裁判年月日 平成23年12月14日 裁判所名 名古屋地裁 裁判区分 判決
事件番号 平21(行ウ)89号
事件名 遺族補償年金不支給処分取消請求事件
裁判結果 認容 文献番号 2011WLJPCA12146001
要旨
◆携帯電話会社(本件会社)の従業員であった被災者が自殺したことにつき、同人の妻である原告が、本件自殺は亡被災者の従事した業務に起因するものであるとして、労働基準監督署長のした遺族補償年金不支給処分の取消しを求めた事案において、音響機器メーカーから本件会社に出向した後、同社に転籍した亡被災者の従事した業務は、質的及び量的に相当に過重であり、心理的負荷を与える契機を多数含むものであって、これが同時並行的に重なることによって亡被災者に対して日常的に多大な心理的負荷を与えたものであるなどとして、本件うつ病発症の業務起因性を認めた上、本件会社における異動及びその後の経緯等からすると、亡被災者は本件うつ病が慢性化し、一度も寛解することなく本件自殺に至ったものと推認されるとして、本件うつ病と本件自殺との間の相当因果関係も認めて、これらを否定した本件処分は違法であるとし、これを取り消した事例
出典
労判 1046号42頁
参照条文
行政事件訴訟法3条2項
労働者災害補償保険法7条1項1号
労働者災害補償保険法12条の8
労働者災害補償保険法16条
労働者災害補償保険法16条の2第1項
裁判年月日 平成23年12月14日 裁判所名 名古屋地裁 裁判区分 判決
事件番号 平21(行ウ)89号
事件名 遺族補償年金不支給処分取消請求事件
裁判結果 認容 文献番号 2011WLJPCA12146001
名古屋市〈以下省略〉
原告 X
同訴訟代理人弁護士 岩井羊一
同 田巻紘子
同 伊藤大介
同 伊藤朝日太郎
東京都千代田区〈以下省略〉
被告 国
同代表者法務大臣 A1
処分行政庁 名古屋西労働基準監督署長 A2
被告訴訟代理人弁護士 戸部珠美
同指定代理人 早川充
同 丸山耕一
同 岡田貴幸
同 吉越正幸
同 林満
同 古池桂子
同 丹羽智徳
主文
1 名古屋西労働基準監督署長が原告に対して平成21年4月10日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
主文同旨
第2 事案の概要
1 事案の要旨
本件は,a株式会社(後記Bの死亡当時の社名)の従業員であったB(以下「B」という。)が,平成14年12月7日に自殺をしたところ,Bの妻である原告が,同自殺はBの従事した業務に起因するものであると主張して,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償年金を不支給とした名古屋西労働基準監督署長の平成21年4月10日付け処分(以下「本件処分」という。)の取消しを求める事案である。
2 争いのない事実等(後掲の証拠及び弁論の全趣旨から容易に認められる事実を含む。)
(1) Bの経歴,家族構成等
ア B(昭和21年○月○日生まれ)は,昭和42年7月,株式会社b(当時の社名は「株式会社b1」。以下,時期を問わず「b社」という。)に,家庭用電子機器,アマチュア無線3級の有資格者として入社し,b社において,同資格の技術を活かし,ステレオなどの音響機器の修理業務及びアフターサービス業務に従事した。その後,Bは,ほぼ数年おきに,転勤等を繰り返しながら,b社ないしb社のグループ会社において約27年間にわたり勤務した後,平成6年4月1日,株式会社a1(その後,「a2株式会社」,「a株式会社」,「a3株式会社」,「a4株式会社」へと順次社名を変更した(a株式会社への社名変更は,a2株式会社を消滅会社とする吸収合併に伴うものである。)。以下,時期を問わず「a2社」という。)に在籍出向し(以下「本件出向」という。),平成13年4月1日,b社からa2社に転籍した(以下「本件転籍」という。)。(甲A15,弁論の全趣旨)
イ Bは,ポリオによる左下肢機能の障害著明の身体障害を有し,身体障害者Ⅱ種4級の認定を受けていた。同等級は,一下肢の機能の著しい障害や,両下肢の全ての指を欠く障害などが認められる場合に,認定されるものである。(甲A59,A60,A62)
ウ Bは,昭和48年6月9日,原告と婚姻し,原告との間にA3(以下「A3」という。)とA4(以下「A4」という。)の2人の子をもうけた。
原告は,B死亡の当時,Bの収入によって生計を維持していた者であり,労災保険法16条の2第1項柱書本文所定の「労働者の死亡の当時その収入によって生計を維持していた」配偶者に該当する。
(2) 本件出向後のBの配属部署,従事した業務等
ア 本件出向当初から開局まで
(ア) Bは,平成6年4月1日,b社に在籍したまま,a2社に出向をし(本件出向),営業本部カスタマーサービス部サービス課(以下「サービス課」という。)に,複数いる担当課長の一人として配属された。前記カスタマーサービス部内に設置されていた課は,サービス課のみであり,Bは,同課のうちの保守センターに配属された。この当時,Bの上司としては,部長兼課長のA5や,次長のA6(以下「A6」という。)がおり,同じ担当課長としては,嘱託社員のA7(以下「A7」という。)などがいた。(甲A14,A20)
(イ) Bは,平成6年7月26日のa2社における携帯電話通話サービスの開始(以下「本件開局」という。)までの時期は,主に本件開局に備えて,携帯電話の取扱店(以下,単に「取扱店」ともいう。)が顧客からの苦情を受け付けた際の処理に関する取扱店マニュアルの作成,修理票など各種帳票類の書式作成,各種携帯電話の製造メーカーとの修理契約の締結交渉等,修理の際の保険金の処理に関する取決め,前記取扱店マニュアル等を使用する取扱店等の指導育成などの各業務に従事した。(甲A20,A22,弁論の全趣旨)
イ 本件開局後
a2社は,平成6年7月26日,当初の予定を約5か月繰り上げて,愛知県,岐阜県,三重県の三県において,携帯電話の通話サービスを開始した(本件開局)。さらに,a2社は,同年11月23日,当初の予定を約11か月繰り上げて,また,エリアも5市5町から16市9町に拡大して,静岡県の主要地区で通話サービスを開始し,同年12月12日には,岐阜県の東濃及び西濃地区で,同月19日には愛知県の知多及び渥美地区,岐阜県の中津川及び恵那地区,三重県の中部地区(当初は津市のみの予定であったが,14市5町に拡大した。)で,それぞれ通話サービスを開始した。(甲A19の56頁以下)
Bは,本件開局後も引き続きサービス課の担当課長を務め,顧客や取扱店から寄せられる携帯電話の取扱方法等に関する問い合わせ及び顧客から寄せられる苦情への対応業務,修理の際の保険金の処理に関する取決め,取扱店の指導育成業務などに従事した。(甲A22ないしA24,A46の1頁以下)
ウ 平成7年4月1日
a2社の組織変更により,前記カスタマーサービス部はお客様サービス部に改称され,同部内にお客様センター,故障受付センター,技術センター及び本社サービスカウンターの4部署が設置された。Bは,故障受付センターの担当課長の一人として配属され,前記同様の業務に従事した。(甲A73)
エ 平成8年5月1日
a2社の組織変更により,前記故障受付センターと技術センターが統合されて,お客様サービス部保守センター(以下「本社保守センター」という。)が設置された。Bは,本社保守センターの担当課長の一人として配属された。この当時,Bの上司としては,部長のA8及び課長のA9(以下「A9」という。)がおり,また,同僚にはA10がいた(以下「A10」という。)。Bは,新規の携帯電話取扱店に対する教育,研修,携帯電話の製造メーカーとの費用関連の折衝などの業務に従事した。(甲A46の5頁,A74,弁論の全趣旨)
オ 平成9年9月1日
a2社の組織変更により,本社保守センターは技術センターに改称され,Bは,同技術センターの担当課長として配属された。この当時,Bの上司として,部長のA6及び課長のA9がいた。Bは,同年11月25日から,日本初の携帯電話でのインターネットメールを可能とする○○サービス(以下「○○サービス」という。)が開始したことに伴い,○○サービスのアフターサービス業務(携帯電話のメールに関する問い合わせ,通話不良の苦情等に対応する業務,○○サービスの通信障害の原因調査業務等)に従事した。また,Bは,平成10年3月から,○○サービスの前記アフターサービス業務を担当する○○チーム(以下「○○チーム」という。)のリーダーに就任し,以後平成12年末ころまでこれを務めた。(甲A19の99頁以下,A48の1,A48の2,A75,A77の5頁以下,弁論の全趣旨)
カ 平成14年2月1日
a2社の大規模な組織変更により,前記営業本部全体が再編成され,マーケティング・営業本部・東海営業統括部にマーケティング営業企画部が設置され,同部内に営業企画グループ,営業促進グループ,ショップ推進グループの3グループが設置された。Bは,前記ショップ推進グループ内のアフターチーム(以下「アフターチーム」という。)に,課長代理の一人として配属された。この当時,Bの上司としては,前記マーケティング営業企画部部長のA11(以下「A11」という。),アフターチーム課長のA9及びA12(以下「A12」という。)がいた。また,アフターチームの課長代理としては,Bのほかに,嘱託社員のA13(以下「A13」という。)及びA14(以下「A14」という。)がいた。(甲A76,弁論の全趣旨)
キ 平成14年4月1日
a2社の組織変更により,アフターチームが前記ショップ推進グループから分離され,技術サポートグループ(以下「技術サポートグループ」という。)が設置されて,Bは,技術サポートグループの課長代理の一人として配属された。この当時,Bの上司としては,部長のA11がおり,課長は配置されていなかったが,課長代理としては,Bのほかに,A12,A13,A14などのほか,A10がいた。A10は,職制上は,Bと同じ課長代理であったが,技術サポートグループのリーダー代行として,同グループの取りまとめ役を担っており,実質的にはBの上司の立場にあった。(甲A49,A55の6頁以下,弁論の全趣旨)
技術サポートグループの事務所は,JR名古屋駅前にあるdビル内にあったが,その他に,愛知県海部郡佐屋町(現・愛西市)にある保守センター(以下「佐屋保守センター」という。)内に,物流関係の業務を行う事務所があった。A13及びA14(以下「A13ら」ともいう。)は,平成11年1月ころから,平成15年1月31日にa2社を退職するまで,佐屋保守センターにおいて勤務した。(甲A21,A51,弁論の全趣旨)
ク 佐屋保守センターへの異動
Bは,a2社の業務命令により,平成14年12月1日から,平成15年1月31日退職予定のA13らの後任として,佐屋保守センターで勤務することとなった(以下「本件異動」という。)。なお,同日は休日であったため,Bが佐屋保守センターにおいて実際に勤務を開始したのは,同月2日である。
(3) うつ病の発症及びBの通院状況等
ア Bは,平成5年9月27日から平成13年5月12日までの間,愛知学院大学歯学部附属病院口腔外科(以下,単に「愛知学院附属病院」という。)を受診し,精神的ストレスが原因と考えられる口腔心身症(口腔異常感症,口腔乾燥症,舌痛症)及び口内炎と診断された。口腔異常感症とは,心理情動因子に起因し,口腔内に異常感を訴えるにもかかわらず,その症状に見合う器質的な変化の認められない疾患であり,口腔乾燥症とは,精神的ストレスによって交感神経が緊張し,唾液の分泌が抑制されたり唾液が粘ついたりすることによって,客観的な症状以上に口腔内の乾燥を感じる疾患であり,舌痛症とは,周囲のストレッサーから身を守るために歯を食いしばり,これによって歯茎が下がって歯茎と歯茎の間に隙間が生じ,そこに舌を押しつけるために舌尖部に傷が付き,舌に痛みを感じる疾病をいい,その傷における器質的変化よりも過大の痛みを感じる,あるいは訴える点に特徴がある。(甲B3,B4,B19の2,弁論の全趣旨)
イ Bは,平成6年11月17日,国立名古屋病院精神科(現在は,独立行政法人国立病院機構名古屋医療センター。以下,時期を問わず「国立病院精神科」という。)を受診した際,うつ病と診断され,抗うつ薬であるアナフラニール,ドグマチール,テトラミドなどの処方を受けた。(甲B1の2)
Bは,同月ころ,ICD-10(国際疾病分類第10回修正)第Ⅴ章「精神および行動の障害」の診断ガイドライン(以下,単に「ICD-10」という。)のF3に分類される精神障害の症例の一つである,うつ病(以下「本件うつ病」という。)を発症したものである。
ウ Bは,平成7年7月28日,精神科医であるA15医師(以下「A15医師」という。)が開設する大橋クリニックを受診してうつ病との診断を受け,以後,次のとおり断続的に通院し,抗うつ薬であるアンプリット及びミラドールなどの処方を受けた。(甲B2の1,B2の2,B8,B13の56頁以下,B14の4,B14の11,弁論の全趣旨)
(ア) 平成7年7月28日及び同年8月8日(以下「第1次受診」という。)
(イ) 平成8年9月21日から平成9年4月15日まで(以下「第2次受診」という。)
(ウ) 平成9年9月1日から同年10月16日まで(以下「第3次受診」という。)
(エ) 平成10年3月2日から同年11月19日まで(以下「第4次受診」という。)
(オ) 平成12年7月17日から平成14年11月21日まで(以下「第5次受診」という。)。
(4) うつ病について
うつ病は,感情障害の一種で,抑うつ気分,病的悲哀,思考障害,意欲や行動の障害等の精神症状のほか,自律神経機能障害を中心とする身体症状を伴うものをいう。
うつ病の精神症状の中核は,憂うつ,気持ちが滅入る,希望がない等の抑うつ感情であり,これが進行すると,表情は暗く,言葉の調子も低くなり,時に茫然となったりする。趣味や家族との団らん,友人との交際等に対して何らの楽しさを感じられず,集中力,活力の低下と疲労感,焦燥感,不安感が現れるほか,行動及び思考が抑制されたりする。不相応に自分を責めたり過小評価をしたり,無力感にさいなまれ,現実的事柄を悲観的に解釈するようになったり,刺激に対する反応や他の動作への移行が緩慢になり,極限に達すると,抑うつ混迷状態となって,日常生活が不可能となる。
また,身体症状としては,多彩な自律神経症状,例えば,頭痛,肩こり,吐き気,嘔吐及び口渇や,入眠障害,多夢,悪夢及び浅眠等の睡眠障害,性欲低下,食欲不振などの症状が現れる。これらの症状は,朝方に増悪し,夕刻には軽快するという日内変動が見られることもあり,うつ病患者は,これらの症状の集約の末に希死念慮を持ち,自殺を企図することが多いと考えられている。(甲B13,B18,弁論の全趣旨)
(5) Bの自殺
Bは,平成14年12月7日,自宅において,自ら首をつって窒息により死亡した(以下「本件自殺」という。)。本件自殺当時のBの年齢は,56歳であった。
(6) 本件訴訟に至る経緯
ア 原告は,本件自殺はBがa2社において従事した業務に起因するものであるとして,平成19年7月10日,名古屋西労働基準監督署長(以下「労基署長」という。)に対し,労災保険法による遺族補償給付の支給を請求したが,労基署長は,本件うつ病が第4次受診を中断した平成10年11月ころ一旦寛解し,その後,第5次受診を開始した平成12年7月ころ再発したとの愛知労働局地方労災医員協議会精神障害専門部会(以下「専門部会」という。)の意見を踏まえた上で,Bに平成12年7月ころ発症したと考えられる反復性うつ病性障害については,業務による強い心理的負荷は認められないとして,平成21年4月10日付けでこれを不支給とする本件処分をした(甲A1,A2)。これを受けて,原告は,同月22日,愛知労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたところ,同日から3か月が経過してもこれに対する決定がされなかったため,同年7月28日,労働保険審査会に対し再審査請求をしたが,同日から3か月を経過してもこれに対する裁決がされなかったため,同年11月2日,本件訴訟を提起した。(甲A3ないしA6)
イ 本件訴訟係属中の平成22年3月17日,労働保険審査会は,本件うつ病が一旦寛解して平成12年7月ころに再発したとの専門部会の見解を否定した上で,本件うつ病を発症した平成6年11月の前6か月間にBが従事した業務に,精神障害を発病させるおそれのある程度の業務の過重性は認められないとして,前記再審査請求を棄却する旨の裁決をした。(甲A8,B16)
(7) 損害賠償請求訴訟の提起
原告,A3及びA4は,本件処分及び本件訴訟に先立つ平成15年ころ,Bが本件自殺をしたのはa2社がBに対し過重労働を課したためであるなどとして,a2社に対し,安全配慮義務違反に基づく損害賠償等を求める訴訟(以下「前件訴訟」という。)を提起した。前件訴訟では,第1審において,本件異動に関して上司がBに対し行った説得態様とBのうつ病の増悪及び本件自殺との間の相当因果関係を認めつつ,a2社にはその当時Bがうつ病に罹患していることの予見可能性がなかったとして,請求棄却の判決(平成19年1月24日言渡し)がなされ,その第2審において,平成21年6月2日,和解が成立した。(甲A7,弁論の全趣旨)
3 争点
本件の争点は,本件うつ病及び本件自殺の業務起因性の有無である。
具体的には,①平成6年11月ころに発症した本件うつ病の業務起因性の有無,②本件うつ病の寛解の有無(本件うつ病と本件自殺との間の相当因果関係の有無),③仮に,本件うつ病が一旦寛解した場合,平成12年7月ころに再発したうつ病(以下「本件再発うつ病」という。)の業務起因性の有無,④仮に,本件うつ病又は本件再発うつ病の業務起因性がいずれも認められないとした場合,本件異動と本件自殺との因果関係の有無が争われている。
なお,うつ病のような精神疾患において,労災補償保険でいう「治ゆ」は,医学上,正確には,寛解(完全寛解)したことを意味すると解されることから,本判決では,寛解ないし完全寛解と表記する。
4 当事者の主張
(1) 争点①(本件うつ病の業務起因性)について
(原告の主張)
ア 労災補償保険制度が,労働条件の最低基準を定立して保護を与えることを目的としていることに鑑みれば,発症した疾病に業務起因性が認められるためには,当該労働者が担当した業務と発症した疾病との間に合理的関連性が認められれば足りると解すべきである。
仮に,合理的関連性では足りず,業務と疾病との間の相当因果関係が必要と解するとしても,相当因果関係が認められるためには,業務が当該疾病の発症に対し相対的に有力な原因となったことまでは必要なく,当該業務が労働者の有する基礎疾患等と共働原因となって当該疾病を発症させたことで足りると考えるべきである(共働原因論)。
また,気分障害の誘因は,それが当該特定の人格を持つ人間にとってどのような意味を有するかという点が重要なのであるから,前記相当因果関係の判断に際して当該業務の過重性を判断するにあたっては,被災者である本人を基準とすべきである(本人基準説)。
イ Bは,本件出向により,未経験の職種に従事することを強いられ,本件出向のわずか3か月後に控えた本件開局に向けて,人的支援体制が不十分な中,本件開局に際し必要不可欠なマニュアルの作成業務等に従事したものであり,同業務は,質的に極めて過重なものであった。また,本件開局後,Bは,主として苦情処理業務に従事しつつ,前記マニュアルの改訂等の業務を行ったものであるところ,顧客からの苦情の量が極めて多かったことや,これに対応するサービス課の体制が不十分であったこと,顧客が携帯電話を使用して初めて判明した問題点が続出したことなどから,前記苦情処理業務やマニュアル改訂業務も,質的に極めて過重なものであった。これらの業務の質的過重性は,個別に判断されるのではなく,総合的に評価されるべきである。
加えて,Bは,平成6年5月から本件うつ病を発症する同年11月ころまでの間,月に80時間を超える時間外労働をしていたものであり,Bの担当業務には,量的な過重性も認められる。
以上の事情に照らすと,Bが担当した業務と本件うつ病の発症との間には,合理的関連性はもちろんのこと,被災者であるB本人を基準として,相当因果関係(前記各業務が総体として本件うつ病の発症の共働原因となったこと)も認められるものであるから,本件うつ病の発症には,業務起因性が認められる。
(被告の主張)
ア 当該労働者の疾病が業務上のものである(労災保険法7条1項1号)といえるためには,当該労働者がその業務に従事しなければ当該結果は生じなかったという条件関係が認められるだけでは足りず,当該業務と当該疾病との間に,法的にみて労災補償を認めるのを相当とする相当因果関係が認められる必要がある。
かかる相当因果関係を認めるためには,労災補償保険制度が使用者に過失がなくとも労働者に生じた損害を一定の範囲で填補させる危険責任の法理に基づいて策定されたものであることなどに照らし,当該業務に内在する危険の現実化として当該疾病が発症したことが認められる必要があると解すべきところ,当該業務に内在する危険が現実化したといえるためには,当該疾病の発症に対して,業務による危険性が,その他の業務外の要因に比して相対的に有力な原因となったと認められることが必要と解すべきである。
そして,業務による危険性が相対的に有力な原因となったか否かの判断に際しては,日常業務を支障なく遂行できる平均的な労働者を基準として,業務によるストレスが,客観的にみて精神障害を発病させるに足りる程度のものといえるか否かという観点から検討されるべきである。
イ 本件うつ病の発症前6か月間にBが従事した業務は,本件開局に向けたマニュアルや帳票類の作成,取扱店に対する教育指導,携帯電話の取扱方法の問い合わせや苦情への対応であったところ,これらの業務の内容はさほど困難でなく,その業務量も過重ではなかったものであり,また,前記6か月間に恒常的な長時間労働があったとも認められない上,Bには,個体的な脆弱性が認められるものであるから,平均的労働者を基準とすると,前記各業務が本件うつ病発症の相対的に有力な原因となったとは認められず,前記各業務と本件うつ病の発症との間に相当因果関係は認められない。したがって,本件うつ病の発症に業務起因性は認められない。
(2) 争点②(本件うつ病の寛解の有無)
(原告の主張)
Bは,第4次受診終了後第5次受診開始まで約1年8か月にわたり,大橋クリニックの受診を中断しているが,この間も,Bを取り巻く職場の状況が変わったわけではなく,Bは,絶え間ない職場環境の変化や,所属部署の改編,新たな業務の追加などによって,業務過重による心理的負荷を募らせていったものである。本件うつ病の症状は,愛知学院附属病院において,口腔心身症の対症療法として施されていた支持的精神療法等や同疾病の治療薬として処方されていたメイラックスの効果によって,緩和されていたにすぎず,前記約1年8か月の間も,本件うつ病が寛解していたわけではない。したがって,本件うつ病は,大橋クリニックの受診の中断にかかわらず,本件自殺に至るまで一度も寛解していない。
(被告の主張)
Bは,第4次受診を中断した平成10年11月から第5次受診を開始する平成12年7月までの約1年8か月間,大橋クリニックを受診できない特段の事情もなく,大橋クリニックの受診を中断しているが,これは,B自身,同期間はうつ病の症状を感じず,抗うつ薬の服用の必要性を感じていなかったからであると解されること,Bの愛知学院附属病院における診療録によれば,Bが大橋クリニックの受診を中断していた平成11年8月から平成12年2月ころまでの約6か月間,うつ病エピソードの存在を推認させるような記述は存在しないこと,また,職場においても,前記約1年8か月の間,Bについてうつ病エピソードの症状や徴候は認められなかったことなどに照らすと,本件うつ病は,前記約1年8か月の間に,一旦寛解したものとみるのが妥当である。
(3) 争点③(本件再発うつ病の業務起因性の有無)について
(原告の主張)
本件うつ病は寛解していないから,本件再発うつ病の業務起因性の有無について検討する必要性はないが,なお念のため主張するに,Bは,本件開局以後,エリア調査業務,アンテナ工具や移動機テスター,電池チェッカーの整備管理業務,これらの取扱店への取扱指導などの各業務に加え,○○サービスのアフターサービス業務の責任者を務めたり,ISO9002(以下「本件ISO」という。)の認証取得関連業務にも携わるなど,質的,量的に過大な業務を担当していたものであるから,Bが本件再発うつ病を発症したと被告が主張する平成12年7月ころの前6か月間においても,Bの担当した業務に過重性は認められるものである。したがって,仮に本件うつ病が寛解していたとしても,本件再発うつ病の業務起因性は認められる。
(被告の主張)
本件再発うつ病の発症前6か月間にBが従事した業務は,携帯電話及びその付属品並びにネットワークに係る技術判断に関するもの,携帯電話及びその付属品の修理にかかる製造メーカーとの契約に関するもの,故障の責任判断に関するもの,エリア調査業務,○○ないし△△サービス関連業務,携帯電話の新機種及び新サービスへの対応業務,本件ISOの認証取得業務であるが,これらはいずれも,労働省の策定した「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」(平成11年9月14日付け基発第544号。平成21年4月6日付け基発第0406001号により一部改正。以下「判断指針」という。)において心理的負荷の強度が高いと評価されるものではなく,前記期間の恒常的な長時間労働も時間外労働も認められない上,Bに心理的負荷を与えるような特別な出来事も存在しないから,判断指針にいう心理的負荷の総合評価は「強」とは認められず,本件再発うつ病に業務起因性は認められない。
(4) 争点④(本件異動と本件自殺との因果関係の有無)について
(原告の主張)
仮に,本件うつ病及び本件再発うつ病のいずれにも業務起因性が認められないとしても,Bは,本件異動及びこれに至る経緯による心理的負荷によって,うつ病を増悪させ,本件自殺に至ったものである。すなわち,本件異動後の業務は,Bがこれまで従事してきた顧客相手の業務とは関連性がなく,Bにとって未経験の物流業務であったこと,Bは,本件異動に際して,A13ら2名の業務を1人で引き継ぐこととされており,その業務量は過大であったこと,本件異動によって,物的のみならず人的にも環境が大きく変化したこと,Bは,本件異動を固辞していたにもかかわらず,上司であるA10やA12から相次いで本件異動に関し強硬な発言を受けたこと,本件異動の命令を受けてから本件異動の時期までの期間はわずか1か月であり,Bには,本件異動後の業務を引き継ぐに十分な準備期間を与えられていなかったこと,身体障害者Ⅱ種4級のBにとって,通勤時間が長く,人混みの中電車を乗り換える必要がある佐屋保守センターまでの通勤は,相当に過酷なものであったことなどに照らすと,本件異動及びこれに至る経緯は,すでに発症していた本件うつ病ないし本件再発うつ病を増悪化させ,これによって,Bは本件自殺に至ったとみるのが妥当である。
したがって,本件異動と本件自殺との因果関係は,認められる。
(被告の主張)
うつ病の増悪と自殺との間には相関関係は認められず,また,既にうつ病を発症している者は,ささいな出来事に対しても過大に反応するのが一般的であり,うつ病発症後の出来事による心理的負荷の程度と自殺との間に相関関係は認められないから,自殺の業務起因性の判断にあたっては,うつ病発症後の増悪の有無や業務の過重性といった事情を考慮すべきではない。それゆえ,たとえ本件異動がきっかけとなって本件自殺に至ったとしても,本件再発うつ病発症後の出来事である本件異動は,本件自殺の業務起因性の判断に当たって考慮すべきではなく,本件異動と本件自殺との間の因果関係は認められない。
また,仮に,本件異動を業務起因性の判断に当たり考慮するとしても,本件異動は,判断指針上,心理的負荷の強度が高い出来事とはいえないから,いずれにせよ,本件異動と本件自殺との因果関係は認められない。
第3 当裁判所の判断
1 認定事実
後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の各事実が認められる。
(1) Bの健康状態,生活状況,性格,精神疾患に係る症状等
ア 健康状態
(ア) Bは,前記のとおり,ポリオによる左下肢機能の障害著明の身体障害を有し(身体障害者Ⅱ種4級),左足のふくらはぎ部分にほとんど筋肉がなく,補助器具がなければ歩行が困難であったことから,左足のすねから下の部分を固定する補装具を付けて生活をしていた。Bは,左足を十分に上げることができなかったため,左足をやや引きずるように歩いており,家の敷居などに躓いて転倒することもあったし,階段の昇降に際しては,手すりを掴まなければならず,速く走ることはできなかった。もっとも,Bは,歩行の速度が健常者と大きく異なることはなく,自動車を運転することはできたし,自転車にも一応乗ることができた。(甲A11の15頁,A59,A60ないしA62,A65,弁論の全趣旨)
(イ) Bは,a2社において行われる定期健康診断において,飲酒による肝機能障害の疑いがあるとの診断を受けたものの,要治療とまでの所見は付けられていなかった。(A81の1ないしA82の4,A83ないしA85)
(ウ) また,Bは,後記イの(ウ)のとおり,1日につき約20本の喫煙をしていたが,a2社において行われる定期健康診断において,肺に関する所見は付けられていなかった。(甲A81の1ないしA82の4,A83ないしA85,弁論の全趣旨)
イ 生活状況
(ア) Bは,昭和56年ころから,原告とともに卓球を始め,それ以来,各転勤先で,地域のクラブに所属するなどして,週末に1回程度,仲間とともに趣味としての卓球を楽しんでいた。卓球仲間とは,卓球の練習後に互いの家で飲食をともにしたり,会社帰りに家に寄って携帯電話の操作方法を教えたりするなど,家族ぐるみの付き合いをしていた。(甲A9,A41,A58,A101,A108,弁論の全趣旨)
(イ) Bは,ほぼ毎日,350ミリリットル缶のビールを約2本ないし焼酎を約1合飲み,休日には卓球仲間と酒を飲むなど,日常的にアルコールを摂取していた。また,本件うつ病を発症後,Bは,断続的にうつ病による不眠の症状に悩まされており,服薬によってこれを解消することがほとんどであったものの,大橋クリニックの受診を中断し再開する直前である平成12年7月ころは,不眠を解消するために酒に頼ることもあった。もっとも,第5次受診を開始した同月17日以降は,服薬により不眠は一定程度解消され,Bが酒に頼った形跡は窺われないから,Bが,アルコールに依存したりこれを乱用していたり,あるいは日常的に酩酊状態に陥っていたとの事実は認められない。(甲A17,B2の1,B2の2,B16の94頁,弁論の全趣旨)
(ウ) Bは,若いころから20年前後の間,一日につき約20本の喫煙をしており,その後少なくとも十数年間ほど禁煙していたものの,遅くとも平成12年後半ころから,再び一日につき約20本の喫煙を始めた。(甲A81の1ないしA82の4,A83ないしA85,B16の93頁,弁論の全趣旨)
ウ 性格
Bは,真面目,几帳面,神経質で,責任感が強いのみならず,我慢強く,周囲に気を遣い,激しく自己主張することはできないといった性格の持ち主であった。ただ一方で,卓球仲間とは,前記イのとおり,毎週末に卓球を楽しみ,その後は互いの家で飲食をともにするなど,気が置けない友人らに対しては,社交的な一面を見せ,また,a2社の従業員らとも,麻雀をしたり飲食をともにしたり社員旅行に出かけたりと,ごく一般的な付き合いをしていた。(甲A9,A10ないしA12,A41,A101,甲B1の2,B8,B16の32頁,弁論の全趣旨)
エ 精神疾患に係る症状等
(ア) 愛知学院附属病院を受診中の症状等について
a Bは,平成5年6月ころ,歯科医にてペリオ(歯周病)の処置を受けたところ,舌の接触時に下顎前歯舌側に違和感を覚えたことから,同年9月27日,愛知医科大学附属病院を受診し,同病院の担当医から,愛知学院附属病院を紹介されて,同病院を受診した。Bは,同病院において,口腔心身症(口腔異常感症,口腔乾燥症,舌痛症)と診断され,その後平成13年5月12日まで,大橋クリニックでの第1次ないし第5次受診と並行して,口腔心身症の治療のため,月に1回ないし2回程度の割合で,愛知学院附属病院を継続的に受診した(なお,同日をもって受診が中断したのは,担当医であるA16(以下「A16医師」という。)の診療日が,土曜から平日に変更となり,平日に仕事をするBは,A16医師を受診できなくなったためである。)。
b Bは,愛知学院附属病院から,継続的に,抗不安薬であるメイラックスや自律神経調整剤であるグランダキシンなどの処方を受けていたところ,メイラックスは,うつ病患者に対して単独で処方されることは少なく,抑うつ状態に対する強い効果はないものの,神経症における不安,緊張,抑うつ,睡眠障害,心身症における不安,緊張,抑うつ,睡眠障害等を緩和させ,うつ病の症状にも対症療法的な効果のある薬である。(甲B3,B4,B6の3,B6の7,B9,B19,弁論の全趣旨)
c Bは,愛知学院附属病院において,当初は,ペリオの処置後の口腔の異常感を訴えるだけであったが,a2社への出向の前後ころから仕事による精神的ストレス(出向をリストラと受けていたためそのストレス)をしばしば訴え(出向をリストラと受けていたことによるストレスのほか,出向後は,長時間労働による睡眠不足やクレーム処理等の職務のきつさなどを訴えるようになった。),仕事のストレスの強弱に比例して症状の悪化と緩和を繰り返すようになったため,Bの罹患している口腔心身症が容易に改善しないのは,業務上のストレスを原因とするものであると判断したA16医師から,毎受診時に30分以上,a2社における業務内容を聴取されるようになっていたところ,これは,患者を精神的に支持してその精神的ストレスを緩和させる,支持的精神療法の一環であった。A16医師は,Bに対し,a2社を退職するよう勧めたこともあったが,Bが退職することはなく,口腔心身症の症状は,Bが愛知学院附属病院の受診を終了した平成13年5月12日まで継続した。(甲B19の2,弁論の全趣旨)
(イ) 国立病院精神科を受診中の症状等について
a Bは,平成6年11月17日,体重減少,食欲低下等の自覚症状があったため,国立病院精神科を受診し,担当医に対し,体重が同年7月ころに9キログラム減少し,食欲も低下して,重圧感があり,無気力であること,同年4月1日に従前の勤務先とは全く別の会社に出向し(本件出向),自らの能力以上の仕事を求められていること,自分は技術者としてb社で働きたいにもかかわらず,ほとんど脅される形で本件出向を命じられたと感じていること,本件開局後の同年8月ころは,毎日深夜まで顧客の苦情を受け付けていたこと,そのため,趣味である卓球もできなくなったこと,もっとも,現在(同年11月ころ)は定時に退社していることなどを述べた。担当医は,診断を踏まえ,Bがうつ病(本件うつ病)に罹患していると診断し,休業が必要である旨Bに述べた上,抗うつ薬であるアナフラニール,ドグマチール及びテトラミド,抗不安薬であるワイパックス等の薬を処方した。(甲B1の2,B13,B14の1ないし11,弁論の全趣旨)
b 平成6年11月29日,原告は,Bの代わりに国立病院精神科へ来院し,Bが前記各薬を飲んで食欲が増進したことなどを伝えると,前記担当医は,アナフラニールの処方が奏功したと判断して,同薬の処方を中止し,他のドグマチール,ワイパックス等の薬を処方した。(甲B1の1,B1の2,B2の1,B2の2(平成7年7月28日付け部分),B13の56頁以下,B14の4,弁論の全趣旨)
c Bは,同病院の診察は一日に及ぶ長時間であったことから,前記受診をもって同病院への通院を自己の判断でやめた。(甲B2の1,B2の2)
(ウ) 国立病院精神科の通院終了後大橋クリニックを受診するまでの症状等について
Bは,平成6年12月ころ,不眠や食欲不振がひどく,体重が2か月で8キログラム減少したことから,卓球仲間で名古屋市立城北病院の産婦人科医師であるA17(以下「A17医師」という。)に対し,自らの症状について相談をしたところ,A17医師は,Bに対し,精神科医であるA15医師が開業する大橋クリニックを紹介した。Bは,精神科を再び受診することに対する抵抗感や,生来の我慢強い性格から,前記紹介を受けてから約半年間にわたりA15医師を受診することを控えていたが,その間も,うつ病の症状は改善せず,特に,平成7年6月ころからは,不眠,食欲不振,朝方の疲れや身体の倦怠感などのうつ病の症状が顕著になってきたため,同年7月28日,大橋クリニックの第1次受診を開始した。(甲B2の1,B2の2,B4,B8,B9,弁論の全趣旨)
(エ) 大橋クリニックを受診中の症状等について
a 第1次受診(平成7年7月28日及び同年8月8日)
Bは,平成7年7月28日,前記(ウ)の経緯で,大橋クリニックの受診を開始した。Bは,同日の受診の際,体重が8キログラム減少した平成6年12月より数か月前からのBの状況に関するA15医師や臨床心理士の聴き取りに対し,同年4月に本件出向があったこと,本件出向に伴い,仕事内容が大きく変化したこと,土日は休めるが,平日は約12時間働き,本件開局前の時期は,本件開局に間に合わせるため午前2時ころまで働く生活が数か月続いたこと,本件開局直後も午後11時過ぎまで働く生活が続いたこと,そのような中で,最初の不眠や食欲不振などの症状が始まったこと,b社に戻りたい気持ちは強いが,通常であれば3年間は戻ることができず,その後も戻れる保証はないことなどを,生気の乏しい表情で話した。A15医師がb社での仕事内容(オーディオ関連)に触れると,Bの言葉数は幾分多くなった。A15医師は,前記聴取内容などを踏まえ,Bがうつ病であると判断し,Bに対し,抗うつ薬であるアンプリット及びミラドール,睡眠薬などを処方した。
Bは,平成7年8月8日にも大橋クリニックを受診し,その際,食欲は比較的あり,よく眠れるが,早朝に目覚めることがあり,また,卓球をやっていても精神的に安定しないというか,ラケット一つうまく持てないなどとA15医師に伝えた。A15医師は,同日の時点においても,早朝覚醒や,なお多少の思考・運動抑制が見られたことから,Bの抑うつ状態は続いていると判定し,治療の継続が必要であると判断していたが,Bは,自己の判断で,同日をもって,第1次受診を中断した。(甲B2の1,B2の2,B8,B13の56頁以下,B14の4,B14の11,弁論の全趣旨)
b 第2次受診(平成8年9月21日から平成9年4月15日まで)
Bは,平成8年9月21日,前回の受診から約1年の期間を空けて,大橋クリニックを受診し,憂うつな気分,嗜好や運動の抑制,焦燥感,不眠があり,朝起きると体が重いこと,Bが勤務先として希望するb社に戻ることはないと思われること,a2社でBが従事する仕事には,参考にすべきモデルがなく,自らが第一陣となって故障受付体制を作っていく困難さが伴っており,自分には苦手な分野であることなどを,A15医師に対し,緩慢な話し方で訴えた。このころのBには,朝方における身体の倦怠感,憂うつな気分,性欲の減退など,うつ病の各症状がみられ,A15医師は,Bの本件うつ病が寛解しないまま継続し再び症状が悪化したものと判断した。
その後,Bは,平成8年10月11日,同月25日,同年11月14日,同年12月20日と大橋クリニックを受診し,投薬中心の通院治療を続け,これによって本件うつ病の症状はやや軽快したかにみえたが,平成9年1月28日,Bは,仕事が思うように進まないことや,不安やいらつきがあること,さらに,同年3月25日,b社においてBが携わる仕事がなくなり,本件出向が更に3年延長されたこと,a2社での勤務内容が厳しいこと,そのような中で,Bの所属する課の担当課長が1名削減され,苦手なスタッフ的な仕事をしなければならなくなったことなどをA15医師に訴え,このころ,Bの抑うつ症状は悪化した。同年4月15日の受診時には,Bは,状態にあまり変化はなく,仕事の状況も相変わらずであるが,薬の服用により,まずまず眠れるようにはなったことから,服用する薬の量を減らして対応しているなどと述べていた。A15医師は,前記診察内容を踏まえ,Bは,b社に戻れない失望と苦手な仕事の増加で,抑うつ的な状態が続いており,休職が必要な状態にあると判断したことから,Bに対し,再三にわたって休職を勧めたが,Bは,仕事が忙しいことから休職は到底無理であると考えて休職せず,かえって,自己の判断で,同年4月15日をもって,第2次受診を中断した。(甲B2の1,B2の2,B8,弁論の全趣旨)
c 第3次受診(平成9年9月1日から同年10月16日まで)
Bは,平成9年9月1日,前回の受診から約4か月半の期間を空けて,大橋クリニックを受診し,社内での担当異動があって調子が良くないこと,抗うつ薬などの服薬がなければ精神的につらく,食欲もあまりないこと,睡眠も十分に取れていないことなどを,A15医師に愁訴した。A15医師は,前記聴取内容などを踏まえ,本件うつ病が寛解しないまま継続し症状が再び悪化しているものと判断し,Bには休職による療養が必要と判断して,休職することを再びBに勧めるとともに,自殺念慮を危惧し,もしも自殺したいという気持ちになったときには,家族やA15医師に伝えるよう告げた。Bは,同月18日,同年10月16日と大橋クリニックを受診しているところ,同日には,A15医師に対し,抗うつ薬の服用を続けていることにより,憂うつな気分からやや脱し,比較的よく眠れるようになったが,食欲はあまりなく,Bを取り巻く職場の状況にも変化はないなどと述べていた。A15医師は,前記診察内容を踏まえ,治療を継続する必要性があると判断していたものの,Bは,自己の判断で,同日をもって,第3次受診を中断した。(甲B2の1,B2の2,B8,弁論の全趣旨)
d 第4次受診(平成10年3月2日から同年11月19日まで)
Bは,平成10年3月2日,前回の受診から約4か月半の期間を空けて,大橋クリニックを受診した。同日に受診を再開した理由について,Bは,平成9年9月に技術センターの担当課長になり,仕事の負担が少し軽減されたが,平成10年1月,○○サービスのアフターサービス業務として,携帯電話のサービス文字の電送をするようa2社に命じられたことを契機に,食欲不振,胃痛,抑うつ状態が悪化したためと説明した(Bは,従前,オーディオ関連機器のマネージメントに携わってきたことから,携帯電話関連の仕事は自分に合わないと感じていた。)。その際,Bは,A15医師に対し,体重が四,五キログラム減少したこと,不安な気持ちがあり,時に自殺念慮が生じること,心配をかけたくないとの一心から家族に自分の状態を相談できずにいること,引っ越しをしたが,体がだるくて引っ越し作業を満足に手伝えず,家族に対し申し訳ない気持ちを抱いていることなどを伝えた。A15医師は,前記聴取内容などを踏まえ,Bの本件うつ病が寛解しないまま継続し再び症状が悪化しており,Bには,服薬の継続とともに休職による療養が必要と判断して,Bに対し,服薬の継続と休職を勧めたが,Bは,その後,抗うつ薬等の服薬は続けたものの,休職はしなかった。
Bは,その後,平成10年3月16日,同年4月2日,同月23日,同年5月7日,同年6月4日,同年7月6日,同年8月27日,同年9月28日,同年10月20日,同年11月19日と大橋クリニックを受診し,その間,抗うつ薬の服用によっても本件うつ病の症状がなくなるには至らず,同日の受診でも,Bは,A15医師に対し,気分はあまり変わらず,不安感はあるが,それほどいらいらせず,焦燥感は以前ほど強くなく,次第によくなってきているなどと述べていたが,A15医師においては,服薬しながら何とか出勤している状態であるとの認識であり,治療を継続し抗うつ薬の服用を継続していく必要があると判断していたが,Bは,またもや自己の判断で,同日をもって,第4次受診を中断した。(甲B2の1,B2の2,B8,弁論の全趣旨)
e 第5次受診(平成12年7月17日から平成14年11月21日まで)
Bは,平成12年7月17日,前回の受診から約1年8か月の期間を空けて,大橋クリニックを受診し,A15医師に対し,胸の中に恐怖心があること,人と話したくないこと,好きだった卓球も全くやる気がしないこと,このような状態は2か月ほど前から始まり,この1か月間で増悪したこと,理屈で分かっていても心や頭が何も受け付けず,正常な精神状態ではないことが自分でも分かることなどを愁訴した。さらに,Bは,本件出向以来,不得手な仕事をしてきたが,a2社から,本件ISOを年内に取得するよう命じられ,担当課長としての負担を強く感じていること,同年8月に予定されている本件ISOのテストも自分がみなければならず,失敗は許されないこと,不眠を解消するために飲酒しているが,夜中に覚醒すると眠れないこと,食欲が減退していること,体重も減っており,疲れやすいこと,自殺念慮があり,本受診日の前日である同年7月16日も,家族のいない間に死のうと思ったことなどを伝えた。また,第4次受診の中断後,約1年8か月にわたり大橋クリニックを受診しなかった理由について,Bは,平成10年初頭に自宅を購入した際,住宅ローンに関する団体信用生命保険に加入したが,その中の治療歴の告知義務に関して誤解をし,大橋クリニックを受診すると治療歴の告知義務違反になると考えていたと説明した。A15医師は,前記聴取内容を踏まえ,本件うつ病は寛解することなく継続していたばかりでなく,症状が深刻化しているものと判断し,Bに対し,自殺念慮については服薬治療をすれば回復できること,自殺したい気持ちを止められなくなった場合は,家族又はA15医師に相談するよう告げた上,再び休職を勧めたが,Bが休職することはなく,その後,Bは,およそ半月から1か月おきに大橋クリニックを受診し,Bのうつ病の症状は一進一退を繰り返していたところ,平成14年11月21日の受診が,Bの本件自殺前の最後の受診日となった。(甲B2の1,B2の2,B8,B12,弁論の全趣旨)
(オ) 大橋クリニックの受診を中断していた時期の症状等について
a Bは,第1次から第5次受診までの間に受診を中断していた間も,月に1回ないし2回程度の割合で,前記(ア)のとおり,愛知学院附属病院の受診を継続していた。同病院におけるBの診断病名は口腔心身症であったため,Bは,同病院の受診の際,舌の症状を中心に述べているが,併せて,A16医師の施す前記支持的精神療法の一環として,a2社における仕事が多忙であることや(平成11年4月3日,同年7月24日,平成12年6月17日,同年7月1日の診療録),顧客からの苦情が多いなどの理由から,仕事のストレスが大きいことなど(平成11年4月3日,平成12年2月18日),a2社における勤務状況やこれに対しBが感じている心理的負担などを述べており,このことから,a2社における勤務による心身的負担が原因となって,本件うつ病の症状が一進一退を繰り返していたことが窺われる。(甲B4,弁論の全趣旨)
A16医師は,Bの罹患している口腔心身症は,a2社における業務に起因するものと考えており,Bの大橋クリニックへの通院が中断していた間においても,継続的に,Bに対し,毎受診時に30分以上にわたって前記支持的精神療法を施しつつ,薬物療法として,抗不安薬であるメイラックスや,自律神経調整剤であるグランダキシンを処方していた。(甲B3ないしB5,B6の3,B6の7,B19の1,B19の2,弁論の全趣旨)
b Bは,平成13年5月12日に愛知学院附属病院の受診を終了後,同月21日に,医療法人藤が丘クリニックを受診して,慢性胃腸炎などの診断を受け,その後,平成14年11月21日まで,おおよそ月に1回ないし3回の割合で,同クリニックを継続的に受診した。そして,Bは,同クリニックにおいて,愛知学院附属病院における処方薬と同じメイラックス及びグランダキシン等の処方を受けた。(甲B7,弁論の全趣旨)
(2) Bの業務内容等
ア 本件出向に至る経緯
Bは,平成5年の秋ころ,b社の上司から,a2社への在籍出向(本件出向)を数度にわたり打診されたが,b社において技術者として働きたいとの思いを持っており,また,a2社における仕事は,それまでBが,自らの技術を活かし,約27年間の長きにわたり携わってきた音響機器の修理の仕事と全く異なることや,出向がリストラの対象とされたことを意味するものと受け止めていたことなどから,本件出向に強い不安を抱き,前記打診の都度,本件出向を断っていた。ところが,b社本社の人事担当者がBの自宅に直談判に来るなど,本件出向に対する強い態度を見せたことから,Bは,やむなく本件出向を承諾し,平成6年4月1日から,a2社において勤務することとなった。
Bは,本件出向をリストラと捉えるとともに,b社の社長からほとんど脅される形で本件出向を命じられたと考えていた。また,a2社の従業員は,そのほとんどがJR東海からの出向者で占められており,a1社設立当初からの株主ではなく,主流派ではないb社からたった一人出向しているBにとっては,気やすく相談できる相手もおらず,居心地の良い職場環境ではなかった。(甲A9,A205,B1の2ないしB2の2,B8,証人A19,弁論の全趣旨)
イ 本件開局前の状況,Bの業務内容等
(ア) 本件開局前の状況
a2社は,当初,平成6年12月1日に東海3県(愛知県,岐阜県,三重県)での携帯電話の通話サービスを開始する予定であったが,同年3月17日の経営会議において,当時の社長であったA18が,これより約5か月早い同年7月1日から同月中旬までの開始を目標とする旨の指令を発し,a2社の全部署に対し,これに向けた急ピッチの作業を呼びかけた。これを受けて,a2社は,同年3月20日ころ,電波管理局に対し,本件開局に必要なアンテナ基地局100基について申請をし,同年4月以降に,同申請が認められて前記100基の基地局の設置工事が開始され,本件開局時には,愛知県内に83局,岐阜県内に10局,三重県内に7局の合計100基の基地局が設置されたが,顧客が前記東海3県において十全に通話するためには,前記合計100基の基地局から受信できる電波のみでは不十分なことは明らかであった。また,名古屋市の中心部である栄や今池など,電波の混雑する地域に基地局がないなど,通話に関する致命的な問題点を抱えており,本件開局前から,顧客からの苦情が殺到することは十分に予想された。
さらに,Bが平成6年4月1日から担当することとなる苦情受付処理に関する業務については,同年3月末ころに,コールセンター(顧客からの苦情受付センター)の設置場所が上前津に所在するeビルとなることや,コールセンターを派遣契約で受注することがわずかに決められたのみであって,コールセンターの業務に不可欠な業務マニュアル作りや人員の募集などは行われていなかった。(甲A19,A205,証人A19,弁論の全趣旨)
(イ) Bの業務内容等
a Bは,平成6年4月1日の本件出向後,サービス課の担当課長として,本件開局の前日である同年7月25日ころまで,取扱店が顧客の苦情を受け付けた時の苦情処理に関する取扱店マニュアル(中でも,取扱店が故障受付を行うことにより発生する手数料,修理の際の保険の処理などに関する部分については,Bが一人で担当した。)や,帳票類の作成,各種携帯電話の製造メーカーとの修理契約の締結交渉などの業務,取扱店マニュアルなどを使用した取扱店などの指導育成業務に従事した。(甲A18,A22ないしA25,弁論の全趣旨)
b サービス課には,当時,Bを含め5名の出向者がいたが,その中には,携帯電話を使ったことがある人物は一人もおらず,携帯電話の実機を用いた訓練が必要不可欠な状態にあったが,平成6年の年初から,携帯電話端末のデモ機や見本機が従業員間で回覧されるようになったものの,実際に電源が入り操作できる実機が従業員間に回覧されることはなかった。
Bを含むサービス課の出向者は,取扱店が行う苦情処理に関するマニュアルなどの作成に当たり,a1社に先行して開業していた関連会社のマニュアルなどを謄写することはできなかったため,時間をかけて他社のひな形を参考にすることはできず(わずかに,A7が,関西デジタルホンに勤める知人に頼んで,短時間,同社のマニュアルの一部を参考に閲覧させてもらい,同知人から,故障受付業務の流れなどに関する参考意見をもらったのみである。),また,携帯電話そのものが世に普及していなかったため,a2社の従業員は,携帯電話を使った経験がないのはもちろん,携帯電話自体を見たことがない者も多く,そのような状況の中で,従業員間で携帯電話のイメージを共有できないまま,携帯電話の故障を調べるためのテスター機の選択や,帳票の複写紙を何枚にするのか,また,修理代金の設定の相場はどの程度なのかなど,実務的な細かい点に至るまで,まさに手探りの状態で前記マニュアルを作成しなければならなかった。(甲A23ないしA25,A204,A205,B16の173頁,証人A19)
なお,以上の認定に反し,先行する他社のマニュアルを取り寄せて,それを参考に前記取扱店マニュアルを作成した旨の前件訴訟におけるA9の証人尋問調書(甲A77の2頁以下・20頁以下)が存在するが,その内容は,A7の陳述書及び前件訴訟における証人尋問調書(甲A23ないしA25)の内容に比して具体性に欠け,また,A9が当時Bとともに業務に当たったのは月に1度ほどであり(甲A77の2頁・21頁),Bと同じ場所で日々同様の職務に従事したA7の信用できる前記陳述書及び前件訴訟における証人尋問調書の内容に反するものであることに照らすと,A9の前記調書の内容を,Bの業務状況を正確に表すものとして直ちに採用することはできない。
ウ 本件開局後から本件異動までの業務内容等
(ア) 故障受付業務等
a Bは,本件開局後,取扱店から寄せられる携帯電話の取扱方法等に関する問い合わせへの直接対応業務及び顧客から寄せられる苦情や問い合わせに対する2次対応業務に従事した。このころは,いまだa2社内における顧客対応体制も確立されておらず,Bは,サービス課の担当課長として,a2社の今後の顧客対応の基盤となる体制を整えていかなければならない立場にあった。(甲A23ないしA25,A46の5頁,A77の2頁以下,B2の2の6頁,B16の23頁,弁論の全趣旨)
b 本件開局の当初,苦情に対応できる携帯電話の取扱店はほとんど存在しなかったため,顧客からの苦情や問い合わせは,取扱店を通じてではなく,直接a2社のカスタマーサービス部に対してなされており,また,顧客も携帯電話の取扱いに慣れておらず,多少の不都合や不具合でも直ちに苦情として申し立ててきたため,カスタマーサービス部に寄せられる苦情や問い合わせの数は相当に多かった。しかしながら,当時5000名いた顧客に対して,カスタマーサービス部の人員は31名,そのうち苦情等受付業務に対応するオペレーターはわずか10名しか配置されておらず,しかも,交代で休日を取得する関係で,同10名のうち同時に出勤するのは多くとも7名程度であったと認められること(証人A19・22頁,弁論の全趣旨),また,1次対応者も携帯電話に精通していなかったため,1次対応で適切に対応することができず,2次対応まで回ることが多かったことや,1件の苦情処理に時間がかかったことなども相まって,平成6年8月時点では80%近くあった電話応答率は,同年9月には30%,同年10月には20%を切り,業界の常識からして危機的な電話応答状況となった(電話応答率は,本来は90%を目指すよう指導され,通常はこれが実現されるものである(甲A19の73頁,A205の11頁,証人A19)。)。
そのため,カスタマーサービス部内の業務分掌では,顧客からの苦情等に対して,オペレーターの1次対応で処理しきれない場合に初めて,Bら2次対応者がオペレーターから質問を受けてオペレーターに回答し,あるいは顧客に直接回答する2次対応業務を行うこととされていたものの,2次対応者が前記体制を守っていることは事実上不可能であり,サービス課の課員全員が,1次対応者と総出で苦情受付にあたるような状態が続き(サービス課の課員(出向者)5名のうち少なくとも2名は,常に故障修理席で,オペレーターと同じように顧客からの電話に応答していた(甲A24の8頁)。),Bも,本件開局直後は,1次対応者とさほど変わらない件数につき,1次対応業務を行っていた(当時の電話応答率が,前記のとおり,20%を下回る低率であったことや,お客様サービスセンターに直接苦情を述べに来る顧客が1日につき約5名おり,中には怒鳴り込みをしてくる顧客もいたこと(甲A23の13頁,A26,A27,B16の174頁,弁論の全趣旨)などからしても,前記状況が窺われる。)。このような状況は,同年11月に,オペレーターが44名に増員され,営業部員が苦情処理を応援するようになるまで続いた。
c さらに,当時の携帯電話は故障が非常に多く,また,電波の届かない不感地が続出して,電波が途切れるなどの問題点を抱えていたため,外出先においても通話ができる点を固定電話と異なる利点と捉えて携帯電話を購入した顧客の不満は噴出し,怒りに任せて苦情を述べてくる顧客の数は,相当に多かったものと推認される。加えて,2次対応すべき案件は,1日につき約20件あったが,2次対応の場合,後に対応する者は誰もおらず,自ら最終的に判断しなければならない責任があったことや,2次対応まで要する客は怒りが相当に強い者ばかりであったことなどから,顧客に納得してもらえるまで,細心の注意を払いながら粘り強く説明する必要があった。さらに,携帯電話が実際に使われ始めると,電池の寿命が短いとか,携帯電話が発熱する,通話中に雑音が入る,音声が歪む,声が途切れるなどといった,本件開局前には想定しなかったような問題や電波状態の不具合に関する問題が次々と判明し,顧客からの苦情内容は,必ずしもBが本件開局前に作成した前記取扱マニュアルのみで対応できるものではなく,Bは,新たな問題が発生する度,それを検討して回答していく作業を日常的に強いられていた。(甲A19の73頁以下,A22,A23の12頁以下,A24,A25,A77,A108,A205,弁論の全趣旨)
(イ) マニュアル改訂業務
顧客からの苦情は,前記(ア)のとおり,Bらが本件開局前に作成した前記取扱マニュアルのみで対応できるものではなかったため,Bは,本件開局後2か月ないし3か月の間,顧客から寄せられた苦情の内容を基に,前記取扱マニュアルを改訂する作業に従事した。(甲A22,A25の6頁,弁論の全趣旨)
(ウ) 取扱店に対する指導業務等
Bは,取扱店における修理対応に必要なアンテナ工具,携帯電話機テスター,移動機テスター及び電池チェッカーなどについて,新規取扱店への取扱いの指導研修や,取扱店からの問い合わせに対する対応,保守管理,手配(発送)業務などを行っていたが,平成6年の秋ころから,携帯電話の取扱店が増加したことに伴い,入れ替わりの早い取扱店の従業員に対しその都度指導をする必要が生じて,取扱店に対する前記指導研修業務は増加した。なお,Bは,前記保守管理及び手配業務については,平成9年9月1日にa2社の組織変更が行われるまでの期間,従事したものである。
また,Bは,本件開局前に修理の際の保険手続に関するマニュアルの作成を担当した関係で,本件開局後も,携帯電話が故障した場合の保険手続の内容などについて,取扱店に対する指導を行った。(甲A22の3頁,A46の5頁,A70,A77の3頁以下,弁論の全趣旨)
(エ) 携帯電話のネットワークに関する業務等
Bは,平成9年9月1日,技術センターに担当課長として配属された後,前記(ア)及び(ウ)の各業務に加え,携帯電話及び付属品並びにネットワークに関する技術判断に関する業務,携帯電話及び付属品の修理にかかるメーカーとの契約に関する業務,携帯電話の故障の際の責任判断に関する業務,エリア調査業務(通信不良の苦情が多いなど通信エリアに関する問題が生じた際,現地に赴いて電波状況を調査し,ネットワーク上の問題があれば,ネットワークセンターにこれを報告する業務)などに従事した。技術センターには,携帯電話の技術や品質管理専任の技術系従業員4名が配置されていた。(甲A77の3頁以下,弁論の全趣旨)
(オ) ○○サービス・△△サービス関連業務
a Bは,前記(ア),(ウ)及び(エ)の各業務に加え,平成9年11月25日から,日本初の携帯電話でのインターネットメールを可能とする○○サービスが開始したことに伴い,○○サービスのアフターサービス業務として,通信障害の原因調査業務(通信障害が,移動機の故障によるものか又はネットワーク上の問題に起因するものかを調査し,ネットワーク上の問題があれば,ネットワークセンターにこれを報告する業務),○○サービスについての顧客対応業務(携帯電話に関する問い合わせ,通信不良の苦情などへの対応業務)に従事した。さらに,○○サービスが,当初3か月間の無料お試し期間を経て,平成10年3月から有料化されることに伴い,Bは,同月ころに構成された○○サービスに係る前記各業務を行う○○チームのリーダーに就任した。○○チームでは,Bは唯一の男性構成員であった。○○チームにおけるBの主な業務は,オペレーターが顧客からの苦情や問い合わせに対する1次対応をし,○○チームの女性社員(4名程度)が2次対応をしても対応しきれない点をフォローする3次対応業務や,○○チームの構成員らの相談に乗ったりする取りまとめ役としての業務であった。
○○サービスは,その導入が決定されてからごく短期間のうちに,各部門の関係者が慌ただしく準備を進めてようやく開始されたサービスであり,また,他の携帯電話会社が展開するサービスと異なって,他社網を用いたメールのやり取りが可能であるなど,当時の携帯電話業界において画期的なシステムが導入されていたほか,天気予報などの文字情報を配信する○○ウェブ,業界初の着信メロディサービスである○○メロディなど,同様に画期的なサービスが立て続けに導入されたため,同各サービスの導入後,a2社の顧客数は急激に増加した。そのため,ネットワークの発達が顧客の急増に追いつかず,○○サービスの導入当初から,a2社においてはネットワーク上の障害が多発し,これに関する顧客からの苦情も殺到して,1次対応や2次対応の数は非常に多かったし,また,その対応に追われる○○チームのリーダーであるBは,前記のとおり3次対応をすることとされていたとはいえ,2次対応者に対するフォローや相談の業務に追われていたものと認められる。(甲A19の99頁以下,A46,A75,A77の5頁以下・25頁以下,弁論の全趣旨)
b その後,平成11年12月10日から,○○サービスを機能的に拡大した△△サービス(以下「△△サービス」という。)が開始されたが,Bは,△△サービスの開始後も,平成12年末ころまで,同様に○○チーム(名称は△△チームとなった。)のリーダーを務め,前記aと同様の業務に従事した。しかし,そのころ,Javaと呼ばれるプログラミング言語を使用した新機能のソフト(携帯電話で高機能なゲーム等をするソフト)を搭載した携帯電話が市場に出回ることが予想されたため,a2社は,平成13年初めころ,技術的な知識が豊富でないBに代わり,お客様サービス部管理課の技術センターに所属する,コンピュータの知識が豊富なA20(以下「A20」という。)を,△△サービスのアフターサービスの責任者とすることにした。(甲A19の103頁以下,A77の7頁以下・25頁以下,弁論の全趣旨)
(カ) 顧客の増加,新機種及び新サービスへの対応
a a2社の顧客数は順次増加し,平成6年9月には2万3900人だった顧客数は,平成7年9月にはその約7倍である16万8700人,平成8年9月にはその約3倍である46万4100人,平成9年10月にはその約1.5倍である68万0900人,平成10年9月にはその約1.5倍である105万7800人,平成11年9月にはその約1.4倍である148万5800人,平成12年9月にはその約1.3倍である197万8800人,平成14年3月にはその約1.3倍である249万4400人と,増加の一途を辿っていた。かかる増加状況は,他の携帯電話各社と比較しても著しく,平成6年7月の本件開局時には15%に止まっていたa2社の東海地域における携帯電話のシェアは,平成13年度には28%にまで上昇していた。(甲A16の188頁以下,弁論の全趣旨)
b この間,携帯電話の性能は徐々に向上していったものの,a2社が新たに展開する携帯電話の商品は1年間に10機種を超えており,○○サービスなどの新サービスも次々と展開され,これに伴い必要となる会社の体制の整備や基地局の改善などへの対応が追いつかないような状況であり,携帯電話の性能の向上のみでは,顧客からの苦情や問い合わせの件数が減少することはなかった。
また,Bが所属するアフターサービス部門においては,携帯電話の新商品が発売される場合や,新サービスが始まる前に,開発担当者等から適宜講義を受けたり,新機種が発売される約1か月前に,試用機と取扱説明書で操作要領を習得するなどして,その都度新たな顧客対応に備える必要があった。新機種が発売される際には,極力,特定の者が当該機種に関する顧客対応を担当することになっていたが,必ずしもそのような対応が実現していたわけではなく,新機種の全般について,Bは顧客からの苦情を受け付けていた。(甲A16の206頁以下,A19の69頁以下,A77の29頁以下,弁論の全趣旨)
(キ) 本件ISOの認証取得業務について
a2社は,平成11年12月20日,品質管理保証の国際標準規格である本件ISO及び環境管理の国際標準規格であるISO14001の各認証取得に向けた取組を開始することを決定し,ISO管理責任者,各認証取得対象部門の代表らをメンバーとするISO推進プロジェクトチームを設けて,前記各ISOの認証取得への取組を推進することとした。本件ISO認証取得の意義は,サービス品質の向上に向けた全社的な業務改革取組体制の構築や,法人及び官公庁向けのビジネス拡大への効果,株式公開を見据えたa2社の企業価値及び顧客満足度の向上などにあるとされ,初期段階の本件ISOの認証審査対象部門には,Bの所属するお客様サービス部も含まれていた。本件ISOの認証取得のプロジェクトは,平成12年1月に開始された。
Bの所属するお客様サービス部技術センターの所管業務で認証取得の対象とされたのは,顧客の苦情対応業務,ネットワーク異常があったときの連絡及び部内教育等であり,前記ISO推進プロジェクトチームのメンバーとしては,技術センターからA20が選出された。Bが当時担当していた電池テスター業務及び携帯電話機テスター業務は,前記認証取得の対象外とされたため,Bは,前記ISO推進プロジェクトチームのメンバーには選出されなかったが,平成12年7月初めころ,a2社から,技術センターの担当課長の一人として,本件ISOの認証取得の業務に携わるよう指示を受け,以後,同業務に従事した。(甲A19の165頁以下,A77の31頁以下,A78の1,A78の2,A80の1,A80の2,B2の1,B2の2の20頁,弁論の全趣旨)
(3) 本件転籍及び外資系企業による買収
ア Bは,本件出向当初から,b社に復帰することを強く希望しており,b社からも,当初は3年間でb社に復帰できると告げられていたが,平成9年3月初旬ころ,b社から,本件出向の延長を言い渡され,さらに,その後の状況の変化により,b社に復帰できる見込みがなくなり,本件出向から7年後の平成13年4月1日,a2社に転籍した(本件転籍)。(甲A77,B1の2ないしB2の2,弁論の全趣旨)
イ その後,平成13年9月ころ,外資系の企業であるa3株式会社は,日本テレコムの株式を公開買い付けし,これによって,a3株式会社がa2社の筆頭株主となった。Bは,a3株式会社が外資系の企業であったことから,a2社であれば可能であった60歳の定年退職後の嘱託雇用が実現しなくなるのではないかとの不安を抱いた。(甲A11の11頁,弁論の全趣旨)
(4) 新人事制度の導入等について
ア 平成14年4月からa2社に導入された新人事制度は,自己責任による人生の選択を目指し,①等級制度(ミッショングレードによる役割機能の明確化),②人材活用(ジョブポスティングの導入による社員と組織の自律),③評価制度(ミッショングレードと後記MBOに基づく納得,公平性があるオープンな評価システム),④給与制度(業績及び成果を反映した報酬体系,市場競争力のある報酬水準)を採用するなど,従業員の自主性の尊重と成果主義を骨子とするものであった。
ところで,ミッショングレードとは,会社の目標を達成していく上で,各段階の人材が果たすべきミッション(課題)を定義し,これに基づいてグレード(等級)を設定するもので,評価の対象は,抽象的な能力ではなく,会社が必要としているミッションを果たせるか否かの点にあるとされていた。ミッショングレードにおける評価は,MBOにおける「目標達成度(貢献度×達成レベル)」と「ミッション遂行度(行動指針の遵守度)」から行われるところ,ミッション遂行度の評価は1年に1回行われ,同一のグレードにおける累積点を基に,昇格や降格が行われるものであった。MBO(Management By Objective)とは,企業・組織の構成員が自分で設定した目標達成のために努力し,組織の目標達成のために役立てると共に自らの動機付けを行うシステムのことを意味した。さらに,ジョブボスティングとは,人事を原則として従業員自身の意思に基づいて行うとの方針であり,これによって適材適所の実現を目指すといったものであった。(甲A43)
イ Bは,前記アの新人事制度の導入により,平成14年5月ころ,目標達成度評価シート(以下「MBOシート」という。)を作成して,1次評価者であるA10に提出することとなった。
MBOシートにおいては,期初における目標テーマを3項目設定し,目標テーマの設定においては,数値目標を掲げることとされており,そのことはBにも通知されていたが,Bは,テスターの維持管理に関する項目を2項目に分けて書いたのみのMBOシートをA10に提示した。これに対し,A10は,かかる記載では新人事制度の求める最低限の条件も満たしていないから受け取ることはできないとして,Bに対し,テスターの維持管理業務だけではインパクトがなく,チャレンジ目標が足りない旨指摘し,グループスタッフの育成に関する目標などを記入するよう指示した。
これを受けて,Bは,MBOシートを書き直して,A10に対し再提出したところ,A10は,文章の書き方が適切でないこと,具体的な数値目標が記載されていないことなどを指摘して,再びMBOシートをBに返却した。
Bは,このような経緯で,少なくとも3回以上にわたり,A10からMBOシートの書き直しを命じられたものである。(甲A9,A43,A44の2,A46の56頁以下,A70,弁論の全趣旨)
(5) 本件異動
ア 本件異動に至る経緯
(ア) 平成14年3月までBの上司であったA9は,平成13年ころから,Bのパソコンの能力が高くないこと,Bが以前に故障受付センターに在籍しており,修理品等の物の流れを一応理解していると考えたことから,平成14年1月に定年退職を迎える保守センターのA13及びA14の後任として,Bが適当であると考えていた。そこで,A9は,その旨を,当時のBの上司であるA11やA12に伝え,A11は,A9の同意向を,A10に対しても伝えていた。この時点においては,A13らの業務が今後軽減されるなどの話は出ておらず,A13ら2名が当時担当していた業務をB1名が引き継ぐことが,A9,A11,A12及びA10の前記議論の前提とされていた。(甲A46の11頁以下,A55の10頁以下,A70,A77の14頁以下,弁論の全趣旨)
(イ) A12は,平成14年9月ころ,A11との間で,A13らの後任人事を検討したところ,A9の前記意見なども踏まえると,BがA13らの後任として適当であるということで両者の意見が一致した。A12は,Bが,取扱店からの問い合わせに1次対応するメンバーをまとめ切れていないと見ていたため,Bには,佐屋保守センターで定型的な業務に従事させることがB本人のためにも良いことであると考えており,また,A9も,Bはパソコンを不得手としていたことから,Bにはパソコンの知識をさほど必要としない佐屋保守センターにおける業務が適しているものと考えていた。(甲A55の13頁,A77の8頁・14頁,弁論の全趣旨)
そこで,A12は,そのころ,Bに対し,喫煙室において,「A14さんとA13さんの後任は,Bさんしかいないよね。」と言ったところ,Bは,「できれば移りたくない。他に適任者がいないかをあたって欲しい。」と述べて,本件異動を拒絶した。(甲A55の11頁,A110,弁論の全趣旨)
次いで,A10は,平成14年10月24日ころ,Bに対し,A13らの後任として,本件異動を打診したが,Bは,その際にも,佐屋保守センターが取り扱う物流業務自体に携わったことがなかったことや,左下肢が不自由な中,佐屋保守センターの所在する佐屋倉庫まで片道2時間をかけて通勤することに不安を感じていることなどを訴えて,本件異動を拒絶した。(甲A9,A46,A55,A70,弁論の全趣旨)
(ウ) A12,A11及びA10は,Bが本件異動に消極的な態度であったことから,平成14年11月初旬ころ,A13らの後任人事を再検討したが,B以外の候補者として挙がった3名は,退職が間近であったり,家族を介護する必要があったり,その部署で欠くべからざる人物であったりしたことなどから,佐屋保守センターにおいて勤務をするのに適任とはいえず,やはりBに本件異動を命じることが適当であるということで,A12,A11及びA10の意見が再度一致した。
そこで,同年11月初旬ころ,A12及びA10は,a2社内のミーティングブースにおいて,Bに対し,正式に,同年12月1日から佐屋保守センターにおいて勤務を開始すること,それに先立って,同年11月下旬ころから,A13らから佐屋保守センターにおいて業務の引継ぎを受けることなどを内容とする本件異動の命令を出したが,Bは,前記同様,佐屋保守センターの業務がそれまで経験したことのない物流業務であること,A13らにより遂行されていた二人分の業務を一人で遂行することはできないこと,左下肢が不自由な中通勤時間が長くなるのは相当の負担であることなどを理由に,同命令を拒絶した。
その後も,A12やA10は,Bと面談を行って(通算すると3回程度),B以外に適任はいないとして,Bに対し本件異動に応じるよう強く促すとともに,Bには保守業務の経験があり,同じ技術サポートグループ内での業務であるから心配は無用である旨説明したが,その説明は一方的なものにとどまり,Bが不安に感じている点を解消するには至らなかった。(甲A9,A55,A70,B16の27頁,弁論の全趣旨)
(エ) 平成14年11月中旬ころ,A12は,本件異動に納得しないBが「自分を辞めさせたいのか。」と述べたのに対し,「勝手にしたらいいではないですか。」などと発言した。
また,同日,喫煙所において,Bが,本件異動を拒絶する前記各理由を述べて「保守センターでやっていく自信がない。」と述べたのに対し,A10は,Bに対し,「Bさん,甘えているんじゃないの。」などと強い口調で発言した。(甲A46の16頁以下・42頁・46頁,A55の18頁以下,弁論の全趣旨)
(オ) Bは,その後も,本件異動では,A13及びA14の2名が担当していた業務をBが一人で引き継ぐこととされていたため,その業務量に不安を感じ,A12やA10に対し,せめてBのほかに1名人員を配置して欲しいと懇請したが,A12及びA10は,A13らの担当業務は今後減少する可能性があるからB1名で担当できることを抽象的に説明するだけで,Bの前記懇請に対し,真摯に応答しなかった。Bは,結局,本件異動について,明確には承諾しなかった。(甲A9,A10の18頁以下,A46の20頁以下・44頁・48頁,A55,A70,弁論の全趣旨)
(カ) ところで,平成14年11月ころ,A13らの担当業務の一部は,減少する可能性が見込まれており,同月中旬ころからは,a2社の業務委託先である佐川物流サービス株式会社(以下「佐川物流」という。)との間で,業務分担の見直し協議が始まり,同年12月2日ころ,a2社と佐川物流との間で,佐川物流に引き継がれる業務内容等についての合意がされた(後記イの(イ))。ところが,A12及びA10は,前記佐川物流との協議に先立って,Bに本件異動を打診しており,同打診の際に前記協議が予定されていることについて話しておらず,また,前記協議が開始された後も,Bに対し,具体的な協議内容を伝えていなかった。(甲A9,A10の18頁以下,A46の20頁以下・28頁以下・44頁,A51の5頁以下,A52の1,A52の2,A55,A69,A70,弁論の全趣旨)
(キ) A10は,Bに対し,A13らから引き継ぐ業務に加えて,本件異動後も,取扱店などに貸し出している電池テスター機や移動機テスター機の管理及び発送業務に従事するよう命じたが,佐屋保守センターには,テスター機を保管するに十分な空きスペースがなく(当時,テスター機は名古屋駅前の技術サポートグループの事務所において保管されていた。),Bが佐屋保守センターにおいて同業務を行うことは不可能な状況にあった。そのため,Bは,A10と相談をし,結局,前記業務はA10との間で分担することとなったが,その経緯を通じて,BのA10に対する不満は一層増大した。(甲A9の30頁,A46の23頁,A55の51頁以下,A70の13頁,弁論の全趣旨)
イ 前任者らからの引継ぎ状況等
(ア) a2社と佐川物流との業務分掌の取決めにおいては,Bの前任者であるA13らは,次表記載の管理業務(以下「管理業務」という。)に,佐川物流は,次表記載の担当業務(以下「担当業務」という。)に,それぞれ従事することとされていた。
もっとも,A13らのみで管理業務を行っていたものではなく,A13及びA14にそれぞれ1名ずつ補佐で付いていた派遣社員や佐川物流の社員が,A13らの管理業務を手伝ったり,他方で,A13らが佐川物流の社員や派遣社員の業務を手伝ったり,派遣社員から業務に関する質問を受けたりするなど,佐屋倉庫においては,佐川物流,派遣社員及びa2社の従業員が,前記業務分掌を一応念頭に置きつつも,佐屋保守センターにおける仕事を全体として回転させるために,事実上共同して業務を遂行していた。(甲A21,A46の20頁以下,A51の16頁以下,A54の8頁・11頁・15頁,甲A57の2頁,甲A70の8頁,弁論の全趣旨)
項目 管理業務 担当業務
1 代替機 代替機の補充出荷の承認(随時)
代替機の修理の判断(随時)
代替機の在庫数に関する台帳の作成
代替機の修理依頼や修理完了の処理
2 保守在庫受払業務 故障受付中に顧客に貸し出す移動機や
付属品の月次及び期末における棚卸し
(月及び期ごと)
保守在庫数量の確認移動機
及び付属品の受払
3 備消耗品の補充 事務所使用の備品や消耗品の補充
(発注)(随時)
在庫数量の確認
4 帳票の補充 修理依頼書やサービス処理表などの
各種帳票の補充
(発注)(随時)
在庫数量の確認
5 リサイクル,
廃棄品関係
使用後回収端末の実績の管理及び報告
保守在庫の廃棄数の管理並びに
技術サポートグループへの報告(月次)
使用後端末の回収実績のカウント及び集計
保守在庫の廃棄実績のカウント及び集計
6 運搬費
(修理品,備品等)
業者への請求書の発送(月次)-
7 修理品誤発送管理 取扱店別の誤発送の実績の管理
及び報告(月次)
誤発送の実績の集計
8 修理完了データ登録 - 修理管理システムへの修理完了データの登録
9 出荷品のデータ登録 - 在庫管理システムへの代替機及び
リンク機(交換用移動機)の出荷先の登録
(イ) 平成14年11月ころ,管理業務の一部は,今後減少する可能性が見込まれており,また,A13らが業務分掌を超えて行っていた担当業務については,同年12月2日ころ,a2社が担当すべき業務の見直しを図るようA10から命を受けたa2社の従業員A21(以下「A21」という。)が,佐川物流との間で,平成15年1月からは佐川物流が担当する旨確認していたが,Bは,前記のとおり,本件自殺に至るまで,A12やA10から,そのことを明確には伝えられていなかった。(甲A52の1,A52の2,A54,A57,A69,A70,弁論の全趣旨)
(ウ) Bは,平成14年12月2日から,佐屋保守センターにおいて正式に勤務することになったが,それに先立つ同年11月20日,同月27日及び同月28日,A13らから,同人らの仕事に関する大まかな説明を受けた。次いで,同年12月2日以降は,A13らから,佐屋保守センターにおける仕事の内容が記載された引継書の交付を受けて,各業務を実際に行いながら仕事内容の説明を受けた。
佐屋保守センターにおける業務は,これまで技術部門に所属してきたBにとって経験したことのない業務内容であったことに加え,A13らの前記引継ぎは,引継書があったとはいえ,A13とA14の担当していた業務内容が異なっていたことから(甲A51の17頁),A13ら2名がB1名に対しそれぞれ異なる仕事内容を説明せざるを得ず,Bは,引継ぎ内容をスムースに理解することができなかった。Bは,前記引継ぎについて,派遣社員のA22に対し,「もう一杯一杯ですわ。」と話していた。(甲A9,A21,A51,A54,A57,A102,A103,弁論の全趣旨)
ウ 佐屋保守センターの就労環境等
(ア) 佐屋保守センターは,佐川物流の佐屋倉庫内に所在し,本件異動前の時期,佐屋倉庫においてa2社の業務を担当していた従業員等は,a2社の従業員であるA14及びA13のほか,佐川物流のA23所長,女性従業員2名及び男性従業員1名,派遣元会社から佐川物流に派遣されている派遣社員約15名の,合計約20名であった。佐屋倉庫は,冬の時季にも,暖房の効きが悪く,佐屋倉庫で働く従業員等は,ダウンジャケット等の上着を着用した上,毛布様のものを膝にかけて勤務をするなど,Bがそれまで勤務していた事務所の環境とは全く異なっていた。(甲A54,A57,弁論の全趣旨)
(イ) Bが佐屋保守センターにおいて勤務をするに当たっては,パソコンの使用が必須であり,Bは,従前勤務していた事務所で使用していたパソコンを1台持ち込んだが,Bの最寄りに電源コードを接続するコンセントの空きがなく,空きのあるコンセントにつなぐには延長コードが必要であったものの,それも備えられていなかったため,Bはパソコンを使用することができず,本社のホストコンピューターに接続することができなかった。Bは,本件異動後に,A10から平成14年度予算第4四半期実績見込みを記載した書類を作成するよう命じられた際,A10に対し,延長コードがないため自分のパソコンが使用できない旨説明したが,A10は,A13又はA14のパソコンを借用して前記書類を作成するよう指示し,Bのパソコンの接続について何らの措置も施さず,結局,同月5日になって初めて,Bが自ら準備した延長コードを利用することにより,Bが使用するパソコンと本社のホストコンピューターとの接続が完了した。
また,Bは,本件異動に際し,ロッカーを設置してほしい旨をA10に対し要望したが,A10は,佐屋保守センターの業務量は今後減少するのでロッカーを設置する必要はないと判断し,代わりに,キャビネット2本と袖机1台を佐屋保守センターに設置することを許可して,同月2日,これらが設置された。(甲A9,A46,A51の24頁以下,A55,A69,A70,弁論の全趣旨)
(ウ) Bは,佐屋保守センターへ通勤する際,まず,自宅から名古屋市営地下鉄東山線の藤が丘駅までバイクに乗って向かい,同駅から地下鉄に乗って名古屋駅へ向かい(約30分間),その後,同駅において階段の昇降を経て,近鉄名古屋駅に乗り換え,同駅から約25分間,電車に乗って佐古木駅へ向かった。Bは,前記(1)アの(ア)のとおり,左下肢に歩行困難の障害を有しており,階段の昇降には困難を来す状態であったが,佐古木駅にはエスカレーターやエレベーターはなく,階段の手すりにつかまって同駅の地下の改札口まで移動することを余儀なくされていた。佐古木駅から佐屋保守センターまでの距離は遠かったため,Bは,同駅から佐屋保守センターまで,佐川物流の従業員に車で送迎をしてもらっていた。(甲A21,A54,A56ないしA58,A62ないしA65,A89ないしA90の2,A95,A98,A109,弁論の全趣旨)
エ 本件自殺後のBの担当業務の引継ぎ
佐川物流は,前記イの(イ)のとおり,a2社との間で,佐川物流が担当する業務について合意をしたことから,同合意の発効する平成15年1月から,新たに佐川急便からA24を佐屋倉庫に配属し,Bの担当していた業務は,前記A24,佐川物流の女性従業員2名及び派遣社員2名並びにA21の合計6名で分担された。(甲A9,A46,A55,A69,A70,弁論の全趣旨)
(6) Bの労働時間
ア Bの所定労働時間
本件出向が行われた平成6年4月当時,a2社の所定労働時間は午前9時から午後5時50分,休憩時間は正午から午後1時までの1時間,休日は土曜日及び日曜日であった。そして,平成13年8月からは,時差出勤制度が導入されたため,Bは,これに伴い,同月から平成14年3月までは,午前9時又は午前10時から,同年4月は,午前9時30分又は午前10時から,同年5月からは,午前9時30分,午前10時又は午前11時20分から,始業することとなった。(甲A47の1ないしA47の25,弁論の全趣旨)
イ Bの時間外労働時間
(ア) 本件出向当時,a2社においては,社員が時間外労働をする場合には,社員自らが,超過勤務命令簿に月日,用務及び超過勤務時間等を記入し,その日のうちにこれを上司の机の上に提出し,上司が,翌日にその内容を確認して決裁する方法が採られていた。(甲A20,弁論の全趣旨)
Bが記入した超過勤務命令簿には,本件うつ病の発症前約6か月間のBの時間外労働時間等について,次のとおり記載されている。なお,休日出勤は,平成6年7月の1回のみであり,また,同年11月22日の年休は,Bが体調不良のために取得したものである。(甲A28の1ないしA35の2,原告本人,弁論の全趣旨)
年月 時間外労働時間 夜勤時間
平成6年4月 4時間 0時間
平成6年5月 21時間30分 0時間
平成6年6月 52時間30分 1時間15分
平成6年7月 54時間50分 0時間45分
平成6年8月 56時間35分 5時間20分
平成6年9月 67時間 9時間05分
平成6年10月 69時間 8時間35分
平成6年11月 18時間30分 0時間35分
(ただし,超過勤務命令簿の記載)
(イ) しかしながら,前記超過勤務命令簿の時間外労働時間等の記載は必ずしも信用できず,Bは,同年5月から同年8月ころ,少なくとも月に約100時間程度の時間外労働をしていたことが推認される。その理由は,次のとおりである。
a 前記認定事実のほか,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,Bは,平成6年10月22日には,愛知学院附属病院のA16医師に対し,同日ころの睡眠時間は5時間程度で,2か月で体重が8キログラム減少したことを(甲B4),同年11月17日には,国立病院精神科の担当医に対し,本件開局をした同年8月以降,毎日深夜まで仕事をしていることを(甲B1の2),第1次受診開始日の平成7年7月28日には,A15医師に対し,同日ころの平日の勤務時間は約12時間であり,開局前には開業に間に合わせるために午前2時ころまで働くようなことが数か月続き,開局直後も午後11時過ぎころまで働く日々が続いたことなどを(甲B2の1,2)それぞれ愁訴しているところ,真面目,几帳面で責任感が強い性格であり,自己の症状を正確に伝えてこれを回復させてもらおうと考えているBが,医師に対して虚偽や誇張した事実を述べるとは考えにくいことからすると,前記各愁訴の内容は,Bの当時の状況をほぼ正確に述べたものとして信用することができる。また,本件においては,前記各愁訴の内容を裏付ける各事実の存在も認められる。具体的には,本件開局は,当初予定していた平成6年12月から5か月も前倒しにされたにもかかわらず,本件出向時である同年4月の時点(本件開局予定日の約3か月前)において,本件開局に必要な人的,物的整備は未だ整っておらず(本件開局前から,通話に関する苦情が殺到することが予想されていたのに,5000名の顧客に対して10名のオペレーターしか配置されておらず,また,苦情受付体制に関する具体的な事項は何も定まっておらず,苦情受付業務に不可欠な業務マニュアル作りや人員の募集等は行われていなかった(前記(2)イ)。),Bの行うべき業務は相当に多く,また困難を伴うものであったと推認されること,a2社の社員の多くは携帯電話自体を見たことがなく,社員全体が携帯電話に対するイメージを共有できていない中で,Bは,本件開局予定日のわずか3か月前に,音響関連の会社であるb社から携帯電話会社であるa2社に出向し,各種マニュアル作りに携わったが,未知の分野において将来的に発生し得る顧客からの苦情の内容や数等を想定するのは,相当に困難を極めたと察せられること,前記のような状況の中,参考となる先行他社のマニュアルもなく独自に取扱店マニュアルを作成するのにかかる労力及び作業時間は,膨大なものであったと推測されること,顧客の数は,本件開局後,当初の予想を上回って劇的に増加しており(本件開局前には平成12年度で20万人を見込んでいたところ,平成6年度末は8万人,平成7年度末は30万人,平成8年度末は56万人と,急激に増加した(甲A19の56頁)。),顧客からの苦情の数も,それに比例して増大していったと解されること,原告が,深夜まで残業するBを,当時Bの勤務先であった上前津所在のeビルや,地下鉄東山線の最終電車の終着駅である星ヶ丘駅ないし上社駅まで度々迎えに行っていたことが認められること(甲A9,A12の24頁,原告本人,弁論の全趣旨),Bは,本件開局前,卓球仲間であるA25に対し,午後9時ころに帰宅した後も自宅でマニュアル作りをしなければならない旨述べていたこと(甲A108),Bは,始業時刻の1時間前である午前8時には既に出社して勤務していたこと(甲A23の24頁,弁論の全趣旨)など,Bの前記各愁訴の内容を裏付けあるいはこれに整合する事実が多数存在する。
以上に照らすと,Bの前記各愁訴の内容は信用でき,Bは,本件開局直後の平成6年8月ころには,少なくとも月100時間程度の時間外労働(平日の終業時間後,午後11時ころまでの勤務(約5時間の時間外労働)を20日間(甲A32))をしたことが推認される。また,本件開局の準備に向けた業務により,同月ころよりも繁忙であったと推認される本件開局前の同年5月から同年7月ころには,自宅への持帰り残業も含めると,前記月100時間程度を上回る時間外労働をしていたと推認されるというべきである。
b さらに,本件開局後は,前記のとおり,本件開業前には想定していなかった問題や電波状態の不具合に関する問題などが次々と判明し,これについて顧客から多数の苦情が寄せられるなど,苦情受付業務は繁忙を極めたが,平成6年11月まで,5000名の顧客に対して1次対応をするオペレーターは10名しかおらず,業務分掌上は2次対応とされていたBも,1次対応をせざるを得なかったため,1次対応を行った時間の分,Bの本来的な業務は終了が遅れ,本件開局前と変わらず繁忙であったと認められる。また,B自身も,本件開局後の状況について,前記のとおり,国立病院精神科の担当医やA15医師に対し,毎日午後11時過ぎないし深夜まで顧客のクレームを受け付けるという勤務が連日であったことを愁訴しており(甲B1の2,B2の1,B2の2),その内容は,前記のとおり十分に信用できること,さらに,超過勤務命令簿の記載によっても,同年8月から同年10月にかけて,月に約56時間から69時間と相当程度長時間の時間外労働を行ったとされていること(もっとも,前記aのとおり,Bの実際の労働時間はこれを上回るものである。)からすると,本件開局後同月ころまでの間は,Bの業務が本件開局前に比して軽減されることはなかったと認めるのが相当である。なお,1次対応のオペレーターの数が44名に増員された同年11月ころは,Bは,おおむね定時の午後6時ころに退社していたことが認められる(甲B1の2,弁論の全趣旨)。
c ところで,被告は,超過勤務命令簿の記載内容が信用できる旨主張するので,この点について検討するに,確かに,超過勤務命令簿は,自己申告制であり,a2社がBに対し時間外労働時間を過少申告するよう働きかけをした形跡は窺われないものの,Bは原告に対し,「残業代なんて全部つけられないんだ。全部つけてしまったら給料より残業手当の方が多くなってしまう。」などと述べたことがあり(甲A9の8頁),同供述は,b社がBのa2社における時間外勤務手当の支払を一部担っていたこと(甲A13の1,A13の2)や,A7も同趣旨の供述をしていること(甲A24の6頁),Bの真面目で責任感の強い性格などに照らすと,信用できるものと考えられ,Bが自主的に過少申告していた可能性が高いことが推認される。また,超過勤務命令簿に記載された時間がすべて30分単位のきりの良い数字となっており,日々の仕事がこのように切りよく終えられるものではないと考えられること,a2社が,超過勤務命令簿に適正に労働時間の自己申告を記載すべき旨の十分な説明や,Bを含むa2社の従業員の労働実態の調査を行った形跡はなく,上司であるA5が漫然とBの申告するとおり超過勤務命令簿に押印をしていただけであったと推認され,これは,何人の確認も受けていないのと実質的に異ならないことなどからすると,超過勤務命令簿の記載自体,到底信頼できるものとはいえない。さらに,前記a及びbのとおり,本件開局前後のa2社の状況やBの業務内容は,Bが主治医にしていた前記各愁訴に沿うものであるところ,それらによれば,本件開局の前後において,少なくとも月に約100時間程度の時間外労働をしていたと推認されるのに対し,超過勤務命令簿に記載された時間外労働の時間はあまりに少なく,Bの正確な労働時間の実態を反映したものとは到底認め難いものというべきである。
なお,同認定に反する証拠として,当時Bと同じサービス課に所属していたA26(以下「A26」という。)が,超過勤務命令簿に実際の時間外労働時間より短い労働時間を記載したことはない旨述べる陳述書(甲A20)が存在するけれども,BとA26とは,所属部署が異なっており(Bはサービス課の保守センター,A26は同課のお客様センターに所属していた。),A26の就労状況とBの就労状況とが必ずしも同様であったとは認められない上,A26が就労していたブースは,Bが就労していたブースとはやや離れた位置にあり,A26がBの就労状況を詳細に確認できたとは解されないこと(甲A27,弁論の全趣旨),A26はa2社に平成5年に入社したばかりの社員であって,b社に長年勤務した上でb社から在籍出向しているBとは,超過勤務命令簿による時間外労働時間の申告に対する意識も相違していると考えられ,A26とBとは,その置かれていた状況が異なるというべきであって,A26の前記陳述書は,Bの就労状況を推認させるものとはいえず,前記認定を覆すものではないというべきである。
(7) 業務以外の出来事
Bは,平成9年8月ころ,名古屋市名東区引山に所在するb社の社宅において,原告の両親と同居を始めたが,平成10年1月ころ,同社宅での居住に対する住宅手当が支払われなくなることから,名古屋市守山区に自宅を購入し,その際,2000万円の住宅ローンを組んで,Bを被保険者とする団体信用生命保険に加入し,同月ころ,原告,A3,A4及び原告の両親とともに,前記守山区の自宅に引っ越しをした。原告の父は,同年9月13日に他界したため,同日以降は,原告,A3,A4及び原告の母とともに(ただし,A3は平成12年に結婚するまでの間),前記自宅で生活した。(甲A10,A11の6頁以下,A107,B16の83頁,原告本人31頁,弁論の全趣旨)
前記のとおり,Bは,平成10年3月2日に大橋クリニックを受診しているが,その際,A15医師に対し,先週引っ越しをしたが,体がだるくて引っ越しの手伝いができず,家族にも申し訳ない旨述べているが,本件うつ病による心身の不調がほぼすべての原因であったと考えられるものであり,業務外に心理的負荷を与えるような事情があったことは何ら窺えないものである。(甲B2の1,B2の2)
(8) 本件自殺に至る経緯
ア 平成14年6月ころから,Bは,原告やA3に対し,Bよりも年若な上司であるA10からMBOシートを幾度も書き直すよう命じられることなどについて,度々愚痴をこぼし,A3から「あまり深く考えないで,お父さんがやっている仕事の内容をなるべく具体的に書けばいい。」などのアドバイスを受けていた。このころから,Bは,仕事のことについて後ろ向きの発言ばかりするようになり,そのことをA3から責められ,A3と度々口論になっていた。(甲A9,A11の11頁以下,A45の5頁以下・20頁以下・25頁以下,弁論の全趣旨)
イ Bは,佐屋保守センターにおける勤務開始を3日後に控えた平成14年11月29日,原告及びA3夫妻とともに,Bら家族が毎年訪れていた,三重県尾鷲市にある原告の親戚宅を訪れた。
Bは,同親戚宅へ向かう道中,普段とは異なり,急ブレーキや急ハンドルを繰り返す危険な運転をし,同日の親戚宅での夕食後は,皆がいる親戚宅を一人で出て,ダウンジャケットを着用したまま海に転落したが,偶然通りかかった漁師らに救助された(当時,BがA3に対し,度々「死にたい。」と漏らしていたこと(甲A45の5頁以下)からすると,前記転落は故意によるものと推察される。)。(甲A9,A45,弁論の全趣旨)
ウ 本件自殺の前日である平成14年12月6日,Bは,原告とともに,A3夫妻の住む家を訪れた際,A3に対し,「殺してくれないか。」と述べた。(甲A45の9頁)
エ その翌日の平成14年12月7日,Bは,土曜日のため会社が休みであったことから,日中を自宅で過ごしていたが,原告が出かけた午後1時ころから午後9時ころまでの間に,自宅の和室を荒らした上で,同和室において,自ら首をつって窒息死した(本件自殺)。本件自殺に際しては,遺書は作成されていなかった。(甲A9,甲B16の91頁)
2 医師の意見の要旨
(1) Bの主治医であるA15医師の意見の要旨(甲B8,B9,B11,B12,B21)
ア 本件うつ病の発症要因について
前記のとおりBは,平成6年11月17日の国立病院精神科への受診時には,既に本件うつ病を発症していたところ,同発症の背景としては,本件出向による業務内容や社内の立場の大きな変化,不慣れな分野でハードな勤務の継続を余儀なくされたこと,Bの,几帳面で周囲に気遣いをし,自ら責任を引き受けてしまうとともに,責任感が強く,かつ,我慢強い性格傾向などが考えられる。Bが,その心理的負荷の原因として平成6年4月の本件出向を挙げていること,愛知学院附属病院において仕事の負担を強く訴え始めたのは本件出向後であることからすると,本件うつ病の主たる原因は本件出向及び本件出向後の過重な業務の存在であり,本件出向よりも前に本件うつ病が発症していたと考えることはできない。
イ 本件うつ病の寛解の有無について
うつ病は,投薬だけで治療できるものではなく,うつ病患者を取り巻く状況因を取り除かなければ寛解しない病気であり,臨床上もうつ病の慢性化は存在するところ,前記1の(1)エの(ア)ないし(オ)のBの症状等や,本件うつ病の状況因子であるa2社における厳しい職場環境に変化はなかったこと,BがA15医師に対し,うつ病の症状が回復したから大橋クリニックの受診を中断したと告げたことはなかったことなどからすると,本件うつ病は,本件自殺まで一度も寛解するに至らず,慢性化していたものと考えられる。
ところで,本件うつ病が慢性化していたにもかかわらずBが一定期間大橋クリニックの受診を中断していた理由については,医師を受診することによって一時的にBの心理的負担が軽減したことや,自宅を購入した際に加入したローンの生命保険の告知義務に関する誤解があって受診できなかったことなどが考えられ,前記のとおり,Bを取り巻く職場の状況が変わっていない以上,前記受診の中断をもってBのうつ病が寛解したものとは解されない。Bは,愛知学院付属病院で処方されていたメイラックス及びグランダキシンの服用や,生来の我慢強い性格により,精神科への通院を中断しても,何とか勤務を継続することができていたにすぎず,本件うつ病が寛解したわけではない。メイラックスは,うつ病の患者に対して単独で処方されることは少ないが,うつ病の一症状である抑うつ状態に効能があり,Bに対しても,本件うつ病による不安や抑うつ状態を幾分か緩和させたものと考えられる。
(2) 愛知学院附属病院の担当医であるA16医師の意見の要旨(甲B19の1,B19の2)
ア Bの口腔心身症は,精神的緊張の持続,交感神経の緊張が慢性的に続いたことにより,その症状が改善しなかったと考えられるところ,同症状の治療のために愛知学院附属病院を受診していた間における経過を見ると,本件出向後におけるa2社での業務上の精神的負荷の強弱に伴って,同症状の悪化と緩和を繰り返し,一進一退の状態が続いていたものであり,業務上のストレスを抜きにBの症状を説明することができないことから,Bの罹患した口腔心身症が,a2社における業務上のストレスと密接な関連性を有していたことは疑う余地がない。Bの抱えていた精神的ストレスは,a2社における業務の繁忙,苦情受付業務による精神的ストレスのほか,a2社における業務自体が肌に合わないものの,家族を支えるために頑張って働かなければならないとの思いによって生じていたところが大きいと推測される。
イ Bは,メイラックスの処方を受けるためだけに愛知学院附属病院を受診していたわけではなく,A16医師の行う支持的精神療法を目的に,同病院を受診していたものである。Bは,前記支持的精神療法の効果によって,大橋クリニックの受診を中断していた期間も,業務上のストレスを抱えながらも,大橋クリニックに再受診するまでの間,何とか抗うつ薬を服用しなくても我慢して勤務していたものであって,大橋クリニックの受診の中断をもって本件うつ病が軽症又は部分寛解の状態に至ったと判断することは誤りであり,A16医師の診察においてそうした状態にまで回復していたと確認できたことはない。
なお,前記のとおり,Bは,平成13年5月12日をもって愛知学院附属病院の受診を中断しているが,これは,A16医師の診療日が土曜日から平日に変更されたことに伴い,BがA16医師の診察を受けることができなくなったことによるものであって,Bの口腔心身症が完治したからではなかった。
(3) 社団法人岐阜病院院長であるA27(以下「A27医師」という。)の意見の要旨(甲B10)
ア そもそもうつ病は,約半年間で寛解することの多い病気であるところ,Bは,大橋クリニックの受診の中断を繰り返していたものであり,本件うつ病の発症から本件自殺までの約8年間に,本件うつ病が一度も寛解しなかったとは考えられない。すなわち,本件うつ病は,大橋クリニックの受診中断期間に寛解したものであり,その後,新たなうつ病(本件再発うつ病)が発症したものである。
大橋クリニックの受診中断期間にBが服用していたメイラックスは,うつ病の症状としての抑うつ状態に対しての効果は弱く,本件うつ病の症状が,大橋クリニックの受診中断期間中,メイラックスの効果により抑えられていたと考えることはできない。
イ Bが従事していた業務に過重性は認められない一方で,Bには,本件出向前から口腔異常感症等を発症するなど,ストレスに敏感な個体側要因が認められることからすると,本件自殺は,Bの意志による計画的な自殺であったと推察される。
(4) 恵比寿メディカルクリニック院長であるA28(以下「A28医師」という。)の意見の要旨(甲B20)
ア 難治性のうつ病は,作用機序の異なる2種類以上の抗うつ薬の十分量を十分期間用いても,十分に改善しない大うつ病と定義されているところ,Bに投与された抗うつ薬は,プロチアデン(塩酸ドスレピン)の1種類のみで,投与量(75mg/1日)も,大橋クリニックの受診期間を通じて最高用量(150mg/1日)の半分にとどまっていること,そもそも難治性うつ病は,臨床例の中で稀な症例であるとの一般的事実を併せ考えると,本件うつ病が難治性であった可能性は極めて低いといわざるを得ない。そして,Bは,大橋クリニックにおいて投薬治療を受け,投薬によってうつ病の苦痛から解放されることを十分に体験し認識していたにもかかわらず,大橋クリニックの受診を数度にわたり中断していることからすると,前記各中断期間は,本件うつ病の症状が回復ないし寛解していたと考えるのが自然である。
イ 仮に,本件うつ病が回復ないし寛解に至っていなかったとしても,その原因は,Bが大橋クリニックの受診を中断したり,あるいは抗うつ薬の服用と並行して日常的に飲酒を続けていたことに起因するものであり(アルコールは,抗うつ薬等うつ病の治療に用いる薬との間に危険な相互作用をもたらす可能性があり,また,睡眠を浅くしてうつ病の回復を大きく妨げるものである。),a2社における業務に起因するものではない。
ウ したがって,本件うつ病は,本件自殺までの間に一旦寛解し,その後に本件再発うつ病を発症したものであると解され,仮に,本件うつ病が寛解していないとしても,業務外の理由により寛解に至らなかったものである。
(5) 中部労災病院精神科部長兼同朋大学社会福祉学部教授であるA29(以下「A29医師」という。)の意見の要旨(乙10)
ア Bは,第4次受診中断後,第5次受診を開始するまでの約1年8か月の間,抗うつ薬の投与を受けていないにもかかわらず,勤務を特に問題なくこなし,愛知学院附属病院の診療録(甲B3,B4)においても,同期間,うつ病エピソードのはっきりとした徴候や症状は認められない。それゆえ,本件うつ病は,前記期間,一旦寛解状態にあり,第5次受診を開始した平成12年7月ころに,本件再発うつ病として再発したと考えられ,Bは,ICD-10の診断ガイドラインに照らし,F33の反復性うつ病性障害に罹患していたと解するのが相当である。
なお,Bが,同期間中,メイラックスの効果により日常生活を支障なく送れる程度の抑うつ状態が残存する部分寛解の程度にあったとみることは,現在の精神医学的な治療の見地からして妥当性を欠くものである。
イ うつ病の業務起因性の判断に当たっては,判断指針によるべきであり,具体的には,精神障害の発症を「ストレス―ぜい弱性」モデルによって理解しつつ,業務による心理的負荷の程度を客観的に評価することが相当である。
本件うつ病は,前記アのとおり,一旦寛解した後,平成12年7月ころに,本件再発うつ病として再発したものであるが,本件再発うつ病の発症前6か月間にBが従事していた業務は,客観的に過重といえるほどのものではなく,うつ病の再発をもたらす程度の強度の心理的負荷をBにもたらしたとみることは困難であるから,本件再発うつ病に業務起因性は認められない。
また,本件うつ病の発症前6か月間にBが従事していた業務も,客観的に過重といえるほどのものではなく,うつ病の発症をもたらす程度の強度の心理的負荷をBにもたらしたとみることは困難である上,愛知学院附属病院の診療録によれば,Bは,平成5年9月の時点で,少なくとも心身症の病態があり,本件出向前の時点において,すでに精神面のぜい弱性を有していたものである(個体側要因がある)から,本件うつ病の業務起因性も認められない。
ウ うつ病が重症化するにつれて自殺念慮を抱く確率が増加し自殺率が高まるという医学的所見は存在せず,うつ病の重症度と自殺企図に至る危険性は,必ずしも相関するものではない。また,大橋クリニックの受診内容や投薬内容からは,本件再発うつ病ないし本件うつ病の症状の重症化や,Bの自殺ないし自殺念慮が懸念されるような緊迫した状況にあったと窺うことはできない。それゆえ,本件再発うつ病ないし本件うつ病の発症後に起こった出来事である本件異動及びこれに至る経緯が,同うつ病を増悪化させ,その結果,Bが本件自殺に至ったと考えることは困難である。
(6) 東京労災病院精神神経科部長であるA30(以下「A30医師」という。)の意見の要旨(乙11)
ア 愛知学院附属病院の診療録(甲B3,B4)から推察されるBの症状や,うつ病に対するメイラックスの効果には限界があることなどに照らすと,Bは,第4次受診終了後第5次受診を開始するまでの約1年8か月の期間,完全寛解の基準である「2か月間大うつ病エピソードのはっきりとした徴候や症状がみられない場合」を満たしており,本件うつ病は,同期間中に完全寛解したと考えるのが妥当である。そして,Bは,その後平成12年7月ころに,本件再発うつ病を発症したものと考えるのが妥当である。
イ しかるに,同月前の6か月間において,Bが,精神障害の発病原因として相対的に有力なものと評価できる程度に過重な業務に従事したとはいえず,本件再発うつ病に業務起因性を認めることはできない。
また,平成6年11月ころに発症したとされる本件うつ病についても,業務起因性を認めることはできない。
ウ さらに,精神障害発病後の出来事によっては,業務起因性を肯定できないから,本件うつ病あるいは本件再発うつ病よりも後の出来事である本件異動は,そもそも前記各うつ病の業務起因性に関して考慮する余地のない出来事であることに加え,本件異動のころの大橋クリニックの処方薬に変化がないことからすると,本件異動は,前記各うつ病の増悪要因になったものではない。
エ したがって,前記各うつ病の発症及び本件自殺と業務との間に相当因果関係を認めることはできず,Bの罹患したうつ病に業務起因性は認められない。
(7) 専門部会の意見の要旨(甲B16の47頁以下)
ア 本件うつ病は,ICD-10の診断ガイドラインに照らし,F33の反復性うつ病性障害に該当すると解するのが妥当であり,その発病時期は,平成6年10月ころであるが,第4次受診を中断した平成10年11月ころに,一旦寛解し,その後,第5次受診を開始した平成12年7月ころに,本件再発うつ病として再発したものである。
イ 本件再発うつ病の発症前6か月間にBが従事した業務は,判断指針上「強」と判断できるほどの心理的負荷をBにもたらしたとは認められず,他方,Bには,本件出向以前からの口腔心身症の治療歴や,飲酒習慣,真面目で几帳面な性格傾向など,個体側の要因が認められる。これらに照らすと,本件再発うつ病に業務起因性は認められないと解するのが妥当である。
3 争点①(本件うつ病の業務起因性)について
(1) 業務起因性の判断基準について
ア 労災保険法に基づく保険給付の対象となる業務上の疾病(同法7条1項1号)については,労基法75条2項に基づいて定められた同法施行規則35条により同規則の別表第1の2(平成22年5月7日厚生労働省令第69号により改正)に列挙されているところ,精神疾患であるうつ病の発症が労災保険給付の対象となるためには,同別表9号の「人の生命にかかわる事故への遭遇その他心理的に過度の負担を与える事象を伴う業務による精神及び行動の障害又はこれに付随する疾病」(前記改正前は,同別表第11号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」)に該当することが必要である(労災保険法12条の8第2項)。本件においては,同要件の該当性をいかなる基準で判断するかにつき,双方に争いがあるので,以下,順を追ってこの点につき判断することとする。
イ 相当因果関係の要否
(ア) 労基法及び労災保険法による労働者災害補償制度の趣旨は,労働に伴う災害が生じる危険性を有する業務に従事する労働者について,その業務に内在ないし通常随伴する危険が発現して労働災害を生じた場合に,使用者の過失の有無にかかわらず,被災労働者の損害を填補するとともに,被災労働者及びその遺族の生活を補償するところに求められるところ,このような労働者災害補償制度の制度趣旨に照らせば,業務と疾病との間に業務起因性があるというためには,単に当該業務と疾病との間に条件関係が存在するのみならず,社会通念上,業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化として疾病が発症したと法的に評価されること,すなわち業務と疾病との間に相当因果関係が認められることが必要であると解するのが相当であり(最高裁昭和51年11月12日第二小法廷判決・集民119号189頁参照),この理は,前記「人の生命にかかわる事故への遭遇その他心理的に過度の負担を与える事象を伴う業務による精神及び行動の障害又はこれに付随する疾病」に該当するか否かの判断においても異なるところはないというべきである。また,本件のように精神疾患に罹患したと認められる労働者が自殺した場合には,精神疾患の発症に業務起因性が認められるのみならず,当該精神疾患と自殺との間にも相当因果関係が認められることが必要である。
(イ) 原告は,労基法及び労災保険法上の業務起因性の判断基準としては,条件関係も相当因果関係も必要なく,業務と結果発生との間に合理的関連性が有れば足りる旨主張するが,これは,業務に内在する危険が現実化した場合に労働者の損失の填補を行うべきとする前記危険責任の考え方に必ずしも整合しないから,同主張は採用できない。
ウ いかなる場合に相当因果関係が認められるか
(ア) うつ病を含む精神疾患は,当該労働者の従事していた業務とは直接関係のない基礎疾患,当該労働者の性格傾向,精神の反応性,適応能力及びストレス対処能力等(以下「性格傾向等」という。)並びに生活歴等の個体側の要因,その他環境的要因などが複合的,相乗的に影響し合って発症に至ることもあるから(甲B36ないし39),業務と精神疾患の発症との間に相当因果関係が肯定されるためには,単に業務が他の原因と共働原因となって精神疾患を発症させたと認められるだけでは足りず(したがって,原告が主張する共働原因論は採用できない。),業務自体に,社会通念上,精神疾患を発症させる一定程度以上の危険性が存することが必要であると解するのが相当である。
(イ) しかして,前記認定のとおり,ある出来事によって生じる肉体的,精神的緊張等に基づく心理的負荷の蓄積は,うつ病の発症を誘発あるいは増悪させる要因の1つであることは明らかであるものの,他方,心理的負荷の発生要因たる出来事は様々であって,業務上のもののみならず業務以外のものも考えられるほか,うつ病の発症は,ある出来事をどの程度の心理的負荷として受け止めるのかという個々人の心理的負荷に対する受容の程度,すなわち個体側の要因によっても左右されるものである。そのような事情から,うつ病の発生機序については,医学上も未だ完全には解明されていない分野であり,その発病要因となった出来事の全てを特定すること自体が困難な場合も多い上,現在の医学水準においては心理的負荷の蓄積というものを客観的,定量的に数値化することが必ずしも容易でないことも併せ考慮すれば,うつ病と心理的負荷との相当因果関係を完全に医学的に証明することは困難な場合があることは,否定できないところである。
(ウ) もっとも,法的概念としての因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし,かつ,それで足りるものである(最高裁昭和50年10月24日第二小法廷判決・民集29巻9号1417頁参照)。そこで,業務とうつ病の相当因果関係を判断するに当たっても,発病前の業務内容及び生活状況並びにこれらが労働者に与える心理的負荷の有無及び程度,さらには,当該労働者の基礎疾患等の身体的要因や,うつ病に親和的な性格等の個体側の要因等を具体的かつ総合的に判断した上,これをうつ病の発症等に関する医学的知見に照らし,社会通念上,当該業務が労働者の心身に過重な負荷を与える態様のものであり,これによって当該業務にうつ病を発症させる一定程度以上の危険性が存在するものと認められる場合に,当該業務とうつ病との間の相当因果関係を肯定するのが相当である。
エ 相当因果関係の判断の基準となる主体
(ア) 前記ウのうつ病を発症させる一定程度以上の危険性の存否を判断するに際し,業務の過重性・業務上の心理的負荷の強度を判断するにあたっては,同種の労働者を基準にして客観的に判断する必要があるが,企業に雇用される労働者の性格傾向等が多様なものであることはいうまでもないところ,被災労働者の損害の填補並びに被災労働者及びその遺族の生活補償という労働者災害補償制度の制度趣旨に鑑みれば,業務の過重性・業務上の心理的負荷の程度は,一般的,平均的な同種労働者,すなわち,職種,職場における地位や年齢,経験等が類似する者で,業務の軽減措置を受けることなく日常業務を遂行できる健康状態にある者の中で,その性格傾向等が最も脆弱である者(ただし,同種労働者の性格傾向等の多様さとして通常想定される範囲内の者)を基準として,客観的に判断すべきである(したがって,原告が主張する本人基準説は採用できない。)。
(イ) 本件においては,Bの前記性格等は,うつ病に親和的なものといえ,また,Bは,本件うつ病発症前の平成5年9月ころに精神的ストレスが原因と考えられる口腔心身症の既往歴を有していることから,Bに一定程度の精神的脆弱性のあることは否定し難いところである。しかしながら,Bは,前記口腔心身症の罹患前後を通じて,休業することなく会社への勤務を継続し,所属部署の担当課長や○○チームのリーダーなど,相当程度の責任を伴う重要な役職を務め,趣味の卓球も原告や仲間とともに続けていたものであり,その他,本件全証拠をもってしても,Bにこれまでの生活史を通じて社会適応状況に特別の問題があったことは認められないから,Bの前記精神的脆弱性は,正常人の通常の範囲を逸脱しているものとはいえない。したがって,Bの性格傾向等は,同種労働者の性格傾向等の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでないと認められるから,本件においては,Bを基準として,担当業務の過重性(当該業務が本件うつ病を発症させる危険性があったか否か)を判断することとする。
オ 判断指針の有用性について
判断指針は,「ストレス―ぜい弱性」モデルを基礎として,心理的負荷(ストレス)による精神障害等と業務との関係を検討し,心理的負荷による精神障害に係る業務上外の認定を図るために策定されたものであり,精神医学,心理学,法律学等の専門家によりまとめられた専門検討会報告書に基づき,医学的知見に沿って作成されたものであるから,精神障害が業務上の心理的負荷に基づくものであるか否かの判断においては一定の合理性があり,多数の労災事件を客観的かつ画一的に,迅速に処理する上で行政手続上有益なものであると認められる。
もっとも,判断指針は,上級行政庁が下部行政機関に対してその運用基準を示した通達に過ぎず,裁判所を拘束するものでないことはいうまでもないし,その内容についても批判があり,現在においては未だ必ずしも十全なものとは言い難い。
そこで,業務起因性の判断に当たっては,判断指針を参考にしつつ,なお個別の事案に即して相当因果関係を判断して,業務起因性の有無を検討するのが相当である。
カ 本件の判断枠組みについて
(ア) Bは,平成6年11月ころに本件うつ病を発症したと認められるところ(前記第2の2(3)のイ),①本件うつ病に業務起因性が認められ,かつ,②Bが本件うつ病を発症後これが寛解することのないまま本件自殺に至ったとすれば,本件自殺には業務起因性が認められ,Bの死亡は業務上の事由によるものと判断される。そこで,後記(2)以下において,①本件うつ病に業務起因性が認められるか否かを検討し,同業務起因性が肯定された場合には,次いで,②本件うつ病がその発症後寛解したか否かを,判断することとする(後記4)。
(イ) 他方で,①本件うつ病の業務起因性が否定された場合や②本件うつ病がその発症後寛解した場合においても,③本件再発うつ病の業務起因性,あるいは④本件異動によるうつ病の増悪化と本件自殺との間の相当因果関係のいずれかが認められれば,本件自殺の業務起因性は肯定される。そこで,本件うつ病の業務起因性が否定された場合や本件うつ病がその発症後寛解したと認められた場合には,③本件再発うつ病に業務起因性が認められるか否か,又は,④うつ病発症後の出来事である本件異動がBのうつ病を増悪化させ,そのために本件自殺に至ったといえるか否かを,判断することとする。
(2) Bの業務上の心理的負荷の検討
ア 本件出向に至る経緯
(ア) 判断指針は,業務上の心理的負荷を与える1つのライフ・イベントとして「出向」を挙げ,Bは,平成6年4月1日に,本件出向をしたものであるが,判断指針は,さらに,「出向」による心理的負荷を増大させる要因として,出向の理由及び経過や,出向による不利益の程度などを挙げているから,本件出向に関するこれらの点について検討する。
Bは,本件出向まで約27年間の長きにわたり音響機器の修理等の業務に携わっており,携帯電話に関する業務は未知のものであったことから,本件出向に対し大きな不安を抱いており,b社に対して,幾度となく本件出向を断ったにもかかわらず,人事担当者の度重なる打診や,b社の社長からの脅迫に近い業務命令(少なくとも,Bはそう感じていた。)を受け,やむを得ず本件出向を承諾したものであるが,B自身は,本件出向をリストラであると捉えていた(リストラを含む退職の強要は,判断指針によると,人生の中でまれに経験することもある強い心理的負荷を労働者にもたらすとされている。)。そのような本件出向の理由及び経過に加え,a2社においては,Bがb社において約27年間にわたり培ってきた知識や能力が活かせないこと,齢48歳にして,新たな職場環境に身を置くことの心理的労苦,a2社は,ほとんどがJR東海からの出向者で占められており,b社からたった一人の出向者であるBにとって居心地の良い職場環境は想定できなかったことなど,本件出向によってBの被る不利益を考慮すると,本件出向は,通常の「出向」や「仕事内容の大きな変化」よりも相当程度心理的負荷が強かったものと理解するのが相当である。
(イ) なお,判断指針は,精神障害の発症時期を確定してそれ以前おおむね6か月以内の業務による心理的負荷を検討するものとしているところ,本件出向(平成6年4月1日)は,本件うつ病の発症時期とされる平成6年11月ころから約7か月前の出来事であるが,一般的にうつ病の発症時期の判断にはある程度幅があることは否めず,本件においても,医師の間で同月ころとするものと同年10月ころとするものに分かれているなど(甲B16の48頁),本件うつ病の発病時期の特定は推定に過ぎないことや,本件うつ病の発症には本件出向が大きく寄与しているとの医師の意見が存在すること(甲B8)などに照らすと,本件出向も,本件うつ病の業務起因性を判断するにあたり考慮すべき出来事であると解するのが相当である。
イ 本件出向後本件開局までの業務
(ア) 判断指針は,業務上の心理的負荷を与える1つのライフ・イベントとして「新規事業の担当」を挙げているところ,Bは,前記のとおり,新規事業である本件開局に際し,顧客に対するサービス部門の担当課長に任命されたものである。そして,判断指針は,新規事業の担当による心理的負荷を増大させる要因として,当該プロジェクト内での立場,能力と仕事内容との格差を挙げているところ,Bは,いわばb社を代表するような形で(b社からの出向者はB一人であった。),サービス課の担当課長というプロジェクト内で相当程度重い責任を負う役割を担わされたが,本件出向前は,約27年間の長きにわたり音響機器の修理業務に携わっており,携帯電話に関する知識はなく,b社において音響機器のアフターサービス業務に従事していたとはいえ,同業務と携帯電話のアフターサービス業務とはその前提知識に大きな相違が存するものであって,Bの本件開局に向けた業務についての能力は決して高いとはいえず,同業務内容とBの能力との間には大きな格差が存在したものである。かかる事情に照らすと,本件開局に向けた業務の担当は,通常の「新規事業の担当」よりも相当程度心理的負荷が強かったものと理解するのが相当である。
(イ) また,判断指針は,業務上の心理的負荷を与える1つのライフ・イベントとして「仕事内容・仕事量の大きな変化」を挙げているところ,Bは,本件開局後に携帯電話の取扱店が顧客の苦情を受け付けた際の苦情処理に関するマニュアル等の作成,各種携帯電話の製造メーカーとの修理契約の締結交渉等の業務,取扱店マニュアル等を使用した取扱店等の指導育成業務など,Bがそれまで従事していた音響機器の修理業務とは,その必要とされる知識が大きく異なる業務に従事したものである。
そして,判断指針は,「仕事内容の大きな変化」による心理的負荷を増大させる要因として,業務の困難度,能力や経験と仕事内容の格差の程度を挙げているところ,本件開局は,前記のとおり,平成6年3月17日の経営者会議において,予定よりも約5か月早い同年7月に開局することが決定されたにもかかわらず,本件出向当時(同年4月1日),本件開局に当たって最低限必要と思われた100基の基地局について未だ設置工事が開始すらされておらず(100基でも顧客が十全に通話するに不十分であったことは,前記1の(2)イの(ア)のとおりである。),人的体制も,Bの所属するサービス課には,Bを含め,携帯電話を使ったことがある人物は一人もおらず,携帯電話の実機すら社内に回覧されない中で,携帯電話に関する具体的な知識を持ち合わせない者が,携帯電話に関するイメージすら共有できないまま,手探りの状態で本件開局に向けた準備を急ピッチで進めなければならないなど,会社としての体制は,不十分極まりないものであった。そのような状況であるにもかかわらず,本件開局時に展開される携帯電話の機種は,少なくとも8種類にも上っており(甲A16),携帯電話が,その機種によって操作方法や機能等が相当程度異なることに鑑みると,前記8種類の携帯電話の操作方法や機能等に関する知識を修得するには,相当の苦労を伴ったものと認められる。また,Bは,b社においてアフターサービス業務に従事した経験から機器の修理業務に関する一般的な知識・流れなどは理解していたとはいえ,前記認定のとおり,当時a2社に先行して開業していた関連会社のマニュアル等を十分に参照することはできなかったから,本件開局が目前に迫る中,未知の業務を想像力で補い,全くの一からマニュアルを創造していく作業は相当に困難を極めたものと認められる。加えて,Bは,本件出向までの約27年間,音響機器の修理業務に携わっており,携帯電話関連の業務に関する経験は皆無であったため,全く分野の異なる本件開局に係る業務を遂行するに際して十分な経験及び能力を有しておらず,また,48歳にして,従前慣れ親しんできた固定電話の概念を変える新しい分野の産物である携帯電話に出会ったことは,それ自体Bにある種の衝撃を与えたと解されるのに,これに関する第一線の業務を担当することとなった点を併せ考えると,本件出向後の業務は,Bが従前の業務や過ごしてきた生活環境などから得た知識・経験とは,相当の格差があったものと認められる。
以上を総合的に考慮すると,本件出向に伴う仕事内容の変化は,通常の「仕事内容の大きな変化」よりも相当程度心理的負荷が強かったものと理解するのが相当である。
(ウ) さらに,判断指針は,出来事の発生以前から続く恒常的な長時間労働,特に,深夜時間帯に及ぶような長時間の時間外労働を度々行っている事実は,それ自体で労働者の心理的負荷を増大させるものとしているところ,Bは,本件出向から本件開局までの約4か月の間,前記(ア)及び(イ)の業務を遂行するために,前記のとおり,本件開局前の平成6年5月から同年7月ころまでの3か月間,時には深夜2時ころにまで及ぶ時間外労働を,月に約100時間の長時間にわたり行っていたものであり,これは,厚生労働省労働基準局長の策定した脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準(平成13年12月12日付け基発第1063号。以下「認定基準」という。)に照らして,脳心疾患を発症させるに十分な危険を有する水準に達していることからしても,Bに対して相当の肉体的,精神的負荷を与えたものと推認される。それゆえ,前記深夜にも及ぶ長時間の時間外労働は,本件うつ病の発症及びその進行の大きな原因となったものと評価するのが相当である。
ウ 本件開局後本件うつ病を発症するまでの業務
(ア) 判断指針は,業務上の心理的負荷を与える1つのライフ・イベントとして,「顧客とのトラブル」を挙げているところ,Bは,前記のとおり,本件開局後,顧客とのトラブルを解消する苦情受付業務に従事したものであり,日常的に「顧客とのトラブル」を抱えていたと認められる。顧客からの苦情は,例えば,電池の寿命が短いとか,携帯電話が発熱する等,本件開局前には想像もしなかったようなものや,通話中に雑音が入る,音声が歪む,声が途切れる等,電波状態の不具合に関するものなどの苦情が相当にあり,Bを含めサービス課の職員がにわかに対応し難いものが多く含まれていたことに加え(それゆえ,顧客の不満は増し,対応に苦慮することが少なくなかったものと推察される。),5000名の顧客に対して10名のオペレーターしか配置されておらず,オペレーターの絶対数が不足していたため,顧客からの苦情は,サービス課の課員全員で受け付ける体制にならざるを得ず,Bは,2次対応者でありながら,少なくとも本件開局の直後は,オペレーターとさほど変わらない程度の件数の1次対応を行っていた。さらに,Bが,決められた分掌どおり2次対応に従事した場合も,2次対応まで回る顧客は,a2社に対する怒りが大きかったため,顧客の納得が得られるまでに時間がかかることも多く,このような日常的な苦情受付業務は,Bに対し,継続的に心理的負荷を与え続けたものと評価できる。
そして,判断指針は,「顧客とのトラブル」による心理的負荷を増大させる要因として「顧客の位置付け」を挙げているところ,当時,a2社には,NTTドコモ東海,KDDI(中部),ツーカーセルラー東海など,競合する同業他社が多数あり(甲A16),これら他社と携帯電話の顧客のシェアを争っていたため,一旦獲得した顧客を手放すわけにはいかなかったが,a2社の展開する携帯電話には,他社の展開する携帯電話に比べ電波状況が悪いという問題があり,この点を改善しなければ,a2社から顧客が離れていくことは必至であった(甲A19,弁論の全趣旨)。それゆえ,Bが苦情に対応する顧客は,その一人一人が,a2社にとって手放すべからざる重要な顧客であったものであり,そのことが,日々苦情対応に奔走するBにおいて,顧客に対する一挙手一投足に気遣いをさせ,通常の顧客対応よりも相当程度強い心理的負荷をBに対し与え続けたものと認められる。
(イ) また,判断指針は,前記のとおり,出来事の発生以前から続く恒常的な長時間労働,特に,深夜時間帯に及ぶような長時間の時間外労働を度々行っている事実は,それ自体で労働者の心理的負荷を増大させるものとしているところ,Bは,前記(ア)の業務を遂行するために,前記のとおり,本件開局後の平成6年8月においても,月に約100時間の長時間にわたる時間外労働を行わざるを得なかったことが認められるものであり,これが,認定基準に照らして,脳心疾患を発症させるに十分な危険を有する水準に達していることからしても,Bに対して相当の肉体的,精神的負荷を与えたものと推認されることは前記イの(ウ)と同様であるから,前記深夜にも及ぶ長時間の時間外労働は,本件うつ病の発症及びその進行の大きな原因となったものと評価するのが相当である。
(3) 業務以外の出来事による心理的負荷の有無について
ア 本件うつ病の発症前に,業務以外の出来事でBに対し客観的に一定の心理的負荷を生じさせるものと認められるような事情が発生したことは,本件全証拠をもってしても認められない。
イ また,本件うつ病の発症当時に,家族との不和など,私的な悩みがあったという事情も何ら窺われない。
ウ したがって,業務以外の出来事でBに対し客観的に一定の心理的負荷を引き起こすと認められる事情は,認められない。
(4) Bの個体側の要因の有無について
ア Bの性格は,真面目,几帳面,神経質,責任感が強い,周囲に気を遣い激しく自己主張することができないなど,うつ病に親和性のある性格傾向ではあったが,Bが,本件うつ病の発症まで,特段の問題なく社会生活を送り,サービス課の担当課長という一定の責任を伴う重要なポストに就いていることなどからすると,Bの前記性格傾向が直ちにうつ病を発症させるぜい弱性につながるものではなく,正常人の通常の範囲を逸脱しているものともいえないから,Bの性格傾向は,同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲を外れるものではない。それゆえ,Bの前記性格傾向を個体側要因として考慮することは相当でない。
イ また,Bは,前記のとおり,日常的にアルコールを摂取していたことが認められ,確かに,医学的見地から,アルコールは中枢神経系を抑制する作用を有し,アルコールの摂取による酩酊状態から脱すると,本来の抑うつ症状が悪化する傾向があるとか,アルコールに依存したりこれを乱用したりすれば,自殺の危険性が高まるといったことは認められるが(甲B27の202頁・206頁),仮に,Bがその精神能力や気分に変調を来すほどアルコールに依存し又はこれを乱用したり,あるいは酩酊状態に陥ったとの事実があれば,主治医であるA15医師やA16医師が気づかないはずがなく,本件全証拠をもってしても,かかる事実があったものとはまったく窺えないことも併せ考えれば(前記1の(1)アの(イ)),Bのアルコールの摂取が,本件うつ病の症状を増悪化させたり,本件自殺の危険性を高める要因になったとは認められない。それゆえ,Bが日常的にアルコールを摂取していたとの事実を個体側の要因として考慮することは,相当でないというべきである。
ウ したがって,Bには,本件うつ病を発症させるおそれのある程度の個体側要因は認められない。
(5) 小括
前記(2)のBが従事した業務は,質的及び量的に相当に過重なものであり,これに従事する労働者に多大な心理的負荷を与える契機を多数含むものであって,しかも,これが同時並行的に重なることによって,Bに対し,日常的に多大な心理的負荷を与えたものと認められる。そうすると,その業務内容は,一般的平均的な労働者の範囲内にあるBに対し,社会通念上,うつ病を発症させるに足りる危険性を十分に有するものであったと認められる。したがって,本件うつ病は,Bが従事した業務に内在する危険の現実化として発症したものと認められ,同業務と本件うつ病の発症との間には,相当因果関係(業務起因性)が認められる。
4 争点②(本件うつ病の寛解の有無)について
(1) 以上のとおり,本件うつ病の発症には業務起因性が認められるところ,本件のように精神疾患に罹患したと認められる労働者が自殺した場合には,精神疾患の発症に業務起因性が認められるのみでなく,精神疾患と自殺との間にも相当因果関係が認められる必要がある(前記3の(1)のイ)。
しかるに,被告は,大橋クリニックの第4次受診の中断後第5次受診を開始するまでの約1年8か月の間に本件うつ病は寛解したと主張し,寛解が認められれば,本件自殺は本件うつ病に基づきなされたものとはいえず,本件うつ病と本件自殺との間の相当因果関係は否定されることとなる。そこで,以下,前記約1年8か月の間に本件うつ病が寛解したか否かについて重ねて検討を加えることとする。
(2) 基本的な考え方
ア 労災保険の実務における「治ゆ」とは,必ずしも完全に健康時の状態に回復することを意味せず,業務上の疾病に対して,医学上一般に認められた医療を行ってもその効果が期待し得ない状態に至ったことをいい,精神障害にあっては,当該精神症状が一定程度改善しあるいは安定した後,それに引き続き行われたリハビリテーション療法等を終了した時点における状態をもって「治ゆ」したとみるのが相当である(平成11年7月29日付け「精神障害等の労災認定に係る専門検討会報告書」(以下「専門検討会報告書」という。)の検討概要5(2)(42頁)参照(乙5))。
そして,うつ病が発症してから「治ゆ」に至るまでの期間は,精神医学上,一般的に,うつ病発症の原因となった業務による心理的負荷要因を取り除いた上で治療を開始してから3か月ないし9か月であるとされているところ(平成11年9月14日付け労働省労働基準局補償課長事務連絡第9号「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針の運用に関しての留意点等について」記第2の6参照),同知見は,現在の医学的見地に照らし,合理的なものとして首肯できる。
そこで,本件うつ病が寛解したか否かの判断においては,かかる見解を参照して,本件うつ病発症の原因となった業務による心理的負荷要因が取り除かれていたか否かをも考慮して検討することとする。
イ うつ病発症後の事情の考慮の可否
(ア) ところで,うつ病発症の初期や回復期に自殺の危険が高まるとの医学的知見や,うつ病を含む精神障害の増悪の結果として自殺に至るとの見解は必ずしも正しくないとの医学的知見,また,軽症うつ病と中等症うつ病では自殺の危険性に変わりはないとの臨床結果などが存在する一方で(甲B13の301頁,乙2の12頁以下),ある特定の時期だけにうつ病患者の自殺の危険が高まるとの考えは判断を誤る可能性があるとの医学的見地からの指摘や,不安・焦燥型のうつ病では,病態の極期に自殺の危険が最も高いとの医学的知見,うつ病の重症度と自殺の危険性にはある程度の相関関係が認められるとの臨床結果,さらに,重症うつ病患者の自殺件数は,軽症及び中等症うつ病患者の自殺件数に比して格段に多いとの臨床結果などが存在するところ(甲B13の302頁,B27の202頁,B33,乙2の13頁),かかる学説状況及び臨床結果に照らすと,うつ病発症後の出来事であっても,これによって当該うつ病を重症化させ,自殺の危険性が高まった結果自殺に至るとの因果経過の可能性も十分にありうるものであり,発症後に従事した業務が客観的に過重であったと認められる場合には,継続する過重な業務により増悪化させられた精神障害により,正常な認識,行為選択能力及び抑制力が著しく阻害されるに至った結果自殺行為に出たものとして,業務と精神障害の増悪化,さらには自殺との相当因果関係があると推認すべき場合も存すると考えられる。
もっとも,この点については,前記学説状況等からして,必ずしも医学的に解明されていない分野であり,また,前記各臨床結果に照らすと,発症後の出来事によってうつ病が増悪化し自殺に至った経過につき,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信をもって認められるといえるためには,既にうつ病を発症した者が同疾患の影響で通常人に比して多大な心理的負荷を受けた可能性を念頭に置きつつ,個々の事案において,発症後に従事した業務の過重性を客観的に評価し,同業務上の出来事にうつ病を増悪化させる一定程度以上の危険性が存在するか否かを判断するのが相当である。
(イ) 被告は,うつ病の増悪化と自殺との間には相関関係は認められないから,うつ病発症後の出来事を業務起因性の判断に当たり考慮すべきではないと主張し,同主張に沿う医学的知見が存在することも前記(ア)のとおりであるが,発症後に従事した業務と精神障害の増悪化,更には自殺との相当因果関係があると推認すべき場合も存することは前記(ア)のとおりであるから,被告の前記主張を直ちに採用することはできない。
(3) 本件うつ病発症後第5次受診開始までの心理的負荷要因
ア 判断指針は,業務上の心理的負荷を与える1つのライフ・イベントとして「仕事のペース,活動の変化」を挙げているところ,Bは,前記のとおり,a2社において業務分掌規定の変更があった平成9年9月1日以降,技術センターの担当課長として,前記故障に係る苦情への対応業務に加え,新たに,携帯電話やネットワークに関する技術判断に関する業務等や,故障の責任判断に関する業務,エリア調査業務等に従事した。
a2社の顧客数は,前記1(2)のウ(カ)のとおり,本件開局後,前年度の約1.3倍から多い年では約7倍と,年々大幅に増加しており,a2社内の苦情受付体制が徐々に確立していったとはいえ,苦情数も増加していたことから,Bの苦情受付業務の負担が減ることはなかった。
そのような苦情受付業務と並行して,Bは,エリア調査業務として,電波に関する苦情の多い地域に出かけて電波状況を調査し,ネットワークセンターに対してその状況を報告する業務にも従事していたものであるが,当時,同業他社と比べて電波状態が良くないと言われていたa2社にとって,エリア調査業務は,顧客の離反を防ぐための非常に重要な業務であって,かつ,従前の在社業務とは異なり外勤を多く伴うものであり,仕事のペースや活動内容には一定程度の変化をもたらしたものと推認される。
イ 次に,判断指針は,業務上の心理的負荷を与える1つのライフ・イベントとして,「仕事内容の大きな変化」を挙げているところ,Bは,平成9年11月25日以降,○○サービスなどの新たなサービスのアフターサービス業務に従事し,平成10年3月からは,同アフターサービス業務を行う○○チームのリーダーを,平成11年12月10日からは,△△チームのリーダーを務めたものである。○○サービスは,前記のとおり,日本初の携帯電話でのインターネットメールを可能とするサービスであり,従来の携帯電話には付加されていなかった新たなサービスを展開するものであったところ,Bの従前からの経験及び知識のみでは到底対応できる内容ではなく,仕事内容には大きな変化があったと認められる(大橋クリニックにおける診療録(平成12年7月17日付け部分)には,○○チームの責任者を任され,電気通信もマネージメントも苦手で大変であった旨記載されている(甲B2の1,B2の2)。)。
ウ 加えて,a2社は,本件開局後も,1年に10種類を超える新機種や,新サービスを次々と展開しており(甲A16),その度に,Bは,試用機と取扱説明書で操作要領を修得し,顧客からの問い合わせに備えるなど,常に仕事内容の変化にさらされていた。携帯電話の操作要領は,製造メーカーによって異なることから,様々なメーカーが展開する携帯電話の操作要領を五月雨式に覚えることには,相当の困難が伴ったものと認められ,実際にも,Bは,A4に対し,機種変更が次々にあってその内容を覚えきれない旨述べている(甲A10の6頁)。
エ さらに,Bは,前記のとおり,平成12年7月ころ,a2社から,技術センターの担当課長の一人として,新たに本件ISOの認証取得に向けた業務に携わるよう指示を受けた。Bは,ISO推進プロジェクトチームのメンバーには選出されなかったものであるが,Bが当時担当していた電池テスター業務や携帯電話機テスター業務はISOの認証取得の対象外とされたにもかかわらず,あえて業務命令として本件ISO認証取得業務に携わるよう指示されたこと,また,自らが担当課長という一定の責任を負うべき立場にあったことから,Bは,同業務において失敗は許されないとのプレッシャーを感じており,しかも,同業務は,仕事内容の変化も伴うものであったことから,同業務に従事するに当たっても,Bは一定程度の心理的負荷を受けたものと認められる。
オ 小括
以上に照らすと,Bは,コンピューター等を用いるa2社の業務内容に対する苦手意識を終始抱えながら,断続的に仕事内容,仕事のペース等の変化を受け続け,その中には,○○サービスなど,従来の仕事内容とは大きく異なる変化も含まれていたこと,また,a2社の度重なる組織変更による身分の変化にも断続的にさらされ続けていたものであり,職場における心理的負荷の中でも,仕事内容の大きな変化や仕事のペース及び活動の変化がうつ病の増悪に大きく貢献するとの研究結果(甲B26の6頁)に照らしても,これらの心理的負荷が相次ぐことにより,Bは,通常の「仕事内容の大きな変化」や「仕事のペース,活動の変化」などより相当に強い心理的負荷を受け続けていたと推認されるというべきである。
これらの事情を総合すると,本件うつ病の発症後,第5次受診の開始に至るまで,本件うつ病発症の原因となった業務による心理的負荷要因は取り除かれていないと認めるのが相当である。
(4) 業務以外の出来事について
本件うつ病の発症後,平成9年8月ころb社の社宅において原告の両親と同居を始め,平成10年2月ころには,b社の社宅を出て,新たに購入した新居に入居し,その際に2000万円の住宅ローンを組んだという出来事が発生しているが,判断指針によると,転居は,一定程度の心理的負荷を与えるとされているものの,それのみでうつ病を発症させる程度の強度の心理的負荷をもたらすものとはされておらず,また,住宅ローンを組むことは,日常的に経験する心理的負荷で一般的に問題とならない程度の心理的負荷と考えられ,実際にも,Bは退職金でその返済を終えればいいとある程度楽観的に考えていたことが認められること(甲B16の84頁,弁論の全趣旨)も併せ考えると,Bの組んだ住宅ローンが2000万円の多額であったことを考慮しても,Bに対しそれ程強い心理的負荷を与えたとは解し難い。
また,判断指針によれば,親族との付き合いで困るような出来事が発生すれば,一定程度の心理的負荷をもたらすものとされているが,Bと原告の両親との関係は良好だったのであり(甲A107,弁論の全趣旨),原告の両親との同居が,Bに特段の心理的負荷を与えたとは認められない。
そして,その他本件うつ病の発症前後を通じて,業務以外で特段の心理的負荷を発生させるような出来事は認められないから,業務以外の出来事によって本件うつ病の寛解が妨げられたとみることはできない。
なお,Bは,平成10年3月2日に大橋クリニックを受診した際,A15医師に対し,家族ともあまりよくない旨述べたことがカルテに記載されているけれども(甲B2の1,2),前後の文脈からすると,家族にとって大きな出来事である自宅の購入をしたのに,Bが,体がだるいなどのうつ病による症状から,十分に引っ越しの手伝いができず,家族のBに対する若干の不満や,Bの家族に対する申し訳ないとの気持ちから,一時的に十分な意思疎通ができなくなったことを意味しているものと理解され,その後,Bが原告ら家族に対し仕事の悩みについて打ち明けるなど,家族とコミュニケーションを取っていたことが窺われることからしても,Bと家族との関係が悪かったものとは認められない。
(5) 小括
ア うつ病は,投薬だけで治療できるものではなく,うつ病患者を取り巻く状況因子を取り除かなければ容易に寛解しない病気であり,臨床上もうつ病が慢性化することはあると認められるところ,前記1の(1)エのBの症状等や,本件うつ病の状況因子となっていたa2社における厳しい職場環境に変化はなく,かえって新たな業務上の課題が次々と生起し,Bは,サービス課の担当課長,技術センターの担当課長,○○チームないし△△チームのリーダーなどとして,絶えず重い責任と困難な職務を担い続けており,気の休まる時期がなかったと推認されること,Bが大橋クリニックの受診を中断したのは,すべて自己の判断であり,いずれのときもA15医師は治療の継続が必要と判断していたものであって,第2次受診時,第3次受診時,第4次受診時には,休職を進めていたものであり,Bは,仕事の忙しさから休職は無理であると考え,そうした休職の勧めに応じなかったばかりか,抗うつ薬の服用により症状が幾分回復し,比較的睡眠が取れるようになると,根っからの我慢強い性格に,精神科に受診することへの抵抗感や仕事に対する強い責任感も加わって,職場にはうつ病に罹患していることを隠したまま,自己の判断で,通院を中断し,我慢して仕事を続けるうち,再び症状が悪化して耐えられない状態になると大橋クリニックへの再受診を繰り返していたものであったこと,もっとも,大橋クリニックへの通院を中断していた間も,平成13年5月12日までの間,愛知学院附属病院に通院しているところ,主治医であるA16医師は,Bの口腔心身症が改善しないのは,本件出向後の業務に起因した精神的ストレスによるものであると判断し,毎受診時に支持的精神療法の一環として30分以上にわたってa2社における業務内容を聴取し,精神的な支持を与えることによりその精神的ストレスの緩和を図るとともに,抗不安薬であるメイラックスや自律神経調整剤であるグランダキシンなどを処方していたものであり,A16医師の治療を受けることにより多少ともうつ病の症状の悪化が遅らされていたと考えられること,Bは,本件うつ病の診断を受けてから本件自殺に至るまでの間,A15医師に対してもA16医師に対しても本件うつ病が寛解したことを窺わせるような状態に心身の調子が回復したことがあったとは,一度として告げたことはなかったことなどからすると,本件うつ病は,本件自殺まで一度も寛解するに至らず,大橋クリニックへの通院時における抗うつ薬の服用による症状の多少の緩和と,自己判断により大橋クリニックへの通院を中断して状況因子が除去されていない厳しい職場環境及び業務状況の中で我慢しながら仕事を続けたことによる症状の悪化を何度も繰り返しながら,次第に慢性化していったものと推認されるのであり,Bの病状は同人の職場環境及び業務状況にまさしく符合していることが認められるところである。大橋クリニックの診療録によれば,第4次受診及び第5次受診の各初回の受診の際には,Bに自殺念慮が見られ,その後抗うつ薬の服用により症状が幾分か緩和されてきたものの,必ずしも良好とはいえない状態であったと認められることからしても,本件うつ病は,第1次受診以降,本件自殺に至るまで,回復しなかったどころか,第4次受診時及び第5次受診時には自殺遠慮を抱くまでに増悪化していたと推認されるものである。したがって,本件うつ病は,第4次受診中断後第5次受診開始までの約1年8か月の間も寛解しなかったものと認められる。
イ ところで,本件うつ病が慢性化していたにもかかわらずBが一定期間大橋クリニックの受診を中断したことについては,前記のとおり,同クリニックの通院時における抗うつ薬の服用により一時的にBの症状が多少緩和されたことで,あとは自分で頑張れると判断したからであったところ,そうした行動を取ったのは,根っからの我慢強い性格とともに,もともと精神科への受診に抵抗感があったことや仕事に対する強い責任感があったことが大きな理由であったと推認され,とりわけ第4次受診の中断には,それらに加えて,自宅を購入した際に加入したローンの生命保険の告知義務に関する誤解があり,もっと早期に受診を必要とする状態にまで悪化していたにもかかわらず,我慢していたことが認められるものであり(甲B2の1,2),前記のとおり,Bを取り巻く状況因子である厳しい職場環境及び業務状況が何ら変わっていない以上,前記受診の中断をもってBのうつ病が寛解したものと推認することはできないというべきである。Bは,自己判断による大橋クリニックへの通院を中断していた間,厳しい職場環境及び業務状況の下,業務に従事し続けたことにより,再びうつ病の症状が悪化の方向に向かっていったものであるが,生来の我慢強い性格に加え,A16医師による支持的精神療法やメイラックス及びグランダキシンの服用などにより,再受診までの間,何とか勤務を継続することができていたと考えられるものである。なお,メイラックスは,うつ病の患者に対して単独で処方されることは少ないが,うつ病の一症状である抑うつ状態に効能があり,Bに対しても,本件うつ病による不安や抑うつ状態を幾分か緩和させていたものと考えられる。
ウ なお,Bは,平成6年11月以降,月に45時間を超える時間外労働はほとんど行っていないことが認められるが(甲A35の1ないしA39の2,A111の1ないしA203,弁論の全趣旨),うつ病の増悪例の約半数が,増悪直前の1か月間には20時間未満の時間外労働時間にしか従事していなかったとの調査結果(甲B26の6頁)からすると,長時間労働がなければうつ病が増悪化しないと言うことはできず,Bの時間外労働が多くなかったことをもって,前記結論が覆るものではない。
(6) 被告が主張する根拠について
被告は,前記第2の4(2)のとおり,①Bは,第4次受診中断後第5次受診を開始するまでの約1年8か月の間,うつ病の症状を感じず,抗うつ薬の服用の必要性を感じていなかったからこそ大橋クリニックの受診を中断したと解されること,②Bが大橋クリニックの第4次受診を中断していた平成11年8月から平成12年2月ころまでの約6か月の間,愛知学院附属病院の診療録において,うつ病エピソードの存在を推認させるような記述は存在しないこと,また,③職場においても,前記約1年8か月の間,Bについてうつ病エピソードの症状や徴候は認められないことなどに照らすと,本件うつ病は,第4次受診中断後第5次受診を開始する平成12年7月までの間に一旦寛解したものである旨主張する。そこで,以下,かかる根拠の当否について判断する。
ア 前記①の根拠について
被告は,過去の受診経験により抗うつ薬を服用すれば,うつ病の苦痛から解放されることを経験しているのであるから,うつ病の症状があるのにBが大橋クリニックを受診しなかったとは考え難く,また,平成12年7月17日付けの大橋クリニックの診療録に,「(恐怖心,好きだった卓球をやる気がしないなどの症状が)2か月くらい前からはじまり,ここ1ヶ月程でひどくなった。「うつ」という感じだ。」と記載されていることからすると(甲B2の1,B2の2),それ以前は本件うつ病の症状は治まっており,だからこそ大橋クリニックの受診を中断したなどと主張する。
しかしながら,本件うつ病は,前記のとおり,A16医師の施す支持的精神療法を主として,メイラックスやグランダキシン等の処方により,相乗効果的にその症状が緩和していたに過ぎないものであって,Bが,抗うつ薬の代わりとなる治療が必要でない状態にまで至っていたとは認められないこと,また,大橋クリニックの診療録の前記記載は,本件うつ病の症状が重症化したことを表すものではあるが,必ずしも,それ以前の期間において本件うつ病の症状がなかったことを示すものではないし,現に,Bは,前記受診中断期間においても,A16医師に対し,a2社における業務の負担を断続的に愁訴し,A16医師は,同期間も本件うつ病は寛解していないと判断していたこと,うつ病患者の中には,医師を頼らずに自力で症状を改善させたいと考える者が少なからずおり(甲B9の10頁,弁論の全趣旨),医師を受診しなかったからといって,当該うつ病が寛解ないし部分寛解していたことにはならないところ,Bが大橋クリニックへの通院を中断したのは,前記のとおり,いずれの時も自己判断によるものであり,主治医であるA15医師は,いずれの時も本件うつ病による症状が続いており,治療を継続する必要があると考えていたものであって,とりわけ,第4次受診時には,自殺念慮が見られる深刻な状態になっていたことから休職を勧めていたものであり,受診中断の直前には,抗うつ薬の服用により,いらいら感や焦燥感が幾分緩和されてきてはいたけれども,服薬により何とか出勤している状態であると判断していたものであること,Bが休職に応じなかったのは,仕事が忙しく休職は到底無理であると考えていたからであり,Bが大橋クリニックへの通院を中断した理由にしても,抗うつ薬の服用により症状が幾分緩和されたことにより自分で頑張れると判断したからであったことは確かにしても,そうした行動を取ったのは,前記のとおり,根っからの我慢強い性格とともに,もともと精神科への受診に抵抗感があったことや仕事に対する強い責任感があったことが大きな理由になっていた上,第4次受診の中断には,これらに加え,自宅を購入した際に加入したローンの生命保険の告知義務に関する誤解が影響していたことが認められるものであって,Bは,自己判断で通院を中断した上,我慢して仕事を続けていたものと推認されることなどを併せ考えると,被告が指摘する前記各事実は,いずれも合理的な根拠があるとは言い難く,被告の主張する前記根拠は採用できない。
イ 前記②の根拠について
確かに,Bは,A16医師に対し,仕事に慣れてきて楽しい等と述べた時もあり(平成11年12月9日)(甲B4),本件うつ病の症状が一時的に緩和したことを窺わせるような言動を一部しているけれども,その間も,Bの精神疾患は未だ十分には改善されていないと判断していたA16医師から,継続的に,支持的精神療法や,メイラックスやグランダキシンの処方を受けているところ(甲B3ないし5,B6の7,B19の1,B19の2),支持的精神療法は,うつ病患者とともに悩み,共感することによって,うつ病患者の孤独感を和らげる働きかけをするものであり,自殺念慮を有する反面で救って欲しいと願ううつ病患者にとって,医学的に有効かつ重要な治療方法であるとされていることや(甲B13の304頁),メイラックス及びグランダキシンも,うつ病の症状に強い効果をもたらすとはいえないまでも,抗不安薬,自律神経調整剤として用いられるものであることからして,支持的精神療法と相まって,本件うつ病の症状を一定程度緩和させる効果があったと解するのが自然であることなどからすると,A16医師がBに対して施した支持的精神療法並びにメイラックス及びグランダキシンの処方により,本件うつ病を改善させるまでには至らなかったものの,本件うつ病の症状を一定程度緩和させ,大橋クリニックへの再受診までの間,本件うつ病の症状に耐えながらも我慢して仕事を続けることに寄与していたものと推認され,Bの前記供述もそうした状況を示しているものと考えられるところである。加えて,何より,B自身が業務による精神的症状を感じていたからこそ,A16医師の受診を途切れることなく継続していたと解されること,Bが前記各供述(仕事に慣れてきて楽しい等)をした前後に,Bは,A16医師に対し,会社が多忙であるとか(平成11年11月24日),仕事のストレスは大きいなどと述べていること(平成12年2月18日)(以上,甲B4)などを併せ考えると,Bの前記供述をもって,本件うつ病が寛解したと評価することは到底できず,被告の主張する前記根拠は採用できない。
ウ 前記③の根拠について
確かに,本件全証拠をもってしても,受診中断中の約1年8か月の間に,Bが職場においてうつ病の症状や徴候を窺わせる言動をしたことは認められないが,うつ病に罹患しても医療機関を受診せず,一見通常の勤務を継続しているようにみえる者が多数に上るとの疫学的調査の結果(甲B22ないしB25)や,Bの人一倍我慢強い性格などに照らすと,前記期間中,職場において,Bがうつ病の症状や徴候を見せなかったからといって,Bにおいて本件うつ病の症状がなかったとか,本件うつ病が寛解していたと直ちに推認することはできず,かえって,A16医師の診察によっても口腔心身症の症状は相変わらずであって心身の不調が一進一退を繰り返しながら継続していたものであり,Bの心身の状態が軽快に向かっていたような様子や兆候はまったく確認されていないことからしても,この点に関し被告が主張する前記根拠は採用できない。
(7) 本件うつ病と本件自殺との相当因果関係
以上のとおり,本件うつ病が寛解したことは認められないので,そのことを前提に,本件うつ病と本件自殺との相当因果関係の有無について考察する。
ア 本件出向から本件転籍を経て外資系企業による買収があったころまでの経過
Bは,前記(3)のように,継続的に仕事内容の変化などによる強い心理的負荷を受け続けていた間,絶えずb社への復帰を希望していたが,当初は3年と見込まれていた本件出向が7年間にわたり続き,結局,平成13年4月の本件転籍によりb社に復帰することはかなわない結果となり,また,コンピューターやインターネットに対する不得手ないし苦手意識は解消されず,本件出向自体が相当の心理的負担となっている中で,同年9月,a2社はa3株式会社の傘下に納められ,外資系企業であるa3株式会社の下では,60歳以降の嘱託雇用が実現しなくなるのではないかとの不安を抱くなど,恒常的に,自らの身分に対する不安や不満を抱いていた。判断指針は,出向による心理的負荷を増大させる要因として出向の経過を挙げているが,本件出向後,本件転籍を経て外資系企業による買収があったころまでの前記経緯は,Bの本件出向による心理的負荷を一層増大させ,本件うつ病を増悪化させる要因になったものと推認される。(甲A11の11頁,弁論の全趣旨)
イ 新人事制度の導入から本件異動があったころまでの経過
(ア) A10やA12との関係,本件異動の経緯等
a 平成14年4月からa2社に新人事制度が導入されたが,Bは,前記1(4)のイのとおり,同年5月ころ,人事評価に関わるMBOシートにつき,上司であるA10から,Bの設定したテーマにはインパクトがないなどの理由で,グループスタッフの育成に関する目標などを記入するよう指示され,また,文章の書き方が適切でないとか,具体的な数値目標を記載することなど,各事項を細分化して指摘されて,少なくとも3回以上にわたり書き直しを命じられたものであるが,Bは,自分より10歳以上も年少な上司であるA10から,ミッションの設定自体が不十分である旨指摘されたり,文章の書き方という基本的な事項について指示を受けたりしたことによって,自らの能力不足を指摘されたように感じ,MBOシートに何を書けばA10が認めてくれるのか見当がつかず,心理的に追いつめられたことが窺われる。
b また,Bは,上司であるA10やA12から,本件異動の打診を受けた際,A13ら2名の仕事をB1名で行うこと等に不安を感じていること等について幾度も愁訴したにもかかわらず,同人らは,そのようなBの不安を軽減させるような措置(例えば,Bに対し,本件異動後は前記2名の担当していた業務が軽減される見込みであることを明確に伝える等)を採ったり,B以外の適任者を真摯に検討したりすることもなく,本件異動に難色を示すBに対し,頑として本件異動を促したあげく,普段は激しく自己主張をすることのできないBが,めずらしく感情を高ぶらせ,「自分を辞めさせたいのか。」と述べたことに対し,A12は「勝手にしたらいいではないですか。」などと発言したり,BがA10に対し「保守センターでやっていく自信がない。」と述べたことに対し,A10は「Bさん,甘えているんじゃないの。」などと発言するなど,Bが退職することを是認するように受け取れる発言をそれぞれしたものである。以上のような経緯に照らすと,Bが,本件異動は,自分を退職に追い込もうとする意図の下になされたものとして,否定的に受け止めていたことも,やむを得ないことといえる。
そして,配転は,一般的に,労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えうることに鑑みると,使用者の配転命令権は無制約に行使できるものではないと解すべきところ,A12及びA10は,Bに対し,A13ら2名分の業務をBに行わせる内容の配転命令を出し,前記のとおりこれに伴う適切な措置を講じることもなく,a2社を辞めるか本件異動を承諾するかのいずれかしかないと受け取れるような発言をし,Bを精神的に追いつめたと認められること,Bは,左下肢の障害により,通常人に比して歩行に困難を来しており,遠方の佐屋保守センターまでの通勤には相当な困難を伴うことが予想され,また,Bには物流の経験がなく,B本人も物流業務には自信がないと愁訴していたこと,Bが本件異動を打診されたのは,本件異動が行われるわずか1か月前であり,本件異動を承諾するか否かの十分な検討期間もなく,また,本件異動のための準備期間も十分ではなかったことなどを併せ考えると,本件異動に係る命令に業務上の必要性が認められ,同命令が無効とまではいえないにしても,いささか労働者に対する配慮を欠くものであったことは否定し難く,Bが,前記aのとおり,すでに軋轢のあった上司であるA10から本件異動を打診されたことも,本件異動に対するBの不安や緊張を増幅させたものと推認される。
c これらA12及びA10とのやり取りは,「上司とのトラブル」にあたり,判断指針において相当程度の心理的負荷を労働者にもたらすとされていること,本件異動後は,「仕事内容・仕事量の大きな変化」,「仕事のペース,活動の変化」が予想され,かつ,本件異動は「転勤」を伴うものであって,これらも,判断指針において一定程度の心理的負荷を労働者にもたらすとされていること,Bは,本件異動が,自らを退職に追い込もうとする意図の下になされたものであると否定的かつ重大なものとして受け止めたこと(Bがこのように受け止めたことは,前記bのとおり,やむを得ないものということができる。)などに照らすと,本件異動に係る前記経緯は,Bに対し,相当程度強い心理的負荷をもたらしたと理解するのが相当である。(甲A9,A44の2,A46の8頁以下,弁論の全趣旨)
(イ) 業務の引継ぎの状況
前記1(5)のイのとおり,佐屋保守センターにおける物流業務は,Bにとって未経験の業務であったことや,前任者であるA13ら2名から,一度の機会に異なる内容の業務の引継ぎを受けたことなどから,Bは,A13らからの引継ぎ内容をスムースに理解することができなかった。Bは,几帳面で神経質,責任感の強い性格であったため,初めてあたる仕事について,細かい点まで時間をかけて理解したいとの思いがあったと推察されるが,前記引継ぎ状況は,Bのかかる思いに反するものであり,Bが,A12やA10との前記やり取りを経て,やむを得ず本件異動を承諾したこととも相まって,Bに相当の心理的負荷を与えたものと推認される。
(ウ) 通勤の困難性
前記1の(5)のウ(ウ)のとおり,Bは,佐屋保守センターの最寄り駅である佐古木駅まで,東山線の藤が丘駅から名古屋駅での乗り換えを経て電車通勤をしていたが,同名古屋駅においては,伏見や栄に向かう大勢の人々と逆方向に向かって歩いていかなければならず,左足に歩行困難の障害を有するBにとっては,歩くだけでも相当に困難であったことに加え,名古屋駅での乗り換え時及び佐古木駅での出札時には,階段の昇降をしなければならず,気力及び体力を相当に使うものであった。
「転勤」は,判断指針において相当程度の心理的負荷を与えるものとされているところ,Bは,本件異動によって佐屋保守センターへ転勤になったものであり,本件異動に伴う前記のような通勤の困難性は,日常的・継続的に生じるものであって,Bにおける肉体的・精神的な負担の程度は大きいものといえることに照らすと,本件異動は,通常の「転勤」よりも相当程度強い心理的負荷をBにもたらしたと理解するのが相当である。(甲A67,弁論の全趣旨)
(エ) 小括
以上のような本件異動に係る経緯は,各々の出来事が客観的に相当程度強い心理的負荷を与えるものであったことに加え,いずれも極めて近接した時期に連続して発生したものであり,総体として,本件うつ病を増悪させる要因になったものと認められる。
ウ 本件自殺直前のBの様子
Bは,本件自殺の8日前,原告の親戚宅に車で向かう道中,急ブレーキや急ハンドルを繰り返す運転をするなど,事故や家族の身体の安全を顧みない行動をし(うつ病患者は,自殺に先立って健康管理に無関心になることがあるとの医学的知見が存在する(甲B13の303頁)。),また,同日の夜,自殺未遂と思しき海への転落をし,本件自殺の前日には,A3に対し「殺してくれないか。」と述べ,さらに,本件自殺の直前には,自宅の和室を荒らした上で,かつ,遺書を作成しないで,自殺した。
エ 小括
以上を踏まえると,Bは,本件転籍やa3社による買収によって,ただでさえ自らの身分に不安を抱える中,本件異動は,自分を退職に追い込もうとする意図の下なされたものであると受け止めたこともあって(退職の強要は,判断指針によっても,人生の中でまれに経験することもある強い心理的負荷を労働者にもたらすとされているところ,Bにとっては,本件出向によりリストラの対象とされ,自分に合わない業務を行う他社に出向させられ,b社への復帰の望みも本件転籍により潰えた上でのことであったことからすれば,その心理的負荷の強さには非常に強いものがあったと推認される。なお,Bがそのように受け止めたことがやむを得ないと評価できることは,前記イ(ア)のbのとおりである。),本件異動及びその前後の経緯は,強度の心理的負荷をBにもたらしたと解され,かかる強度の心理的負荷によって,本件うつ病が決定的に増悪したものと認められる。
そして,うつ病の典型的な抑うつエピソードに,自傷あるいは自殺の観念や行為が含まれているところ,前記ウの本件自殺直前のBの様子からすると,Bは,増悪した本件うつ病によって,正常の認識,行為選択能力が著しく阻害され,あるいは自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺に及んだものと推認するのが相当であり,この推定を覆すような事情もないから,本件うつ病と本件自殺との間には,相当因果関係が認められる。
5 その余の争点について
(1) 争点③(本件再発うつ病の業務起因性の有無)について
前記4のとおり,本件うつ病は寛解していなかったものであるから,本件再発うつ病は観念できず,本件再発うつ病の業務起因性の有無を判断する必要はない。したがって,争点③については判示しない。
(2) 争点④(本件異動と本件自殺との因果関係の有無)について
前記4の(7)のとおり,本件うつ病と本件自殺との間には相当因果関係が肯定されるところ,本件異動に係る心理的負荷は,本件うつ病の症状を増悪させた可能性を有する業務上のストレスの一内容を構成するものであり,本件うつ病と本件自殺との相当因果関係の判断の中で評価されるべきものである。
6 医証について
(1) A15医師の意見について
A15医師の前記2の(1)の意見の内容は,当裁判所の前記認定に符合するものである。
(2) A16医師の意見について
A16医師の前記2の(2)の意見の内容は,本件うつ病が,大橋クリニックの受診中断期間に寛解していないと判定するものであり,当裁判所の前記認定に符合するものである。
(3) A27医師の意見について
ア A27医師は,前記2の(3)のとおり,うつ病は,通常は約半年間で寛解することの多い病気であるところ,Bは大橋クリニックの受診中断を繰り返していること,また,Bは,同中断期間にメイラックスを処方されていたが,メイラックスのうつ病の抑うつ状態に対する効果は弱いことなどからすると,本件うつ病は,本件自殺までの約8年間に一旦は寛解したものであると判定する。
しかしながら,約半年間といううつ病の療養期間の目安は,前記4(2)のアのとおり,あくまでも,業務上の心理的負荷要因を取り除き,治療を開始してからの期間を指しているのであって,本件のように,本件うつ病発症後も業務上の心理的負荷要因が取り除かれていない場合においては,前記療養期間の起算の前提が欠けているというべきである。また,Bが,第4次受診終了日から第5次受診開始日まで約1年8か月にわたり大橋クリニックの受診を中断したのは,前記のとおり,愛知学院附属病院において,うつ病の治療方法として有効かつ重要とされている支持的精神療法を受けていたことが,メイラックス等の処方と相まって,相乗効果的に本件うつ病の症状を緩和していたからにすぎないものであり,本件うつ病が寛解したからではない。(甲B9,B19の1,B19の2,弁論の全趣旨)
イ また,A27医師は,Bが従事していた業務に過重性は認められず,他方,Bには,ストレスに敏感な個体側要因が存在するから,本件自殺は,Bの意志による計画的な自殺であると判定する。
しかしながら,Bが,本件うつ病により,正常の認識や行為選択能力が著しく阻害され,又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺に及んだものと推定できることは前記のとおりである。そして,Bの性格は,うつ病に親和的なものということはできるが,同種労働者の性格傾向等の多様さとして通常想定される範囲を外れるものではなかったと認められることも前記のとおりであるから,本件自殺を,Bの意志による計画的なものとみることはできない。
ウ したがって,A27医師の意見を採用することはできない。
(4) A28医師の意見について
ア A28医師は,前記2の(4)のとおり,本件うつ病は,難治性うつ病ではなく,また,Bが,投薬による効果を知りつつ大橋クリニックの受診を数度中断したのは,本件うつ病が一旦は寛解したからである旨判定する。
しかしながら,本件うつ病が難治性うつ病に該当するかどうかは措くとしても,一般的に,業務によるストレスを原因とする精神障害にあっては,その原因を取り除き適切な治療を行えば寛解(治ゆ)すると考えられており(専門検討会報告書の検討概要5(2)参照),このことは,逆にいえば,その原因を取り除かなければ,業務によるストレスを原因とする精神障害が寛解するのは困難である趣旨と解されるところ,本件うつ病は,前記のとおり,業務によるストレスを原因とするものであり,その原因であるBの従事する業務による心理的負荷要因は取り除かれていないのであるから,本件うつ病が寛解したとのA28医師の前記判定を採用することはできない。また,Bが大橋クリニックの受診を数度にわたり中断したのは,愛知学院附属病院において施されていた支持的精神療法に加え,メイラックス等の処方により,本件うつ病の症状が幾分緩和されていたことなどに起因するものであり,本件うつ病が寛解していたからではないことは,前記認定のとおりである。
イ 次いで,A28医師は,仮に本件うつ病が回復ないし寛解に至っていなかったとしても,その原因は,Bの従事した業務にあるのではなく,Bが自己の判断で大橋クリニックの受診を中断したことや,アルコールを日常的に摂取したことなどにあると判定する。
確かに,大橋クリニックの受診中断が,本件うつ病が寛解しなかったことに一定程度寄与していることを完全に否定することはできないが,前記のとおり,本件うつ病が寛解しなかったのは,本件うつ病の原因となった業務による心理的負荷要因が取り除かれなかったことに主として起因するものであって,前記受診の中断により,このことが否定されるものではない。また,Bのアルコール摂取が本件うつ病の症状を増悪化させたり,本件自殺の危険性を高めたと認められないことは,前記認定のとおりである。
ウ したがって,A28医師の意見を採用することはできない。
(5) A29医師の意見について
ア A29医師は,前記2の(5)のとおり,Bは,ICD-10の診断ガイドライン上,F33の反復性うつ病性障害に罹患していたと解し,本件うつ病は,第4次受診中断後第5次受診開始までの期間に,一旦寛解に至ったものと判定する。
しかしながら,仮に,Bが反復性うつ病性障害に罹患していたとしても,本件全証拠をもってしても,Bは,同障害のうち現在寛解状態にあるものと確定的に診断するためのガイドライン(ICD-10のF33.4),すなわち,いかなる重症度のうつ病エピソード又はF30からF39にある他のいかなる障害の診断基準も満たしておらず,また,少なくとも2回のうつ病エピソードが短くとも2週間続き,はっきりとした気分障害のない数か月間で隔てられているとの要件を満たしているとはいい難く(前記受診中断中の期間に,Bにおいてはっきりとした気分障害のない数か月間が存在したと認められないことは,後記(6)のアのとおりである。),Bが,前記受診中断中の期間に,寛解の状態に至ったものとは認められない。
イ また,A29医師は,本件うつ病の業務起因性は認められないと判定するが,Bが本件うつ病の発症前約6か月間に従事していた業務は客観的に強度の心理的負荷をBにもたらしたことが認められ,本件うつ病に業務起因性が認められることは,前記認定のとおりである。
ウ 加えて,A29医師は,うつ病の重症度と自殺企図に至る危険性は,必ずしも相関するものではなく,また,大橋クリニックの受診内容や投薬内容からは,本件再発うつ病ないし本件うつ病の症状の重症化等を窺うことはできないから,本件再発うつ病ないし本件うつ病の発症後に起こった出来事である本件異動及びこれに至る経緯が,同うつ病を増悪化させ,その結果,Bが本件自殺に至ったと考えることは困難である旨意見を述べる。
しかしながら,うつ病発症後の出来事であっても,これによって当該うつ病を重症化させ,自殺の危険性が高まった結果自殺に至るとの因果経過の可能性を全く否定できるものではなく,発症後に従事した業務が客観的に過重であったと認められる場合には,継続する過重な業務により増悪化させられた精神障害により,正常な認識,行為選択能力及び抑制力が著しく阻害されるに至った結果自殺行為に出たものとして,業務と精神障害の増悪化,更には自殺との相当因果関係があると推認すべき場合も存すると解すべきことは,前記4(2)のイ(ア)のとおりである。
また,うつ病の診断は,患者の直接の診療にあたった医師が,当該患者はうつ病エピソードを発症しているかどうかについて,その有する医学的知見や専門的経験則,五感の作用の全てをもって確定させる極めて複雑困難な作業であり,診療録の記載のみから,後発的に,うつ病の状態を必ずしも正確に読み取れるものではない。さらに,投薬内容についても,少なくとも当時の薬の処方によって不眠はある程度解消されていたと認められたことから,A15医師は同様の処方を続けていたものであり,投薬内容に変化がないことから,本件うつ病の増悪化がなかったと直ちに判断することはできない。加えて,本件異動に至る経緯等の客観的な状況から,本件うつ病が増悪化したと推認できることは,前記認定のとおりである。したがって,Bは,本件異動に至る経緯等により,本件うつ病を増悪化させ,本件自殺に至ったものと認めるのが相当である。
エ したがって,A29医師の意見を採用することはできない。
(6) A30医師の意見について
ア A30医師は,前記2の(6)のとおり,第4次受診後大橋クリニックの受診を中断している間の愛知学院附属病院の診療録から推察されるBの症状や,うつ病に対するメイラックスの効果には限界があることなどに照らすと,本件うつ病は,第4次受診終了後第5次受診を開始するまでの約1年8か月の間に,完全寛解の基準である「2か月間大うつ病エピソードのはっきりとした徴候や症状がみられない場合」を満たした旨判定する。
しかしながら,前記期間の診療録においても,Bは,前記のとおり,仕事が多忙であるとか,仕事でストレスがたまっているなどの愁訴をA16医師に断続的にしていたことが窺われ(A30医師は,その意見書(乙11)において,平成11年8月から平成12年1月までの前記診療録には,Bが仕事によりストレスを受けたとの記載がないことを指摘するが,平成11年11月24日の診療録には「仕事は多忙」との記載があり,また,A16医師は,Bが業務上のストレスから解放されていないと判断して,前記期間も引き続き抗不安薬であるメイラックスや自律神経調整剤であるグランダキシン等を処方していることに照らすと,前記期間に本件うつ病が完全寛解したことを趣旨とする前記指摘は,必ずしも的を射ていない。),また,メイラックスには,少なくとも抗不安薬としての効果はあり,前記支持的精神療法を助長して,不十分ながらもBの精神を安定させる効果を発揮していたと解されることからすると,Bが,「2か月間大うつ病エピソードのはっきりとした徴候や症状がみられない」状態に至ったと断定することはできない。
イ 次いで,A30医師は,本件うつ病には業務起因性が認められないと判定するが,本件うつ病に業務起因性が認められることは,前記認定のとおりである。
ウ したがって,A30医師の意見を採用することはできない。
(7) 専門部会の意見について
ア 専門部会は,本件うつ病は,反復性うつ病性障害であり,第4次受診を中断した平成10年11月ころに一旦寛解(治ゆ)し,その後,第5次受診を開始した平成12年7月ころに,本件再発うつ病として再発したものであると判定するが,本件うつ病が,仮に反復性うつ病性障害に該当するとしても,同障害のうち現在寛解状態にあるものと確定的に診断するための前記ガイドライン(ICD-10のF33.4)の基準は満たされず,一度も寛解に至らなかったと解すべきことは,前記(5)のアのとおりである。
イ また,専門部会は,本件再発うつ病の発症前6か月間にBが従事した業務は,判断指針上「強」と判断できるほどの心理的負荷をBにもたらしたとは認められず,他方,Bには,本件出向以前からの口腔心身症の治療歴や,飲酒習慣,真面目で几帳面な性格傾向など,個体側の要因も認められるから,本件再発うつ病に業務起因性は認められないと判定する。
しかしながら,Bの担当した業務は,前記認定のとおり,判断指針において業務上の心理的負荷を与えるライフ・イベントとされている各出来事よりも相当程度心理的負荷の強いものばかりであり,しかも,これらが同時並行的に,あるいは連続してBに発生したのであって,各出来事を総合して判断すると,前記各業務が相乗的にBにもたらした心理的負荷は,うつ病を発症させるのに十分な危険性を有するものと評価することができる。他方で,Bの治療歴,性格傾向等は,前記のとおり,一般的平均的労働者の範囲内の性格傾向や個体差に過ぎないと認められ,また,飲酒が本件うつ病の症状を増悪化させたり,本件自殺の危険性を高めたとは認められないのであるから,これらをもって,本件うつ病の業務起因性が否定されると解することは相当でない。
ウ したがって,専門部会の意見を採用することはできない。
7 裁決について(甲A8)
(1) 労働保険審査会は,本件に係る裁決において,本件うつ病は,大橋クリニックの第4次受診後の受診中断中も,愛知学院附属病院から処方されたメイラックスの効果によりその症状が軽快していたにすぎず,完全寛解していないと判断した上で,本件うつ病発症前6か月間にBが従事した業務による心理的負荷は,客観的にみて同種労働者にとって精神障害を発病させるおそれのある強度のものであったとはいえず,判断指針上「強」に該当する心理的負荷をBにもたらしたということはできないから,本件うつ病に業務起因性はないと判断する。
(2) 同裁決が,本件うつ病が寛解していないとする点は,当裁判所の判断と符合するものであるが(もっとも,当裁判所は,メイラックスの効果のみによって本件うつ病の症状が幾分緩和されていたと解するものではなく,A16医師が施していた支持的精神療法と相まって,相乗的に本件うつ病の症状が幾分緩和されていたと解するものであり,その効果の程度としても,次第にうつ病の症状が悪化していくのを食い止めることまではできず,せいぜい大橋クリニックへの通院の中断の期間,なんとか我慢しながら勤務を続けられたというにとどまり,結局,症状が悪化して大橋クリニックへの受診を再開せざるを得なくなっていた上,第4次受診時及び第5次受診時には,自殺念慮を抱くまでに増悪化していたものである。),本件うつ病発症前6か月間にBが従事した業務は,前記のとおり,質的に過重と評価できることに加え,Bは,同期間,少なくとも月に約100時間程度の時間外労働を4か月間にわたり行っていたと認められるから,量的にも過重な業務であったと評価でき,本件うつ病の発症には,前記認定のとおり,業務起因性が認められ,また,前記認定のとおり,強い心理的負荷を伴う業務上の精神的ストレスがその後も続いたことにより,本件うつ病が慢性化し,遂に一度も寛解することなく,本件自殺に至ったものと推認され,本件自殺との相当因果関係も認められるものである。
(3) したがって,前記裁決の判断を是認することはできない。
第4 結論
以上によれば,本件うつ病の発症及び本件自殺には業務起因性が認められるから,これを否定して行った本件処分は違法である。
よって,原告の請求には理由があるからこれを認容し,訴訟費用の負担については行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田近年則 裁判官 日比野幹 裁判官 鈴木輝子)
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