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裁判年月日 平成23年12月21日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平21(行ウ)636号
事件名 退去強制令書発付処分取消等請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2011WLJPCA12218011
要旨
◆トルコ共和国の国籍を有するクルド人であり、本邦で不法残留をしていた原告が、法務大臣から難民不認定処分を、入国管理局主任審査官から退去強制令書発付処分を受けたため、各処分には原告の難民性を看過した違法があるなどとして、これらの取消しを求めた事案において、認定事実によれば、原告に難民の要件を満たすような事情は存在しないから、本件難民不認定処分は適法であるといえる上、仮滞在許可を得ていない者に対する退去強制手続では、在留特別許可は付与されないから、原告に在留許可を付与しないとした裁決は適法であり、同裁決が適法である以上、本件退令処分もまた適法であるとして、各請求を棄却した事例
出典
参照条文
行政事件訴訟法3条2項
出入国管理及び難民認定法2条3号の2
出入国管理及び難民認定法24条4号ロ(平21法79改正前)
出入国管理及び難民認定法49条
出入国管理及び難民認定法50条1項
出入国管理及び難民認定法61条の2
出入国管理及び難民認定法61条の6第4項
難民の地位に関する条約1条
難民の地位に関する条約33条1項
難民の地位に関する議定書1条
裁判年月日 平成23年12月21日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平21(行ウ)636号
事件名 退去強制令書発付処分取消等請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2011WLJPCA12218011
埼玉県川口市〈以下省略〉
原告 X
同訴訟代理人弁護士 大橋毅
宮内博史
東京都千代田区〈以下省略〉
被告 国
同代表者兼処分行政庁 法務大臣 A
処分行政庁 東京入国管理局主任審査官 B
被告指定代理人 渡邊未来子ほか別紙指定代理人目録記載のとおり
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 法務大臣が原告に対して平成19年9月20日付けでした難民の認定をしない処分(以下「本件難民不認定処分」という。)を取り消す。
2 東京入国管理局主任審査官が原告に対して平成21年10月14日付けでした退去強制令書発付処分(以下「本件退令発付処分」という。)を取り消す。
第2 事案の概要
本件は,トルコ共和国(以下「トルコ」という。)の国籍を有する外国人男性である原告が,出入国管理及び難民認定法(平成21年法律第79号による改正前のもの。以下「入管法」という。)61条の2に基づき難民の認定の申請をしたところ,法務大臣から難民の認定をしない旨の処分(本件難民不認定処分)を受けるとともに,東京入国管理局主任審査官から退去強制令書の発付処分(本件退令発付処分)を受けたことについて,これらの処分には原告が難民であることを看過した違法がある等と主張して,本件難民不認定処分及び本件退令発付処分の取消しを求めた事案である。
1 前提事実(証拠等の掲記のない事実は,当事者間に争いがないか,当事者において争うことを明らかにしない事実である。)
(1)原告の身分事項,入国及び在留状況等
ア 原告は,1986年(昭和61年)○月○日にトルコのカフラマンマラシュ県パザルジュク郡において出生した同国の国籍を有する外国人男性である。
イ 原告は,2003年(平成15年)7月7日,トルコのガジアンテップ県において旅券の発給を受けた。
ウ 原告は,平成15年7月20日,トルコのイスタンブールから新東京国際空港(現在の成田国際空港。以下「成田空港」という。)に到着し,東京入国管理局成田空港支局入国審査官から,在留資格を「短期滞在」とし在留期間を「90日」とする上陸許可を受けて本邦に上陸したが,在留期間の更新又は在留資格の変更を受けないで,在留期間の末日である同年10月18日を超えて本邦に残留した。
(2)退去強制手続に関する経緯
ア 原告は,平成18年8月28日,入管法違反(不法残留)の罪を犯した疑いにより現行犯人として逮捕された。
イ 東京入国管理局入国警備官は,平成18年8月30日,原告に係る違反調査をし,原告について入管法24条4号ロ(不法残留)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,収容令書に基づき原告を収容し,同日,原告を東京入国管理局入国審査官に引き渡した。
ウ 東京入国管理局入国審査官は,平成18年8月31日及び同年9月20日,原告に係る違反審査をし,その結果,同日,原告が入管法24条4号ロ(不法残留)に該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨の認定をし,原告にその旨を通知したところ,原告は,同日,特別審理官に対し,口頭審理の請求をした。
エ 東京入国管理局特別審理官は,平成18年10月4日,原告に係る口頭審理をし,その結果,東京入国管理局入国審査官の前記ウの認定に誤りはない旨の判定をし,原告にその旨を通知したところ,原告は,同日,法務大臣に対し,異議の申出をした。
オ 法務大臣から権限の委任を受けた東京入国管理局長は,平成21年9月11日,前記エの異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし,その旨の通知を受けた東京入国管理局主任審査官は,同年10月14日,原告にその旨を通知するとともに,本件退令発付処分をし,東京入国管理局入国警備官は,同日,退去強制令書を執行した。
カ 原告は,平成21年12月11日,入国者収容所東日本入国管理センターに移収されたが,同センター所長は,平成22年5月24日,原告を仮放免した(乙A25,26)。
(3)難民認定手続に関する経緯
ア 原告は,平成18年3月20日,法務大臣に対し,難民の認定の申請(以下「本件難民認定申請」という。)をしたが,法務大臣は,平成19年9月20日,原告について難民の認定をしない処分(本件難民不認定処分)をし,同年10月5日,原告にその旨を通知した。
イ 法務大臣から権限の委任を受けた東京入国管理局長は,平成19年9月28日,入管法61条の2の2第2項の規定による在留特別許可をしない処分(以下「本件在特不許可処分」という。)をし,同年10月5日,原告にその旨を通知した。
ウ 原告は,平成19年10月5日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分について異議申立てをしたが,法務大臣は,平成21年9月29日,同異議申立てには理由がない旨の決定をし,同年10月14日,原告にその旨を通知した。
エ 原告は,平成21年10月16日,法務大臣に対し,2回目の難民の認定の申請をした。
(4)本件訴えの提起
原告は,平成21年12月26日,本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
2 争点
(1)本件難民不認定処分の違法性(争点1)
(2)本件退令発付処分の適法性(争点2)
3 争点に関する当事者の主張の要点
(1)本件難民不認定処分の違法性(争点1)について
(原告の主張の要点)
ア 「迫害」の意義
難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)においては,「迫害を受ける」の意味について定義されていないが,難民法が,いかなるものであれ重大な仕方で人間の尊厳を否定する行為に関わるべきものであることからすれば,「迫害」とは,国籍国による保護を受けられないことを明確に示す,基本的人権の継続的若しくは組織的な否定をいうものと解すべきである。
また,迫害と訴追は,相互に排他的ではない。つまり,訴追が迫害である場合がある。刑法の内容及び実施はいずれも出身国の統制下にあるので,迫害の意図を有する政府が反対派を抑圧する手段として刑法を利用することは可能である。このような状況においては,政治的意図に基づく刑法の濫用の被害を受けるおそれがある者を,正義からの逃亡者として扱うことは筋が通らない。このような者はむしろ潜在的に迫害を受けるおそれがあるのであって,難民と認めるべきである。そして,基本的人権の行使を犯罪として扱う場合,原則として迫害に該当する。そのことは,出身国の国内法の如何によって左右されないし,左右されるべきではない。人権の行使が不当とされ,処罰対象とされるという,出身国の認定を,そのまま受け入れることは,明らかに不合理である。このことからすれば,当該「逮捕訴追」が,真に「テロの発生や拡大を未然に防止して国内の治安を維持するという国家の基本的責務を遂行する」逮捕訴追であるといえるかどうかは検討すべき問題である。トルコが加入しているいわゆるヨーロッパ人権条約を基準としてトルコがその管轄に服するヨーロッパ人権裁判所が人権侵害と判断したものは,トルコにおける法的通用力を否定することはできず,その中には,トルコにおいてテロ対策という名目で行われている措置が表現の自由に違反するとされた事例もある。
イ トルコにおけるクルド人の人権状況
トルコにおいては,クルド民族に対する厳しい民族差別があり,トルコ政府は,単一的国民国家であることを強調する憲法の下,クルド民族の存在そのものを否定する政策を一貫して採り,公共の場でクルド語を話すことを禁じる等,クルド民族文化の独自性を主張することすら禁圧し,クルド民族の独立や自治,文化の独自性を主張する者に対し,国家の統一を破壊する行為として,反テロリズム法により適正手続の保障のないままこれを処罰している。
これまで,人民労働者党(HEP),民主党(DEP),人民民主主義党(以下「HADEP」という。)といったクルド民族の権利を擁護する政党が生まれてきたが,それらは次々と解散を命じられて活動を封殺され(HADEPについては,2003年〔平成15年〕に,トルコ憲法裁判所により非合法化された。),クルド民族のトルコからの分離独立を主張する非合法政党であるクルド労働者党(以下「PKK」という。)がクルド人の支持を集め,勢力を伸長している。
こうした政治的背景の下,いったんクルド民族の権利を擁護する活動をする者とみなされると,真実そうであってもなくても断続的な拘束と拷問とを経験することとなる。
このように,トルコにおいて,クルド民族は,民族的アイデンティティを捨てるよう強制され,民族的少数者に認められるべき文化的権利に加え,文化や教育におけるクルド民族の権利を擁護する言論,政治結社の自由も侵害されている状況にある。そして,こうした状況は,2001年(平成13年)以降に憲法や法律が改正された後も改善されておらず,現に,公共の場でクルド語を使用した者が有罪の判決を受ける等した事例があるほか,親クルド政党の関係者に対する身体の拘束や処罰といった攻撃は現在も続いており,2007年(平成19年)ないし2009年(平成21年)には,拷問・虐待の認知件数の増加が報告される等もしている。トルコの状況が抜本的に改善されていないことは,先進諸国が,今なお多くのトルコ国籍の難民認定の申請者に庇護を与えていることからも明らかである。
ウ 原告の個別事情
(ア)トルコにおいて親クルド政党の活動をしたこと
原告は,正式な構成員として登録していたわけではないものの,1999年(平成11年)ころから,HADEPないしその事実上の後継政党である民主主義人民党(以下「DEHAP」という。なお,同党も弾圧を受け,同党が他党と合併した組織は2009年〔平成21年〕12月に非合法化された。)等の親クルド政党の集会に参加したりその事務所に行ったりする等し,2003年(平成15年)のネブルズ祭の際にも,DEHAPの事務所がしたクルド民族関連の物品を配布するボランティアの募集に応じ,祭りの会場の申込場所で引き受ける等していた。
そして,次の(イ)に述べる2003年(平成15年)のネブルズ祭の後に,憲兵隊(ジャンダルマ)等が原告の居住していた村に来て,原告の所在を尋ねる等したことからすれば,トルコ政府においても,原告とDEHAPとの関係を把握していた可能性が高い。
(イ)トルコにおいてネブルズ祭に参加したこと
原告は,幼いころから家族でネブルズ祭に参加していたが,トルコを出国する前の直近の数年間でいえば,1999年(平成11年),2001年(平成13年)及び2003年(平成15年)にトルコ国内でのネブルズ祭に参加している。1999年(平成11年)のネブルズ祭の際には,警官隊の介入を受け,原告は,逃亡して4日後に自宅に戻ったが,この際には,治安当局に身元を把握されてはいなかった。2001年(平成13年)のネブルズ祭の際には,警官隊に逮捕,連行等され,身元を把握されるとともに,「これからは来るな」と脅される等した。また,原告は,2003年(平成15年)のネブルズ祭において,親クルド政党の活動としてクルド民族関連の物品を受け取って配っていたが,その際,警官隊の介入があったため逃走し,その後,警察又は憲兵隊(ジャンダルマ)からの呼出しがあったと母から聞いたものの,これに応じず,出国を決意した。
このように,原告は,トルコ政府によって,ネブルズ祭に参加しており,DEHAP等の親クルド政党と密接な関係がある者として把握されている。
(ウ)Cが連行され拷問を受ける等したこと
1999年(平成11年)10月に,軍隊が当時原告らの家族の居住していたチャムルル村に来て,村の成人男性のほとんどが連行され,その際,原告は,軍人に命じられて,C(原告の父の従兄弟。以下「C」という。)の家の中を案内させられる等した。Cその他数名の村人は,超法規的に身柄を拘束され,憲兵隊(ジャンダルマ)に激しい拷問を受けた。
(エ)原告の父が連行されたこと
1992年(平成4年)ころ,当時原告らの家族が居住していたヒュリエット村において,PKKを支援した疑いにより村人約40人が連行され,その際,原告の父も連行され,拷問を受けた。また,1999年(平成11年)10月に,軍隊がチャムルル村に来て,村のほとんどの成人男性が連行された際(前記(ウ)参照),原告の父も連行された。
(オ)本邦でクルディスタン&日本友好協会の活動等に参加したこと
「クルディスタン&日本友好協会」(以下「友好協会」という。)は,クルド人の置かれた状況に同情する日本人とトルコ国籍のクルド人の難民申請者が中心になって,平成15年7月に本邦で設立された団体であり,埼玉県蕨市を中心に生活する在日クルド人の生活上の相談にのることを主な活動としている。友好協会は,クルディスタンに関する政治活動を行っているわけではなく,PKKと関わりのある組織ではないが,トルコ政府は,PKKの日本支部であるとして,同年8月にトルコを訪れた本邦の国会議員等に対して友好協会の取締りや解散措置を要請する等している。原告は,来日後に友好協会の事務所に通い,同協会主催のネブルズ祭に参加したほか,本邦でクルド人が行ったデモ行進等にも参加しており,原告の活動はトルコ当局にも把握されている。
(カ)D等がトルコにおいて逮捕される等したこと
a 原告の父方の従兄弟であるD(以下「D」という。)は,平成14年12月1日に来日し,平成17年3月31日にトルコに帰国したが,帰国の際,イスタンブールの空港において,PKKの旗や指導者のポスターの下で撮影した写真等を所持しているのを発見され,PKKの支援者であるとの疑いにより警察に逮捕された。この写真には,原告も写っており,友好協会主催の集会に参加した際のものや,壁にかけたPKKの指導者の写真の下にいるところのものも含まれていて,これらによる写真識別調書(甲3の1)には,原告の氏名やその両親の氏名も掲げられている。Dは,友好協会の主催した平成15年及び16年のネブルズ祭とサッカー大会に参加したことがPKKへの援助に当たるとして,トルコ共和国刑法169条等違反により起訴され,同年8月20日ころ,本邦の保釈に該当する制度により釈放された後,同年11月,偽名でトルコを脱出して再度来日した。その後,トルコの裁判所は,同年12月23日,同人欠席のまま,同人に対し,起訴状と同様の事実を認定して,3年9か月の禁錮刑を言い渡した。Dに対して敢行された逮捕・訴追及び処罰行為は,表現の自由を侵害するものであり,前記アで述べたところに照らし,迫害に該当する。
この点,被告は,Dの上記裁判に係る公判調書(甲3の7,乙A40の1)や判決書(甲3の6,乙A40の2)について,偽造の疑いがある旨を主張するが,上記各文書の記載内容が不合理でないことは,上記裁判に係るDの弁護人であったE弁護士の回答書〔甲41〕のとおりである。また,上記各文書が真正に成立したものであることは,後記b及びcのとおり,F(以下「F」という。),G(以下「G」といい,Fと併せて「Fら」という。)及びH(以下「H」という。)らが,それぞれ刑事手続に付されたこと等からも裏付けられる。
b Dと同様に来日していたFらは,トルコに帰国した後の2005年(平成17年)10月24日に警察に連行され,以後連日にわたって,取調べの名の下に脅迫や暴行を受けた。その後,同人らは,Dから押収された前記aの写真等により,同人らが友好協会の主催したネブルズ祭やサッカー大会に参加していたことが特定されたとして,犯罪組織の宣伝活動の罪を犯した疑いにより起訴された(Fらに関する刑事手続が実在することは,現地調査の結果〔甲5の1ないし4〕等によって成立の真正が認められる同人らに関する刑事裁判関係文書から明らかである。)。イベントへの参加を理由にされたFらの逮捕及び訴追についても,Dと同様に,「迫害」に該当するといえる。
c Dの兄であるHは,2008年(平成20年)11月21日,日本人の配偶者であるIとともにトルコに一時帰国したところ,同月22日,イスタンブールの空港において,警察官から,「2003年のことであなたを捕まえる命令が出ている。」,「PKKの武装闘争に関与した容疑である。」等と言われて逮捕された。Hは,その後に連行された警察署で,本邦で行った犯罪について尋ねられ,「PKKの支援をしたことで逮捕することになっている。」等と言われ,さらに,メトリス刑務所の政治犯が拘禁されるエリアに拘禁された後,訊問官らの質問を受け,その際,「Dはおまえの何に当たるのか。」等と質問されるとともに,本邦でHがDとともに住んでいた部屋で同人と一緒に写った写真(写真に写っていたHには「11番」と番号が付されていた。)を見せられ,このことでHに逮捕命令が出された等と告げられ,その部屋に掲げられた旗を指して,「この旗はテロリストの旗だ。君は何をしていたんだ。」等と言われた。Hは,裁判官から書類を読み上げられて,同年12月26日に解放され,後に起訴されたが,無罪判決が言い渡された(この判決は,Dに係る判決にも言及している。)。
原告の父母のもとには,2007年(平成19年),何度も憲兵隊が来て,原告の所在を尋ね,原告やDの写真を示す等もしていたところ,上記のようにHが逮捕された直後にも,その関連で憲兵隊が原告の父母のもとに来て,原告の所在を尋ねる等し,原告の母と末の妹は,トルコに居住し続けることによって更に当局に圧迫されることをおそれ,2008年(平成20年)12月15日ころに来日し,原告の父も,その後に来日した。
エ まとめ
以上のとおり,原告は,クルド人のアイデンティティを守らなければならないとの強い信条の下,トルコ及び本邦の国内において政治活動に従事してきたものであり,このような原告がトルコに帰国したならば,D等と同様に逮捕・起訴され,さらには処罰される蓋然性が高い。これらのことからすると,原告は難民に該当するというべきであるから,これを看過した本件難民不認定処分は違法であり,取り消されるべきものである。
(被告の主張の要点)
ア 「難民」及び「迫害」の意義
入管法に定める「難民」とは,難民条約1条又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうところ(入管法2条3号の2),これらの各規定によれば,難民とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」をいう。そして,ここにいう「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧をいい,また,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由がある恐怖を有する」というためには,申請者が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解すべきである。
イ トルコの一般情勢
(ア)トルコ国内には,推定で1000万人以上ものクルド系住民が居住しているといわれるが,トルコ政府は,1991年(平成3年)春には,トルコ国内においてクルド語の使用を禁止する根拠となっていた法律を廃止し,また,トルコの欧州連合(以下「EU」という。)加盟問題を背景に,1987年(昭和62年)以降頻繁に憲法を改正し,EU諸国と同等の法社会体制の実現に向けた改革を進めている。トルコの民主化は,急速かつ不可逆的に進展しており,クルド系住民をめぐるトルコ国内の環境は,抜本的に改善されているのであって,クルド系住民の社会進出や先進各国の動向等にも照らせば,トルコ社会は,民主的なクルド人文化を受容しており,クルド人がトルコ国内において民族的出自のみを理由に不利益な取扱いを受けることはない。
本邦におけるクルド人の動向をみても,クルド人であることを理由に難民申請をしていたトルコ人が,自主的に申請を取り下げ,帰国している例が少なからずあり,それらの者は,取下げの理由として,トルコにおいてそもそも迫害を受けた事実はないことや,本邦において仕事が見つからなくなったこと,トルコの社会情勢としてクルド人が迫害を受けていることはないこと,トルコの社会情勢が変化し,帰国しても迫害を受けるおそれがないこと等を挙げているところである。
(イ)他方,PKKは,ゲリラ戦やテロ活動を行っている反政府武装集団であり,武装闘争を開始した1984年(昭和59年)以来,治安部隊との戦闘やテロ行為により,市民を含めて3万人に上る犠牲者が出たといわれており,近時においても,公共の場所における爆弾テロを企図する等,その危険性はいまだ失われていない。このようなPKKの活動状況からすれば,トルコの治安当局がトルコ国内外でのPKKの活動を警戒し,PKKと何らかの関係があるとの疑いがある者を対象に捜査等を行ったとしても,それは迫害に当たらないというべきである。
なお,トルコ政府は,2000年(平成12年)12月21日,PKK等の非合法組織の支援者を含む刑法犯を対象として,減刑や恩赦による釈放を認める恩赦法を承認する等,柔軟な対応を示しており,PKKの単なる支援者にすぎなければ,処罰を受けることもなくなっている。
ウ 原告の個別事情
(ア)親クルド系政党との関係
トルコにおいて,政治的意見を平和的に表現したり,合法政党を支持したりしただけで迫害を受けるおそれがあるとはいえないことは,前記イで述べたとおりである。
また,原告が親クルド系政党の活動を行っていたとする原告の供述は不自然に変遷する等しており,容易には信用できないし,仮に,原告において親クルド系政党に関わったことがあったとしても,少なくとも成人後に積極的に当該政党に関わる政治活動に携わっていたとはいえないから,トルコ政府が,トルコでの政治活動を理由に原告を反政府活動家として把握していたとか,関心を寄せていたとはおよそ考え難い。
(イ)ネブルズ祭に参加したこと
トルコにおけるクルド系住民をめぐる国内環境が抜本的に改善されていることは,前記イで述べたとおりである上,ネブルズ祭は,1996年(平成8年)にトルコにおいて国家的祝祭として公認され,以降,多数の都市で平穏に開催され,警察の介入も行われていない。
また,2001年(平成13年)のネブルズ祭において警察に連行され,尋問を受けたであるとか,2003年(平成15年)のネブルズ祭において,雑誌を配布する等したことで警察の呼出しを受けたとする点については,原告の供述は不自然に変遷する等しており,容易には信用できず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。加えて,原告は,平成18年1月に在東京トルコ大使館において旅券の延長手続をし,同大使館では,早く兵役に行けと言われただけで2か月間の有効期限の延長を受けている。
(ウ)Cが逮捕されたこと
Cについては,難民該当性を否定する判決が既に確定しており(当庁平成14年(行ウ)第465号事件,東京高裁平成17年(行コ)第107号事件),同人に関する事情をもって原告の難民該当性が肯定されることにはならない。
本件に即してみても,チャムルル村のCの家を案内させられたであるとか,Cが残酷な拷問を受けたとする原告の供述は,容易には信用できず,他にこれを裏付ける証拠はない。仮に,原告がCの家を案内させられたということがあったとしても,Cが逮捕されたのはPKKへの支援が疑われたことによると考えられるから,PKKの関係者と思料される者の捜査や取調べをもって,直ちに迫害に当たるということはできない。また,結局,Cは無罪判決を受けているのであって,このことはトルコにおいて刑事司法制度が適正に機能していることの証左といえる。
(エ)原告の父が連行されたこと
原告は,本件難民認定申請に係る難民認定申請書(乙A16)においても,その後の難民調査官による事情聴取においても,原告の父の連行等に何ら言及しておらず,言及しなかったことについての合理的な理由があるということもできない。原告の父が,正規旅券を取得し,合法的にトルコを出国していることも考えれば,原告の父がトルコの治安当局に連行等されたとの事実は認められない。
(オ)友好協会での活動
原告は,本件難民認定申請の際,友好協会設立の最大の目的は「PKKのオジャラン氏への支援」であり,実際にも金銭的な支援をしていた旨述べていたもので,そうであれば,トルコ政府において,PKKへの支援を理由に捜査や起訴をする等したとしても,これをもって迫害であるということはできない。
また,原告は,友好協会が政治活動を行っておらず,PKKと関わりのある組織ではないと主張するが,そうであれば,原告は,そのような友好協会において,役員の地位に就く等の主導的な役割を果たしていたわけでもなかったのであるから,トルコ政府から関心を寄せられるほどの活動には携わっていなかったというべきであるし,いずれにせよ,単なるPKKの支援者にすぎなければ,処罰を受けることもなくなっていることは,前記イ(イ)のとおりである。
(カ)D等の刑事手続等
a 以下の①ないし③に照らせば,Dの刑事手続に関する文書とされる書面の成立の真正には重大な疑義があり,そのような刑事手続が存在したかは疑わしい。また,仮にDに関する刑事手続が存在したとしても,PKKが違法なテロ組織であることや,前記イ(イ)の近時のトルコの状況に照らせば,Dに関する事情は,原告の難民該当性を基礎付ける事情となるとはいえない。
① Dに関する刑事裁判の公判調書とされる書面(甲3の7,乙A40の1)には,「ネブルズ」の表記が,トルコ語の「Nevruz」ではなく,クルド語読みの「Newroz」と記載されている。また,トルコ刑事訴訟法によれば存在しなければならないはずの裁判長又は裁判官と書記官の署名がなく,さらに,トルコ文字にはない「Q」及び「W」の文字が使用されている。
② Dに関する刑事裁判の判決書とされる書面(甲3の6,乙A40の2)での裁判所名の表記と,同一裁判所が作成したはずの公判調書とされる書面の裁判所名の表記が一致しない。また,トルコ刑事訴訟法によれば明示されるはずの上訴の期間等の記載もない上,法令の適用の誤り等もみられる。
③ 諸外国の報告や被告が行った現地調査の結果によっても,海外で庇護を求めるトルコ人の行使した公文書に偽造文書が多くみられるとされている。また,トルコでは2005年(平成17年)6月に刑法が改正,施行されている(以下,この改正前のものを「旧刑法」といい,改正後のものを「新刑法」という。)ところ,これらの偽造文書のほとんどは,今日的には重要な役割を果たしていないと解されている旧刑法169条に言及しているとされており,本件でも,Dに関する公判調書及び判決書とされる書面では同条が引用されている。
b Fが,起訴されたとする2005年(平成17年)11月25日のわずか2か月後である2006年(平成18年)1月にトルコを出国し,他人名義旅券により本邦に不法入国していることからすれば,同人は,他人名義旅券での出国も困難なほどにはトルコ政府によって監視されていなかったといえる。
なお,同人の兄であるJは,平成13年6月に他人名義旅券により本邦に不法入国しているところ,本邦において退去強制令書の発付処分を受け,難民該当性を理由に当該処分の取消しを求める訴えを提起したが,同訴訟において同人の請求を棄却する旨の判決が言い渡され,同判決はその後の上級審においても維持され,確定している。
c Hの判決書とされる書面(甲43)について,同書面が本件において証拠として提出されるに至った経緯に不自然な点がある上,同書面の記載内容は,Dに係る別件の取消訴訟で提出された書証や同人の供述と一致しておらず,その成立の真正は疑わしい。
また,仮に,上記文書が真正に成立したものであるとしても,その内容が無罪判決であることや,同人が当該刑事手続において判決前に釈放され,無事にトルコを出国していることのほか,Hが尋問を受けた際に示されたとされる2003年(平成15年)に撮影された写真について,同人,D及びKが一緒に写っているとは考え難く,Hの陳述書(甲7)が信用できないこと等からすれば,かかる判決があるからといって,原告の難民該当性が肯定されることにはならない。
なお,原告の母及び妹は,Hが2008年(平成20年)11月21日にトルコに帰国する前の同月14日に本邦に入国しており,Hがトルコに帰国した後に憲兵隊の詰問を受けるということはあり得ない。
エ まとめ
以上の事情に加えて,原告が,2003年(平成15年)3月に開催されたネブルズ祭に参加したとする後の同年7月7日にトルコにおいて自己名義の正規旅券の発給を受け,合法的にトルコを出国していることや,Dがトルコで逮捕された後の平成18年1月に本邦において旅券の更新手続を受け,その理由として,トルコに帰国することも考えていた旨述べていることも併せ考えれば,原告がトルコにおいてその所在を追及されるような立場にはなく,原告もそのようなおそれを感じていないものというべきである。
したがって,原告を難民と認めることはできないから,本件難民不認定処分は適法である。
(2)本件退令発付処分の適法性(争点2)について
(原告の主張の要点)
前記(1)(原告の主張の要点)のとおり,原告は難民であるから,原告をトルコに送還する本件退令発付処分は難民条約33条1項等に反する。
また,在留特別許可の判断においては,人権上の要請が考慮されるべきであるところ,本件在特不許可処分は,このような人権保障の基準に合致していないから,裁量権の範囲から逸脱し,又はこれを濫用したものとして違法であり,本件退令発付処分はその違法を承継して違法である。
(被告の主張の要点)
前記(1)(被告の主張の要点)のとおり,原告は難民に該当しない。
また,原告は,入管法50条1項に基づく在留特別許可の対象とはならないところ,原告が同法24条4号ロ(不法残留)所定の退去強制事由に該当し,かつ,出国命令対象者に該当しないことは明らかであるから,本件裁決は適法である。
したがって,本件退令発付処分は適法である。
第3 争点に対する判断
1 本件難民不認定処分の違法性(争点1)について
(1)難民の意義等
入管法2条3号の2は,同法における「難民」の意義について,難民条約1条の規定又は難民議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうと規定している。したがって,入管法にいう難民とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」をいうと解するのが相当である。
そして,上記の「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するものと解するのが相当であり(難民条約33条1項参照),また,上記にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解される。これと異なる原告の主張は,採用することができない。
本件においては,原告は,人種又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがある旨を主張していると解されるところ,以下においては,原告が上記の意義における難民に該当するか否かを検討する。
(2)トルコにおけるクルド人の一般的な状況について
前記第2,1「前提事実」(以下「前提事実」という。),括弧内掲記の各証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア トルコのクルド人政策一般について
(ア)クルド人は,トルコ,イラン,イラク等に居住するクルド語を母国語とする人々であり,トルコには1200万人以上のクルド人が居住していると推定され,トルコ最大の少数民族集団を形成している。クルド人は,まとまりのあるマイノリティ集団ではなく,社会の一員として平和に暮らしている人から筋金入りのテロリストまで様々であり,完全にトルコ人社会にとけ込み,クルド語さえ話せなくなっている人はかなり多い。トルコ政府は,クルド人であるというだけの理由で迫害することはなく,クルド人は,トルコ南東部以外では,公的又は政治的にクルド民族のアイデンティティを主張しない限り,迫害や差別を受けることはない。(乙A29〔5.103ないし105,107〕,30〔20.05ないし09〕,乙B1の2,2の1〔6.111,120ないし122,125〕,3〔訳文33頁〕,10)
(イ)トルコ政府は,1925(大正14年)から1938年(昭和13年)まで,クルド語とクルド文化を抑圧し,クルド人のアイデンティティを否定して,クルド人の反乱や抵抗を厳しく弾圧した。そして,1950年代までには,クルド人はトルコ社会に同化させられてしまったように見えた。(乙B2の1〔6.113,114〕)
PKKは,独立したクルド民族国家を樹立することを目標として1978年(昭和53年)に設立されたオジャランを党首とする反政府武装集団である。PKKは,トルコ国内外において武力闘争を主張し,1984年(昭和59年)に闘争を開始し,トルコ南東部における武力闘争は1990年(平成2年)から1994年(平成6年)にピークを迎え,PKKは,軍人や民間人等を標的とし,恣意的な殺人をした。これに対し,トルコ当局は,PKKに対して厳しい措置をとり,PKKとの抗争やテロ行為により数万人に上る死者が出た。(乙A30〔付録文書B〕,乙B1の1・2,2の1〔付表C〕,10,12の2,15)
PKKは,アメリカ合衆国,ドイツ,英国,EU等の各当局から,テロ組織として認定されている(乙B17の1ないし6)。
(ウ)トルコ政府は,武力闘争の拡大に対処するため,1980年代中ごろ,南東部の県について非常事態宣言を発令した。もっとも,原告の出生地であるカフラマンマラシュ県については1985年(昭和60年)11月に,ガジアンテップ県については1986年(昭和61年)3月に,それぞれ同宣言が解除された。(乙B2の1〔4.8,6.220〕,3〔訳文1頁〕)
(エ)トルコ政府は,1991年(平成3年)にテロ防止法を制定した。同法8条は,トルコ国家と国民との不可分の統一性に反するプロパガンダを発する人々を起訴,投獄することを可能にし,平和的方法で意見を表明する人々に対して適用された。また,旧刑法は,169条において,武力反乱の煽動等の犯罪を実行するために組織された武装集団に対する支援行為に対して禁錮3年から5年の刑事罰を規定していた。(乙B2の1〔付録F〕)
(オ)PKKの党首オジャランは,1999年(平成11年)に逮捕された。その後,トルコ南東部等においてPKKによる暴力行為が散発し,トルコ国外においても暴力的な抗議行動が発生したが,オジャランが武力闘争の中止を呼び掛けた後,トルコ政府とPKKとの間の武力衝突は減少し,2002年(平成14年)ころにはPKKによる暴力行為はほとんどなくなった。トルコ政府は,治安状況が大幅に好転したことから,同年11月までにトルコ全土で非常事態宣言を解除した。(乙A30〔付録文書B〕,乙B2の1〔4.8,4.23ないし26,6.137,220,付表C〕,3〔訳文1頁〕,13の1・2,14の1・2)
(カ)トルコ政府は,2000年(平成12年)12月,恩赦法を制定し,旧刑法169条の罪を含む一定の違法行為について減刑,釈放等を認め,これによりPKKを支持したために同条に基づいて有罪判決を言い渡された者の釈放や告訴の撤回が行われた(乙B2の1〔5.43ないし45〕)。さらに,トルコ政府は,2001年(平成13年)3月,EU加盟に向けた国家プログラムを発表し,思想と表現の自由,結社と平和的集会の自由等に関する多数の法律の制定及び変更を行うことを表明し,同年10月の憲法改正では,法律で禁止された言語の使用を禁止する条項を削除して,クルド語の使用に対する制限を緩和し,2002年(平成14年)には,死刑廃止,クルド語の教育や放送を解禁する法案を含む人権改善を目指す改革法案をトルコ国会において一括可決した(乙B2の1〔4.38ないし44,6.40〕,4の1ないし3)。
(キ)トルコ政府は,2003年(平成15年)ころまでに,テロ防止法8条を廃止し,また,旧刑法169条について適用範囲を限定する改正をし,その結果,同条に基づいて起訴される件数及び有罪率は減少した(乙B2の2〔6.94,110〕)。2004年(平成16年)5月の憲法改正により国家治安裁判所が廃止され,同裁判所の管轄であった組織犯罪等の大半の犯罪は新しく設立された地方重罪裁判所に移管された(乙B2の2〔5.41〕)。もっとも,トルコ政府は,2005年(平成17年)6月に施行された新刑法301条に基づき「トルコらしさを侮辱する」ことについて懲役刑を科すこととしたが,2007年(平成19年)5月,同条について,批判目的で行われる意見表明については犯罪を成立させない旨,同条違反の捜査に際しては法務大臣の許可を必要とする旨等の改正をした(甲20〔2頁〕,21〔21頁〕,乙A34〔訳文5頁〕)。
(ク)PKKは,2003年(平成15年)ころには,「KONGRA-GEL」と名乗るようになり,2004年(平成16年)には停戦の破棄を宣言して,再びトルコ治安部隊に対する襲撃を開始した。2005年(平成17年)には,特にトルコ南東部でトルコ軍との間でしばしば武力衝突が発生しており,その後も民間人を含む死傷者が出ている。(甲18〔1,2頁〕,19〔1,3頁〕,乙A30〔20.37ないし49,付属文書A〕)
(ケ)親クルド政党であるHADEPは,2003年(平成15年)3月,PKKとの関係を理由として,トルコ憲法裁判所により解散を命じられた(乙A30〔付属文書B〕,乙B2の1〔6.131〕)。DEHAPは,2002年(平成14年)11月の総選挙において約6.2パーセントの得票率を得たが,2005年(平成17年)12月に解党を決定した(乙A30〔付属文書B〕,乙B2の1〔6.130〕)。親クルド政党である民主主義社会党(以下「DTP」という。)は,2009年(平成21年)12月,PKKとの関係を理由として,トルコ憲法裁判所により解散を命じられた(甲27,28,32,33)。
(コ)ネブルズ祭は,昼と夜の長さが等しい日に春の訪れを祝うクルド民族等の伝統的な行事であり,トルコ政府は,かつて,ネブルズ祭の期間中の集会等を規制していたが,1996年(平成8年),全トルコ的祝祭としてこれを認めた。2000年(平成12年)のネブルズ祭では,イスタンブールを除き,多数の都市で示威行動がされたが,禁止措置もとられず,平和的に行われ,2001年(平成13年)のネブルズ祭もおおむね平穏であった。もっとも,参加者が車に投石したり,PKKやオジャランを擁護するスローガンを叫んだりすると警察が介入することがあり,イスタンブールでは100人以上が逮捕された。(乙B2の1〔6.144,添付リポート6.2.8〕)
2005年(平成17年)のネブルズ祭は,大部分の県で許可され,一部の地域を除き,平穏に開催された(乙A30〔20.52ないし20.54〕)。2007年(平成19年)には,ネブルズを祝うイベントが国全体で200ほど開かれたが,おおむね平穏裏に行われた(甲18〔訳文7頁〕)。
(サ)a PKK,HADEP等の構成員及びその親族等に対するトルコ政府の対応について,英国内務省の報告書(2003年〔平成15年〕4月)では,①PKKの構成員及びこれと疑われている者の親族は,トルコ当局から監視されている可能性があり,程度の差はあるものの,様々な脅し,嫌がらせ,取調べ等を受け,また,トルコ当局の監視下に置かれたり,尋問されたりするが,親族がPKKと無関係であるとトルコ当局が確信すれば迫害されることはないこと,②トルコでは,PKKに親族の1人や2人がいる者は数多いが,それらの者はトルコ当局と何ら問題を起こすことなく生活していること,③PKKの党首であるオジャランの親族は,トルコ当局から常に厳重に監視等されていると考えられるが,実際に迫害を受けることはないこと,④HADEPの構成員の親族は,親族であるという理由だけでトルコ当局からの迫害をおそれる必要はないが,例えば,HADEPの構成員の1親等又は2親等の親族で,地域で積極的に活動している場合には,親族による活動であるという理由で厳しく監視されることがあること等が報告されており,これと同旨の報告例がある(乙A30〔20.25〕乙B2の1〔6.132,188,189〕)。
b また,アメリカ合衆国国務省の報告書(2008年〔平成20年〕3月)では,①治安部隊による拷問・殴打・虐待は引き続き行われており,人権団体によれば,拷問・虐待のケースが増加しているとされること,②警察は,南東部を中心にDTPの事務所を数十か所にわたり捜索して,数百人の幹部や党員を拘束し,また,ジャンダルマや警察は,DTP党員に対する言葉による脅迫や集会での恣意的な逮捕,検問所での拘束等の嫌がらせを繰り返し,DTPに友好的であると思われる村人にも嫌がらせをしていること,③クルド人としてのアイデンティティを公然と,あるいは政治的に主張したり,公の場でのクルド語の使用を公然と支持したりした者は,非難,嫌がらせ,訴追等を受ける危険を冒すことになったこと等が報告されている(甲18〔訳文2,8,9頁〕)。
イ 外国で庇護の申請をしたクルド人の帰国後の取扱い等について
(ア)外国で庇護の申請をしたクルド人が,トルコに帰国した後,庇護の申請をしたという理由だけで迫害されることを示すものはないが,トルコ当局が分離活動とみなす行動に海外で携わった者は,迫害を受けるおそれがある。クルドの出身であること自体は,非人間的な扱いを受けるおそれを高めるものではなく,そのおそれは,個人のトルコ内外における活動にかかっている。トルコ政府の高官は,海外で庇護の申請をしたトルコ国民の圧倒的大多数が純粋に経済的理由からそれを行ったと認識していると発言している。(乙B2の1〔6.90,102,添付リポート9.1.6〕)
(イ)本邦において,クルド人であることを理由に難民の認定の申請をしていたトルコ国籍を有する者が,自主的に申請を取り下げ,自費出国の許可を受けて帰国している例が,平成9年1月から平成14年2月までの間に12件ある。それらの者は,取下げの理由として,①本邦において仕事が見つけることができないこと,②本国に帰国しても迫害を受けるおそれがないこと,③トルコの社会情勢として立入禁止区域に近寄らなければ迫害を受けることはないこと等を挙げている。(乙B19)
他方,原告訴訟代理人弁護士作成の報告書によれば,トルコに帰国した難民認定申請者の状況に関する情報を得ることは容易ではないとしつつ,帰国後に迫害ないしその具体的危険が生じた者が12名,第三国に出国して定住した者が5名おり,それらの者のうち6名が本邦を出国する時点で入国管理局により収容所に収容されていたとされている(甲35)。
(ウ)英国の調査派遣団報告書(2001年〔平成13年〕)によれば,英国において庇護を希望する多数のトルコ人が逮捕令状やその他の法的書類であると称する書類を作り出していることから,この点について調査したことを報告している(乙B2の1〔添付リポート4.2.2〕)。また,ノルウェーの調査団報告書(2004年〔平成16年〕)によれば,ノルウェー移民局は,トルコ人の庇護希望者から,トルコ当局に手配されていることを証明すると称する文書の提出を受けることが何度もあったのでこれを調査したところ,現地の弁護士は,①そのような文書が本物である可能性はなく,いかなるトルコ当局もそのような証明書を発行する権限はないし,勾留状,逮捕状は容疑者が拘束される以前に容疑者等に交付されることはないものの,これらの文書は賄賂により入手できること,②西欧に滞在するトルコ市民から何度もそのような文書を作成する依頼を受けたことがあるが断っていること,③裁判所の廷吏が偽造文書を販売したため汚職の疑いで逮捕された事案があるが,こうした汚職の問題は広範に広がっており,これは弁護士にも該当すると言及されていること,④逮捕状を含むそれらの文書のほとんどは,旧刑法169条について言及しているが,今や同条により処罰をされることはまれであること等を述べたとされている(乙A30〔31.03,31.04〕,乙B2の2〔5.62,5.63〕)。
(3)原告に関する個別事情について
前提事実,括弧内掲記の各証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 原告は,1986年(平成61年)○月○日,トルコのカフラマンマラシュ県パザルジュク郡で出生した同国の国籍を有するクルド人である。原告は,1996年(平成8年)ころ,家族とともにガジアンテップ県シェヒットキャミル郡のチャムルル集落に移り住んだ。原告は,小学校に5年程度通った後,家業である羊の牧畜等の手伝いをしていた。(甲42,乙A2,5,7の2,16,18,23,77,原告本人)
イ 原告は,少なくとも,1999年(平成11年),2001年(平成13年)及び2003年(平成15年)に,それぞれガジアンテップ県で開かれたネブルズ祭に参加した。また,原告は,HADEP又はDEHAPの党員になったことはなかったが,1999年(平成11年)ころから,政党の集会に行って話を聞いたり,食事会に参加したりするようになったほか,政党が発行した雑誌を友人に配る等したことがあった。(甲42,乙A5,7の2,16,18,22,23,原告本人)
ウ 1999年(平成11年)10月ころ,憲兵隊(ジャンダルマ)がチャムルル集落を訪れ,PKKに関与した疑いによりCを連行するという事件があり,原告は,その際,憲兵隊(ジャンダルマ)に命じられ,Cの家の中を案内させられた。なお,Cは,その後に,「PKK組織に対する援助及び隠匿幇助」の罪を犯した疑いにより起訴されたが,無罪判決を言い渡された。(甲42,乙A18,56,59の1・2,原告本人)
エ 原告は,2003年(平成15年)7月7日,ガジアンテップ県において正規の旅券の発給を受け,同月20日,トルコのイスタンブールから成田空港に到着し,本邦に上陸した(乙A2,3,7の2,18,77)。
オ 原告は,本邦に上陸した後,先に入国していたCを頼り,埼玉県川口市において同人と同居し,その後,土木作業員として稼働する等して月に14万円程度の収入を得ていた(乙A5,7の2,16,18,23)。
カ 原告は,本邦において,友好協会の活動に参加するようになった。
友好協会は,本邦に居住するクルド人とそれを支援する日本人が,埼玉県蕨市を中心に生活する在日クルド人の生活上の相談に乗ること(例えば,労働条件に関する雇用主との交渉等)を主な目的に掲げて平成15年7月ころに設立した団体である。トルコ政府は,本邦における友好協会の活動を懸念し,同年9月にトルコを訪問した本邦の国会議員に対し,友好協会の取締りを要求し,また,2000年(平成18年)1月に小泉首相(当時)がトルコを公式訪問した際,友好協会の閉鎖を話題とする等したことがある。(甲13,17,42,乙A5,18,23,弁論の全趣旨)
キ 原告は,遅くとも平成16年3月ころに友好協会に加入したが,①その前から友好協会の事務所に通い,毎月5000円ないし1万円を寄付し,②埼玉県蕨市の公園で行われたネブルズ祭に収容されていた間を除き毎年参加して,参加者と一緒に踊り,クルド人の状況の改善を訴えるスローガンを掲げ,③平成18年3月ないし4月ころには,在東京トルコ大使館前での抗議デモに参加したほか,④毎年8月15日(PKKが武装蜂起を敢行した日とされる。)に行われる集会に参加する等した(甲42,乙A5,18,23,71,原告本人)。
ク 原告は,平成18年1月11日,在東京トルコ大使館において,旅券の有効期限を延長する手続をした。原告は,その際,同大使館の職員から,兵役に就くように言われたが,旅券の有効期限は同年3月10日まで延長された。(甲42,乙A2,5,16,18,23,77,原告本人)
ケ 原告の母及び末妹は,平成20年11月14日,自己名義の旅券で,在留資格を「短期滞在」とし在留期間を「90日」とする上陸許可を受けて,それぞれ本邦に上陸した。また,原告の父も,同年12月28日,同じく自己名義の旅券で,同様の上陸許可を受けて本邦に上陸した。(甲42,乙A57,原告本人)
(4)検討
ア トルコにおけるクルド人の一般的な状況等について
前記(2)ア(ア)及び同イ(ア)で認定した事実(以下,前記(2)及び(3)で認定した事実を「認定事実」という。)によれば,トルコにおけるクルド人は,クルド人であるという人種的属性のみによって,トルコ政府から前記(1)に述べた意味における迫害を受ける可能性は低いというべきである。
また,認定事実(2)ア(ア)ないし(キ)及び(コ)によれば,トルコ政府は,かつて,クルド人の文化的,政治的活動を抑圧し,クルド人の民族独立運動に対して極めて厳しい措置をとっていたが,PKKによる武力闘争が減少した2000年(平成12年)ころ以降は,EU加盟に向けて国内の法制度の改革を開始し,憲法,刑法,テロ防止法等を改正し,法制度上,クルド語の使用の緩和,表現の自由や政治活動の自由の範囲の拡大等を図ってきたということができる。
もっとも,認定事実(2)ア(ク)ないし(サ)によれば,近年においても,PKKによる武力闘争が発生しており,トルコ政府は,引き続きPKKへの支援を理由とした拘束,起訴等をしているほか,PKKとの関係を理由に親クルド政党の解散を命じる等もしており,PKKを支援する者に対して厳格な対応をとっているといえる。
しかしながら,認定事実(2)ア(イ)のとおり,PKKが欧米諸国からテロ組織と認定されている団体であることを考慮すると,トルコ政府が,法令の定める手続に従い,PKKによるテロ活動の予防や調査,PKKの活動家の行った犯罪の捜査等を行うという目的のため,関係者に対する捜査等を行い,又は身柄を拘束したり,刑罰権を行使したりすることは,それが必要な範囲を超えるものでない限り,政治的意見を理由とした迫害と評価すべきものではないと解されるところである。また,認定事実(2)ア(サ)によれば,PKKの構成員又はそのように疑われている者の親族については,トルコ政府による監視等を受ける可能性があるものの,そのような者の多くが当局と何ら問題を起こすことなく生活していると報告されていることからすれば,PKKの構成員等の親族であるという理由だけでトルコ政府による継続的な関心や措置の対象となるものとは直ちにいえないというべきである。
以上のことを勘案すると,PKK等の組織への支援や親族にPKKの構成員等がいることを理由としてトルコ政府から迫害を受けるおそれがあるといえるか否かは,難民の認定の申請者やその親族のPKKへの関与の程度,当該申請者と当該親族との関係,過去に受けた措置の有無,時期,内容等の具体的事情を基に個別具体的な事案ごとに判断するのが相当であるというべきである。
イ 原告の個別事情について
原告は,前記第2,3(1)の(原告の主張の要点)ウのとおり,その難民該当性を基礎付ける個別事情として,①トルコにおいてDEHAP等の活動をしたこと,②トルコにおいてネブルズ祭に参加し,警官隊に連行される等したこと,③親族であるCが連行され,拷問を受けたことがあり,その連行の際,Cの家の中を案内させられたこと,④原告の父が連行されたことがあること,⑤本邦において友好協会の活動に参加する等したこと,⑥D等が本邦での友好協会での活動を理由にトルコにおいて起訴される等したことを挙げるので,以下検討する。
(ア)原告のトルコにおける政治活動(上記①及び②)について
a 認定事実(3)イによれば,原告は,DEHAP等の集会に参加したほか,政党が作成した雑誌を友人に配る等したというのであるが,原告は,当時未成年であり(原告が本邦に入国したのは17歳の時である。),党員でもなかったというのであって,その活動は,一般の支援者におけるそれの範囲内のものであり,主導的なものでもなかったものと推認される。また,本件の全証拠によっても,原告が参加したとする集会の具体的な内容や原告が配った雑誌の具体的な内容等は明らかではなく,トルコ政府において,原告の上記の活動を懸念し,これを具体的に把握していたことを認めるに足りる的確な証拠もない。
b また,認定事実(3)イによれば,原告は,トルコにおいてネブルズ祭に参加したというのであるが,認定事実(2)ア(コ)のとおり,ネブルズ祭に関しては,原告がネブルズ祭に参加した当時,既にトルコ政府はこれを全トルコ的祝祭と認め,その開催について比較的寛容な態度をとっていたものである。そうすると,原告がネブルズ祭に参加したことをもって,トルコに帰国した原告が政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるということはできないというべきである。
この点,原告は,①2001年(平成13年)のネブルズ祭に参加した際,警官隊に逮捕,連行等され,「これからは来るな」と脅される等した,②2003年(平成15年)のネブルズ祭に参加し,DEHAPの活動としてクルド民族関連の物品を配る等した旨を主張する。
しかし,証拠(甲42,乙A5,7の1・2,9,16,18,23,原告本人尋問)及び弁論の全趣旨によれば,原告は,上記①に係る事情について,退去強制の手続や難民の認定の手続において何ら言及しておらず,本件訴えの提起の後になって初めて上記①に係る事情がある旨を主張(平成22年8月25日付けの原告の準備書面(4)3頁参照)して,これに沿う供述等(甲42,原告本人)をするに至ったことが認められる上,本人尋問における供述をみても,いったんは,2009年(平成21年)のネブルズ祭において身柄を拘束された旨の陳述書(甲42)の記載とは異なり,1999年(平成11年)のネブルズ祭において身柄を拘束された旨の供述をし,その後,改めて上記の点について質問されたのに対し,原告が参加したうちのどのネブルズ祭で身柄を拘束されたのかについて明確に答えることができず,曖昧な説明に終始している。上記①の事情に係る原告の主張に沿う証拠は,容易には信用することができず,他に原告の上記の主張に係る事実を認めるに足りる的確な証拠はない。
また,原告の上記②の事情に係る主張についても,原告は,本件訴えの提起前には,2003年(平成15年)のネブルズ祭において,政党の本又は雑誌を販売した旨の供述等(乙A16,18,22)をしていた一方,その後,陳述書(甲42)において,「入管のインタビューで,本を配ったり雑誌を売ったと話した記録があると弁護士から聞いたが,今の記憶では,それをした記憶がない」として,上記の際に旗やオジャランの写真を配ったと記載し,本人尋問においても,DEHAPの発行したクルド民族関連の雑誌を友人に配布したことはあるが,それは政党のためということではなく,クルドの文化等の理解を広めるためであった旨供述している。上記②の事情に係る原告の供述等も,不自然に変遷しているというほかないから,同様に容易には信用することができず,他に原告の上記の主張に係る事実を認めるに足りる的確な証拠はない。
(イ)Cや原告の父が連行される等したとする点(上記③及び④)について
a 認定事実(3)ウのように,1999年(平成11年)10月ころ,Cが憲兵隊(ジャンダルマ)に連行されるという出来事があり,その際,原告はCの家を案内させられたというのであるが,同認定事実のとおり,Cの連行は,PKKに関与した疑いを理由とするものであったというのである(なお,原告は,Cが連行された後に激しい拷問を受けた旨を主張するが,これを認めるに足りる証拠はない。)。そして,PKKの構成員又はそのように疑われている者の親族について,PKKの構成員等の親族であるという理由だけでトルコ政府による継続的な関心や措置の対象となるものとは直ちにいえないことは,前記アで述べたとおりである上,認定事実(3)ウのとおり,Cが後に無罪の判決を言い渡されていることも併せ考えれば,CがPKKに関与した疑いにより連行されて起訴等をされたからといって,これにより,その親族であるにすぎず,当時13歳であった原告が政治的意見を理由に前記(1)に述べる意味における迫害を受けるおそれがあるとまで認めることはできない。このことは,Cの逮捕の際に原告がその家を案内させられたことで,直ちに左右されるものでもない。
b 原告は,原告の父が1992年(平成4年)ころ及び認定事実(3)ウのCの連行の際に,それぞれ軍隊等に連行され,拷問を受けた旨を主張し,これに沿う原告の供述等(甲42,原告本人)がある。
しかし,原告の父が上記のように連行される等したことについて,原告が本件訴えに先立つ退去強制の手続や難民の認定の手続において言及していたことを示す証拠は見当たらない上,原告の上記の供述等の内容をみても,迫真性・具体性を欠いているものといわざるを得ない。このように,原告の上記の供述等は,容易には信用することができず,他に原告の上記の主張に係る事実を認めるに足りる的確な証拠はない。
(ウ)原告の本邦における政治活動(上記⑤)について
認定事実(3)カ及びキのとおり,原告は,本邦に上陸した後,友好協会の活動に参加したというのであるが,友好協会は,在日クルド人の生活上の相談に乗ることを主な目的に掲げて設立されたものというのであり,これに従えば,政治活動を目的とするものではなく,団体としてPKKのテロ活動の支援等を行っているものでもないというべきこととなる。
もっとも,友好協会に関与している者の中には,個人としてPKKへの支援活動を行っている者が混在している可能性があることは否定し得ず,トルコ政府がそのような活動家の存在を想定して友好協会に関心を有するとしても不自然とはいえないが,原告は,既に述べたように,友好協会において指導的な立場にある者ではなく,単にその活動に参加していたにすぎず,原告のような友好協会の活動への参加を理由としてトルコ政府から個別に関心を寄せられるであろうとみることには疑問が残るというべきものである(D等に関する刑事手続等については,後記(エ)で述べるとおりである。)。
なお,原告は,難民の認定の手続において,友好協会設立の最大の目的はPKKのオジャランへの支援であるところ,実際にも,原告は毎月5000円ないし1万円を友好協会に寄付しているほか,友好協会は海外に送金してPKKの関係政党を支援している旨を供述しており(乙A18,23),友好協会の性格等に関する原告の供述等は一貫性に欠ける。しかし,仮に上記のようなPKKに対する支援の事実があるのであれば,前記アで述べたところに照らし,トルコ政府において,友好協会の関係者の活動がPKKへの支援に当たる疑いがあるとして,捜査等をしたからといって,これをもって直ちに迫害に当たるとまでいうことはできない。
(エ)D等に関する刑事手続(上記⑥)について
原告は,本邦において原告と同じく友好協会の活動に参加する等していたD,Fら及びHが,トルコに帰国した後,それらの活動を理由として起訴され,特にDについては有罪判決を受けるに至ったことからすれば,原告もまたトルコに帰国したならば迫害を受けるおそれがある旨を主張するので,以下検討する。
a Dについて
原告は,トルコに帰国したDが起訴されて,有罪判決が言い渡されたことを証する文書であるとして,Dに関する公判調書(甲3の7)及び判決書(甲3の6)の写しであるとする文書等を提出する(なお,乙A40の1・2参照)。
しかし,上記の各文書については,①証拠(乙A30〔20.14〕,61ないし65)によれば,トルコにおける公的機関の手続一般について,トルコ語を用いることが法律によって義務付けられており,これに違反した場合には処罰の対象となるとされ,また,社会的にも問題視される状況にあることが認められるところ,上記の公判調書の写しとされる文書には,ネブルズについて,トルコ語による「Nevruz」ではなく,クルド語により「Newroz」と表記された記載があること,②証拠(乙A41)によれば,トルコ刑事訴訟法は,公判について,裁判長又は裁判官と書記官が調書に署名をする旨規定していることが認められるところ,上記の公判調書の写しとされる文書には署名がないこと,③証拠(乙A34)によれば,上記の判決書の写しとされる文書においてDの犯行年月日とされる時点では,旧刑法169条が施行されていたものの,判決の言渡しのあった日とされる2005年(平成17年)12月23日の時点では,新刑法220条が施行されており,法定刑は新刑法220条の方が「犯人の有利になる法律」(新刑法7条(2))となると認められるから,罪となるとされるDの行為が新刑法220条に当たるのであれば,新刑法220条が適用されるはずであるところ,上記の判決書の写しとされる文書では,旧刑法169条が適用されていることのほか,④上記の公判調書の写しとされる文書と判決書の写しとされる文書において,同じ表記となるはずである「イスタンブール第14重罪裁判所」という固有名詞の表記が異なっていることや,⑤証拠(乙A68)によれば,トルコ刑事訴訟法は,判決書について,上訴及び賠償を請求できるのかどうか,できる場合は,その期間及び機関について,躊躇なく明示しなければならない旨規定していることが認められるところ,上記の判決書の写しとされる文書には,上訴の期間及び機関の記載がない,といった表記上及び内容上の不自然な点がある。
これらに加え,認定事実(2)イ(ウ)のとおり,トルコ人の庇護希望者が偽造の公文書を外国の入国管理当局に提出する場合が多いと報告されていることも併せ考えると,上記の諸点に関する原告の主張及びこれに沿う証拠(甲40の1・2,41)を考慮しても,なお,上記の公判調書及び判決書の写しであるとされる各文書に係る原本の存在及びその成立の真正には,疑問を差し挟まざるを得ないというほかない。Dがトルコにおいて有罪判決を言い渡されたという事実については,本件における他の証拠をもっても,これを認めるに足りず,同人がトルコにおいて逮捕及び起訴をされたという点についても,同様に疑わしいといわざるを得ない(なお,Fら及びHの刑事手続に関する主張につき問題が残ることは,後記b及びcで述べるとおりである。)。
他方,仮に,上記各文書に係る原本が真正に成立したものであり,Dがトルコにおいて逮捕及び起訴をされ,有罪判決を言い渡されたものであるとしても,上記の判決書の写しとされる文書によれば,Dは,適法な刑事訴訟手続を経た上で,違法なテロ組織であるPKK/KONGRA-GELを援助したと認定され,有罪判決を言い渡されるに至ったというのである一方,Dの親族にすぎず,友好協会に関し認定事実(3)カ及びキのような活動をしたにとどまる原告において,Dと同じくPKKを援助したとして逮捕及び起訴をされ,有罪判決を言い渡されるおそれが高いとまでは直ちには認め難く,認定事実(3)クのとおり,原告が,Dの上記有罪判決の言渡しがあったとされる日よりも後に,在東京トルコ大使館において,旅券の有効期限の延長を受けていることも,上記のように判断することを裏付けるものといえる。また,仮に,原告においてPKKを支援した疑いにより捜査等を受ける事態に至ったとしても,前記アに述べたところからすれば,トルコ政府において,PKKの支援者等であると疑われる者について,法令の手続に従い,捜査等をし,適法な裁判手続を経て刑罰権を行使することは,原則として国家の責務としての正当な行為というべきものといえるから,そのこと自体をもって当然に前記(1)に述べた意味における迫害に当たるということもできないといわざるを得ない。
b Fらについて
原告は,Fらがトルコに帰国した後に逮捕及び起訴をされたことを証する文書であるとして,Fらの刑事関係の書類の写しであるとするL弁護士(以下「L弁護士」という。)作成に係る「現地刑事裁判資料入手報告書」の別紙として添付された各文書(甲5の4の別紙)を提出しているものと解される。
しかし,上記各文書をみても,いかなる事項が記載されたどのような性質の文書であるかは判然としないし,それがFらの刑事裁判に関する文書の写しであるとしても,前記aのとおり,Dに関する公判調書及び判決書の写しであるとされる各文書に係る原本の存在及びその成立の真正に疑問を差し挟まざるを得ないことからすると,Dが起訴されて有罪判決を言い渡される契機となったとされる写真の存在を前提とするFらの刑事関係の書類の写しとされる文書に関しても,それらに係る原本の存在及びその成立の真正について,同様の疑いを差し挟む余地があることは否定し難い。また,証拠(甲5の1ないし4)によれば,上記各文書は,L弁護士が,平成20年10月にトルコのガジアンテップ県を訪れ,Fらの刑事裁判での弁護人であるというM弁護士と同じ事務所に所属するというN弁護士と面談した際に,Fらに関する刑事事件の謄写裁判記録の一部であるとして同弁護士が持参した書類をコピーしたものであることが認められるが,これについても,L弁護士において,上記の趣旨の回答を得て,上記各文書に係る原本が真正に成立したものであるとの認識を得たというにとどまる。
そうすると,Fらがトルコに帰国した後に逮捕及び起訴をされたとの原告の主張については,弁護士によるFの供述の録取書(乙A46,75)はあるものの,これを裏付ける確たる証拠があるとはいえないといわざるを得ない。
他方,仮に,Fらが逮捕及び起訴をされたものであるとしても,本件の全証拠によっても,Fらがどのような罪を犯したとして逮捕及び起訴をされたのかは必ずしも明らかではなく,友好協会において認定事実(3)カ及びキのような活動をしたにとどまる原告が,Fらと同様の罪を犯した疑いにより捜査等を受けるおそれがあると直ちに認めることは困難であるし,仮にそのような事態に至ったとしても,それが直ちに前記(1)に述べた意味における迫害に当たるということもできないことは,前記aに述べたとおりである。
c Hについて
原告は,トルコに帰国したHが起訴され,無罪判決が言い渡されたことを証する文書であるとして,Hに関する判決書の写しであるとする文書(甲43)を提出する。
しかし,トルコ人の庇護希望者が偽造の公文書を外国の入国管理当局に提出する場合が多いと報告されていることは,認定事実(2)イ(ウ)のとおりであるところ,前記aのとおり,Dに関する公判調書及び判決書の写しであるとされる各文書に係る原本の存在及びその成立の真正に疑問を差し挟まざるを得ないことからすると,Dに関する判決の存在に言及するHの判決書の写しとされる文書に関しても,それに係る原本の存在及びその成立の真正について,同様の疑いを差し挟む余地があることを否定し難い。
さらに,上記のHに関する判決書の写しとされる文書によれば,判決が言い渡された日は2009年(平成21年)11月19日とされているところ,証拠(甲44,乙A69,76)及び弁論の全趣旨によれば,①Dは,平成20年8月19日に難民の認定をしない処分の取消し等を求める訴え(当庁平成20年(行ウ)第497号ほか)を提起しており,本件の原告訴訟代理人弁護士は,同事件におけるDの訴訟代理人弁護士を務めていたこと,②Hは,上記のDの事件における平成22年12月15日の第11回口頭弁論期日に証人として出頭し,Hについてのトルコでの裁判が終わり処罰されることがなくなったことをトルコの弁護人から知らされた時期について,平成21年11月ころである旨を証言していること,③原告訴訟代理人弁護士が,Hから同人の裁判が終わったことを聞かされたのは,平成22年11月30日かその少し前であったことが認められる。そして,これらの事実を前提とすると,Hは,その弟であるDの提起した上記事件の存在を知りながら,自身に対する無罪判決の存在について,約1年もの間,原告訴訟代理人弁護士はおろか,Dにも告げなかったことになると考えられるところ,その存在がDの上記事件において同人に影響を及ぼす可能性があり,こうした可能性があること自体はHにおいても容易に想像し得たはずであることや,これをDに告げることに支障があったとは考え難いこと(証拠〔乙A45,76〕によれば,H及びDは,そのころ,いずれも本邦に在留しており,Dについては平成20年2月に仮放免がされたことが認められる。)からすると,上記の経緯は,やはり不自然であるといわざるを得ず,この点について合理的な説明もない。
以上の諸事情からすると,Hに関する判決書の写しであるとされる文書に係る原本の存在及びその成立の真正については,なお,疑問を差し挟まざるを得ないというほかなく,同人がトルコにおいて起訴されたという点についても,疑問の余地が残るといわざるを得ない(なお,本件ではHの起訴状とされる文書の写しは,証拠として提出されていない。)。
他方,仮に,Hが起訴されたものであるとしても,トルコ政府がPKKの支援者等であると疑われる者につき起訴等をすることが前記(1)に述べた意味における迫害に当たるものでないことは,前記aで述べたとおりである。Hについては,結果として無罪判決の言渡しを受けているものであることにも照らし,そのような事情は,原告の難民該当性を基礎付けるものとはいえない。
ウ 小括
以上によれば,トルコにおいては,本件難民不認定処分のされた当時,一定の場合に政治的意見等を理由としてクルド人が迫害を受けるという状況の存在することが全く否定し得るわけではなかったことがうかがわれるものの,これまでに検討したところのほか,①前提事実(1)イ及びウ並びに認定事実(3)クのとおり,原告は,トルコにおいて正規の旅券の発給を受けてトルコを出国した後,在東京トルコ大使館において同旅券の有効期限の延長を受けていること,②原告は,旅券の発給を受ける手続に関し,退去強制の手続における違反審査の際には,自ら警察署に申請に行った旨を述べていたこと(乙A7の2。ただし,原告は,その後の難民調査官による事実の調査の際以後には,ブローカーを通じて入手した旨に供述等を変遷させているが〔甲42,乙A18〕,このことについて合理的な説明はされていない。),③原告は,退去強制の手続における違反調査の際には,「来日当初は,私は17歳であり,トルコに帰国しても未成年として扱われるため帰国しても特に問題ありませんでした。」と供述していたこと(乙A5),④原告は,平成18年1月に本邦において旅券の有効期限の延長を受けた際に,トルコに帰国することも考えていた旨の供述等をしていること(甲42,乙A5,18,23,原告本人),⑤前提事実(3)ア及び認定事実(3)オのとおり,原告は,本邦に入国した後に稼働しており,本件難民認定申請をしたのは入国から2年8か月後であることも併せ考慮すれば,本件全証拠をもっても,原告について,上記の当時において,前記(1)に述べた難民の要件を満たすような事情が存在したとは認めるに足りないというべきである。したがって,原告が入管法上の難民であると認めることはできないから,本件難民不認定処分は適法であるというべきである。
2 本件退令発付処分の適法性(争点2)について
(1)入管法61条の2の6第4項は,難民の認定の申請をした在留資格未取得外国人(同法61条の2の2第1項参照)で,仮滞在の許可を受けていないものに対する同法第5章に規定する退去強制の手続については,同法50条1項の規定は適用しない旨を規定している。
前提事実及び証拠(乙A1)によれば,原告は,上記の者に該当すると認められるから,原告に係る退去強制手続に同法50条1項の規定の適用はなく,原告は同項に基づく在留特別許可の対象とはならないというべきであるところ,前提事実(1)ウのとおり,原告は,同法24条4号ロ(不法残留)が定める退去強制事由に該当し,かつ,同法24条の3各号所定の出国命令対象者としての要件を満たさないことは明らかであるから,本件裁決は適法であるということができる。
そして,東京入国管理局主任審査官は,法務大臣から権限の委任を受けた東京入国管理局長から異議の申出に理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは,速やかに当該容疑者に対してその旨を知らせるとともに,同法51条の規定による退去強制令書を発付しなければならないのであるから(同法49条6項),本件裁決を前提とする本件退令発付処分もまた適法であるということができる。
(2)原告は,自身が難民であることを理由として本件退令発付処分が違法である旨を主張するが,原告が難民であると認められないことは前記1で述べたとおりであり,その他これまでに述べた諸事情に照らすと,本件退令発付処分に難民条約33条1項等との関係で問題があるものとも認め難い。
また,原告は,本件在特不許可処分が東京入国管理局長の裁量権の範囲から逸脱し,又はこれを濫用した違法なものであるから,本件退令発付処分もまた違法である旨を主張する。しかし,本件在特不許可処分が違法であることが本件退令発付処分を違法ならしめるかどうかはおくとしても,入管法61条の2の2第2項における在留特別許可の判断は,法務大臣及び法務大臣から権限の委任を受けた地方入国管理局長(以下「法務大臣等」という。)の広範な裁量に委ねられているのであって,前提事実(1)ウ及び認定事実(3)オのとおり,原告が在留期間の末日である平成15年10月18日を超えて不法に本邦に残留して,不法に就労していたものであることや,認定事実(3)アのとおり,原告がトルコで出生し,成育した稼働能力を有する成人であること等に照らせば,本件在特不許可処分について,法務大臣等の裁量権の範囲から逸脱し,又はこれを濫用したものであるということはできないから,本件在特不許可処分は適法であるということができる。
したがって,原告の上記主張は,いずれも採用することができない。
第4 結論
以上によれば,原告の請求は,いずれも理由がないからこれらを棄却することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 八木一洋 裁判官 田中一彦 裁判官 塚原洋一)
別紙
指定代理人目録 略
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