかは別として)のために障害となるものを排除するという点で、ある程度理解可能なものではあるが、かといって、上記⑤イのような当時の状況を併せ考慮すると、甲野機長に対し、直ちに、殺害に至るまでの苛烈な攻撃を加えるという被告人の行動は、いささか理解困難な面があることは否めず、結局、被告人の甲野機長殺害の動機は、一定程度理解可能なものではあるが、一部理解困難なところも混在している。
以上の諸事情に加えて、
⑧ 本件犯行の2日前の平成11年7月21日に被告人を診察したX医師が、当時の被告人の状態について、公判廷において、「死にたいという気持ちがあり、うつ状態であるにもかかわらず、軽い興奮状態であった」旨、保崎鑑定の所見に沿う内容の供述をしている。
⑨ 保崎鑑定の鑑定書の内容や保崎鑑定人の公判供述に照らせば、その鑑定は、本件記録、鑑定資料を精緻に検討しており、被告人の身体及び心理の検査、被告人との十分な面接等を行った上、それらの結果を詳細かつ総合的に検討して行われたものであると認められる。
⑩ 被告人においては躁うつ病の既往はなく、新たに躁うつ病になったとも考えにくい上、躁転する事件や出来事は認められていないことから、抗うつ剤などの影響を考えるのが最も合理的・適合的であるとする保崎鑑定の判断過程は、その議論の進め方として首肯できるものであり、また、X医師の公判供述によっても被告人の躁うつ病の既往は否定されていることや、前記第2で認定した事柄の経過と保崎鑑定人の公判供述の内容等からして、その判断過程に特段疑問とすべき点は認められない。
⑪ 保崎鑑定がその判断の基礎とした事実関係については当裁判所の前記第2の認定にほぼ沿うものであるところ、保崎鑑定人の公判廷における供述内容及びその精神医学上の専門的知見、さらに保崎鑑定の補助者である作田医師が抗うつ剤の作用等についてもその専門分野としていること等に照らしても、上記の保崎鑑定の判断内容に特段疑問とすべき点は見い出し難い。
以上①ないし⑪の諸点からすると、上記の保崎鑑定の主要な内容及び結論については、合理的かつ相当なものとして十分これを支持することができる。
(3) そうすると、被告人が、中程度のうつ状態にある中で、服用していた抗うつ剤などの影響により、被告人は、本件犯行当時、躁状態とうつ状態の混ざった混合状態に陥っており、これにより是非善悪の判断及びその判断に従って行動する能力が全く失われてはいないものの、著しく減弱していたと認められ、被告人は、本件犯行当時、心神耗弱の状態にあったものと認定するのが相当である。
(4) もっとも、山上鑑定と徳井鑑定は、上記の検討結果と異なる内容になっているので、その相当性について検討する。
ア まず、山上鑑定は、「被告人は、本件犯行当時、広汎性発達障害の一型であるアスペルガー症候群の状態にあり、この障害のために社会適応に困難を来して自殺を決意し、自らに最もふさわしい自殺方法をとろうとして、本件犯行に及んだものである。」としつつ、重大犯罪を起こした精神障害者、中でも治療に困難を伴うような事例に対し、刑罰に代えて適切な治療を提供できる施設がどこにもない等として、被告人の責任能力についての明言は控えている。
イ この点、DSM-Ⅳによるアスペルガー症候群の診断基準(これは、米国の精神医学会で採用されている基準であって、保崎鑑定も基本的にこの基準によった上で被告人のアスペルガー症候群の有無を判断している上、各種文献〔甲138添付の各文献、弁78ないし81〕においても、診断基準として採用されているから、この基準によりその症状の有無を診断する手法は相当であると認められる。)は、以下のとおりである。
A 以下のうち少なくとも2つにより示される対人的相互反応の質的な障害
① 目と目で見つめ合う、顔の表情、体の姿勢、身振りなど、対人的相互反応を調節する多彩な非言語的行動の使用の著明な障害。
② 発達の水準に相応した仲間関係を作ることの失敗。
③ 楽しみ、興味、成し遂げたものを他人と共有すること(例えば、他人に興味のある物を見せる、持って来る、指さす)を自発的に求めることの欠如。
④ 対人的又は情緒的相互性の欠如。
B 以下のうち少なくとも1つによって示される、行動、興味及び活動の、限定的、反復的、常同的な様式
① その強度又は対象において異常なほど、常同的で限定された型の1つ又はそれ以上の興味だけに固執すること。
② 特定の、機能的でない習慣や儀式にかたくなに固執するのが明らかであること。
③ 常同的で反復的な衒奇的行動(例えば、手や指をばたばたさせたりねじ曲げる、又は複雑な全身の動き)があること。
④ 物体の一部に持続的に熱中すること。
C その障害は社会的、職業的、又は他の重要な領域における機能の臨床的に著しい障害を引き起こしている。
D 臨床的に著しい言語の遅れがない(例えば、2歳までに単語を用い、3歳までに意思伝達的な句を用いる。)。
E 認知の発達、年齢に相応した自己管理能力、(対人関係以外の)適応行動、及び小児期における環境への好奇心について臨床的に明らかな遅れがない。
F 他の特定の広汎性発達障害又は精神分裂病の基準を満たさない。
ウ そこで、被告人がアスペルガー症候群の状態にあったといえるかについてみると、山上鑑定は、上記イのDSM-Ⅳによるアスペルガー症候群の診断基準によりつつ、A基準については、②、④を満たすことは明白で、さらに、被告人の生育歴を見ると、①及び③にも合致する可能性がある、B基準については、飛行機、航空への異常なまでの関心と、自殺まで飛行機と結びつけようとする強いこだわりの中に、①及び②をうかがうことができ、面説時に示された異様な身振りから③に、Nゲージを手放すことがなかったという点から④に合致する可能性がある、C基準については、被告人の対人関係を大きく障害し、職業生活の継続を困難にしたことからも明らかであり、E、Fの基準は問題なく満たされているとして、以上を総合して、被告人はアスペルガー症候群の診断基準を満たすとしている。しかし、まず、A基準についてみると、山上鑑定は、①については生育歴から合致する可能性があると指摘するものにすぎず、同鑑定書をみても、面接の際に①に合致するような言動は認められず、鑑定の際の様子から①に該当しないとする保崎鑑定のほうが根拠も合理的であるし、②ないし④の該当性についても、幼いころは家庭で兄になつき、中学時代から大学時代にかけて複数の親しい友人を作って、遊びを共にし、情的交流もあったなどと前記認定に沿う事実を根拠にして、これらに該当しないとする保崎鑑定のほうが合理的である。次に、B基準については、山上鑑定は、航空への異常なまでの関心とそれが自殺と結びついたことから①及び②がうかがわれるとするが、被告人の航空関係等への関心は大学時代から続いていたものであって、就職活動等の過程で異常に固執したといえるような事情は認められないし、山上鑑定の鑑定書を見ても、異様な身振りを被告人が示したとする部分もなく、同鑑定が根拠として指摘する部分はその理由に欠ける面がある一方、中学・高校時代の通学路線をいろいろと試すことが楽しみであったとする経験から、1つのパターンに執着する面を否定し、面接時に常同的・反復的な衒奇的運動が見られなかったことから、Bの各基準にも該当しないとする保崎鑑定には合理性があるというべきである。C基準の該当性については、山上鑑定は具体的な根拠を述べていないところ、この点も、学校教育に相応に適応し、中学、高校、大学を経由し著しい適応障害を起こさずに過ごしてきたことを理由に当てはまらないとする保崎鑑定のほうが合理性が認められる。加えて、保崎鑑定は、面接所見や他のアスペルガー症候群と診断された事例(弁76)との比較からも本件のような手の込んだ犯罪と異なるタイプの犯罪を犯した事例であるとの根拠を示して(弁76の記載内容に照らしても、合理性のある内容である。)、被告人をアスペルガー障害と診断するのは困難であるとしており、この点においても、保崎鑑定は、合理的な根拠を示しているもので、その根拠の前提事実も当裁判所の前記第2の認定にほぼ沿うものであって、その判断を支持することができる。
以上検討したところによると、被告人が本件犯行時アスペルガー症候群にあったと認めることができず、これを理由にして本件犯行当時被告人の責任能力に問題があった趣旨を述べる山上鑑定は採用することができない。
また、山上鑑定人は、「事件前の気分変動の契機を見ても、抗うつ剤の投与やその変更が大きな影響を及ぼした形跡はなく、意欲の高まりや行動の活発化は、被告人の内心の変化に即応していることが明らかである。」としているが、 平成11年3月中旬から、被告人に、本来の人格とは違和的な攻撃性や易刺激性を有する行動傾向がみられるようになっていたこと、 被告人がその行動傾向を呈し始めた時期と上記の抗うつ剤や抗てんかん剤を服用していた時期とがおおむね合致していること、 被告人のそのような人格違和的な行動傾向は、逮捕後上記の抗うつ剤などの摂取を中止していたところ、徐々に消失していったこと、 上記の抗うつ剤などの摂取のほかに本件当時に被告人の精神状態に影響するような特殊な事情があったとはうかがわれないことなどの諸事情に照らすと、被告人の本件当時の精神状態においては、上記の抗うつ剤などが何らかの影響を及ぼしていたとする保崎鑑定は合理的であるから、上記の山上鑑定人の見解を採用することはできない。
エ 次に、徳井鑑定では、「航空機、シミュレーションは判っているが、実際に操縦するには機長の助言が必要と自認しており、現実遊離の観念によってないということができる。」とされ、「犯行は動機を持ち、正常心理的文脈を逸脱する病的な要因は認められない。」と結論づけられている。しかし、徳井鑑定は、上記のとおりその内容を合理的で相当なものとして支持できる保崎鑑定に反し、また、捜査段階での短時間の鑑定という制約があったことにも起因すると思われるが、前記第3の3(2)で検討したような被告人の行動や心理機序の異常性を看過ないし軽視しているといわざるを得ないし、さらに、保崎鑑定がいう躁状態には、ハイジャックという考えを一旦思いつくと、それにとらわれて最後までやり遂げようとする状態も含まれるから、犯行動機が一応理解可能であることなどを根拠として保崎鑑定に合理性が欠けるとはいえず、徳井鑑定を採用することはできない。
オ なお、Gクリニック及びE病院において、被告人は、精神分裂病であるとの診断を受けているため、被告人が本件当時統合失調症に罹患していたかどうかも問題となりうるので、念のため、以下に若干付言する。
まず、前記第2の1(4)で認定したとおり、Gクリニックにおける診断は、当時の被告人の失語状態を基礎として下された診断であると認められるため、被告人のZ医師への対応状況が演技であったのかどうかを確定する必要があるところ、被告人は、公判廷では、失語を装っていたことを否定する趣旨の供述もしている。しかし、平成9年4月から6月まで被告人の予診などを担当していた臨床心理士のYは、「平成9年6月末の予約日に大和が来院せず、その翌週も来院しなかったことから、大和に電話すると、大和から、『勝手にやめてすいませんでした。もう服薬しなくても大丈夫です。本当は初診の時両親に対する怒りの気持ちがあって演技していたんです。人と話せない事はないし、現にホテルに泊まるときも話ができたのだから。』などと言われた。自分の症状が演技だったと大和が言ったことが、大和の病状の悪化による拒絶によるものなのか、本当に演技だったのかの判断はつかない。」旨供述しており(甲99)、上記Y供述によれば、平成9年7月ころ、被告人が、Yに対し、初診時の自分の状況は詐病であった旨述べたという事実が認められるところ、平成9年7月ころにはX医師の投薬により症状が軽快していったという被告人自身が公判廷でも認める事実にも照らすと、そのころYに上記のようなことを述べたのが、病状の悪化による拒絶とは考え難く、また、その被告人の発言にもあるとおり、ホテルにも泊まるなどして生活してきていたことも考えると、被告人がYに述べた言葉は、被告人の初診時の失語が真実ではなかったことを明らかにした発言と認めるのが相当である。そうすると、被告人の捜査段階供述は、上記Y供述などによって強く裏付けられていることが明らかであるから、被告人の公判供述と対比して、被告人の捜査段階供述の方に信用性が認められ、Gクリニックにおける診断がなされるにあたって基礎とされた被告人の失語状態は被告人の演技であり、当時の被告人の精神状態が正しく反映されたものであったとは認められないから、平成9年ころの同クリニックの診断はその前提を欠くことになるし、前記のとおり、統合失調症を否定する保崎鑑定やX医師の診断と対比しても、同クリニックの診断をそのまま採用することはできない。
次に、被告人は、前記第2の1(4)で認定したとおり、確かに、E病院に措置入院となった際には、実際に統合失調症を疑われる異常な興奮状態を呈していたと認められるものの、被告人は捜査公判を通じて、一貫して幻聴・幻覚、異常体験など、統合失調症を窺わせる症状の存在を否定している上、保崎鑑定や山上鑑定において実施された知能検査等においても、知能が統合失調症によって低下した兆候は認められず、結局、上記のような理由により、保崎・山上両鑑定は、いずれも、被告人につき統合失調症とは認められない旨の所見を示していること、平成9年6月25日に被告人を診察したX医師は、被告人において、幻聴を始めとする幻覚、妄想、支離滅裂な行動といったような統合失調症の症状がなかったこと、心理テストの内容にも異常なものがなかったこと、プレコックス感も感じなかったことから、統合失調症ではないと診断していること(前記第2の1(4))、X医師の公判供述や保崎鑑定といった関係証拠によれば、措置入院となった際の興奮状態は、被告人がその2日前に服用した大量の睡眠導入剤の影響によっても起こりうるものであると認められることなどに照らすと、被告人が統合失調症に罹患していたものとは認められないから、前記第2の2や3(1)及び(2)の検討結果と対比して、E病院における診断をもって相当とすることはできない。
カ 検察官は、①被告人の本件犯行に際しての行動は、ハイジャック及び航空機の操縦という目的に向けて、合理的かつ緻密な判断の下、合目的的かつ冷静に実行されていること、②空港警備員への就職の道を絶たれたことで極めて大きな失望を味わった被告人が、自己の指摘の正当性を誇示するためにハイジャックを企てることは十分了解可能であること、③甲野機長の殺害は、航空機操縦という目的を妨げた同機長に対して強い憤りを感じたことに起因するものであり、激情による殺人の事例と特段異なるところはなく、了解可能であること、④被告人が、犯行時の記憶を正確に保持していること、⑤被告人が、捜査段階での取調べにおいて、ハイジャック計画が極めて計画的なものであることが分かると自己の不利になると考え、予備の候補機の選定や予め刃物を購入していたことなどは隠そうという態度をとっていることなどを指摘して、被告人は、本件犯行当時、合理的な判断能力があり、完全な責任能力を有していた旨主張する。
しかし、まず、これまで検討してきたところからすると、②、③の点はこれを肯認することはできず、また、関係証拠によれば、確かに検察官指摘の①、④及び⑤の各事情が認められ、その指摘に係る被告人の行動状況は、被告人が、当時是非弁別能力及び行動制御能力を完全には失っていなかったことの理由としてはこれを是認できるものの、これまでの検討結果と対比すると、本件犯行当時、被告人の判断、行動能力等に異常があったことを否定し、完全責任能力があったことを証するに足りるものではなく、さらに、上記の検察官の認定は、被告人の心理機序や行動状況の評価にあたって、前記第3の3(2)で検討したような被告人の行動状況の異常性を看過しており、また、その内容を合理的で相当なものとして支持できる保崎鑑定と対比して、これを採用することはできない。
第4 結論
以上によれば、本件犯行当時、被告人は、抗うつ剤などによる治療の途上に生じた、うつ状態と躁状態の混ざった混合状態にあり、その影響により是非弁識能力及び行動制御能力の著しく減退した状態にあったものと認められるが、他方において、そうした能力を全く欠くには至っていなかったと認定することができるから、被告人は、本件犯行当時、心神耗弱の状態にあったものと認定するのが相当である。弁護人の主張はこの限度で理由があり、心神喪失を主張する点は理由がなく採用することはできない。
〔法令の適用〕
被告人の判示第1の所為のうち、航行中の航空機を運行支配してよって人を死亡させた点は航空機の強取等の処罰に関する法律2条、1条1項に該当し、殺人の点は行為時においては平成16年法律第156号による改正前の刑法(以下「改正前刑法」という。)199条に、裁判時においては刑法199条に該当するところ、犯罪後の法令により刑の変更があったときに当たるから刑法6条、10条により軽い行為時法の刑によることとし、判示第2の所為はいずれも銃砲刀剣類所持等取締法32条4号、22条にそれぞれ該当するが、判示第1及び第2はいずれも1個の行為が2個の罪名に触れる場合であるから、刑法54条1項前段、10条により一罪として判示第1については犯情の重い航空機の強取等の処罰に関する法律違反の罪の刑で、判示第2については犯情の重い洋包丁の携帯の罪の刑で、それぞれ処断することとし、判示第1については所定刑中死刑を、判示第2については所定刑中懲役刑をそれぞれ選択し、判示の各罪は心神耗弱者の行為であるから、判示第1については、同法39条2項、68条1号により、判示第2については同法39条2項、68条3号によりそれぞれ法律上の減軽をした上(判示第1の罪の有期懲役刑の長期については、行為時においては改正前刑法12条1項が規定する15年、裁判時においては刑法14条1項により30年となるが、犯罪後の法令により刑の変更があったときに当たるから刑法6条、10条により軽い行為時法の刑による。)、判示第1の罪について無期懲役刑を選択し、これと判示第2の罪は同法45条前段の併合罪であるが、判示第1の罪につき無期懲役に処すべきときであるから同法46条2項本文により他の刑を科さないこととし、被告人を無期懲役に処し、同条21条を適用して未決勾留日数中1000日をその刑に算入し、押収してある洋包丁1丁(平成11年押第2023号の1)は、判示第1の殺人の用に供したもので被告人以外の者に属しないから、同法19条1項2号、2項本文を、押収してあるペティナイフ1丁(同号の2)は、判示第2の犯罪行為を組成したもので、被告人以外の者に属しないから、同法19条1項1号、2項本文をそれぞれ適用してこれらを没収し、訴訟費用は刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
〔量刑の理由〕
本件は、被告人が、被告人を除いて合計516名の乗員・乗客らが搭乗している羽田空港発新千歳空港行きの大型旅客機(以下、「本件航空機」という。)の航行中の機内において、客室乗務員に洋包丁を突き付けるなどして操縦室内に押し入り、甲野機長と副操縦士に対し、同包丁を突き付けて同機長らを脅迫し、副操縦上を同室から退出させ、さらに、同包丁で甲野機長の右上胸部等を突き刺すなどの暴行を加え、自ら副操縦士席に座って本件航空機を操縦するなどして、ほしいままに航行中の同機の運航を支配し(以下「ハイジャック」という。)、その暴行によって同機内で甲野機長を死亡させて殺害したという航空機の強取等の処罰に関する法律違反及び殺人とその際同機内において前記洋包丁及びペティナイフを携帯したという銃砲刀剣類所持等取締法違反からなる事案である。
まず、本件犯行の動機や経緯をみると、被告人は、羽田空港の関係機関に対し、同空港の警備上の欠陥を指摘した上、自らを同空港警備員として採用するように申し入れるなどしていたものであるが、担当者から警備員を増員しない方針である旨の回答を受けたことから、自己の就職への道も絶たれたと考え、自己が発見した警備上の欠陥をついてハイジャックをし、その際、その航空機を操縦してみせ、自己の指摘の正当性や自己が航空機を操縦し得ることを示した上で自殺しようなどと企図するに至り、本件ハイジャックを敢行したものであって、ハイジャックに巻き込まれる他者の肉体的・精神的被害を全く考慮しようとしない、誠に身勝手で短絡的なものである。また、被告人は、自ら本件航空機を操縦したいという強い願望を有し、そのためには、操縦室に1人残って操縦している甲野機長の操縦を排除することが必要と考えていたところ、被告人の要求にもかかわらず、甲野機長が操縦を続けて操縦席から動こうとせず、操縦開始の目標線としていた湘南海岸に接近するなどしてきて、航空機を自ら操縦するという計画の実現が不可能になってしまうことに不安感、焦燥感を募らせ、とっさに殺意を生じて、甲野機長を殺害するに至ったもので、自己の勝手な欲望のために、乗客・乗員の生命を守ろうとする甲野機長の生命を奪った極めて自己中心的なものである。本件犯行の動機や経緯に酌量の余地はない。
次に、その犯行の態様をみると、被告人は、離陸後間もなく包丁を取り出して客室乗務員に示し、その後方から包丁を突き付けて操縦室まで案内させ、甲野機長が操縦室のドアを開けるや、大声で機長や副操縦士の名前を叫びながら操縦室内に押し入り、甲野機長らに包丁を示し、言うことを聞けなどと語気鋭く申し向け、さらに、副操縦士を脅迫して操縦室から退出させ、狭い操縦室内に甲野機長と2人きりの状態になると、乗客・乗員の安全などを考えると被告人の指示に従わざるを得ない同機長に、危険な運航を要求してそうした運航をさせるとともに、機長席を動こうとせず、自己の目的達成の妨げとなってきた甲野機長を包丁で刺して殺害したもので、手段たる暴行、脅迫は、誠に粗暴で危険なものである。その上、被告人は、ただ1人で高度な注意力を要するジャンボ機の操縦を行っている無抵抗の甲野機長に対し、突然、刃体の長さ約19センチメートルの洋包丁を、その頸部付近などを目掛けて、何回も突き刺したものであり、その力の強さは、同機長の右外耳前方から後方にその包丁の刃を貫通させ、さらに、右鎖骨下動脈を完全切断するとともに、上胸部右側に深さ約9.3センチメートル、前頸部に深さ約6.5センチメートルもの刺創を生じさせるほどのものであって、その犯行態様は、強固な殺意に基づく誠に残忍なものである。また、犯行の準備状況についてみても、被告人は、ハイジャックを成功させるため、事前に気象状況を確認して降水確率の低い日をハイジャックの決行日に選んだ上、機長と副操縦士の2名しかいない機種をハイジャックの対象機に選んで第1候補の対象機を決定し、第1候補の対象機の運航に不測の事態が生じた場合のために予備の候補機も選択した上、その航空券を他人名義で購入し、凶器の刃物を予備のものも含めて2丁購入して備えたほか、羽田空港を下見し、本件犯行直前に搭乗した本件航空機と同型の航空機において、操縦室の見学を求めて同室内に入り、計器類の位置等を確認するなどの準備を遂げ、警備上の隙をついて凶器の刃物を航空機内に持ち込み、ハイジャックを実行したもので、本件ハイジャックの犯行には、周到な準備に基づいた計画的で巧妙なところがあり、この点でも、その犯情は一層悪質である。
さらに、その犯行の結果をみると、甲野機長の貴重な生命を奪い去るという重大な結果を惹起させるとともに、本件航空機の操縦室内に操縦者がいなくなるという、その運航にとって極めて危険な状態に至らせている。しかも、被告人は、単にコンピュータ・ゲーム等で航空機の操縦を疑似体験したにすぎず、航空機操縦の専門的技術などおよそ有していないにもかかわらず、1人で本件航空機を操縦することを試みた挙げ句、それまで約3180フィート(約969メートル)あった本件航空機の高度を、一時は約720フィート(約219メートル)に迫るまで下降させるなどという危険な状態にさせたもので、乗務員らが被告人を取り押さえなければ、本件航空機を付近の市街地に墜落させ、500名を超える乗客・乗員の命と付近住民の生命財産を害する大惨事を引き起こしていた可能性も高い。
甲野機長は、長年パイロットとして航空機の運航に携わり、昭和62年に機長資格を取得した後、後進のパイロットの指導にも当たり、常日頃から乗員・乗客らの安全を最優先事項と捉えて職務に励んでいたものであり、また、よき夫、よき父として、多忙な中でも、家族とのコミュニケーションを大切にするなど、暖かい家庭を築き、本件当時には、独立しつつあった子らの活躍を楽しみに、妻冬子とともに幸福で充実した生活を送っていたものである。甲野機長は、施錠され狭い操縦室内で凶器を持った被告人に1人で対応するという状況にあって、乗員・乗客らの生命を守ろうと、被告人を興奮させないよう対応しつつも、機長席から動こうとせず、ただ1人で本件航空機の安全な航行に心を砕いていたものであるのに、被告人の身勝手な欲望のため、上記のような苛烈な攻撃を受けて、その生命を奪われたものであって、自らが機長を務める機内の操縦席においてハイジャックの最中に最期を遂げざるを得なかった絶望感や無念さは筆舌に尽くし難いものがある。
当然のことながら、甲野機長を本件のような理不尽な犯行によって突然失った遺族の精神的打撃は測り知れぬほど大きく、その処罰感情には、いずれも極めて厳しいものがある。すなわち、妻冬子は、突然愛する夫を奪われたことで極めて大きな精神的な衝撃を受け、犯行から5年余を経た現在もなお悲痛な気持ちの中で毎日を送っていて、精神科の治療を必要としている。そして、同人は、公判廷において、「主人が、順調に、仕事も人間関係も送れる人だったのに、殺されて最期をしめくくらなければならなかったという痛みに、どうか刑で応えていただきたい。私はこの男に一番重い刑、死刑を望んでいる。死の苦しみを、主人が味わった痛みを、この男にも味あわせてやりたい。」などと述べており、被告人に対する深い憤りをもって極刑を希求するその心情も、誠に無理からぬものがある。長女は、最愛の父を失ったことにより大きな精神的な衝撃を受け、志半ばにして留学先のドイツから帰国し、カウンセリングを受けるなどし、また、自己の結婚式でも父の代わりになる者などいないことを改めて認識し傷つけられるなどしており、被告人に対する峻烈な処罰感情を抱いている。長男も、自分の理解者で優しい相談相手であった父親を失って、精神的に大きな衝撃を受け、事件発生後に余儀なくされたさまざまな出来事の中で精神が不安定ともなり、同様に被告人に対する厳しい処罰感情を抱いている。
また、突然被告人に洋包丁を示された上、包丁を背中に突き付けられたまま操縦室まで案内させられて多大な恐怖を味あわされた客室乗務員や操縦室内で包丁を示されて退出させられた副操縦士をはじめ、本件航空機に搭乗していた合計516名という多数の者が、逃げ場のない機内で数十分間にわたり味わった恐怖感、不安感は大きく、とりわけ、被告人の無謀な操縦の結果、機体が不自然に傾きながら急下降するという墜落寸前の状況にさらされたことによって、民家の屋根瓦の1枚、1枚の区切りが分かるほど、地上にある眼下の家などが近づいてくる状況を目撃した乗客らが受けた恐怖感や精神的苦痛にも大きなものがあったと認められる。そして、全日本空輸株式会社は、甲野機長という貴重な人材を失ったのみならず、本件航空機の運航業務を大きく阻害され、本件による財産的損害も、事件処理関係費用など多大な額にのぼっている。以上のとおり、本件犯行の結果は極めて重大である。
さらに、航空機のハイジャック事案は、暴力的な手段を用いて、その乗客・乗員らの行動を制約し、極度の不安や緊張を乗客や乗員らに強いる中でその運航を意のままに支配するという危険で卑劣な犯行であるところ、本件は、運航中の大型旅客機をハイジャックし、操縦室内に入り込んで運航を支配し、不特定多数の者が利用する公共交通機関としての航空機の安全な運航に重大な脅威を与えたもので、社会に与えた衝撃にも極めて大きなものがある上、これまで説示してきたとおり、本件犯行は、我が国の犯罪史上類を見ない危険かつ悪質なハイジャック事案であって、航空機の安全な航行に対する社会的信頼を損なったことも否定できず、その社会に及ぼした影響の大きさと一般予防の見地も軽視することができない。
以上のとおりの本件犯行の計画性と犯行態様の悪質性、甲野機長に対する殺害手段の残虐性と同機長の殺害という結果の重大性、本件航空機の運航を支配し、自らその操縦を行うことによって、本件航空機を具体的に墜落する危険が高い状況に陥らせ、500名を超える乗客・乗員らの生命の危険はもちろん付近の住民の財産や生命をも脅かしたという結果の重大性、甲野機長の遺族らが大きな衝撃を受けて精神の不調を来すなどし、いずれも峻烈な処罰感情を抱いていること、本件航空機の乗客らにも墜落の危険に晒されて大きな恐怖を味わせていること、本件が我が国犯罪史上類を見ない危険かつ悪質な事案であって、航空機の安全な運航や航空制度に対する社会的信頼を損なわせるなど社会的な影響も大きく、さらには一般予防の見地も軽視できないことなどの諸事情を併せ考慮すると、被告人の刑事責任は極めて重大であり、被告人の当時の精神状態の点を捨象するならば、極刑をもって臨むのもやむを得ない事案であると考えられる。
そうすると、判示のとおり、被告人は、本件犯行当時、抗うつ剤などによる治療の途上に生じた躁うつ混合状態による心神耗弱の状態にあったから、法律上その刑を減軽することとなるが、前記のとおりの本件の動機・経緯、犯行態様、結果の重大性等にかんがみると、本件犯行時の被告人の精神状態、甲野機長を当初から殺害することまでは計画していなかったこと、甲野機長の遺族にあてて謝罪の手紙を書くなどし、被告人なりに反省の態度をみせており、今後も一生をかけて甲野機長の冥福を祈っていきたいなどと供述していること、これまでに懲役前科はないことなどの被告人のために斟酌すべき事情を十分考慮しても、被告人に対しては無期懲役の刑に処するのが相当であると考えられ、公判段階での2回の精神鑑定やこれに係る証人尋問に要した期間が相当長期に及んだことなども考慮して、判示の未決勾留日数をその刑に算入することとし、主文のとおり量刑した。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・安井久治、裁判官・小池健治 裁判官・戸﨑涼子は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官・安井久治)
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※ポスターのサイズは、A1サイズ、A2サイズをはじめ、ご希望に応じてご提案させていただきます。
■掲示場所・貼付箇所
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※貼付箇所につきましては、弊社掲示交渉スタッフが当該ターゲットにアプローチをした際の先方とのコミュニケーションにて、現場での判断とさせていただきます。
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