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裁判年月日　平成29年 2月 8日　裁判所名　大阪地裁　裁判区分　判決
事件番号　平２６（行ウ）２１０号
事件名　休業及び療養補償給付請求不支給処分取消請求事件
文献番号　2017WLJPCA02088001

出典

大阪府堺市〈以下省略〉
原告Ｘ
同訴訟代理人弁護士満村和宏
同島崎泰雄
東京都千代田区〈以下省略〉
被告国
同代表者法務大臣Ａ
処分行政庁堺労働基準監督署長　Ｂ
同訴訟代理人弁護士浦野正幸
同指定代理人Ｗ１
同Ｗ２
同Ｗ３
同Ｗ４
同Ｗ５
同Ｗ６
同Ｗ７
同Ｗ８
同Ｗ９
同Ｗ１０
同Ｗ１１

主文

１　原告の請求をいずれも棄却する。
２　訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第１　請求
堺労働基準監督署長が平成２４年１２月２６日付けで原告に対してした休業補償給付不支給決定処分及び療養補償給付不支給決定処分をいずれも取り消す。
第２　事案の概要等
１　本件事案の概要
本件は，株式会社ａ（以下「本件会社」という。）が経営する飲食店にパートタイム従業員として勤務していた原告が，上司のパワー・ハラスメント（以下「パワハラ」という。）により軽症うつ病エピソードに罹患したとして，堺労働基準監督署長（以下「処分行政庁」という。）に対して，労働者災害補償保険法（以下「労災保険法」という。）に基づき休業補償給付及び療養補償給付を請求したところ，処分行政庁がいずれも支給しない旨の決定（以下「本件各処分」という。）をしたことから，被告に対し，その取消しを求める事案である。
２　前提事実（争いのない事実並びに後掲証拠及び弁論の全趣旨により容易に認定できる事実）
(1) 　当事者等
ア　本件会社は，飲食店の経営等を目的とする株式会社である。
イ　原告は，平成１７年２月２５日，パートタイム従業員として，本件会社（当時の名称は「ａ１株式会社」）に入社し，居酒屋「ｂ」で清掃，調理，食品洗浄などの作業に従事していたが，平成１９年５月１０日に同店舗の業務形態が焼肉店に変更され，店名も「ｃ」（以下「本件焼肉店」という。）となってからは，本件焼肉店で調理担当の業務に従事していた。
ウ　本件会社の従業員であるＣ（以下「Ｃ料理長」という。）は，平成２３年３月から本件焼肉店の料理長を務めていた。Ｃ料理長は，調理担当の責任者として，調理担当の業務管理，監督，指導をする立場にあり，調理担当のパートタイム従業員等のシフトを決める権限を有していた。
（乙２０・３項，２２項，乙２２・７項）
(2) 　本件焼肉店について
ア　本件焼肉店の営業時間は，平日が午後５時から翌日午前２時まで，土曜日が午前１１時３０分から翌日午前２時まで，日曜日と祝日が午前１１時３０分から午前零時までで，年中無休であった（乙２０・１３項，乙２２・１０項，乙２３・１７項）。
イ　本件焼肉店の店長は，店舗責任者として，接客担当従業員の業務管理，監督，指導を行っていた。
また，平成２３年当時，本件会社のキッチンマネージャーはＤ（以下「Ｄマネージャー」という。）であり，各店舗の料理のチェックや運営業務を行っていた。
ウ　Ｃ料理長が赴任した平成２３年３月以降，本件焼肉店の調理担当社員は，Ｃ料理長と主任のＥ（以下「Ｅ主任」という。）の２名であった（乙２３，４３）。
また，平成２３年６月当時，調理担当のパートタイム従業員ないしアルバイト従業員（以下，単に「パート従業員」という。）は，原告を含めて９名であり，接客担当（ホール）が社員２名（店長ほか１名）とパート従業員１５名であった（乙１４）。
なお，平成２３年当時，営業開始前に出勤していたパート従業員は，原告のみであった（証人Ｃ・５頁）。
(3) 　原告の所定労働時間及び業務内容について
ア　原告の所定労働時間は，雇用契約書上，平日が午後３時から午後９時まで（休憩時間なし）の６時間で，土日祝日は午前１１時から午後９時まで（休憩２時間）の８時間とされていたが，シフト制のため，実際の労働時間は変動した（甲２，乙１２・１１項，１４ないし１７項，乙１４・２項，乙１９）。
イ　本件焼肉店の調理担当者の業務には，肉場，生場，炊き場，サラダ場，洗い場があり，原告は主に炊き場とサラダ場を担当していたほか，洗い場の補助やホールの清掃作業にも従事していた（乙１２，２０，２２，原告）。
(4) 　原告の出勤状況等
ア　原告は，平成２３年１０月１６日から同月２５日まで欠勤した。
イ　原告は，平成２３年１０月２６日から職場に復帰し，従前と同様の勤務に従事していたが，同年１２月９日から再び欠勤し，その後出勤しないまま退職した。
(5) 　Ｃ料理長による原告に対する注意・指導等の状況について（なお，後記のとおり，その経緯，態様及び内容については，当事者間に争いがある。）
ア　原告は，Ｃ料理長の指示により，平成２３年４月上旬頃から，それまで従事したことのなかった生場の仕込み作業（ユッケ肉の細切り，生レバーの皮むき，生センマイの切断・消毒など）にも従事することとなった（以下「本件出来事①」という。）。
イ　Ｃ料理長は，原告ら調理担当従業員に対し，オーダーの優先順位や担当者を自らが決め，強い口調でその指示をするということがあった（以下「本件出来事②」という。）。
ウ　Ｃ料理長は，勤務時間中の喫煙を禁止することや，トイレ内での喫煙を禁止する旨を記載した貼り紙を掲示した上，原告が勤務中に喫煙をしたとして，平成２３年８月１日から同月４日までの間，原告の終業時刻を通常より３０分短縮させた（以下「本件出来事③」という。乙１９，２０，３８）。
エ　Ｃ料理長は，平成２３年１０月１４日，原告に対し，スープをこす作業を終えなかったとして，注意・指導をした（以下「本件出来事④」という。）。
オ　Ｃ料理長は，平成２３年１０月１５日，営業時間中にライスが切れたことについて，原告に注意をした（以下「本件出来事⑤」という。）。
カ　Ｃ料理長は，平成２３年１０月２３日，原告に対し，労働条件を一部変更した契約書と，遵守事項等を記載した誓約書を交付した（以下「本件出来事⑥」という。）
キ　Ｃ料理長は，平成２３年１２月８日，原告に対し，新メニューを覚えていないことについて，注意をした（以下「本件出来事⑦」という。）。
(6) 　原告の精神疾患について
ア　原告は，平成２３年８月，軽症うつ病エピソード（以下「本件疾病」という。）を発症した。
イ　原告は，平成２７年２月１６日，いなたにクリニックにおいて，恐怖症性不安障害であるとの診断を受けた（甲９）。
(7) 　本件訴訟に至る経緯
ア　原告は，本件疾病が業務による心理的負荷によって発症したものであるとして，労災保険法に基づき，処分行政庁に対し，平成２４年２月２９日に療養補償を，同年４月２３日に休業補償の支給をそれぞれ請求した（乙６，７）。
イ　処分行政庁は，平成２４年１２月２６日付けで，本件疾病は業務上の疾病に該当しないとして，上記各請求について，いずれも不支給とする決定をした（本件各処分。乙２）。
ウ　原告は，本件各処分を不服として，平成２５年２月２２日付けで，大阪労働者災害補償保険審査官に対し，審査請求をした（乙３１）。
同審査官は，平成２５年６月２７日付けで，上記審査請求を棄却する旨の決定をした（甲７）。
エ　原告は，同決定を不服として，平成２５年８月２３日付けで，労働保険審査会に対し，再審査請求をした（乙１）。
同審査会は，平成２６年４月２８日，上記再審査請求を棄却する旨の裁決をした（甲８）。
オ　原告は，平成２６年１０月１７日，本件訴訟を提起した（裁判所に顕著な事実）。
(8) 　行政通達による精神障害に係る業務起因性に関する認定基準
ア　旧労働省（現厚生労働省）は，精神障害に係る労働災害の業務起因性に関して，専門家によって構成された「精神障害等の労災認定に係る専門検討会」から「精神障害等の労災認定に係る専門検討会報告書」（乙３２）の提出を受けて，平成１１年９月１４日，「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」（基発第５４４号。以下「判断指針」という。）を発出した。
イ　厚生労働省は，平成２１年４月６日，判断指針を一部改正する内容の通達（基発第０４０６００１号）を発出した。
ウ　厚生労働省は，専門家によって構成された「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会」から，審査の迅速化や効率化を図るための労災認定の在り方に関して検討を行った結果である「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会報告書」（乙３４）の提出を受けて，平成２３年１２月２６日，別紙「心理的負荷による精神障害の認定基準について」（基発第１２２６第１号。以下「認定基準」という。）を発出し，判断指針を廃止した。
エ　認定基準は，①対象疾病を発病していること，②対象疾病の発病前おおむね６か月の間に，業務による強い心理的負荷が認められること，③業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないことのいずれの要件も満たす対象疾病について，労働基準法施行規則別表第１の２第９号に該当する業務上の疾病として取り扱うこととしている。
３　本件の争点
(1) 　本件疾病発症に係る業務起因性（本件疾病発症と業務との間の相当因果関係）の有無（争点１）
(2) 　平成２３年１２月時点における原告の精神障害の状態とその業務起因性（同精神障害と業務との間の相当因果関係）の有無（争点２）
４　本件の争点に関する当事者の主張
(1) 　争点１（本件疾病発症に係る業務起因性の有無）について
（原告の主張）
ア　業務起因性の判断基準について
精神障害の成因は個々の症例毎に個別に検討されるべきであるところ，「業務による心理的負荷評価表」の認定基準は労災請求事案の斉一的かつ迅速処理という行政実務の観点から定められたものである上，「ストレス－脆弱性理論」では，ストレス耐性が脆弱な者について，全て個体側にその原因があるとすることになるのであって，合理性を欠く。したがって，疾病発症と業務との間に因果関係があるか否かは個別具体的な事案によって判断されるべきであり，認定基準に該当しないからといって当然のように業務起因性が否定されるという関係はない。
仮に，認定基準に従って，業務起因性を判断したとしても，本件については，以下のとおり，業務起因性が認められるのであり，処分行政庁の判断は誤っている。
イ　生場の担当を強要されたこと（本件出来事①）
原告は調理師資格を有していないし，生ものを扱う際の手順，手技を誰からも教えられていないにもかかわらず，平成２３年４月初め頃，Ｃ料理長から突然，本来社員しか担当してはいけない生場の担当を命じられた。同時期に，「○○店」におけるユッケ集団食中毒事件が発生しており，調理師資格を有していない原告は，衛生面や食中毒などが発生した場合の責任などに強く不安を感じたが，料理長（Ｃ料理長）の命令であったので，仕方なく生場を担当しなければならなくなった。また，生場を完全に任されたことにより，原告はサポートしていた洗い場も含めると，本件焼肉店の５つの持ち場中４つの持ち場をこなさなければならなくなった。
なお，原告は，Ｃ料理長に対し，「稼ぎたいので，長い間働きたい。」との希望を伝えたことはあるが，生場を担当したいと要望したことはないし，Ｃ料理長から「社員の仕事を覚えてもらって，社員の仕事をとれるようになれば勤務時間も増やしてあげられる。」，「生ものから覚えていこう。」と事前に言われたこともなかった。
調理師資格を有しない原告が生ものを調理することは，食中毒発生の危険性が常に伴うものであり，業務に関連し，人の身体，生命の安全に関わる重大な違法行為に関与させられたものであり，食中毒が発生すると会社の信用を著しく傷つける結果を導くという違法行為を強要されたといえる。また，同時期に，「○○店」によるユッケ集団食中毒事件も発生しており，原告は食中毒が起こったときの責任について強く不安を感じていた。
なお，被告は，ユッケや生レバーの仕込み作業について食品衛生者が厨房内にいて，いつでも関与できる状態であれば，その調理を行うのに調理師免許は必要なく，原告が生場の仕込み作業を担当することに資格上の問題はなかった旨主張するが，上述のとおり，原告は，生ものを扱う際の手順，手技を教えられていないし，食品衛生者がいつでも関与できる（指導する等）状態にはなく，生場を担当することを強要されたのであるから，資格上の問題がなかったとはいえない。
以上のとおり，原告は，業務に関連し，人の身体，生命の安全に関わる重大な違法行為に関与させられたもので，食中毒が発生すると会社の信用を著しく害する結果を導くという違法行為を強要されたといえ，その心理的負荷は「強」というべきである。
ウ　オーダーに対応する調理の優先順位についてのＣ料理長からの叱責（本件出来事②）
平成２３年４月４日，マネージャー会議が開かれ，Ｃ料理長の様子を聞かれた原告は，衛生面の悪化やＣ料理長の乱暴な口調が怖いことなどをマネージャーに伝えたところ，マネージャーから店長に対してミーティングをするようにと連絡されたようで，Ｃ料理長はマネージャーから指導を受けたことを根に持ち，原告を目の敵にするようになった。
平成２３年６月２２日，原告がサラダ場についているとき，生食の注文が入り，他の従業員が生場を担当していると，Ｃ料理長が，原告に対し，「お前，こいつに何で生をさせてんねん。」，「そっちより，このメニューを先に通さなあかんやろ。」と語気強く責め立て，原告に生場を担当するように強要した。Ｃ料理長は，原告に対して，「俺の言うことが聞けないのならここにおってもらう必要はない。」，「お前なんかいらない。」と語気を荒げて他の従業員の前で告げた。
このように原告は，生場を担当することになり，過去に経験したことがない仕事内容に変更となった上，Ｃ料理長から威圧的な態度と厳しい口調で命令され，常時緊張を強いられる状態となったことから，その心理的負荷は「強」というべきである。
エ　勤務時間のカット等（本件出来事③）
原告は，普段たばこを吸っていたが，勤務時間中に喫煙したことはなかったところ，Ｃ料理長から「たばこを黙って仕事中に吸っているから，自分の判断で確認なしでカットした。本当はこのやり方は駄目だが，自分はやった。」と告げられ，平成２３年８月１日から４日の間の勤務時間を何らの理由も告げられずに，突然勝手に３０分カットされた。その際に，同年４月のマネージャー会議のことを持ち出され，Ｃ料理長から，「お前のことが嫌いなんや。」，「信用もできへん。」と面と向かって告げられた。また，業務に支障がない場所であるにもかかわらず，従業員の着替え室，トイレのドアに「たばこを吸うな」という貼り紙がなされた。
このように，原告は，Ｃ料理長から，業務中に喫煙したとして，事実確認もせず，権限なく勤務時間をカットされるという嫌がらせを受け，上記のとおり，人格や人間性を否定する発言をされた上，貼り紙を掲示して私的なことに過度に立ち入った嫌がらせをされたものである。これらは，「ひどい嫌がらせ，いじめを受けた場合」及び「上司とのトラブル」に該当し，その心理的負荷は「強」というべきである。
また，Ｃ料理長は，原告が衛生面について指摘した平成２３年４月のマネージャー会議の件を根に持ち，以降，原告に対し，「お前のことが嫌いなんや」，「信用できへん」などと高圧的な口調で叱責・罵倒を繰り返し行っていたから，業務を巡る方針において，周囲からも客観的に認識されるような大きな対立が上司との間に生じ，その後の業務に大きな支障を来した場合に該当し，その心理的負荷は「強」というべきである。
オ　以上のとおり，原告には，心理的負荷の評価が「強」となる出来事が複数発生しており，また，仮に，本件出来事①ないし③による心理的負荷の評価が，単独では「強」といえない場合であっても，本件では，少なくとも「中」又は「強よりの中」といえる複数の出来事が，近接した時期に発生しており，これらの出来事は相互に関連している出来事といえる。したがって，一連の出来事を全体的に評価すれば，原告の受けた心理的負荷に係る評価は，「強」になるというべきであるから，業務と本件疾病発症との間に相当因果関係が認められることは明らかである。
（被告の主張）
ア　業務起因性の判断基準について
認定基準は，精神医学や心理学等の専門的知見を踏まえて作成されたものであり，その策定経緯に照らせば，合理性を有することは明らかであるから，本件疾病の業務起因性の判断は，認定基準に基づいて行うべきである。
イ　生場の仕込み作業（本件出来事①）について
Ｃ料理長が，原告に生場を担当するように強要したことは否認する。
（ア）　原告が生場を担当することになったのは，原告がＣ料理長に対して，「労働時間をもう少し延ばしたい。」と言ったため，Ｃ料理長が「今まで担当していたサラダ場や炊き場以外のことも覚えて貰えれば時間延長できるのではないか。」と話したところ，原告がこれを了解したため，その旨指示したのであって，Ｃ料理長が原告に生場の担当をするように命令して強要したのではない。
生場の仕込み作業は，食品衛生責任者が厨房内にいて，いつでも関与できる状態であれば，その調理を行うのに調理師免許は必要なく，本件焼肉店において，社員以外の者が生場の仕込み作業を行うことができないということもないのであって，パート従業員である原告が担当することも可能であった。
そして，原告は，平成１９年５月から，本件焼肉店の調理担当として仕込みの段階から従事しており，生場の仕込み作業がどのようなものであるか理解していたと認められる上，原告が生場の仕込み作業を担当する際には，Ｃ料理長及びＥ主任が，原告に対して，処理の仕方を指導していたのであるから，原告としても，仕事内容の変化に容易に対応することができた。
したがって，原告については，「仕事内容・仕事量の（大きな）変化を生じさせる出来事があった」に該当し，その平均的な心理的負荷の強度は「Ⅱ」であるものの，「仕事内容の変化が容易に対応できるものであり，変化後の業務の負荷が大きくなかった」場合に当たるから，その心理的負荷は「弱」というべきである。
（イ）　また，原告が生場の仕込み作業を担当したのは平成２３年４月上旬頃から約１か月間にすぎず，同月１日から同月３０日までの原告の時間外労働時間は１２時間１５分である上，本件疾病発症前６か月間の１か月当たりの原告の時間外労働時間数は最大でも１４時間４５分にとどまっており，原告が生場の業務を担当したことで時間外労働時間数が２０時間以上増加したともいえず，同じく「弱」の例として挙げられる「仕事量（時間外労働時間数等）に，『中』に至らない程度の変化があった」場合にも該当する。
ウ　オーダーの優先順位に関する指導（本件出来事②）について
Ｃ料理長は，調理担当の責任者として，従業員に対し，「おまえこっち終わったら次こっちや，なにしてんねん。」などと，オーダーの優先順位や調理人を決めて指示することがあり，このような場合には，原告に限らず，誰に対しても強い口調で話していたもので，「上司とのトラブルがあった」ものとして，平均的な心理的負荷の強度は「Ⅱ」である。
そして，このような指示は，料理長による業務管理の範囲内の指示であって，焼肉店において必要不可欠な事項であるオーダーの処理適正について，その重要性を認識させるためのものというべきであるから，語気の強い口調で指導をしたとしても，通常の飲食店従業員であれば，その指導の趣旨を理解することができるものである。
そうすると，上記指示は，業務指導の必要性が高く，そのことを通常の労働者が認識できる場合であるから，その口調が強いものであっても，「上司から，業務指導の範囲内である指導・叱責を受けた」場合に該当し，その心理的負荷は「弱」というべきである。
なお，原告は，パートタイム従業員として雇用されているにすぎず，本件焼肉店の業務における基本事項の決定に関与することができる立場にはないから，Ｃ料理長との間で「業務をめぐる方針等」について対立が生じることはあり得ない上，オーダーの処理の優先順位の指示は，業務遂行方法に関する指示にほかならないから，心理的負荷が「中」とする例とされている「業務をめぐる方針等において，周囲からも客観的に認識されるような対立が上司との間に生じた」場合には該当せず，心理的負荷が「弱」とされる例として挙げられる「上司との考え方の相違が生じた」場合に該当するにすぎない。
エ　勤務時間の短縮（本件出来事③）について
Ｃ料理長は，本件焼肉店に赴任した当初，原告を含む調理担当のスタッフが勤務中に持ち場を抜け出して喫煙しているところを見て，勤務中の喫煙は禁止する必要があると考えていたところ，平成２３年４月頃，原告が本件焼肉店１階の大型冷蔵庫内でたばこをくわえながら品物を探しているのを見て，冷蔵庫内では喫煙しないように注意した。
Ｃ料理長は，平成２３年５月までに，勤務時間中の喫煙を禁じる旨の貼り紙をし，従業員に勤務時間中の喫煙を注意するとともに，原告に対しては勤務途中でも喫煙できるように休憩時間を入れたシフトを提案したが，原告は，喫煙しないから休憩時間を入れないシフトのままにしてほしいと断った。
しかし，その後も，原告が，上記大型冷蔵庫へ品物を取りに行って戻ってくるとたばこのにおいがしたり，原告がトイレに入った後にたばこを吸った痕跡が残っていたために，Ｃ料理長は，原告が勤務時間中にまだ喫煙しているものと思っていた。
本件焼肉店で，食材にたばこのにおいが付着した場合，客に嫌悪感を与えることにもなりかねないので，勤務時間中に従業員の喫煙を全面的に禁止する措置は，業務指導として合理性を欠くものではない。また，上記事情からすると，Ｃ料理長が原告に対して，勤務時間中の喫煙を止めるように指導する必要があると考えたことは合理的であるといえ，仮にＣ料理長の誤信によるものであったとしても，原告において，終業時刻の繰上げが，原告に対する嫌がらせ等ではなく，業務指導の一環として行われたことを理解することができたものである。
したがって，上記出来事は，「上司とのトラブルがあった」場合に該当するものの，「（ひどい）嫌がらせ，いじめ，又は暴行を受けた場合」には該当せず，勤務時間が短縮されたのが１週間にすぎないことからしても，その心理的負荷は「弱」というべきである。
オ　以上のとおり，本件出来事①ないし③による心理的負荷の強度は，いずれも「弱」になるというべきであるから，業務と本件疾病発症との間に相当因果関係があるとは認められない。
(2) 　争点２（平成２３年１２月時点における原告の精神障害の状態とその業務起因性の有無）について
（原告の主張）
ア　平成２３年１２月時点における原告の精神障害の状態について
原告は，平成２３年８月３０日時点において，本件疾病を発症し，その後，就労が可能であったものの，同日以降，同年１２月８日までの出来事（Ｃ料理長によるパワハラ行為）が加わったことにより，同月９日に至って就労が不能となるまで精神障害が悪化した（「恐怖症性不安障害」が発症した。）。
（ア）　原告は，平成２３年１２月８日以前から，Ｃ料理長に対する恐怖及び不安を述べていたのであり，診療録上にその記載が乏しいのは，前医が対等な人間同士のトラブルとしてしか認識していなかったためである。
（イ）　恐怖症性不安障害は，恐怖及び不安の対象から離れたとしても，当初の恐怖対象との類似性があれば，その類似性の範囲で恐怖対象が広がっていくものであるから，休業後に症状が悪化していることは何ら不自然ではない。
（ウ）　原告が，休業後に仕事に対する不安や労働審判等に対する不安を述べ始めるなどの症状を発症した理由は，Ｃ料理長に対する恐怖及び不安による恐怖症性不安障害の症状に，経済的不安，労災認定問題や裁判の経過に対する不平・不満が重畳し，憂鬱さや不安などの症状が加わったからであり，抗不安剤や抗精神病薬が追加的に投薬されている理由も，このように重畳した症状に対して処方されたからである。
（エ）　原告の恐怖症性不安障害は，Ｃ料理長による暴言，威喝によって惹起され，「その人から暴言・威喝を受けたら怖い」という類似性に沿って，恐怖・不安の対象が成人男性に「般化」したもので，症状の経過として自然なものである。
イ　上記悪化（恐怖症性不安障害の発症）に係る業務起因性について
（ア）　認定基準について
被告の主張によれば，精神障害を発症していることにより，個体側は心理的負荷が軽度である出来事に対しても過大に反応することがあるとして，精神障害発症後の業務起因性の判断について，認定基準別表１の「特別な出来事」（心理的負荷が極度のもの）に該当する場合には，発症後の出来事が精神障害の増悪に起因するとして例外的に業務起因性を認めているとしている。
しかしながら，精神障害発症後は個体側が病弱な状態になっているところ，軽度の心理的負荷に対する過大反応を個体限りの問題とすることは，かかる状態を作出した加害者側を不当に利する結果になるのであって極めて不公平かつ不合理な基準である。すなわち，精神障害発症後の症状悪化の業務起因性の判断について，心理的負荷が極度である出来事に限るとする認定基準には合理性がなく，「特別な出来事」（心理的負荷が極度のもの）に至らない場合であっても，心理的負荷が強い出来事であれば，原告の症状の悪化と精神障害発症後の出来事との間に相当因果関係（業務起因性）を認めるべきである。
（イ）　スープをこせなかったことに対する叱責（本件出来事④）
平成２３年１０月１４日，原告がスープを午後６時までに完全にこせなかったことについて，Ｃ料理長から「この俺様が早く来てスープを焚いてやってるのに，１８時にはスープのガラはとれるはずや，お前を昼の暇な時間に入れてやってるんやから，ちゃんとやれ。」と厳しい口調で怒鳴られた。
原告の勤務時間は午後３時からで，スープを炊くには４時間必要である上，スープのストックは用意されていたから午後６時までにスープをこせなかったとしても業務に支障はなかったにもかかわらず，午後６時までにこれを完了するように指示したもので，不必要かつ時間的に達成困難なノルマを課されたから，その心理的負荷は「強」というべきである。
（ウ）　ライスが切れたことについての叱責及びその後の欠勤時の状況（本件出来事⑤）
Ｃ料理長は，平成２３年１０月１５日，自分がライスの担当者であるのに，ライスが切れたことについて，原告に対し，「何でご飯が切れるねん。」，「お前がライスの担当やろ。」と，突然，ライスの担当でない原告に責任をなすりつける旨の発言をし，原告を怒鳴りつけ，責め立てた。
原告は，女子更衣室まで逃げ込んだが，あろうことか，Ｃ料理長は女子更衣室まで追いかけてきて，泣いている原告がいる女子更衣室のドアをたたき始めたので，原告は，泣きながら，「もう帰らせてください。」と言って，帰った。原告は，怖くてたまらなくなり，マネージャーに電話をして，「明日から仕事に出れません。」と連絡し，同日以降も恐怖心と強い不安感から出勤することができなくなった。
平成２３年１０月２１日，マネージャーから原告に対して，職場に戻るようにとの電話があり，マネージャー，原告及びＣ料理長の３名で話合いの場が設けられたところ，その中でＣ料理長は「Ｘさん（原告）には本社から復帰命令が出ていると聞きました。でも，俺は，それが嫌なんです。」とマネージャーと原告の目の前で発言したため，原告は，職場に戻ったとしても，上手くやっていけるのか強く不安を感じ，更に怖さを感じた。
（エ）　労働条件変更の強制（本件出来事⑥）
原告が，平成２３年１０月２３日，職場に戻ることを伝えるためにＣ料理長に対して電話をしたところ，Ｃ料理長から「辞めるんじゃないの。」，「戻るのなら条件がある。」などと言われた。また，実際に原告が職場に復帰すると，Ｃ料理長は，原告に対し，厳格な解雇処分要件が記載された不合理な内容の誓約書にサインするように強要した。さらに，Ｃ料理長は，その権限がないのにかかわらず，雇用契約書の自動更新の欄をホワイトで塗りつぶし，「更新する場合があり得る。」との条件に変更し，勤務時間についても，Ｃ料理長の裁量でカットされた。原告は，これらのＣ料理長からの要求に反発して拒否すると，職場に復帰できないし，この歳で仕事をなくすとつらいと考えたことから，泣く泣くこれらに従った。
以上の出来事に係る心理的負荷の評価は「強」というべきである。
（オ）　新メニューの練習（本件出来事⑦）
ａ　本件焼肉店では，平成２３年１２月に新メニューが導入されることとなったが，原告の休みの日や勤務時間外にそのほかの従業員は新メニューの練習を行っていたため，原告は，Ｅ主任に新メニューの作り方を教えてもらうように頼んだが，教えてもらえなかった。同月８日，原告は，新メニューの作り方を自分だけ教えてもらえなかったにもかかわらず，Ｃ料理長から「新メニューが作れないのなら，職場に必要ない。」と言われた。精神的に限界となった原告は，同日，Ｃ料理長に対して「明日からしばらく休ませてください。」と伝えたところ，Ｃ料理長は，「休むの？辞めるんじゃないの？」と原告に追い打ちをかける発言をした。
原告は，Ｃ料理長から，遅くとも，平成２３年８月以降，午後８時までにはあがるようにと指示され，同時刻までの勤務時間内は，担当業務に追われていたため，新メニューの練習をできなかった。また，新メニュー練習のために残業代を支払うので残業をするようにとの指示をされることもなかった。
ｂ　このように，原告は，職場で孤立し，Ｃ料理長から，新メニューの作り方を教えてもらえなかったにもかかわらず，新メニューを作るよう達成困難なノルマを課され，新メニューを作れないなら解雇もあり得る旨の予告をされている。
ｃ　以上のようなＣ料理長が，原告に対し，不必要かつ達成困難なノルマを課し，解雇もあり得る旨を予告した行為の心理的負荷は「強」というべきである。
また，Ｃ料理長が，原告にだけ新メニューの練習を行わせず，職場で原告を孤立させ，原告がミスをするような状況を作り上げ，欠勤や休職をやむなくするように追い込んだことは，「業務指導の範囲を逸脱」しており，「ひどい嫌がらせ，いじめ」にも該当するから，その心理的負荷は「強」というべきである。
（カ）　以上の（ア）ないし（オ）のとおり，原告は，業務を巡る方針において，周囲からも客観的に認識されるような大きな対立が上司（Ｃ料理長）との間に生じ，その後の業務に大きな支障を来したもので，この点からしても，原告の心理的負荷は「強」というべきである。
（被告の主張）
ア　恐怖症性不安障害を発症したとはいえないこと
原告は，平成２３年１２月にはうつ病エピソードが悪化し，軽症から中等症へ移行していた可能性があるが，以下の事情に照らして，原告が同月８日に恐怖症性不安障害を発症したとは認められない。
（ア）　恐怖症性不安障害は，特定の対象ないし状況に対して不安が誘発される障害であるところ，原告は，医師に対し，平成２３年１２月８日以前に，Ｃ料理長への不安や恐怖については何も述べていない。
（イ）　また，恐怖症性不安障害は，恐怖の対象から離れることで症状が軽減ないし軽快するところ，原告は，休職する前の平成２３年１１月２２日時点で，睡眠薬を飲まなくても眠れる日がでてきており，食事も摂れ，体重も戻ってきていたのであり，Ｃ料理長と離れる前に症状の一部が改善していたのであるから，Ｃ料理長を対象とする恐怖症性不安障害を発症したことと矛盾する。
（ウ）　原告は，休職直後の平成２３年１２月１３日，医師に対し，職場への不平，不満を述べているにとどまり，不安を訴えておらず，主治医も「表情おだやか，たべんに会社の不満を言う」と評価するのみで，原告が不安を覚えていたとの所見は認められない上，投薬内容も変わっていないから，同月８日に新たな症状が現れたとは考えられない。
（エ）　原告は，休職後の平成２３年１２月２０日，医師に対し，中途覚醒や倦怠感，食欲不振を訴え，精神安定剤及び睡眠導入剤を追加投与されていることからすると，症状が増悪していることがうかがわれる上，その後も，平成２４年１１月までに抗不安剤が追加され，抗うつ剤が増量されるなどしていることからすれば，原告の症状は，Ｃ料理長から離れた後に改善するどころか，むしろ増悪している。
（オ）　原告は，平成２５年２月５日，医師に対し，「スーパーやひとごみはしんどい。男性が怖い。」などと申告しており，Ｃ料理長と離れてから１年２か月が経過して，それまでとは全く違う症状が現れている。
（カ）　原告は，休職後約３年２か月が経過した時点でも不安感を訴えているが，恐怖の対象から離れた後も，症状が軽減あるいは軽快せず，不安の対象が一般の成人男性に広がり，症状が増悪したというのは，症状の経過として不自然である。
イ　原告が主張する各出来事に係る心理的負荷の強度
（ア）　スープをこす作業（本件出来事④）について
スープの炊き上がりには３時間ないし４時間必要であるところ，Ｃ料理長は，午後零時過ぎ頃からスープを炊き始めていたのであるから，原告が午後３時に出勤してから営業開始時刻までにスープをこすようにとの指示が不可能を強いるものであったとはいえない。また，スープのストックがあったとしても，指示に反して作業を完了しない理由とはならない。
したがって，本件出来事④は，「上司から，業務指導の範囲内である指導・叱責を受けた」に類似し，その心理的負荷は「弱」というべきである。
（イ）　ライスの仕込み作業（本件出来事⑤）について
本件焼肉店においては，自動で洗米及び炊飯を行うライスロボという機械が導入されていたところ，原告は，Ｃ料理長が本件焼肉店に赴任する前から，同機械を操作してライスを炊く作業をしていた。Ｃ料理長は，平成２３年１０月１５日，ライスが切れている状況であったにもかかわらず，原告が他の従業員にライスを炊く作業を頼んで帰宅しようとしたため，原告に対し，「なぜご飯を炊いていないのか。」と注意したところ，原告は，「なんで私が言われなあかんの。」などと言って持ち場を離れた。Ｃ料理長は，原告の態度を無責任であると思っていたところ，偶然女子更衣室から出てきた原告に会ったことから「さっきの態度はおかしいのではないか。無責任ではないか。」と注意した。したがって，原告が主張するようなＣ料理長が原告を女子更衣室まで追いかけたという事実はない。
原告は平成２３年１０月１６日から本件焼肉店での勤務を欠勤していたところ，その復帰について，原告，Ｃ料理長及びＤマネージャーで話合いをしたが，その中で，Ｃ料理長は，原告に対し，ライスが切れているのにこれを放置して帰宅したこと，欠勤することについてＣ料理長に連絡しなかったことなどを指摘して，原告のことを「信用できない。」と述べ，原告は，Ｃ料理長の口調が乱暴で，指示内容もおかしいことなどを指摘して，「現場監督として信用できない。」などと述べたため，互いに言い合いとなり，話合いは終わった。
このように，Ｃ料理長による注意は業務上の注意であるから，平均的労働者にとって人間の生命や尊厳に関わる精神的・肉体的苦痛を伴うものでないことは明らかである。
（ウ）　誓約書と雇用契約書の交付（本件出来事⑥）について
上記の話合いの後，原告からＣ料理長に対して，職場に復帰したいとの連絡があったため，Ｃ料理長は，原告に対し，「辞めるのではないかと思っていた。戻るのであれば条件の見直しについて話合いをしたい。」と伝え，２回目の話合いをした。そこで，店長同席の下，Ｃ料理長は，原告に対し，今後は料理長の許可なく欠勤しないこと，勤務時間中の喫煙はやめること，勤務条件等の不満がある場合は本社ではなく料理長へ訴えることを求めるとともに，雇用契約書の「契約更新の有無」の欄を「自動的に更新する」から「更新する場合があり得る」に変更し，平日の原告の終業時間を午後９時から午後８時に変更したい旨説明し，それらを記載した誓約書と雇用契約書を原告に提示し，よく考えるように伝えたところ，後日，原告から署名捺印済みの上記書類が送付され，原告は，平成２３年１０月２６日から本件焼肉店に復帰した。
このように，誓約書には条件を遵守しない場合に解雇処分とする旨の記載はあるものの，基本的には従業員として遵守すべき事項を記載したものであり，雇用契約書の記載の変更についても，実際の勤務形態に合わせた内容である。そして，Ｃ料理長は，原告に対し，同書類を持ち帰ってよく考えてから作成するよう伝えていることからすると，同書類の作成を強要したとはいえず，平均的労働者にとって人間の生命や尊厳に関わる精神的・肉体的苦痛を伴うものでないことは明らかである。
（エ）　新メニューの練習（本件出来事⑦）について
本件焼肉店においては，平成２３年１２月５日から新メニュー（冬メニュー）を開始することとなり，同年１１月２９日には，事前に新メニューのレシピ等がパート等に示されたところ，Ｃ料理長は，新メニューについて，特段の練習日は設けず，勤務時間中の余裕のある時間帯に，準備のできたパート等が社員に声掛けをして個別に社員等から指導を受ける方法で随時練習するように指示しており，それに従って調理担当の従業員はそれぞれメニューを覚えた日をキッチン連絡ノートに記載していた。
Ｃ料理長は，原告が新メニューを習得しようとしなかったため，Ｅ主任に対し，原告に新メニューを教えるよう指示して指導させた。しかし，原告は，平成２３年１２月８日，新メニューの調理を全くできず，Ｃ料理長から，準備期間があったのに調理できないのはおかしいなどと注意され，翌日から欠勤した。
このように，新メニューに関するＣ料理長の原告に対する注意・指導は，業務上必要な新メニューの調理を習得しようとしない原告に対する業務指導であるから，平均的労働者にとって人間の生命や尊厳に関わる精神的・肉体的苦痛を伴うものでないことは明らかである。
ウ　小括
以上のとおり，原告が恐怖症性不安障害を発症したとはいえず，また，原告が主張する各出来事は，いずれも認定基準に該当する心理的負荷の強度が「強」と評価されるものではなく，「特別な出来事」に該当する出来事もないのであるから，本件疾病の悪化については業務起因性があるとは認められない。
第３　当裁判所の判断
１　精神障害の業務起因性に関する判断枠組み
(1) 　労災保険法に基づく保険給付は，労働者の業務上の疾病等について行われるところ（同法７条１項１号），労働者の疾病等を業務上のものと認めるためには，業務と疾病等との間に相当因果関係が認められることが必要である（最高裁昭和５１年１１月１２日第二小法廷判決・裁判集民事１１９号１８９頁参照）。そして，労災保険制度が，労働基準法上の危険責任の法理に基づく使用者の災害補償責任を担保する制度であることからすれば，上記の相当因果関係を認めるためには，当該疾病等の結果が，当該業務に内在又は通常随伴する危険が現実化したものであると評価し得ることが必要である（最高裁平成８年１月２３日第三小法廷判決・裁判集民事１７８号８３頁，同平成８年３月５日第三小法廷判決・裁判集民事１７８号６２１頁参照）。
(2) 　ところで，精神障害発症の機序について，現在の医学的知見によれば，環境由来のストレスと，個体側の反応性・脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まるという考え方（以下「ストレス－脆弱性理論」という。）が合理的であるとされており，同理論によれば，環境由来のストレスが非常に強ければ，個体側の脆弱性が小さくても精神障害を発症するし，逆に，個体側の脆弱性が大きければ，ストレスが小さくても破綻が生じるとされる（乙３４）。
このような「ストレス－脆弱性理論」を前提とすれば，精神障害の業務起因性の判断，すなわち当該精神障害が「人の生命にかかわる事故への遭遇その他心理的に過度の負担を与える事象を伴う業務による精神及び行動の障害又はこれに付随する疾病」（労働基準法施行規則別表第１の２第９号）に該当するか否かの判断においては，環境由来のストレスと個体側の反応性・脆弱性とを総合考慮し，業務による心理的負荷が，当該労働者と同程度の年齢，経験を有する同僚労働者又は同種労働者であって，日常業務を支障なく遂行することができる労働者（平均的労働者）を基準として，社会通念上客観的にみて，精神障害を発病させる程度に強度であるといえる場合に，当該業務に内在又は通常随伴する危険が現実化したものとして，当該業務と精神障害の間に相当因果関係を認めるのが相当である。
また，前記前提事実(8)のとおり，厚生労働省は，精神障害の業務起因性を判断するための基準として，認定基準を策定しているところ，認定基準は，行政処分の迅速かつ画一的な処理を目的として定められたものであり，もとより裁判所を法的に拘束するものでない。もっとも，認定基準は，精神医学，心理学及び法律学等の専門家により作成された報告書（乙３４）に基づき，医学的専門的知見を踏まえて策定されたものであって，その作成経緯及び内容等に照らしても合理性を有するものといえる。そうすると，精神障害に係る業務起因性の有無については，認定基準の内容を参考にしつつ，個別具体的な事情を総合的に考慮して判断するのが相当というべきである。
２　争点１（本件疾病発症に係る業務起因性の有無）について
(1) 　認定事実
前記前提事実並びに後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば，以下の事実が認められる。
ア　Ｃ料理長は，料理長として，調理担当の社員及びパート従業員の業務管理，監督，指導をする立場にあったところ，社員やパート従業員に対し，作業方法等について，強い口調で注意，指導することがあった（乙２３，２４）。
イ　Ｃ料理長が本件焼肉店の料理長として赴任した平成２３年３月当時，営業開始前の仕込み作業を担当するのは，平日はＣ料理長かＥ主任のいずれか１名と原告の合計２名（ただし，原告が休日のときはＣ料理長及びＥ主任の２名）であり，土日祝日は社員２名及び原告のほか，パート従業員を一，二名加えた合計三，四名であった（乙２３，４３，証人Ｃ・５頁）。
ウ　本件会社では，生場の仕込み作業（生食の下処理）をパート従業員にさせている店舗もあったが，平成２３年３月当時，本件焼肉店では，生場の仕込み作業は，社員のみが担当しており，原告は，炊き場とサラダ場の仕込み作業を担当していた（乙４３，証人Ｃ・７頁）。
エ（ア）　Ｃ料理長は，平成２３年４月上旬頃，原告から，「稼ぎたいので，長い間働きたい」との希望を伝えられたことから，勤務時間を増やすために原告に生場の仕込み作業を覚えさせようと考えた（乙４３，証人Ｃ・８頁）。
（イ）　Ｃ料理長は，一週間程度，原告と一緒に作業をしながら，原告に対し，ユッケや肉の刺身のカット，センマイの消毒など，生場の仕込み作業のやり方を教えた。その後，原告は，スムーズに仕込み作業をこなすことはできていなかったものの，同作業を担当していた（証人Ｃ・９頁）。
この点，原告は，生場の仕込み作業を担当することは希望していない，生場の仕込み作業を行うに際し，Ｃ料理長らから何ら指導を受けていない旨供述する（原告３２頁）。しかしながら，原告は，稼ぐために長時間働くことを希望したこと自体は認めているところ，それまでの担当する持ち場の作業内容等からすると，原告が本件焼肉店において，それまでよりも長時間働くためには，担当する作業を増やす必要があることからすれば，原告からの申出を受けて，Ｃ料理長が，生場の仕込み作業を担当することを提案するということは，十分首肯し得るものである。また，原告は，それまで生場の仕込み作業を担当したことがなかったというのであるから（原告２頁），そのような原告に何ら指示をすることなく生場を担当させたとしても，どのような作業をすればよいのか全く分からず，業務に支障が生じることとなることからすれば，Ｃ料理長が，未経験者であった原告に対し，何らの指導もしなかったということは想定し難い。そして，Ｅ主任も，労働基準監督署の聴取の際に，Ｃ料理長から指示を受けて原告を指導した旨述べており（乙２３），原告自身も，Ｃ料理長が横に来て，捨てる部分が多かったりした際に，「うまくやれ」，「損するようなことはするな」などと言われ，作業内容について注意されたことがあったことは認めている（原告３頁）。以上の点に鑑みると，未経験者であった原告に対する指導内容等が十分であったか否かは措くとしても，Ｃ料理長が原告に対して，何らの指導もすることなく生場の仕込み作業を担当させたとは認め難い。したがって，原告の上記供述は採用できない。
（ウ）　原告は，Ｄマネージャーに対し，生場の仕込み作業を担当している旨を話したが，無理矢理やらされているという趣旨の話はしなかった（乙２１）。
（エ）　平成２３年４月２７日頃，他の焼肉店でユッケの集団食中毒事件が発生したとの報道がされ，原告は同事件を契機として，Ｃ料理長に対し，生場の仕込み作業の担当から外してほしい旨を申し出た。そして，同事件の影響により，本件焼肉店において生食で提供する商品が減少したため，原告は，同年４月下旬以降，生場の仕込み作業を担当しないこととなった。
（乙４３，４７，証人Ｃ・９頁，原告３頁，３３頁）
（オ）　食品衛生責任者の資格を持った者が厨房内にいる場合に，調理師免許を有しないパート従業員がユッケや生レバーの調理を行うことは許容されているが，食品衛生責任者が不在の場合は，調理を行うことができない（乙２５）。
オ　平成２３年６月下旬頃，原告がサラダ場を担当していた際，生食の注文が入り，他の従業員が生場を担当していると，Ｃ料理長が，原告に対し，「お前，こいつに何で生をさせてんねん。」，「そっちより，このメニューを先に通さなあかんやろ。」，「俺の言うことが聞けないならここにいてもらわなくてもいい。」などと述べた（乙１２，２３，原告３４頁）。
この点，被告は，Ｃ料理長が「俺の言うことが聞けないならここにいてもらわなくてもいい」旨の発言をした事実はないと主張し，Ｃ料理長も，証人尋問において，これに沿う証言をするが（証人Ｃ・１１頁），原告は，労働基準監督署における聴取の際に，上記の点を具体的に述べている（乙１２）上，Ｅ主任もこれを裏付ける供述をしていること（乙２３）に照らせば，Ｃ料理長の同発言があったと認めるのが相当である。したがって，被告の上記主張は採用できない。
カ（ア）　Ｃ料理長が赴任する前は，勤務時間中に１階の冷蔵庫前で喫煙することが黙認されていた（原告６，３５頁）。
（イ）　Ｃ料理長は，平成２３年５月頃までに，「喫煙は，勤務中ではなく，休憩時間中にすること」，「トイレ内では喫煙しないこと」，「冷蔵庫内では喫煙しないこと」と記載した貼り紙を，１階のトイレの扉，大型冷蔵庫の扉及び男性更衣室前の壁の３か所に掲示した（乙４３，証人Ｃ・４，５頁）。
（ウ）　Ｃ料理長は，現認はしていないものの，臭いなどで，原告がその後も勤務中に喫煙をしているとの確信を抱いたことから，平成２３年８月１日から，原告の終業時刻を通常より３０分短縮させた（乙１９，２０，３８，４３，証人Ｃ・１３頁）。
（エ）　原告は，Ｃ料理長から，勤務時間を短縮した理由が勤務時間中に喫煙をしたことである旨の説明を受けるや，喫煙はしていない旨述べてこれを否定し，その後，これについてＤマネージャーに相談した（乙１２，４３，証人Ｃ・１４頁，原告３７頁）。
（オ）　Ｃ料理長は，Ｄマネージャーから，証拠もなく勤務時間を短縮してはいけない旨の注意を受け，平成２３年８月８日から，原告の勤務時間を元に戻したため，実際に原告の勤務時間が短縮されたのは，同月１日から同月４日までと，同月７日の５日間であった（乙１９，４３，証人Ｃ・１５頁）。
(2) 　検討
以上を踏まえて，原告が本件疾病の発症に関して挙げる各出来事について検討する。
ア　本件出来事①（生場の担当）について
原告は，本件出来事①が，認定基準における「業務に関連し，違法行為を強要された」場合のうち，心理的負荷が「強」となる例として挙げられる「業務に関連し，重大な違法行為を命じられた」場合に該当する旨主張する。
上記(1)エ（オ）のとおり，調理師免許を有しない者であっても，食品衛生責任者の資格を持った者が厨房内にいる場合には，ユッケや生レバーの作業を行うことが可能であることからすれば，原告が，生場の仕込み作業を担当したとしても，そのことをもって，直ちに違法行為に該当するとはいえない。もっとも，Ｃ料理長及びＥ主任が食品衛生責任者の資格を有していたかは不明であること，原告が生場の仕込み作業をしている際は，常に，食品衛生責任者の資格を有する者が厨房内にいたかも不明であることからすれば，原告が生場の仕込み作業を担当したことが，全て適法であったとまで断定することはできない。
しかしながら，仮にＣ料理長及びＥ主任が食品衛生責任者の資格を有していなかったり，原告が生場の仕込み作業を担当していた際に，有資格者が厨房内に存在しておらず，原告の行為が客観的には違法行為に該当するとした場合であっても，原告が，Ｃ料理長及びＥ主任が食品衛生責任者の資格を有していないことを認識しており，自らの行為が違法行為であると認識していたことを認めるに足りる的確な証拠はない。また，上記(1)エ（ア）のとおり，原告が生場の仕込み作業を担当することになったのは，Ｃ料理長が原告の希望を受けて，勤務時間を増やせるようにしようと考えたためであること，原告も，上記(1)エ（エ）の事件が発生するまで，Ｃ料理長やマネージャーに対し，生場の仕込み作業をしたくない旨の申出をしていなかったこと，上記事件発生後に，原告がＣ料理長に対し，生場の仕込み作業をやめたいとの申出をした際，Ｃ料理長がその申出を拒否していないことに鑑みれば，原告がＣ料理長から生場の仕込み作業を「強要された」と評価することはできず，仮にこの点について一定程度の心理的負荷があったとしても，その程度は「弱」にとどまるというべきである。
イ　本件出来事②（オーダーの対応）について
原告は，本件出来事①により，過去に経験したことがない生場の仕事を担当させられたことに加え，本件出来事②について，上記(1)オのとおり，激しい口調で命令されたことにより，認定基準の項目１５である「過去に経験したことがない仕事内容に変更となり，常時緊張を強いられる状態となった」場合に該当し，その心理的負荷の程度は「強」というべきである旨主張する。
（ア）　確かに，Ｃ料理長の上記(1)オの発言は，口調が強いものであったことや，「お前なんかいらない」との発言内容からすれば，原告に対する一定の心理的負荷を与えるものであったとはいえる。
（イ）　しかしながら，①原告が主張するＣ料理長の上記発言は，客からの注文に迅速に対応するための業務指導の一環として行われた１回のみのものであり，Ｃ料理長が原告に対して同様の発言を繰り返したとは認められないこと，②原告は従前担当していた職務から生場の仕込み作業に担当が変更になったものではなく，生場の仕込み作業が追加になったものであること，原告が従前から担当していたのは主に炊き場とサラダ場であり，新たに担当することになった作業が生場の仕込み作業であることからすれば，いずれも食材の調理という点では共通するものであり，全く異なる作業であるとまではいえないことなどに照らせば，原告が生場の仕込み作業を担当することになったことで，「常時」緊張を強いられる状態にあったと評価することはできず，他に原告が「常時」緊張を強いられていたことを認めるに足りる的確な証拠はないこと，③原告が生場の仕込み作業を担当することとなったこと自体は，「仕事内容・仕事量の変化を生じさせる出来事」に該当するものの，原告が同作業に従事したのは平成２３年４月上旬から同月下旬までの短期間にすぎないこと，同仕込み作業は，原告の勤務時間のうち，営業開始前に行う作業の一部にすぎず，同仕込み作業が追加されたことによって，原告の勤務時間に特段の変化があったとはいえないこと（乙１９），以上の事実が認められ，これらの事実に照らせば，Ｃ料理長の上記発言をもって，精神障害を発症させる程度に強度の心理的負荷を与えるものであるとまで評価することはできず，また，原告について，仕事内容や仕事量が大きく変更したとまでは認められないから，その心理的負荷は「弱」にとどまるというべきである。
（ウ）　以上によれば，原告の上記主張は理由がない。
ウ　本件出来事③（勤務時間のカット等）について
原告は，本件出来事③が，「ひどい嫌がらせ，いじめを受けた場合」及び「上司とのトラブル」に該当する旨主張する。
（ア）　しかしながら，Ｃ料理長が掲示した貼り紙の内容は，上記(1)カ（イ）のとおりであり，その文言に照らせば，同貼り紙は，原告のみを対象としたものではなく，本件焼肉店で勤務する従業員全員を対象とするものであることが明らかであるところ，本件焼肉店が生ものを取り扱う飲食店であることからすれば，従業員あるいは飲食物からたばこの臭いがすることがないよう，来店客が立ち入らない調理場等においても禁煙の措置を講じることには合理的な理由があり，そのための措置として，勤務時間中やトイレ内での喫煙を禁止する貼り紙を掲示することは，飲食店の調理場で勤務する従業員に遵守させるべき内容及び方法として，相当なものである。そうすると，Ｃ料理長が貼り紙を掲示した行為が，原告に対する「ひどい嫌がらせ」や「いじめ」に該当するものとはいえない。
（イ）　また，Ｃ料理長が原告の勤務時間の短縮をしたのは，その客観的な事実（原告の勤務時間中における喫煙の事実）の有無はともかく，Ｃ料理長が勤務時間中の喫煙を禁止した後も原告が勤務時間中に喫煙をしていると認識したためであり，Ｃ料理長の原告に対する個人的な私怨等に基づく嫌がらせ目的であったとは認められないこと，原告は，Ｃ料理長から上記理由について説明を受けるや，喫煙の事実を明確に否定した上，自らその誤解を解くべく，マネージャーに相談して解決していること，勤務時間が１週間で元に戻っていることなどにも鑑みれば，勤務時間を短縮したことが「ひどい嫌がらせ，いじめを受けた場合」に該当するとまではいえず，「上司とのトラブル」に該当するとみる余地があるとしても，その心理的負荷の程度は「弱」とみるのが相当である。
（ウ）　さらに，原告は，Ｃ料理長が，原告が衛生面について指摘した平成２３年４月のマネージャー会議の件を根に持ち，以降，原告に対し，「お前のことが嫌いなんや」，「信用できへん」などと高圧的な口調で叱責・罵倒を繰り返し行っていたと主張し，原告作成の陳述書にはこれに沿う記載がある（甲１１）が，原告の同陳述書のほかに，この点を証するに足りる客観的かつ具体的な証拠は認められない。
（エ）　以上によれば，原告の上記主張はいずれも理由がない。
エ　小括
以上のとおり，原告が本件疾病発症の原因として挙げる各出来事を個別にみても，また，一連の出来事を全体的に評価しても，同各出来事が，社会通念上客観的にみて，本件疾病を発症させる程度に強度の心理的負荷があったとは認められない。
３　争点２（平成２３年１２月時点における原告の精神障害の状態とその業務起因性の有無）について
(1) 　認定事実
後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば，以下の事実が認められる。
ア（ア）　本件焼肉店においては，スープを提供する準備として，スープを営業開始前からガス台の上で，３時間から４時間程度炊いた後，調理場の床に置いたポットにスープを徐々に入れてこす作業を行っていた。スープをこす作業は原則として原告が担当していたが，勤務時間中に作業が終わらず，原告が他のパート従業員に作業を引き継ぐこともあった。スープをこす作業を行う際は，複数のポットを床に置くことから，通行の邪魔になることもあった。
（乙４３，原告１０頁，４０頁）
（イ）　Ｃ料理長は，上記（ア）の作業をできる限り営業開始前に終えておくのが相当と考え，平日は，午後零時過ぎ頃に出勤して，スープを炊き始めるようにしていた（乙４３，証人Ｃ・１５，１６頁）。
（ウ）　Ｃ料理長は，平成２３年１０月１４日，原告よりも先に出勤してスープを炊き始めた。その後，Ｃ料理長は，午後６時頃，原告がスープをこす作業を終えていなかったことにつき，叱責した。
（乙４３，原告８ないし１０，４６頁）
イ（ア）　本件焼肉店においては，調理担当の従業員が，調理場にあるライスロボという自動で洗米及び炊飯をする機械（米と水を入れてセットして，火を入るだけで，自動的に御飯が炊ける機械）を用いて炊飯していた。同従業員は，御飯をホール担当の従業員に渡し，ホール担当の従業員において，御飯の残量を管理していた。調理担当の従業員は，ホール担当の従業員から御飯の残量を聞きながら，御飯を切らさないように炊飯作業に従事していた。
（証人Ｃ・１７頁，原告１１，５６頁）
（イ）　Ｃ料理長は，平成２３年１０月１５日，原告の勤務時間が終了する午後８時頃，ホールと調理場のライスが切れたことを知るや，原告に対し，ライスを切らせたことについて，注意をした。これに対して，原告は，自分の責任ではない旨を述べて，帰宅しようとしたため，Ｃ料理長は，これに立腹し，調理場内及び１階更衣室付近において，原告に対し，更に強い口調で叱責をした。
（乙４３，証人Ｃ・１８頁，原告１２頁）
（ウ）　原告は，同日，帰宅後，Ｄマネージャーに対し，翌日から欠勤する旨連絡した（当事者間に争いがない。）。
ウ　平成２３年１０月２１日，Ｄマネージャー，原告及びＣ料理長の３名で原告の職場復帰に向けた話合いが行われた。その際，Ｃ料理長が，原告に対して腹を立てて感情的になり，原告の職場復帰について否定的な態度を示したことから，ＤマネージャーはＣ料理長をたしなめる趣旨の発言をした（乙４３，証人Ｃ・２０，３８頁，原告１６頁）。
エ（ア）　平成２３年１０月２３日，原告は，職場復帰することにつき，Ｃ料理長に対し，電話をしたところ，Ｃ料理長は，原告に対し，「辞めるのではないかと思っていた。戻るのであれば条件の見直しについて話合いをしたい。」旨の返答をした。
（イ）　その後，原告は，本件焼肉店において，Ｃ料理長から，雇用条件を以下のとおり変更した内容の雇用契約書（甲３）を渡された。
①　変更前
契約期間　６か月
契約更新の有無　自動的に更新する。
勤務時間帯　平日　午後３時から午後９時
土日祝日　午前１１時から午後９時
②　変更後
契約期間　３か月
契約更新の有無　更新する場合があり得る。
勤務時間帯　月曜日から水曜日　午後３時から午後８時まで
金曜日　午後２時から午後７時まで
土日祝日　午前１０時から午後３時まで
（ウ）　また，Ｃ料理長は，その際，上司からのアドバイス（勤務態度について，原告に守ってもらいたいことがあれば，文書に残して原告本人に納得させるべきではないかというアドバイス）を踏まえて，以下の内容を記載した誓約書も原告に交付した。
「ａ１株式会社御中　ｃ店　キッチン責任者　Ｃ
この度，御社店舗にて勤務するにあたり，下記事項を承諾することを誓います。
記
店舗キッチン責任者の許可なく欠勤した場合，いかなる理由があれ無断欠勤とみなし解雇処分とする。
勤務時間内に喫煙等，キッチン責任者の許可なく休憩をした場合，解雇処分とする。
店舗での勤務条件，他従業員への個人的な不平不満をキッチン責任者を通さず直接，本社に訴えるなどの行為は組織活動が出来ないとみなし解雇処分とする。
以上
上記項目について理解，承諾いたしましたので，誓約の証として下記に署名押印いたします。」
（エ）　原告は，上記雇用契約書及び誓約書を持ち帰り，平成２３年１０月２６日に職場に復帰した後，同月２８日，署名した同契約書及び同誓約書をＣ料理長に提出した。
（以上につき，甲１，３，乙４３，証人Ｃ・２１，２２，３５ないし４７頁，原告４２頁）
オ（ア）　平成２３年１１月２９日，Ｃ料理長は，本件焼肉店のキッチン担当従業員全員に対し，同年１２月５日から導入される約２０種類の新メニューを覚えるように指示した上，そのレシピを従業員が見られるようにした。
（イ）　新メニューの練習については，従業員各自が都合の良い時間に各自でレシピを見て練習することとされ，従業員が集まって一緒に練習する方法は採られていなかった。
（ウ）　その後，半数以上の従業員は新メニューの大半を確認したが，原告は，新メニューを１つも覚えず，同月８日に新メニューの注文が入った際も，対応することができなかった。
Ｃ料理長は，かかる原告の態度を見かねて，原告に対し，新メニューを覚えないなら，キッチン担当従業員として任せられない旨述べたところ，原告は，翌日から欠勤する旨を述べた。
（以上につき，乙４０，４１，４３，証人Ｃ・２２，２３頁，原告４４頁，弁論の全趣旨）
(2) 　検討
ア　本件出来事④（スープをこしていなかったことに対する叱責）
原告は，本件出来事④について，原告の勤務時間は午後３時からで，スープを炊くには４時間必要である上，スープのストックは用意されていたから業務に支障はなかったにもかかわらず，午後６時までにこれを完了するように指示したもので，不必要かつ時間的に達成困難なノルマを課されたから，その心理的負荷は「強」である旨主張する。
（ア）　しかしながら，Ｃ料理長は，調理場が狭く，スープをこす作業が通行の邪魔になること，営業が始まると多忙になることから，営業開始前に作業を終えられるように，午後零時又は午後１時頃から炊き始めていた，スープを炊くのに必要な時間はおおむね三，四時間である旨陳述するところ（乙４３），仮に，原告が主張するようにＣ料理長が原告に対し，午後６時までにスープをこす作業を終えるように指示していたとしても，上記のような理由で，同指示には一定の合理的な理由があったと認められる。また，スープをこす作業自体は簡単かつ短時間で行うことができること（証人Ｃ・３３，３４頁）や本件焼肉店は，午後５時の営業開始後，すぐには忙しくならないこと（証人Ｃ・１６頁）に照らすと，遅くとも午後５時までにスープが炊き上がったのであれば，午後６時までにスープをこすことが時間的に不可能あるいは困難であったとは認められない。そうすると，原告が主張する，Ｃ料理長が原告に対し，午後６時までにスープをこすように指示したことをもって，不必要かつ時間的に達成困難なノルマを課したとはいえない。
なお，原告は，スープのストックが用意されていたから開店時間までに作業が終わっていなくても業務に支障はなかった旨主張するところ，仮に，原告が主張するとおりスープのストックがあったとしても，営業が始まれば他の作業が必要となり，その結果，スープをこす作業が完了しなければ，翌日に使用するストックがなくなることになることからすれば，スープのストックが用意されていたことをもって，不必要な作業であったことの証左であると評価することはできない。
（イ）　そして，原告は，上記のとおり，Ｃ料理長が喫煙を理由に勤務時間を短縮した際に勤務時間中に喫煙したことを明確に否定して，勤務時間の短縮に抗議したり，ライスが切れたことについてとがめられた際に自己の責任を否定したりするなど，Ｃ料理長から注意や叱責を受けても，自己に責任がないと判断したときは自らその旨をＣ料理長に主張しており，このような原告のＣ料理長に対する対応状況に鑑みると，現にスープが炊きあがっておらず，開店時間までにスープをこす作業を終わらせることが困難であったのであれば，その点をＣ料理長に指摘しなかったとは考え難く，これらの事情をも併せ鑑みても，原告がＣ料理長から不必要かつ時間的に達成困難なノルマを課されたということもできない。
イ　本件出来事⑤（ライスが切れたことについての叱責及びその後の欠勤時の状況）
（ア）　Ｃ料理長は，本件出来事⑤に関し，原告を叱責した理由について，原告が担当しているサラダ場のそばにライスロボがあるため，赴任当初から原告が炊飯をしていたとして，リーダー的な原告が責任を否定するのは無責任であると思ったためである旨陳述する（乙４３）が，このときの炊飯担当が原告であったことを裏付ける的確な証拠はないこと，原告がＣ料理長に対し，自分の責任ではない旨を明確に述べていたこと，「リーダー的」といっても原告はパートリーダーとしての役職等に就いていたわけではなく，単に勤続年数が他のパート従業員と比較して長かったというにすぎないこと（乙４３），以上の点に照らせば，上記叱責行為は，ライスが切れたことの責任が原告にあることが明らかとはいえない状況であったにもかかわらず，その責任の所在を確認することもなく，一方的に原告の責任であると断定して非難する態様でなされたものといわざるを得ない。
（イ）　もっとも，Ｃ料理長の原告に対する上記叱責は一回限りのものであり，また，発言に至る経緯や発言内容からして，その当否はともかく，飽くまでも業務指導の一環として行われたものであること，原告は自己の責任を最後まで否定して，そのまま帰宅していること，以上の点に鑑みれば，その心理的負荷が精神障害を発症させるに足りる程度に強度なものであったとまでは認められない。
ウ　本件出来事⑥（雇用契約書，誓約書）
（ア）　Ｃ料理長が原告に交付した「雇用契約書」，「誓約書」の内容は上記(1)エ（イ）（ウ）のとおりであるところ，Ｃ料理長は，誓約書については，原告のそれまでの態度に不信感を抱いていたことから，原告が職場復帰するに当たり，信頼関係を再構築するため，無断欠勤や喫煙等をしないなどの約束事を書面に残す趣旨で個人的に作成したものである旨証言し（証人Ｃ・３５ないし３８頁），「雇用契約書」については，勤務時間の変更は実態に合わせたものであり，契約期間や更新条件の変更については，３か月間様子を見た上で，再度，原告と話し合いたいとの趣旨で決めたものである旨証言する（証人Ｃ・２２頁，５４頁）。
しかしながら，雇用契約書については，一方的に，従前より勤務条件を不利益に変更するものであること，誓約書についても，いかなる理由があっても責任者の許可なく欠勤したり，勤務時間内に喫煙をすれば解雇するなどと記載されており，実際に，解雇する意図を有していたかについてはさておくとしても，その表現は穏当さを欠くものであること，以上の点からすると，これらの書面を作成し，原告に交付したＣ料理長の行動には不適切な面があったといわざるを得ない。
（イ）　もっとも，上記誓約書及び雇用契約書は，原告が職務復帰するに当たり作成されたものではあるが，原告が職場復帰したのは平成２３年１０月２６日であるのに対し，原告がＣ料理長に上記誓約書及び雇用契約書を提出したのは同月２８日であること（原告４３頁）からすれば，必ずしも職場復帰するに際し，上記誓約書及び雇用契約書の提出が強要されたものであるとまでは認められない。
また，上記誓約書には，一定の場合には解雇する旨の記載があるが，実際は，Ｃ料理長は解雇権限を有しておらず（証人Ｃ・３７頁），Ｃ料理長が本件焼肉店の店長ではなく，料理長という立場にあったことは原告も当然認識していたことからすれば，原告もＣ料理長が解雇権限を有していないことは容易に認識可能であったといえる。
以上の事情を勘案すると，上記誓約書及び雇用契約書の作成をもって，認定基準において「強」と評価される「退職の強要」や「（ひどい）いじめ」に当たるとまで評価することはできない。
エ　本件出来事⑦（新メニューの練習）
原告は，勤務時間内は担当業務に追われて新メニューを練習する時間がなく，原告以外の従業員は，原告の休みの日や勤務時間外に新メニューの練習を行っていた上，Ｅ主任からも新メニューの作り方を教えてもらえなかったから，新メニューを作るよう指示されたことは，「達成困難なノルマを課された」場合に当たる旨主張する。
しかしながら，他の従業員の一部が同じ時間帯に一緒に新メニューの練習をした事実は認められるものの，一斉に集まって新メニューの練習をした事実は認められないこと（上記(1)オ（イ）），原告は，平成２３年１１月２９日から同年１２月８日までの間に２日間しか欠勤していないこと（乙４０，４２），他の従業員の中には全ての新メニューを把握できていない者もいたこと（乙４０），他の従業員もそれぞれ担当する業務に従事している中で，上記練習をしていたこと，以上の点に照らすと，殊更，原告のみを除外して新メニューの練習を行った，あるいは原告のみが新メニューを練習する時間がなかったとは認められない。
なお，原告は，新メニュー練習のために残業代を支払うので，残業をするようにとの指示がされたこともなかったなどと主張するが，仮に，勤務時間終了後に新メニューの練習をすることが残業に当たるとしても，Ｃ料理長が原告に対して残業すること自体を禁止していたとは認められないから，かかる事情をもって，新メニューを習得する物理的な時間がなかったということはできない。
オ　原告とＣ料理長とのトラブルの点
原告は，Ｃ料理長が，マネージャーの前で，原告が職場復帰することにつき，否定的な態度を示したことや，新メニューの作り方を原告にだけ教えなかったことなど，原告と上司との間にトラブルがあったことは，周囲からも客観的に認識されており，度重なるＣ料理長との対立により，休職を余儀なくされ，業務に大きな支障を来した場合に当たる旨主張する。
確かに，上記(1)ウのとおり，Ｃ料理長は，平成２３年１０月２１日，Ｄマネージャー，原告及びＣ料理長の３名で職場復帰のための話合いをした際，原告に対して腹を立てて感情的になり，原告が職場復帰することにつき，否定的な態度を示していたことは認められる。しかしながら，その際，Ｃ料理長の上司であるＤマネージャーが同席し，Ｃ料理長をたしなめる趣旨の発言をしていること，同話合いの２日後に原告が自らＣ料理長に電話で職場復帰の希望を伝えたことを契機として，Ｃ料理長も原告の職場復帰を了承し，同月２６日から原告は職場に復帰していること，上記エのとおり，Ｃ料理長が，新メニューの練習に関し，原告を除外するなどしたとは認められず，その他に，職場復帰後，原告の業務に支障が生じていたことを認めるに足りる客観的な事情は認められないこと，以上の点に鑑みると，原告の職場復帰に至る上記事情をもって，その心理的負荷が精神障害を発症させるに足りる程度に強度なものであったとは認められない。
カ　小括
以上のとおり，①仮に，本件疾病が平成２３年１２月までに自然的経過を超えて悪化したと認められたとしても，同悪化について原告の挙げる各出来事が「特別な出来事」に該当するものとは認められず，その他，同悪化について業務起因性があると認めるに足りる的確な証拠は認められない。また，②仮に，原告が主張するように，原告が恐怖症性不安障害を発症していたとしても，同発症について原告が挙げる各出来事を個別的にみても，一連の出来事を全体的に評価しても，いずれも認定基準に該当する心理的負荷の強度が「強」と評価されるものとは認められない。
４　結論
以上によれば，原告に対し，休業補償及び療養補償給付を支給しないこととした本件各処分は，いずれも適法であって，原告の請求はいずれも理由がないから棄却することとし，主文のとおり判決する。
大阪地方裁判所第５民事部
（裁判長裁判官　内藤裕之　裁判官　佐々木隆憲　裁判官　甲斐雄次）

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③留守宅|候補者PR資料ポスティング投函
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